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2009年2月 2日 (月)

REVERTING

大学時代の成績は、超低空飛行であった。会社に入る時、役員面接で「ところで、筆記試験はできたかね?」と問われ「ハイ~!」と威勢良く答えたら、「これでできたのかね?フーン!」と呆れられたのであるから、我が学力がわかろうと言うもの。

そんなまま会社に入って、いきなり海外から始終電話がかかって来る営業部門に配属になってしまった時には、大いに面食らったものである。当時はオン・ザ・ジョブ・トレーニングなどと言って、研修もないままにいきなり実践の場に放り出されたものだから、たまったものではない。時代は高度成長期、会社が年々大きくなって人手がまったく足りない状態、他の業界からの中途入社組も混ざって、多数の新入社員が右往左往していて、何とも活気があったというか、めちゃくちゃであった、と言うべきか・・・・・。

この海外からの電話、皆一様に苦労させられたもので、当時の事を思い返すと笑い話には事欠かない。現在大手の海運会社の常務取締役を堂々と張っている同期は、たまたま電話中の職場の上司にかかって来た国際電話に「彼は電話中」というつもりで”He is telephone"と大声で答えて周囲の爆笑をかった。別の若手は、海外からの電話に「そんな人はいません」と日本語で答えるや、いつも脱兎の如くトイレに逃げていたと言う。相手は間違った番号にかけたと考え、直後に同じ番号に電話をかけ直すので、トイレに隠れている間に誰かが電話を取り次いでくれて、用件を済ませてくれるは、自分は巻き込まれないで済むは、であったと云う。数十年経った今では、彼はこの業界の中でも立派な国際派なのだが、今でも「あれは頭良いやり方だっただろう」などと自慢をする。

当時、外地とのコミュニケーションはテレックスが主だったので、一日の業務のかなりの部分はテレックスとの格闘。「港でギャングの到着が遅れ・・・」などと言う海外からのテレックスをみて仰天したものだが、これは「港湾労働者の一団がなかなか来なかった」という事。REVERTING (後で連絡する) , ASAP (AS SOON AS POOSIBLE), THERE4(THEREFORE) その他諸々、辞書にもないテレックス用語に散々苦労したものである。

最近はE-MAILが普及して担当者が直接メールを取引先に流している様だが、当時はどの職場にも鬼軍曹の様な先任がいたものである。この鬼軍曹の検閲を受けないと、テレックスの原稿が、テレックスオペレーターの手許に行かないシステムになっていたのだが、この先任なべて英文法にやたらめったら厳しくて、若手は苦労したものである。
INSTRUCTIONの末には必ずSをつけろ、CONTACTは他動詞だからWITHやTOをつけるな、とか口すっぱく怒られたのだが、今から思い返すと本当にあり難かった、と感謝するのみである。

最近は顧問として海運会社の若手のメールを見ながら「こう書いた方が良いのではないの?」などと偉そうに指導らしき事をしているが、その昔、私が書いておずおずと課長代理に提出したテレックスの原稿は、中味が全部赤ペンで書き直されていて、残ったのは相手の宛名とBEST REGARDSという結びの句だけであった、と言うのが真実なのである。

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