« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月

2008年12月25日 (木)

へそ曲がりの未来は?

アメリカでは各地で大変な寒波、大雪で非常事態宣言が出されている州もあるらしい。自然の猛威の前には人間など小さな存在であると感じると同時に、盛んに言われている地球温暖化の主な原因が、本当に人間の活動によるものなのか、これが検証されているのか、とも疑問を感じる。

斯様に天邪鬼な私は、マスメディアがセンセーショナルにキャンペーンを張るものは、眉につばをつけて聞かなければならないと常日頃から思ってしまうのだ。なにしろ国民の先頭に立って先の戦争を煽ったのは、朝日新聞を始めとするマスメディアであった過去もあるし。

以前に「規制緩和で、最近の日本社会の格差が広まった」という説は嘘っぽいと書いたが、今日ある経済誌を読んでいたらある国会議員の執筆で、こんな記事が目に留まった。

2008年10月にOECDが所得格差に関する報告書を出したそうだが、骨子は

1.OECD加盟国(先進国30国)の3/4で格差が拡大している。
2.若年層の貧困が増えている。
3.非熟練労働者や低学歴層の増加が格差を拡大させている。
4.単身者や片親世帯の増加も格差拡大の一因。
5.日本では過去5年で格差が縮小している。
6.日本の格差は急速な高齢化が原因の一つ。

などだそうである。

これは私が、昨年ある経済学者の講演で聞いた「小泉改革以来の規制緩和でむしろ格差は縮小している」という内容とほぼ一致している。

あるデータをとっても、そのデータがどういう「足きりの基準」や「抽出のされ方」で出されてきたのか、またそのデータを「どう読み込むか」によって「世論」などと言うものは、まるきり変わってくる、という一例ではないだろうか、と記事を読みながら考える。

さて以前、勤務先が丸の内だった頃、丸の内仲通りをふらふら歩いていると、良くテレビの取材クルーに呼び止められたものである。よほどいつもアホ面できょろきょろ歩いていたのだろう、呼び止められて「~についてどう思いますか?」と聞かれるのだ。「宇宙人はいると思いますか?」の時もあれば、「最近の経済についてどう思いますか?」など色々だったが、結局一度もニュースや番組の画面に出ず、編集の時点でボツになった様である。

「そりゃそうだ、大体マスコミが期待している様な答えと正反対の返事を、わざとしたからな」と今更ながら思うのだが、その一方「もう少し愛される人にならないと、老年は大変な事になるぞ。口は災いの元だしな」などと年が変わる度に自戒を試みるのである。

2008年12月22日 (月)

ゆず湯

冬至の昨日は、お風呂にゆずを入れて伝統の「ゆず湯」を楽しんだ。古来から身体を温めるために、冬至にはゆずを丸ごとお風呂に入れてきたそうである。初夏の菖蒲湯とともに、お風呂に旬の物を入れて楽しむ季節の風物詩、こういう時は 「よくぞ日本に生まれけり」 という言葉が脳裏に浮かぶ。ただこの日の為にと、妻が買っておいたゆずを、私はえらい酸っぱい夏みかんだと思って1房食べてしまったので、昨日は半切りになったゆず X 2=1ヶのゆず(マイナス1房)を、ストッキングなどを洗う洗濯用のメッシュの袋に入れて湯に浮かべたのだった。中からは丸ごとのゆずより強い匂いが出て、何となく柑橘温泉という風情になっってしまったが、これはこれで身体が温まった、肌がすべすべした感じで良かった、と憎まれ口を叩くのである。

昔の人が、冬至の日から太陽が生まれて来るなどと、特別の感慨をもってこの日を迎えた通り、冬至を境に日照時間が長くなる。寒波にコートの襟を立てながらも、しばらくすると春が来ると思う期待感で、なぜかちょっと心がなごむのも冬至を過ぎてからである。私は、お正月になると陽の長さは12月10日位と同じだ、梅の節句の頃は文化の日を過ぎた位の陽射しの強さだなどと、秋の日を逆算しながら、お彼岸まで一日一日春の兆しを待つのを楽しみにしている。 

冬来たりなば春遠からじ。

2008年12月21日 (日)

皇居周回コース

主なジョギングの場所は皇居周回コースである。ここは、一周約5キロで間に信号や交差点がなく、また場所柄、警備も厳しいので、夜間でも女性が一人で走る事ができる。最近は周辺の銭湯でロッカーを貸し出したりして着替えの場所にも困らないそうで、昼夜問わずいつも多くの人が走っている。特に東京マラソンが開催されるようになった2年ほど前からは、秋から冬の休日はマラソン準備の為に多くのジョッガーが集まって来ている。

