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2009年1月

2009年1月31日 (土)

暗い過去

今日は、久しぶりに妻と私の二人とも何も予定の入っていない土曜日、天気も悪く久しぶりに家でまったり過ごす事に。先週の新宿シティーハーフマラソンで、途中の距離表示がない、と言う前代未聞の出来事にのけぞってしまい、昨年の記録をかなり下回った事で今週は疲労感もひとしお。(この件では大会事務局の正式な謝罪がホームページであった他、私の抗議メールにも丁寧に返事が来ており、その後の対応は一応評価している)今日は丁度良い休養日か。

で、午後のひと時は何となく、旧いCDを聴くともなく聴く事にし、棚から半ばランダムに選んだのはポール・モーリア。「恋は水色」に続いて「オリーブの首飾り」などお馴染みの曲を聞いていたのだが、余りにもオールド・ファッションなので、妻に「この曲つまらないよね?」と断りを入れておく。妻はビリー・ボーン楽団などの古い演奏を聞いていると、「エー、いらっしゃいませ、いらっしゃいませ~。本日は鰹のタタキ1パックが300円、国産鰻の蒲焼は800円です!」などと横で店内アナウンスの真似をする。確かに昔のスーパーの特売品売り場ではビリーボーンの「真珠貝の歌」などがラジカセから流れてきそうなので、今日もからかわれる前に先手を打っておこうという事である。

ところが妻は「実はね…」と笑いながら何かを言い始める。何だと思って聞いていると「大学の時、古典ギター同好会が学園祭でギター喫茶店を出したんだけど、その時に皆の前で『恋は水色』と『オリーブの首飾り』を弾いた事があるのよ」「知らなかったでしょ?」と言う。「でも何か雰囲気が暗いから一年で止めたの、練習サボるとうるさいし。タダで古典ギターを弾けるようになると思ったんだけどねー」との事。

それを聞いた瞬間、私も 「暗い過去」 があった事が突如、脳裏に蘇った。何を間違えたか中学1年の新入生の時に、放送研究会に入ってしまったのである。まったくアナウンスとか放送関係の機器とか、電気などに興味があった訳ではないのに、なんとなく「ラクそう」だと思ったのだろうか。皆やさしそうな先輩だったが、放課後、うす暗い放送室に集まって、何やらマニアックな話を延々とするのを聞いているうちに、明るい窓の外で運動をしている仲間が急にうらやましくなった。結局2週間くらいで辞めて、それ以後大学を卒業するまで運動部にいたのですっかり記憶から消し去られていた。あの放送研究会に一旦入った時は、一体どういう心境だったのだろう、と今日は懐かしくも不思議な気持ちになった。

ふとした瞬間に今まで自覚していたのとは別の自分もあった、という事に今日は気が付くと共に、記憶の奥底にしまってある事で日常生活では全く思い出さないことが随分沢山あるのだろうな、と感じたのだった。

2009年1月28日 (水)

センバツ・甲子園の早慶戦

慶応義塾高校(秋季関東大会優勝校)が昨秋の明治神宮大会で優勝した為、来春の選抜高校野球の「明治神宮枠」が関東・東京地区に振り分けられ、早稲田実業が秋季東京大会2位ながら選抜に出場できる事になった。

関東地区代表の慶應高校の神宮大会優勝で、地区が違う東京の早実がなぜ特典を得るのかは議論を呼ぶ処であるし、その前に東京だけが、秋季関東大会とは別に秋季東京大会を行っている事について、色々な憶測が渦巻いている様である。( 因みに甲子園に関係ない春季大会は、関東・東京は別れていないらしい )これについては、かつて東京が関東地区で強すぎたので他の県から「東京は独立してやって欲しい」と声が挙がり東京が別枠になったとか、そんな事実はないとか諸説紛々の様だが、これまでの経緯はさておき、これで王選手や荒木大輔、近くはハンカチ王子の斉藤を輩出して、人気ある古豪・早実が甲子園に出場する事になり、めでたし・めでたしと言ったところ。マスコミは早くも「早慶そろい踏み」などと、まるで甲子園で早慶戦でも行うかの様なはしゃぎぶりである。

ただ慶応義塾高校は学校法人・慶応義塾の一貫教育の中の一つの高校であり、大学の付属でもなく大学や幼稚舎(小学校)中等部・普通部(中学)他の義塾の高校とまったく同格の学校、甲子園で流れる校歌も「塾歌」で「内部」の高校。これに対して早稲田大学と同じ学校法人であるのは「早大高等学院」と「早大本荘高等学院」で、早稲田実業は「早稲田大学系属」と昔から云われており、違う学校法人の経営で校歌も「都の西北」ではないらしい。

私が学生の頃は、早実に進む子供は家がお店などをやっている場合が多く、その中で頑張って上位に入ると早稲田大学の商学部などに進学できるシステムだった様に記憶している。早稲田に非常に近い学校ではあるが、あくまで別だと思っていた。つい最近までは早実出で法政のピッチャーとして活躍した選手や慶應の野球選手もいた位であるが、今はもう早稲田大学の「内部」に入ったのであろうか、応援も早稲田大学のスタイルとまったく同じである。

それはさておき、この両校、組み合わせによって、勝ちあがった場合、甲子園の「早慶戦」ともいうべきゲームが実現する可能性もないではない。高校野球の応援では「○○倒せ、○○倒せ」と云う歌詞は禁止で「チャンスだ打てよ、チャンスだ打てよ~」などに変えさせられるのだが、早慶戦になったらオリジナル通り「早稲田を倒せ、早稲田を倒せ、早稲田を倒せ~」とか「慶応ぶっつぶせ」などと絶叫できるのであろうか、その当たりの興味は尽きない。

