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2009年2月11日 (水)

N700系コンセント

20090211

かつて地下鉄・銀座線などの古い地下鉄に乗ると、駅の手前で車内の電灯が消えて一瞬真っ暗になり、何となく地下の闇の怖さを感じたものである。そんな経験から架線(銀座線などは第3軌条という3本目の線路)は、電気を供給する都合で、適宜分断されていた事が良く判ったものである。何故分断しておくかと言うと、電気を供給する区間を適当な距離に分ける事で、各区間の電圧を一定にしておいたり、停電事故の際にはその箇所だけを修理する事で、他の影響を少なくする為にしているらしい。

交流と直流でやや違う点はあるものの、現代の鉄道も、変電所や変圧器から電気が供給される区間を分けて、それぞれを独立させているのだが、その区間と区間の境目をセクションと読んでいる。このセクション区間で電車が停止してしまうと、異なる電気区間の僅かな電位差をパンタグラフがショートさせて架線が溶ける事故などが起きる事もある。

新幹線に乗ると高速で走っている駅間で、冷房やモーターの音が一瞬スッとすべて消え、直後にうなりをあげてこれらの機器が再運転をする音を聞く。あれ、停電事故かな、と思う様な感じで、こんな事を東京ー大阪間で数回経験する。これは新幹線の車両がセクションを通過した際に感じる現象なのだが、いつの間にかこのセクション通過の軽いショックもほとんど感じなくなった。技術の進歩は素晴らしいものである。

さて写真は、妻が昨日大阪に日帰り出張した際、たまたまN700系新幹線に乗り合わせたそうだが、車内でパソコンができる嬉しさのあまり、記念に撮ってきたものである。N700系新幹線は普通車でも、窓際の足元にパソコン用のコンセントがありこういう注意書きがあるらしい。セクション通過の際の一瞬の停電も考慮してこういう注意書きがあるのかもしれない。

それにしても、ちょっと前までは出張で会社を出たらパソコンも携帯もなかったから、会社に呼び出されたりメールをチェックしたりする必要もなかった。 「行って来ます」 と一旦会社を出たら、出張中はどこで何をしていようと関係ない、と清々した気持ちで自由な感じを味わったものであった。せっかくアメリカ型の新自由主義経済が深刻に見直される必要が出てきた候である。日本人は出張にパソコンなど持っていかない、という(新)保守主義ビジネススタイルなどが提唱されないのだろうか?

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