我が家から皇居までは2.5キロ、これをウオームアップとして、一周ぐるっと廻り、帰りをクールダウンして来ると10キロ、丁度1時間弱のコースとなり「きり」が良い。ただ家から走って行くと最も近いのが竹橋で、ここを起点に走り始めると、いきなり半蔵門まで上りと言うコースになってしまう。竹橋から1.5キロほどで高低差約25mを駆け上る傾斜で、鉄道でいえば17パーミルの連続勾配、昔の機関車牽引の貨物列車などでは難所というべき箇所である。

そもそもここから走り始めたいと言うのは、妻の主張で、数年前彼女が走り始めた時に「嫌な事は最初に済ませたい」という事できつい上りをまず乗り越える事にしたのだった。コースは半蔵門でサミットとなった後、祝田橋まで1.5キロ一気に下り、皇居前広場を駆け抜けて竹橋に帰って来るのだが、この方が先憂後楽で楽だと言う。

なので二人で走るときは、竹橋発着のコースにしているが、私はどうもこの回り方が苦手だ。例えば1周5キロを20分で走ろうとすると、各1キロのラップは4分。(コース中100米置きに目印があるのでかなり正確にラップがとれる)。ところが竹橋からでは、いきなり坂道に取り掛かるので、ここで息が上がるか、足を使ってしまうかすると後が続かなくなる。仕方なくここは無理のない速度で登って行く事にしているのだが、そうすると最初の1キロまでが4分20秒、次の1キロが4分15秒位かかってしまう。このマイナス35秒を残りの3000米で取り返さねばならないから、その為には各1000米を3分40秒台でカバーする必要がある。50歳代後半のランナーには後半の3000米の各1000米を、3分40秒台でカバーするのは、ちとしんどい。その上後半は、途中、皇居前広場の吹きさらしで冬場は正面から風が吹くし、観光客が多いのでぶつからない様にとペースが狂う事が多いのである。

という訳で、多くのランナーが使っている祝田橋近くの時計台前を発着点にした方が、最初の2キロが平坦でその後上りになり、最後は一気に下りながらゴールできるので良い記録が出る様な気がする。この週末は妻が出勤だったので、久しぶりに一人で皇居へ行って、祝田橋交差点から走ったら(外回り)19分50秒で走れた。やはり私は先憂後楽より先楽後憂の方が性にあっている様である。

(なお祝田橋交差点から皇居を1周すると丁度5000米だが、石垣の後ろの時計台前からの周回ではマラソンの往年の名選手・宇佐美彰朗氏の計測によれば4977米、順天堂大学の沢木教授の計測によれば4955米とのネット情報である)

2008年12月20日 (土)

大正の味ビール

初めてビールを飲んだのは、小学生の頃だったろうか。父の酒席にたまたま連れられて行って、「試しにのんでみるか」 と言われて飲んだのだった。初めて飲むビールは何とも苦い味がしたのだが、そこは背伸びして「うん、おいしい」などと大人ぶってみせたのがついこの前の気がする。中学・高校の頃のアルバムを見ると、缶ビールを片手に、にっこりなんてショットがあったりで、何というクソガキだったかと今更ながら思う。

その頃のビールは、とにかくホップの味なのか苦味が利いていて、舌の奥の方で苦味に「ウッ」となりながらも、大人になった気分もして、その2つの狭間で”えもい得ぬ陶酔感”を味わったものだった。その後、1987年頃だったろうか、ドライビールが発売され、苦味より喉越しが優先されて昨今に至っているのであろう。

さてドライビールもそれはそれで美味なのだが、私は時々あのせつなくほろ苦い昔のビールの味が懐かしくなってくる。無理して口に含んだあの味、あの感触を再現してみたいのである。と思っていた処、昨日はスーパーで「ピルスナービアー・大正のラガー」が棚に陳列されていたので、迷わず手に取ったのだった。

で、いそいそと楽しみに家に帰って、早速一口飲んでみたところ、どうもあの苦味が感じられない、舌の奥にエグさが来ない、「少し違うかな?」と思ったのだった。あの苦味やエグさは子供だから感じたものなのか、それとも「大正のラガー」と銘打っても現代風にアレンジされているか、缶ビール一本では今ひとつ定かにならない。