しかし、まあ、ここは騒がず、両校のファンともあくまで「全国規模のトーナメント大会」の一環として選抜された事を認識して、対抗(校)戦やリーグ戦ではない、という事を考え一戦一戦冷静に応援をしたいものである。

2009年1月27日 (火)

新宿シティー・ハーフマラソン

去る1月25日(日)は新宿シティー・ハーフマラソンに参加した。天気快晴、風もなく真冬のマラソン大会としては絶好の条件、東京の国立競技場を発着点にし四谷、新宿、代々木、千駄ヶ谷などの繁華街を走り抜ける大会である。昨年は目標の1時間半以内の記録を大幅に破り、参加3200有余人中200番位、50歳代に限定すると上位2%程でゴールできたので、今年もそこそこ「やる気」で国立競技場に向かったのだった。

さて結果は、と言いたいが、その前に以下は当日(25日)走り終えて帰宅した直後に大会事務局に充てたメールである。

『 本日は、晴天に恵まれ楽しくレース(ハーフマラソン)をさせていただきました。関係各位のご準備も大変であった事と思います。3年前から参加させて頂いておりますが、毎年、この大会の無事開催に多くのご苦労、関係諸機関との調整などおありでしょう、参加者として感謝いたします。

ただ下記3点については私だけでなく周囲の多くの方が不満を述べておりました。次回から改善いただきたく、敢えてお願い申し上げます。

1.まず速い者から順にスタートラインに並べない為、タイム的に早い多くのランナーが後部からのスタートになりました。このため国立競技場を出て外苑西通りに入ったあたり、走路が狭くなる所で、渋滞気味になり何度か歩くようになってしまいました。これは走路が狭くなる上、前の方にタイム的に遅いランナーが居て、後ろからの速いランナーがこの辺で追い抜く為に混乱がひどくなっているのが原因の一つと感じました。確か昨年までは自己の予定タイムが早い順に前からスタートしたはず。是非事故防止のためにも来年からスタートは自己持ちタイム順にして頂きたいものです。

2.キロ表示が20キロ地点を除いてまったくありません。私は自身としては昨年の記録を更新したかったのですが、上記1の為スタートラインを超えてからも、外苑の内部では歩く程のスピードでしか走れない部分があり、タイム的には相当ロスをしました。出遅れた部分をカバーしたかったのですが、今年は新コースの上、距離表示もなく、結局五里霧中のままレースを終えてしまいました。少なくとも5キロ毎の距離表示をお願いいたします。

3.国立競技場は、バックスタンド始め幾つかトイレが設置されています。参加者の多くが着替えるメインスタンドのトイレ(男子用)は長蛇の列でした。一言、トイレはメインスタンドだけでなく、第1,2.3.4コーナーや.バックスタンドにもあるので、そちらも使用する様にとアナウンスすれば、用が足せなかった人もトイレ待ちでウォームアップ不足の人も時間的に助かったかもしれません。

以上、ご一考をお願いいたします。また来年楽しい大会をお願い申し上げます。実名○○○○○ 』

と言うような実はトホホの大会であった。はてさてその事が原因なのか、自身の練習不足なのか、今年の結果は昨年を3分も下回って散々。だが、これまでに発表された結果を見ると総合タイムも男女各年齢別タイムも、昨年に比べてなべて数分悪くなっている。さらにネットの掲示板やランナー関連のサイトを見ると、やはり上記の1と2が問題になっていて、多くのランナーがレースの運営に不満の声を挙げている様でもある。

せっかく入れ込んで行ったのにこの結果、少々がっくり来たのだが所詮これも「お遊び」、何かの代表選手でもなく楽しく走れば良いだけのお話し、好天に恵まれて途中ラップは判らないが良い練習ができた、と思う事にしたのである。 

そして今日、久しぶりに体重計にのると、昨年の同時期よりも2キロも重い。 コリャーしょうがないな、とすべて納得したのでもあった。 日々是好日である。

2009年1月26日 (月)

画竜点睛

高価なものは着ないが、ルールから外れた服装は嫌いである。というか、その昔、高校生くらいで色気づいた頃、一体何を着たら良いのか判らなかったので、当時出始めたばかりの雑誌「メンズ・クラブ」を読んでトラッドのルールを覚えたのがそのまま続いているだけである。何十年経ってもそのルールに固執してしまって、今でもトラッドしか着ないのだから、これは進歩していないのか?と言えばそうでもある。そこから外れるのが怖いのである。

ただトラッドに限らず、服装の原則、例えば黒いベルトをした日は、靴は必ず黒にするなどと言う基本的なルールは、常に押さえておきたいと思っている。黒靴の日はカバンも黒が望ましいのだが、銀座の老舗カバン屋を冷やかしながら店員と話したりすると「うーんそこまで考えてカバンを日々換えるお客様はあまり…」と連れない返事である。そうか、そこまでこだわるのはTOO MUCHなのか、そこまでする必要もないのかと最近は少し勢いもなかった。

昨年の正月は、飛鳥Ⅱで10日間ほどグアム・サイパンクルーズを楽しんだ。前評判通り、ドレスコードがフォーマルの日はタキシード着用率が他の船より圧倒的に多い同船であったが、ふとタキシードに身を固めた紳士の足元をみると、会社に行くようなスリップオンの黒靴の人が結構多いので驚いた。こんな服には、オペラパンプスとはいかないまでもエナメルのシューズが基本なのだろうが、最低でも良く磨かれたプレーン・トウあたりまでが許される範囲ではないだろうか? せっかくお洒落をしてクルーズ船に乗ったのに、普段用の靴で衣装が台無しになっている人が目につくのを見て、ますます自分も気をつけようと思ったのであった。