こうなれば次に「明治のラガー」を飲んでみて、あの苦味を追求するしかないな、と心に刻んだのであった。
D_2

2008年12月17日 (水)

羽田の白昼夢

羽田空港に飛行機で到着する度に、我が家を前にして帰宅する手段がもう少し便利にならないかといつも感じる。客室乗務員の義妹によると、到着した機内では乗り換えの交通機関を気にして、搭乗客が飛行機の出口に殺到すると言う。

東京モノレールは浜松町止まりで、都営地下鉄とJR線に乗り換えられるとはいうものの、JR線へは狭いホームや改札口を通って行かねばならず、また都営地下鉄・大門駅まではちょっと距離があって、あまり便利とも言えない。せっかくモノレールはJR資本下に入ったのだからJR線路の上に橋脚を立てて、新橋・東京・秋葉原・上野くらいまで延伸して欲しいと思う。モノレールの橋脚を作るだけなら大したスペースも要らないだろう、山手線や京浜東北線の線路脇に作れないのだろうか。少なくとも新橋(汐留)まではその余地はありそうに見える。

都心直通は良いが時間がかかり過ぎの京浜急行は、蒲田駅改良工事完成の暁には、空港線内の地元通勤・通学用各駅停車と、空港の乗客を分離して、空港着発は全列車特急運転にして欲しいものだ。天空橋の折り返し線を使ってローカル列車は同駅で折り返すなど工夫できないのだろうか。なにより羽田空港では毎時定刻に電車が発車するダイヤを組んで、到着客に分かり易いダイヤにしてくれると、機内から慌てる必要もなくなる。例えば都心直通の快速特急は毎時0分、15分、30分、45分などと15分ヘッドに、横浜方面の快特は毎時0分(品川方面行と併結)20分、40分などと決めて置いて欲しい。

後は、海上交通の利用はどうだろう。せっかく海に面した羽田空港である、大分空港の様にホーバークラフトを使って、多摩川を登るルートを開設すれば川崎・田園調布・二子玉川・登戸・立川方面がぐっと近くなり、郊外に向かう鉄道にも連絡できる。なにしろ東京は環状の鉄道網が不便だからこのルートは需要が多いと想像するのだが・・・。

その他、東京湾を通り隅田川から浅草方面行きと、神田川を登って浅草橋・秋葉原・御茶ノ水・飯田橋までの快速艇の便などあったら便利で楽しいだろう。

羽田空港で搭乗する際は、フライトの時間に合わせて乗り換えなど慎重に見るのだが、到着の際は10分や15分程度はしばしば遅れる事がある。帰心矢の如し、乗り換えに不便な鉄道や渋滞で遅れるバスなどの時間にやきもきするより、こんな改良案やシステムがあったら面白そうと乗り物マニアの私は白昼夢を見る。

2008年12月16日 (火)

帝都東京・隠された地下網の秘密

C_3

今日は渋谷に所要があったが、新規開業の地下鉄・副都心線を試し乗りして、少々遠回りをして帰ってきた。各駅が白を基調にした清潔なデザインに統一され、何か未来都市にいる様な感じである。数年もすると副都心線は東横線とも乗り入れて、東武東上線や西武池袋線から、”みなとみらい”などに行ける様になると言うから隔世の感あり。

走っている電車から、きょうきょろとトンネルの様子を眺めると、どこもコンクリートを新しく打ったシールド工法の場所だらけだ。さすがここは、「ほんもの」の新線である事を実感する。

さてたまたま「帝都東京・隠された地下網の秘密」(秋庭俊・著)と言う新潮文庫を読んでいるのだが、それによると東京の地下の要所は、実は戦前に相当の長さの地下鉄用の線路や、公開されていない地下街が造られていて、それらがひっそり隠されたままになっているらしい。昭和30年代に開業した地下鉄・丸の内線の線路などは、ほとんどの部分が戦前の地下工事や地下通路の跡を利用して開業したとある。

地下鉄・千代田線の国会議事堂前や、半蔵門線の永田町駅が地下深く設置されているのは、有事の際の要人用のシェルターに使われる為である、という説はまことしやかに流布されているが、この本によると、どうもこれらの駅の例はほんの一部であって、東京には我々が想像しているより遥かに巨大な 「秘密の地下通路・地下街」 が存在しているとある。改めて考えると、毎日生活している東京であるが、確かに地下鉄の職員用通路などから先についての建築物の情報は、まったく一般に遮断されている事に気づく。

そう言えば、グーグルマップもどんな地図も 「地下街の先」 や 「地下鉄の駅の扉の向こう」 を表したものはない事に、今更ながら驚きを感じる。 あの先に、とんでもない地下の通路や有事の際のシェルターが隠されているのかもしれない。(SFならそこで大変な実験が行われていたりして・・・・・)。この本の筆者は都内の地下鉄を毎日の様に何往復も乗って、戦後開通した地下鉄のトンネルの中に、戦前の仕様と何ら異ならない箇所が多い事に気づいたと著している。それにしてもこの本にある程の地下秘密が本当に都内に存在するなら、こ時勢である、情報公開やらタレコミやらで、国民は何らかの事は知らされるだろう、とも思うのであるがどうだろう。

まあ東京の地理には、我々の知らないこんな世界があったのか、と興味が湧くと共に、これから地下鉄に乗っても、一番前か後ろの運転席(車掌席)から良~く外を見なければと心したのである。地下鉄に乗ると景色が同じなので、あまり見るものがないと思っていたが、これからは新たな視点で構造物を見れそうである。

2008年12月15日 (月)

胸のバッチ

大学4年間は体育会に所属していたから、学校では学生帽、学生服着用が義務づけられていた。学生服というのは実に便利なもので、これ一着あれば登下校はもとより、冠婚葬祭・就職試験すべてオッケー! まさに万能服・ユーティリティ・プレーヤーである。この学生服のおかげで、ネクタイの結び方なぞを覚えたのは社会人になってからであった。

大学時代はまた弊衣破帽に憧れる頃でもあって、当時はアンパン型の学生帽にいろいろ手を加えたものだ。まず「つば」の部分の厚紙の芯をとってよれよれにする。これで少し貫禄が出る。次に父親のポマードを少々失敬し台所でフライパンに落とし、帽子をじんわり弱火で炒めるのである。下手にいためると、帽子がみすぼらしくなって、なにやらホームレスのおっさんが拾ってきた様な帽子になってしまう。生卵をといて一緒に炒めた方が良いとか、バターを加えると有効とか諸説が紛々、当時はネットもなく体育会風のそれらしい帽子をこしらえるのに”やっき”となって、いろいろ試行錯誤をしたものだった。甲斐あってか、コテコテになった学生帽と制服で東横線の電車に乗る時は、やっと大学生らしくなったかと少し得意気味でもあったが、今から思うと何とも単純なガキであった、と我ながらしみじみ思うのである。

まあ、そんな訳で、今でもどちらかと言うと制服が好きで、きちんとユニフォームを着て働く人の姿は格好良いと思っている。そんな私ではあるのだが、背広の胸にバッジをしている勤め人の格好だけは、どうもいただけない気分になる。背広の胸のバッチホールはもともと防寒用の襟のボタン穴だったものが、後年花をさすものになったとかで、本来はバッチなどをさす用途ではないらしい。有名な会社のバッジを胸にして人をいると 「これみよがしな!」 と思うし、そうでなくても軍隊じゃあるまい、良い年をした大人が、バッジ位の装飾物で何かしらアイデンティティが表現された様になるなよ、と思うのはへそ曲がりの面目躍如か?

会社勤めの頃、本社を離れてからも、出向や顧問などで幾つかの会社にお世話になったが、遂に背広に会社のバッジをつける事を拒否し続けて来てしまった。で、会社を変わる際に貸与されたバッチを返却する時、いつもバッチは紛失していて、私にとっては、始末書か紛失届けを出すのが会社を替わる際の恒例行事であったなどと、年末になると思い出すのである。

2008年12月14日 (日)

でた~、いもケンピ

B_3

いもケンピを最近は頂かないな~、と先日書いていたら、愛媛県から来ました、来ました。これがそのBulkいもケンピである。一人で食べたら2年分くらいはありそうである。

段ボール箱には「伊予名産」とあって、新鮮なおイモを細切りにして揚げたものに砂糖水をまぶして作るそうである。四国では高知でもケンピが有名な他、鳴門金時などもある事からすると、さつまいも文化があるのだろうか。そういえば、有名な讃岐うどんも、昔は讃岐で良質の麦が採れ、地元塩田の塩を使って作ったものであると聞くと、名物・名産品にはそれなりの歴史的背景がある事を感じる。