さてそんな事を考えていたら、今日は「プラチナ・サライ」という小学館から出ている新しい雑誌が「間違いだらけの時計TPOを質す」という特集をやっている。”式典に於けるメタルバンドの時計は?”などと、妙に好奇心を刺激するタイトルが並んでいるので私にとっては、高価な雑誌(980円)にも拘らず思わず買ってしまった。分厚いカタログ誌みたいな本を読むと、腕時計に関してスノビッシュな解説やら、なにやら時計の”通”なのか”コレクター”なのか”「評論家」などが対談している記事が並んでいる。ざっと読んで見ると、どうも掲載されている時計の値段が一桁多く、私には遠い世界にも思えてくるが、身に付ける時計のTPO的なことも書いてある。

それによると、日常のビジネスでは金属のバンドでも良いが、ドレスコードがフォーマルのような時には黒の皮のベルトの時計をつける、そしてその日の他の皮製品も黒にすべきらしい。やはり、と納得すると共に、皮ベルトの時計を円高のうちに海外に行った際に買って来ようか、などと思ったが、時計が幾つもあると又「あれがない、どこへ行った?」と年中大騒ぎをしそうである。そして、そうなると傘まで色を合わせたくなって来るが「傘は天下の廻り物」、と年がら年中飲み屋に忘れてくる私は、一体その時どうなるのであろうか? ひょっとして傘を大事に思い、年間の紛失本数が減るのかもしれない、とちょっとお洒落になった自分を想像してみる。

などと、随分気取った事を書いたが、朝玄関に置いてある靴を何も考えず履いて出て、会社でふと足元をみると、グレーの背広と黒いベルトに茶色のスリップオンシューズで愕然とする事もしばしば、の私なのである。

2009年1月25日 (日)

黒い手袋事件

個人営業の特典、会社で時間ができると着替えてジョギングをする日こともある。早朝や帰宅後よりも明るい空の下で走る方が、肉体的にも心理的にも良い感じである。先週は火曜日の昼間に会社から隅田川まで行って走ったのだが、その後汗でぬれた衣類と共にランニング用の黒い手袋を家まで持って帰った。手袋はストップウォッチなどの小物と共に洗面台の脇にかげ干しをする為においた。

さて、三日後の金曜日の出勤前、この日も昼間に走れそうだとジョギング用衣類と小物一式を用意していた所、火曜日に置いた場所に手袋がない。これは木曜日の夜遅くに妻がジョギング用に使ったのかと思い、彼女に聞くと「使ってない。大体、手袋はそこにはなかったよ」とこちらも自信満々で答える。

「間違いなく火曜日の夜に、ウォッチと共に洗面台横に手袋を置いたのだがな。黒いウォッチと黒い手袋を”意識”しておいたのだから間違いない」と断言する私に対して「私は使っていないし、そこにもなかったから、会社に置き忘れたに違いない」とロジカルに反論する妻。仕方なく一旦捜索は打ち切ったものの、洗面台の横に手袋を置いた事を”確認”している私としては、「何か他の衣類に紛れたのではないか?」と妻に改めて詰め寄った。 「ありえなくはないけど、確率的にそういう状況じゃないよ 」と疑われた妻も段々不機嫌になってくるのが判る。

しかし朝の出勤前で、あまりそのことにこだわっている訳にも行かず、結局手袋を持たないまま会社に行くことに。まだ疑っている私に「会社の確率が一番高いから、見つかったらメールで教えてね。それでもしあったら今晩は私の好きな物をごちそうしてね」と妻は冷たく言い放つ。 会社に到着して、おそるおそる、着替え用においてある棚を見ると、なんと黒い手袋がそこに丸まってある。アリャーあった、良かったと思い、さっそく妻に「ありました、お騒がせしました」とメールを打ったのだった。

しかし、とすると火曜日の夜、手袋を洗面台の横に「意識」して置いたとするハッキリした記憶は、一体何だったのか? 私しゃ、段々自分が恐ろしくなってくる。

2009年1月24日 (土)

お正月のにっぽん丸のグアム・サイパンクルーズ土産

B

普段、外国に行っても、夫婦二人共あまり買い物をしないのだが、今回のグアム・サイパンクルーズは円高なので少し買ってやろうと気合が入り、予てから欲しかった外国製の事務用かばんを私に、妻にはネックレスを奮発した。と云っても免税店での買い物は、あっという間に終了してしまう二人である。

なので、せっかくグアムではレンタ・カーを借りていたので、スーパーで食料品やら何やらを買おうかという事になる。ここでいろいろ買ってもそのまま船までレンタ・カーで運べば良いし、横浜の桟橋には自分のクルマを駐めてあるので、普段買わない様な少々重いものを買っても良いかと云う訳である。さてアメリカで買い出しと言えばセーフウエイ、Kマート、ターゲットなどの大手スーパー、倉庫かと思うくらいの巨大なスペースに品揃えも豊富で、日本にない食料品や野菜・果物を見ているのも結構楽しい。

で、これはペイ・レスで買った香辛料、ドレッシングの写真である。

一番左がテニアン特製のチリ・ペッパー。これはめちゃ辛くていけている。売店では「世界で一番辛い唐辛子だよ」と言うので、「ヌードルなどにスプリンクルすると良いの?」と聞いた処、「だめだめ、ちょこっと振るだけにね」と言われたが、その通り良く効く。色々な料理に少しづつふるとエスニック風になっておいしいのだが、特に柿ピーにふると、昔の唐辛子入り柿の種みたいになって、辛さのあまりしきりに鼻水が出てきて至極懐かしい。

左から2番目が、コール・スローの素。最近は夕食時に、市販の刻みキャベツを買ってきて、にんじんとたまねぎのスライスもちょっと入れ、これでひと混ぜすると3分くらいでうまいコールスローが出来上がる。程よく水分も出てキャベツも適度にしなり「たいめいけん」のコールー・スロよりうまいのでは? と言うのは言いすぎか?