さて芋ケンピを一本手にすると、揚げ物の魅力にどうにも止まらなくなる。で、すかさず妻から「その手でものを触らないでね」と注意がくる前に、新聞の裏で拭ってかわすのである。

2008年12月11日 (木)

ビッグ・マック 対 ワッパー

閑なので、オフィスのPCであちこちネットサーフィンしていると、米ABCニュースで面白そうなビデオを流している。それによると何やらバーガー・キングのワッパーのCMがアメリカで問題になっているらしい。ワッパー・ファンの私としてはこれは見ておきたいとビデオ録画を早速クリックする。

バーガーキングの問題のCMは、ルーマニアやグリーンランド、タイの片田舎の、まだハンバーガーを食べた事もない様な地域の人々を集めて、全米1位の人気「ビッグ・マック」と「ワッパー」を並べて置き、どちらが美味いか食べ比べコンテストをしている場面を撮っている。で村人たちが次々「WHOPPER」「WHOPPER」「WHOPPER」と叫ぶのだが、それをテロップにして繰り返し、バーガーキングの美味しさを宣伝している。かつてアメリカではコークとペプシで確か同じような飲み比べCMがあったかと思うが、生まれて初めてハンバーガーを口にする世界中の片田舎の人々に、味比べをさせるというのが味噌で、なかなかユニークでおもしろいCMだと私など無邪気に喜んでしまう。

しかしどこの国にも、お堅い人が居て「これらの地域では、貧困や飢餓でハンバーガーどころではない箇所もあるのになんと言う不見識な」とか「「飢餓撲滅の基金にはお金が集まらないのにこんなノーテンキな宣伝は良いのか」と言う類の批判が強いらしい。

ニュースによるとバーガーキングは以前にも物議を醸すCMを流して問題になったそうで、そのCMも同時にABCニュースに編集されているのだが、これがまた笑える。店頭やドライブ・スルーで「今日はワッパーはありません、他のものなら?」と売り子が大真面目に言うのを聞いて、客が狼狽するのを隠しカメラで撮影しているのである。なんとも馬鹿っぽくもお目出度いCMだが、この時はバーガーキングの売り上げが20%も増えたそうである。

アメリカ起源の新自由主義型経済は破局の淵にあるが、横並びで皆が「あうん」の呼吸で自制しあっている日本の広告などを見てると、さすがアメリカ、こういう処はおもしろいな、と感心してしまうのである。 そういえばWHOPPERは辞書によると、「大ぼら」 と言う意味もあるそうだ。さもありなん。

2008年12月 8日 (月)

みかん On Parade

もう船会社のご本社にいるわけでなく、独立して一介の「出入り業者」の身になったが、こんな私にも昔の取引先の中には、律儀に盆暮れの品物を送って下さる処があり、嬉しいものである。大体、田舎の会社が、その地方の素朴な特産品を送って下さる事が多い。

ただ田舎の方から頂くお中元やお歳暮は、概して”かさ”が多い。Everything is bulky !である。田舎で食べるお寿司の様に「これでもか、悔しかったら食べてみい」と言っているかの様である。 以前、イモケンピを愛媛の田舎の方から頂いていたのだが、このイモケンピ、ダンボールの大きな箱一杯に、寸分の余地もなく嫌というほど詰まっていた。イモケンピin bulkである。近所や親戚にお裾分けして、我が家でも親の仇の様に、毎食後に懸命に食べたのだが、いつも食べきれずに勿体無いながらも、捨ててしまう事になっていた。食べても食べても一向に減らない、甘いあのとんがったイモケンピを見るのも一時は嫌になる位だったが、最近はこれも来なくなってしまった。そうすると人間は妙なもので、あの甘さとイモの食感が恋しくなって、スーパーでイモケンピの小袋を思わず手に取ってしまい苦笑する。

さてこれは、みかんin bulkである。やはり愛媛県の大三島産みかんを頂いたのだが、スーパーなどで売られているのと違い、粒が揃っていないが味はなかなか美味しい。ありがたいものだが、ただダンボール一箱ごと、どさっとみかんが来ると消費するのが大変である。あまり置いておくと腐ってしまうので、親戚に配った上、このところ毎日毎日せっせとみかんを食べている。それでも箱の中にみかんを沢山重ねて入れたままでいると、みかんの自重で下の方から腐ってしまうので、こうして涼しい廊下に並べて痛みを防いでいるのである。さながらマンションの我が家は、みかん屋敷になっているかの様である。