次がシーザーサラダのドレッシング。オーガニックとあるが、ややレモン風味が強くて、これはまあまあ、妻が一挙に皆オープンするなとのたまうので、少し使ってコール・スローが減るのを待っている。

そして一番右がタバスコのガーリックソース。そんな訳でまだ未開封。近々何か適当な料理を作るまでお楽しみでとっておこうと思っている。

飛行機だと、機内に預けるバッグにこんな瓶を入れていると液体爆弾かと間違えられる事もありそうだが、船は舷門でスーパーのビニール袋と中身を見せるとすんなり通してくれる。船の旅は楽チンで良い。

テニアン唐辛子、この小さい瓶一瓶が5ドルくらいで量のわりには高いのだが、軽く手軽でグアム・サイパンでの土産に良いかもしれない。お薦めの一品である。

2009年1月21日 (水)

床屋談義

1000円床屋のブログの余韻もまだ残る今日、仕事中、閑な時間が出来たので馴染みの床屋にぶらっと行ってみた。いつも髪を刈ってもらう私より少し年配の女性の理容士としばしの床屋談義。先日の群馬県での1000円カットオンリーの床屋ニュースの話に水をむけると、彼女もそれを見ていたそうで話が弾む。

オフィス街にある昔からの小さな床屋なので、きっとあの1000円床屋の事をこき下ろすのかと思いきや、予想に反してそうでもない。何でもあの1000円床屋チェーンは最近大手の金融会社が創業者から買ったそうで、勤務は厳しいものの、一日働くと相当の給与が貰えると彼女は言う。借金のある人や、これから自分で床屋を始めたいという人が、まとまったお金をこしらえる為には、結構良い勤務先なのだそうだ。どうやら彼女もあと20歳でも若かったら、さっさと転職したい様な口ぶりである。

反対に思わぬ愚痴を彼女の口から聞いたのは、美容院の事。「なんで今の若い男の子は、美容院など行くんだろうね」と嘆く。「床屋の方が早いし、安いし、清潔で、うまいのに」と、いささかの自負も入る。「美容院に男が行ったら床屋はつぶれるよ」「私は、自分の髪を切る時きゃ男が来ている美容院はなるべく避けるんだ」「予約しなきゃならないなんて床屋じゃないよ」と、話しながらますますその怒りは止まらなくなってきた。

私も一度妻に付き合って、美容院に行って髪を切ってもらった事があるのだが、なにせその時は前の晩に大酒を飲んだ翌土曜日の午前中で、アポイントを取ってあるので仕方なしに椅子に座ったのだった。そんな状態なので、じっとして椅子に座っていると二日酔いで冷や汗が出てくる。こんな時に限って、髪を切ってくれるのはまだ若い可愛い娘。「何かおっしゃって下さい」としきりに問いかけてくるものの「う、うう、冷たい水」「冷たい水をコップで持ってきてくれ~」と喉から声を絞り出すのがやっとの状態である。

床屋ならアポイントもないのでそもそも二日酔いの日には行かないし、一旦入ってしまえば寝ていれば良いのだが、ここでは若い女の子が一生懸命、サービスで話題を切り出してくるので眠るわけにもいかない。ここで「気持ち悪い~」と寝ていては、中年のおっさんの沽券にかかわると、妙な処に力が入るのも美容院初体験の緊張か? 顔がひきつっているのが自分でわかるものの、若い子に受けたい一心か、笑顔で会話を続けたのだが、床屋に比べて美容院の時間の掛かる事! さらには洗顔の場所と髪を切る場所が離れていて、立ったり座ったりする度に吐き気がこみ上げて来る。もう一刻も早く逃げ出したかったのが、私の生まれて初の美容院経験であった。ほうほうの体で髪を切ってもらい、店の外に出た時には、街路の太陽がまぶしかった事を良く覚えている。

そんな訳で、今日は床屋のおばちゃんの愚痴に大いに共鳴してしまったのだが、「そうなのか、東京では目下の敵は、1000円床屋でなく美容院なのか」と気づかされたのであった。

2009年1月20日 (火)

1000円床屋

朝のTVで、群馬県が洗髪の設備のない理容店(床屋)に行政の規制をかけようかどうか、議論になっていると言うニュースを見た。どうも地域の理容組合に所属する昔からの床屋さん達が、最近はやりの1000円カット時間10分という床屋さんを規制してくれと、行政に働きかけているらしい。私も時々この1000円床屋を利用するのだが、大体が駅前などの便利な場所にあっって、ちよっと時間があいた時などに入れて便利だ。この床屋はシェービングをしてくれないのは勿論であるが、洗面台もないので洗髪はなく、刈った髪は掃除機の様な店に備え付けのパイプで吸い込んでくれる。

ニュースによると規制を働きかけている側は「洗面台で洗髪しないのは、不潔である」と言う理由で、洗面台なき床屋を規制する様にクレームをつけている様だが、利用者からすれば、鋏などは消毒してあるし、別に髪を洗わなくても、刈った髪はそのまま機械が吸い込んでくれるので格段不潔とも思わない。群馬県の調査でも、洗面台を床屋に設置する事を行政が決める必要はなく、消費者の判断に任せる方が良い、という人の割合の方が圧倒的に多いと報道していたが、これも当然の結果であろう。

私は、髭を当たって貰いたくなったり、うなじや首筋のうぶ毛が伸びてきたかな、と思うと旧来の床屋に行くのだが、このように消費者が自らの選考を活かせる事、その為の最低の衛生面さえ行政が監視してもらっていたら充分なのではないだろうか。例えば東京で、理容組合などというものに加盟している古くからの理容店は料金が最低でも3800円位しているがのだが、すでに都心でも洗髪・髭そりをして2000円ちょっとと言う店も多い。理容組合などと言うもののレーゾンデートルはどこにあるのだろうか?

仮にこの1000円床屋が規制の網をかけられて、洗面台を設ける様になっれも、今の全国展開の事業規模なら洗髪込みでも1500円位の料金にはおさまるであろう。3000円も4000円もする理容組合の既存加盟店は、これらカット専門の床屋に洗面台が付いてしまえば、却って現在ある棲み分けも崩れて、一挙に事業基盤を失うのではないだろうか。

革新的な新規業者が現れると、既存の業者からは死活問題だと「お上」に働きかけがあるのが世の常。明治時代に鉄道が敷かれる時、馬車や人力車の組合が反対して町から遠くに線路が通った事もあった。しかし流れに棹させば、結局自らの首をしめる結果になるの物の道理で、規制に守られた農業の今がどうなのかは一目瞭然。群馬県の理容組合は時代錯誤の主張をしていないで、競争力をつける付帯サービスのために規制緩和を求める事を模索した方が良いのではないだろうか。例えば「手もみん」などのマッサージに店の一画を貸したり、漫画喫茶を兼業して子供に楽しんで床屋に来て貰うなど考えられるのだが・・・・。

2009年1月18日 (日)

ホッカイロの行方

早朝の進水式、寒風の中での式典なので、造船所が気を利かせてホッカイロを配ってくれた。普段あまりお世話にならないものだが、今冬一番の寒さに負けて、腰の後ろ辺りの下着の中に入れて暖をとる事にした。進水式の後は大分に場所を変えて、高層ホテルの最上階で祝賀の昼食会が開かれたが、早朝からの式典でトイレに行きそびれており、その後の東京へのフライトの事も考え、会の最中に用を足しておこうと思ったのであった。

さて滞りなく用を済ませ、フラッシュレバーを押し水を流してからふと振り返って見ると、便器の奥に何やらひらひらする白いプラスティックの様な固まりがあるではないか。水が流れて行く先に、大きな弁でもあるかの様に揺らめいてそれは上下している様だ。大分の水洗便所というのは、昔の五右衛門風呂の様に底に何か仕掛けでもあるのか、さすがTOTOの本拠地・九州のことだけある、などと改めて感心しつつ凝視していたのだが、どうも様子がおかしい。よくよく見ると小さい字で”低音やけどに注意”などと言う小さな字が読み取れるではないか。うーん、これはどうも先ほど腰に付けたホッカイロを、それと気づかず流した様である。

一度ナニと共に落水したホッカイロである。素直にこのまま流れて行って欲しいものと、もう一度フラッシュするものの、なにせ固い中味が入ったホッカイロ、とても吸い込み口を通りそうもなく、うらめしげに水中でいつまでも泳いでいる。どうも無理に流せば間違いなくトイレが詰まりそうだという事で、良心派の私としては、ここは意を決して便器の水の中から我が手で引っ張り出したのであった。

で、取り出したホッカイロは、すばやくトイレット・ペーパーに包み、ゴミ箱に捨てようとしたのだが、これがまだ結構な熱を発っしている上に、手近にあるトイレのごみ箱はペーパタオルで一杯で、このまま放り込んだら火事になりかねないかもしれない状態。トイレ詰まり恐怖の次にはタワーリング・インフェルノか?

しかたなくトイレの外のゴミ箱を探すが、最近はテロ対策で余分なゴミ箱もフロアーに置いていない。弱った挙句トイレットペーパーに包んだ水没ホッカイロを祝賀会の席に持ち帰り、妻に「困った」と打ち明けると「いや~だ、もう。そんなもの食事のテーブルに持って来ないでよ。早く捨てて来て。捨てた後はしっかりもう一度手も洗ってね」とこれまた、にべもない。女性はこういう時、冷静かつ冷たいものだと改めて思いつつ、踵を返して会場の外で紙が詰まっていないゴミ箱を探しに行ったのだった。おかげでパーティの料理は食いそびれるは、仕事仲間は「ご主人どうかしたの?」と訝るは、それはそれは大変な昼食であった。

ホッカイロを腰に付けたら、トイレは要注意である、と一つ賢くなったと共に、そういえば最近はどこへ行っても水洗のトイレになったので、汲み取り式のトイレに大事なものを落とす夢は見なくなったと思い出すのである。

2009年1月17日 (土)

週末のゴルフ

久しぶりに朝6時過ぎ、明けやらぬ町をジョギングしていると、ゴルフの待ち合わせなのだろうか、中年男性の姿をちらほら見かける。そういえばまだ会社員だった頃は、シーズンの週末になると朝まだ暗い中から起きて仕事でゴルフに良く行ったものだが、あれは大変だったなー、と数年前までの事を思い出す。東京では普通は早朝5時台に出ないと渋滞に巻き込まれるし、帰りは帰りで夜暗くなってからの帰宅で、ゴルフは一日仕事だった。これなら会社に行った方がまだ身体が楽だ、などとしばしば思ったものである。

私の様に仕事で誘われたらゴルフに行くが、自分でゴルフ場の会員権を買ってまで行く気はしないゴルファーも沢山いるだろう。これから団塊世代の退職でゴルフ場経営やゴルフ用品市場は大変になるのではないだろうか。

以前「ゴルフはイギリスで発達したが、これを悪くしたのはアメリカ、最悪にしたのは日本」という言葉を雑誌で見た覚えがある。本来自然を取り入れたカントリー・クラブを造り仲間中で楽しむ紳士のスポーツだったものが、アメリカではゴルフが商業主義まみれになり、日本ではオヤジ達の仕事の延長の場となった事を皮肉ったものであろう。