”みかんs On Parade”である。
A_16

2008年12月 7日 (日)

12月第1日曜日

12月第1週の日曜日と言えば、福岡国際マラソンとラグビー早明戦。今日は東京も寒くなって、いよいよ冬のスポーツシーズンが到来したな、と実感する季節である。

この日は、お昼からの国際マラソンの中継を見つつ、2時開始のラグビー早明戦にチャンネルを切り換えて、ラグビーとマラソンのゴールを交互にチェックするのが毎年の師走お約束の行事である。

さてマラソンのケベデの予想りの圧勝を見て、ラグビーを見だすと何と明治が頑張っているではないか。逸材を集めながら「練習不足」だの「指導者が駄目」だの言われて、今年はとうとう関東対抗戦グループで6位になってしまった明治である。大学選手権にも出場できなくなってしまったチームが、最終戦で早稲田にどこまでやれるのか。まあ50対10位で負けるんだろな、最後にフォワードの意地くらいは見せて負けて欲しいものだ位に思っていたら、なんとなんと明治は気迫で早稲田に競り勝ってしまった。

だから学生のスポーツは見ていて面白いと一人ごちる。どんなチームも4年間で選手が入れ替わり、何でもない選手が伸びたり高校代表クラスが伸びなかったり、監督の選手起用の妙味や選手の成長・伸び代、ちょっとした事で戦力が一皮向けたり戦い方が変ったり、プロや社会人にはない学生ならではの面白みが大学スポーツにはある。それに伝統だとか気迫とか、さらに学校の方針、勉強や試験など選手のコンディションに影響する要素が絡んでくる。なので毎年・毎年強いチームを見るより、各校異なる条件の中で、どのチームがどれだけベストを尽くして戦っているかに焦点を合わせて見ると、これはこれで大変興味深いものである。

今日の早明戦での、明治の「最後の最後の敢闘」には感動した。いろいろ言われたシーズンだったが、わずかながらもこれで一矢を報いて4年生は学窓を去る事ができるだろう。放送後いつも通り妻とジョギングに出ると「 いつもより最初からずっとペースが速いよ 」と注意してくれる。きっとアドレナリンが脳内に出まくっていたのだろう。

2008年12月 6日 (土)

ホンダのF1撤退

ホンダがF1から撤退すると言う。突如の大不況に加え、レギュレーションの問題などもある様だ、年間500億円も使って最近は成績もパッとしないとあっては撤退もやむなしかもしれない。しかし日本のメーカーでF1に最初に参戦、以後中断はたびたびあったものの、ホンダがF1に参加しないのは寂しい限りである。

私が初めて、F1に興味をもったのはホンダが参戦するという1964年だった。まだ免許も持っていない子供だったが、当時から乗り物大好き少年だったから、早速「カー・グラフィック」を本屋で買ってきて(当時のカー・グラは頁数の少ない雑誌だった)F1の記事を読み漁ったものだった。まだスターリング・モスとかマニュエル・ファンジオなどと言う伝説の名ドライバーの名前が記事に散見されていた時代である。その頃活躍したジャック・ブラバムだとかジム・クラーク、グラハム・ヒル(カー・グラだけはグレアム・ヒルと記していたのだが、子供の私はどちらが正しいのか大いに迷ったものだった)などの名前は今でも強烈に記憶に残っている。

1965年最終戦のメキシコGP、リッチー・ギンサーのドライブでホンダが初優勝した時や、67年のイタリア・グランプリでジョン・サーティースが最後の直線でトップに躍り出てハナの差で優勝した際は、興奮しまくりで新聞や雑誌の切り抜きを随分とっておいたものだった。フェラーリやブラバム、ロータスなど西欧の一流メーカーを抑えて純日本製のクルマが勝った、という事は当時は大変な事であった。

1964年の日本グランプリで生沢徹のスカイラインが、式場壮吉のポルシェを抜き去った瞬間をTVで観戦して以来「クルマを自分で買える年齢になったらスカイラインしかない」との誓いをたて、以後何十年もスカイラインを乗り継いで来た位、私にとって初期のカーレースは大きなインパクトがあったものだ。

あの頃、まだ稚拙な日本のクルマが世界の名車と戦ったという事は、「安かろう、悪かろう」から「品質」の日本製製品に転換して行く過渡期の象徴な出来事で、そういう意味からも、シンボリックなホンダの撤退は寂しいものである。