アメリカで駐在していた時に「カントリー・クラブに来る日本人は、自分の仲間だけで来て、ゴルフをするとさっさと帰ってしまう」と顰蹙を買っているという話を良く聞いた。本来のカントリークラブは、チャリティーをしたり家族で来てパーティーや食事、テニスやスイミング、ブリッジを楽しむ社交の場であって、他の社交や慈善活動もせずゴルフだけして帰る駐在員たちは、数年毎の交代の際に法外な「書き換え料」を払ってくれるだけの「かも」の様な存在に見られていたらしい。(本当の名門コースは我々ふぜいの駐在員には会員への門戸をさえ開いてくれなかったが)

ゴルフをしなくなってからは、週末に色々な事ができて時間がゆっくり流れ、生活が大変楽チンである。まず金曜日の夜、ゆっくり仲間や家族と時間が過ごせる。週末にはジョギングの量が増え、参加する各種大会の記録も50歳代後半になって以前より逆に向上している。ズボンやシャツにアイロンをかける時間ができ、毎週プレスの効いた背広で職場に行けるし、時々料理を作ったりもする。夜は読書もできるしお笑い番組をみて大笑いして、なんだか免疫力が活性化した気がする。ゴルフを辞めて良い事づくめの感じだ。

ただ珠に、青空に向かってパーンとナイスショットした時のあの感触が脳裏に蘇ってくる事はある。これからは少しでも気を遣う人は避け、スコアーなど数えず、家族や親しい友人・親戚などとだけ楽しいゴルフをしようと思っている。

2009年1月14日 (水)

上空一万米のニューイヤーコンサート

今年は、クルーズ船の上でお正月を迎えた為、毎年楽しみにしているウイーン楽友協会ホールからのウイーンフィル・ニューイヤーコンサートの実況中継を見る機会を逸してしまった。といっても、実は船上でも日本の衛星放送を見る事もできるのだが、北太平洋の大しけと船上の他のアクティビティーに忙しくて、ウインナ・ワルツどころではなかったのだが・・・・。しかし何時の日か恒例のこのコンサートを生で見たいというのが永年の夢なので、番組を見逃したのはちょっと寂しい気持ちでもあった。

さて、そんな事もすっかり忘れていたこの週末、大分での進水式に出席する為に羽田から飛行機に乗り、何気なく機内オーディオのイヤホンを耳にすると、軽やかで元気良いウインナ・ワルツが流れて来る。機内誌をめくりプログラムをチェックすると、小沢征爾がウイーンフィルを指揮したものらしい。曲が終わった処では盛大な拍手も録音されている事から、どうやら数年前のお正月に小沢がニュー・イヤー・コンサートを指揮した際の録音なのだろう。

プログラムは小沢に続き、ロリン・マゼールやマリス・ヤンソンス、ズビン・メータなどここ数年、元旦の中継放送で大変印象に残っている指揮者の曲が次々演奏され、お正月気分が再現して、思わぬ機上の愉悦を味わう事ができた。今年の元旦は海の上で番組を見そびてしまったが、こうして機上の一時間で過去数年の名指揮者達のウインナワルツを聞くと、残念な気持ちもいくらか補填された様な気がした。この日は西日本各地で朝から雪が降り、機材の羽田到着が遅れて、出発まで一時間も待たされたフライトだったが、そんな事も忘れてしまったひと時、何だか貰うのを忘れていた「お年玉」が思わぬ時に入ってきた気分である。

2009年1月13日 (火)

軍艦マーチのお仕事

20090113

今朝は進水式に参列した。九州地方は雪の予報もあったが、今朝は幸い寒いものの青空の進水日和になった。小型の外航船だが、この後、艤装岸壁で150トンものプラントや重量物を積めるクレーンを装着し、3月に竣工の暁には極東から世界の海に旅立ってくれるだろう。

それにしても何回参列しても進水式は良いものであるとともに、緊張の一瞬である。これまでに支綱が切断されシャンパンが船首で砕け、くす球が割れても船が海に向かって滑らなかった船もあった。直前の台風による塩害で、進水台に思わぬ錆が付いていたのが原因らしいが、この時は後部からタグボートで必死に引っ張っても船はびくともしなかったものである。来賓の方達の「何か変だな?」と言う顔と造船所の所長のばつの悪そうな顔を思い出す。

建造中の船は、進水式の直前には必要な支柱もはずされ、大変微妙な状態で船台にのっている。支綱切断と同時に、何万トンもの巨大な鉄のかたまりである船が海に向かってうまく滑り出すか、かつては進水したと思ったら船が横倒しになったり、沈んだりした事もあったそうである。その他支綱を切断する前に船が滑り始めたりと、進水式にハプニングはつきもの、無事滑り降りてくれるのか、いつもハラハラの一瞬だが、今日は幸い支綱切断と同時に軍艦マーチの音楽とともに、船は初春の豊後水道に滑らかに降りてくれた。

私も、もうサラリーマンではなく、コンプライアンスなども余り気にする事もなくなった。以前から一度進水式を見てみたいと言っていた妻を連れて行った処、「ひとつのプロダクトの門出を関係者がこれだけ祝すことはあまりないのでは。船は幸せものだ」という感想。また、祝辞で「宝船」という言葉が煩雑に使われるのを聞いたが、演歌の世界の言葉を、実際に皆が使うのはとても新鮮だとの事。もちろん甲板まで約15メートル、長さ200メートル近い建造物がするする海に向かって滑走するさまは他に例えようがないと思ってくれたようである。

それにしても、軍艦マーチでお仕事が盛り上がるのは、海上自衛隊以外はパチンコ屋さんと造船所くらいだろうか。

Bulkcarrier 2009-01-18 23:14:40
ぽんぽこりんさん

今回、初めて進水式を経験した妻は、「まだ演歌みたいな式典や接待があってびっくりした」と言っていました。海外の船主も日本式の進水式に参加すると、感激する様です。時代が変わってもこの伝統は良いものだと思っています。航空機の引渡しセレモニーも興味ありますが、日本のエアーラインへの納入はシアトルの神主さんが祝詞をあげるのでしょうか?


ぽんぽこりん 2009-01-18 15:23:11
Bulkcarrierさん こんにちは

進水式などを見たことがない私にはとても興味深く読ませていただきました。
滑り出さなかったことや勝手に滑り出したことなどを読んでいて、そんな事もあるのかと面白く読ませていただきました。
もちろん、主催者の方はそれどころではなかったと想像できますが・・。

2009年1月10日 (土)

サミュエル・ハンチントン氏死去

12月24日、国際的な政治学者で「文明の衝突」の著者、サミュエル・ハンチントン氏が死去した。81歳であったそうである。昨年9月にこのブログに書いたとおり、この「文明の衝突」の原書講読に昨年は挑戦したのだが、年末までには320頁の同書の内270頁までしか読めず、年内に読み切るという当初の計画が達成できなかったのは、少々残念であった。内容が主にイスラム圏や、中東、東欧などの事で、そもそも読む側のこちらにベースとなる知識がない為、例えば"and"という接続詞があっても、どの部分がつながっているのか、読み方次第では反対の意味になったりで四苦八苦。もちろん「あんちょこ」の和訳本を、ちらちら眺めながらであるが、一日に眠くならない程度の10分から20分位の読解では、一年で270頁が精一杯で、これが私の英語の実力なのか根気のなさなのか。

さてハンチントン氏の逝去で、彼の1995年に書かれたこの本が改めて見直されているのか、新年の新聞には、あちこちにこの本の内容が引用されている様である。今日も読売新聞の一面のコラム「大波乱に立ち向かう」では、本書を参照した上で、「キリスト教文化圏とイスラム融合の為にはトルコのEU加盟を促進したい」というトルコの作家の主張が展開されている。

1月7日の日経の経済教室「中東の混迷も見落とすな」でもこの本に言及しつつ 1)人口急増するイスラムが「自己主張」強める 2)イスラムの若い世代の多さが失業やテロの温床に 3)トルコの世俗主義に学びつつ中東市民の「意識改革」が重要である、と中東問題を捉えている。

もともと中東などは、私にとって「遠い国」ではあるが、「文明の衝突」をなんとか読み進めるうち、こんな記事もちらっとばかり気に留める様になった。1990年代初頭は共産主義の崩壊で世界はこれから融和に向かうという論調が多かった中、氏が本書で提示した世界秩序が、9.11という衝撃的テロやその後の15年間の世界の混迷で正に出現しているのを見るにつけ、この本の先見に驚く共に、近いうちの読了をまずは新年の課題としようと思った。

A

2009年1月 7日 (水)

トラベルミン

200901

私は乗り物酔いはしないものと、これまで自信をもっていた。昔、阿蘇山の上空でヘリコプターに乗った際、山の気流に翻弄されて気持ちが悪くなった事があったが、それ位が唯一、乗り物で酔った経験か。

なので昨年の飛鳥Ⅱの年末・年始グアム・サイパンクルーズに続き、今年はにっぽん丸で正月休みをグアム・サイパンクルーズで過ごそうと決めたが、船酔いの事などまったく気にしていなかった。にっぽん丸が横浜から名にしおう冬場の北太平洋に出港した時は「少々ゆれた方が、フネらしくて良いや」などとエラそうにしていたものであった。

しかしどうもこの航海は様子が違う。2日目の夕方からビールを飲む気があまりしないのである。夕方になるとビールを美味しく飲むというのが楽しみで、禁酒と決めた日以外は「今日は何を肴に最初の一口をぐっと飲むか」などという考えが午後になると頭の中をグルグル回っているのが普段の私なのだが・・・・。

にっぽん丸はフネも小さく、船内でジョギングなどもできないのでストレスが溜まったのかな~、とか冷蔵庫の冷え方が十分でないからビールが美味しくないのかな~ などと思い、航海中はデッキをぐるぐるウオーキングしたり、アイスボックスに氷をつめてビールカンを突っ込んでみたりしたのだが、ビールカンをプシュと開ける時のあの堪らない待ち遠しさが一向に湧かない。

ただ今回は、大奮発して良いキャビンに乗船したので、毎日無料で取り替えてくれる冷蔵庫のアルコールを飲まない手はない、と云う事でビールをやめて、腹の膨らまない(アルコールの強い )ブランディーやスコッチのミニボトルを取り替引き換え飲むのは、我ながら浅ましい処。

さてグアム・サイパンを廻り帰りの航海になると、強烈な向かい風と北からのうねりで、船体は大きくピッチング。舳先がうねりに突っ込むと大きな振動と共に、波しぶきが5階の我々のキャビンの窓まで飛沫となってくるほどの大時化になった。そんな状態で相変わらずビールは美味しくないものの、ダイニングでの食事は全部平らげていたので、「船酔いなどするわけがない」と言う確信は継続していた。ところが明日は伊豆七島という最後の夜の正餐の前、部屋で読書をしていたらいけない、何か胸のあたりが変だなと思っていると、飲みすぎた翌日くらいしかやってこない吐き気が突如込み上げて来るではないか。「エー?」と思い、やむなく「酔いそうだったら早めに飲んで下さい」と船内の案内所で配っているトラベルミンを遅まきながら流し込んだのだった。びっくりしながらも、生まれて初めての酔い止め薬の効果か、どうやらその晩のドレスコード”フォーマル”のディナーも乗り切ったのであった。

にっぽん丸では他にも多くの人が船酔いしていたし、ほぼ同じ航路を同時に走っていたもっと大きな飛鳥Ⅱも大時化で酔っていた人が多かった、と後から知ったが、今年は去年と比べて荒れた正月クルーズだった様である。それにつけても「ああ、私も人並みに酔うのだ」と少々自信を喪失したが「 自分の弱さを知って段々と人の痛みが分かる様になるのよ、新年早々、洋上でそんな経験を積めて良かったじゃない」と妻に諭されるのであった。ご説ごもっとも。

2009年1月 6日 (火)

希望再興へのビジョン

100年に一度の経済危機と言う「もの言い」が、すでにマスコミ的で鼻白む気持ちになる。今回の経済混乱は大変なものであるが、わが国にとっては、先の大戦に破れた時の方があらゆる意味で大きな危機であったのではないか。

ついこの前まで、日本の金融機関の生産性、利益率が英米に比べて圧倒的に低いと言って騒いでいたメディアは、今や手の平をかえした様に「抑止力を欠いた(欧米の)金融機関は利益至上の信用創造を続け・・・」「問題はウオール街のやり方を単線的に広げた国際金融の強引さ」(本日の日経紙コラム)などと、他人事として後講釈を繰り返すが、これら常套的な報道を読むと「軍部」と「欧米金融機関」という単語を入れ替えれば、先の大戦後の新聞の論調とほぼ同じになる。

企業の年金基金などは約3%近い利率を想定して、年金の運用をしているそうだが、そもそも定期預金がゼロコンマ数パーセントなのに何故そんな事ができるのか。素朴な疑問を抱いていた私は、かつて銀行や証券会社のプロ何人かに話を聞いたところ「預金と違って其の位の運用は普通できる」と皆が当然の様に答えた。私は疑い深く、かつ性格の悪い方なので、銀行が貸し出しても、それほど利ざやが稼げない世の中で、いくらプロ集団の運用であるにしても、そんな事はどこかで破綻するのではないか、と常々感じているものである。今この経済状況の中で各年金ファンドがどの位運用の実績を上げているのか良く知らないが、とにかく常識で考えてみて「うん?」と思うような事には、落とし穴があると思ってかかった方が良いだろう。世界の人達の大事な年金が運用先を求めて、今回の経済危機のお先棒を担いだと言うのも何とも皮相的である。

正月は海外に行っていたので、新年の新聞は、今日から始めてゆっくり読む事ができる様になったのだが、其の中では作家の村上龍の「希望再興へビジョン描け」(日経・経済教室)だけが「まとも」に読む気になれる記事であった。要旨はー。

①契約を打ち切られた派遣労働者や期間工の視点のみをメディアは捉えすぎ煽りすぎる。
②日本は以前より悪くなっている訳でない事を、メディアはアナウンスせよ。
③「信頼を生むため」環境と家族・世間などの親密で小規模な共同体の再構築を考えよう。

さてラジオを聴いていると、日比谷公園の職にあぶれた人達に対する施策(派遣村)に対して、 坂本総務政務官の 「集まったのは、本当に働こうとしている人か疑問」 との発言について、世論調査では、50%の人が支持しており、 反対・わからないを上回ったと云う。 国民の目はやはり節穴ではないなと、少し救われる気持ちになる。

2009年1月 5日 (月)

寄付始め

母校の運動部から寄付の要請がくる。1月1日以降向こう10年に亘り、通常のOB会費や諸寄付の他、特別強化資金の寄付を毎年頼むと云う。監督やコーチが手弁当でやっていた我々の時代と違い、今やどのスポーツも「見せるスポーツ」となり「学校の宣伝の場」となってしまっている。特にテレビの全国中継などがある箱根駅伝は、レースで終始画面に学校の名前が出るだけで、入学志願者が何万人と増えるそうで、一人三万円の入試料としても大学としては億単位の増収になる。費用対効果の面で、それはそれは各学校関係者も運動部の育成に力が入ると云うものだろう。

仕事の知人で、ある宗教系学校法人の理事長をしている人と懇意にしているが、これまでまったく運動など話題にも上らなかったその大学が、数年前から箱根駅伝出場の為に陸上部強化に乗り出したそうである。学校上げての大応援、億単位の予算割当て、学生の諸義務免除などの話をしばしば聞いて、なんとも羨ましい限りだとも思うのだが、さてそんな風にして卒業した学校の後輩が、仮に同じ業界に就職して来ても、その学校の先輩は同窓として親しみを持って後輩と付き合っていけるのかな、などと言う気もする。

そんな風潮の各大学に何とか対抗する為に、我が後輩達も寮の運営やコーチの報酬・有望新人の勧誘などの諸活動に相当の金が必要なそうだが、なにせ母校は体育会には伝統的に冷たい学校で、あの江川が受験したいと言ったのをあっさり袖にした伝統もある。学校ぐるみと言うよりは、入学者の努力はもとより、金銭面では先輩や周辺からの寄付に頼る部分が大きい様である。しかしながら体育学部やスポーツ推薦がない中、我が部は何とか関東インカレの第一部で踏ん張っており、他の各部も相応の成績を残しているのは立派というべきと秘かに誇りに思っているし、自分達も大先輩、諸先輩の物心両面での世話になった万分の一でも恩返しはしたいものである。

なので新年になって、早速銀行に振込みに行ったのだが、今日は予想以上にATMの前で長蛇の列、それでも期待を込めて寄付金を振り込んだ仕事始めの日であった。特別強化資金を払いんでいる10年間の中に、久々の箱根復活、オリンピックの代表選手の輩出という初夢を期待しつつ。 

ただ振込みなど事務的なものでなく、昔我々がした様に、制服を着用して職場まで現役学生が集金に来てくれたら、倍額出してついでに昼飯もおごってやるのに、といつも寄付金の際に少し残念に思うのだ。

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