2008年12月 5日 (金)

下流志向


講談社刊、内田 樹(神戸女学院大学教授)著 「下流志向」 と言う本が職場の本棚に数冊置いてあったので、ここ数日で読んでみた。この本は、学ぶ意欲のない子供達、働かない若者たちの問題を取り上げて、今の日本の社会や家族のあり方に警鐘をならしている。

内田によると、今の子供達は小さい頃に家の手伝いなどを通じて、家族が助かって喜ぶとか、自分の存在が役立っているなどの経験をせず、社会との接点では最初から 「消費者」 として出現してくるのだそうだ。もの心つかぬうちから、すべての事を「とりひき」の対象・「損得」の面からしか見ないので、学校に通う事も「何の得があるのだ」という視点でしか捉えていないし、長じて彼らはクレーマーにもなると言うのである。一方で、教育を「対価に対するサービスである」という社会の風潮も、子供の置かれた環境を悪化させている問題であると捉えている。

また内田は、ニートに代表される働く意志のあまりない若者は、自己決定・自己責任という社会の風潮の隘路に生まれた弱者であると言っている。本来、強者は自己責任・自己決定を担保する協力なセーフティ・ネットをあちこちに張りめぐらせているものだが、社会的にこれをもてなかった人達が「自己責任」・「自分探し」などと言う無責任な言葉に踊らされ「働かない若者」になっていると論じている。

強者のセーフティーネットは学閥であったり、親戚や友人とのパイプであったりするのだが、内田は家庭の中に老人や障害者などの弱者や、他人 (お手伝いさん、乳母、書生、職人など) が居たかつての社会の大らかさが、日本では永年セーフティネットとして機能していて、それが崩壊した事が、これら働かぬ若者の出現に影響していると論じている。対策としては日本の社会に、もう一度「家族圏・親密圏」を構築する事が望ましいと提唱する。

会社に置いたあった本なので 「まあ時間つぶし」 位の感じで読んでみたのだが、「下流志向」は、なかなか面白い論文であった。学歴の問題や生まれ育った環境、フェミニズムなどの点も、近頃の本には珍しく大胆な説を展開していて興味深い。

ここに来て、アングロ・サクソン型金融システムの崩壊に端を発し、 「新自由主義」 とか 「ネオ・コン」 に代表される 「自己責任」 的論調に対して、見直しの機運が高まっている。成果主義などもこのまま日本のシステムに定着するとは到底思えない。いま、日本型資本主義の再評価を行う時期が来ているのでは?、などと自分の中でも座標軸を少し見直すべきか、と言う感じがしてきた。

2008年12月 4日 (木)

Mission Impossible

年末・年始は昨年に引き続き「グアム・サイパンクルーズ」に参加予定である。昨年は「飛鳥Ⅱ」に乗船したが、今年は日程の関係から「にっぽん丸」に予約を入れている。この時期の北太平洋は少々揺れるものの、年末のカウント・ダウンパーティーにはじまり、鏡割りからおせち料理・お屠蘇・獅子舞・邦楽生演奏と家に居るよりも余程お正月気分が味わえて良い。

さてクルーズと言えば定番の社交ダンス。昨年正月に「飛鳥Ⅱ」に乗船の際は、往復の航海中ダンス教室があったので夫婦で参加してみた。キャビンから歩いて1~2分、船内ホールで初心者用にダンス教室があり、妻にプッシュされしぶしぶ通ったのだった。何しろ中学時代からフォーク・ダンスと言うと女の子と一緒に踊るのが気恥ずかしくて逃げ回っていた位だ、一念発起、老後のぼけ防止の為にもと思いホールに通った。まあ恥ずかしながらも、ステップの基礎の”キ”くらいは”おぼろげ”に分ったかなと言う様なところで下船。とてもパーティなどに出られる処までは行かないレベルである。

その後、NHK教育テレビ「趣味悠々・初めての社交ダンス」のシリーズを勢いで録画してはみたものの、ビデオテープは「撮り放し」で、折角のダンスも忘却の彼方であった。

さて年末「にっぽん丸」クルーズを前に、妻がもう一度復習しようと言い始めたが、なかなか狭いマンション室内で練習するわけにもいかない。窮余の策で、マンションの地下駐車場 兼 通路を時々練習に利用する事にした。敷地をダンスフロアーに見立て、カーステレオでやや大きめに音楽を流して、練習をするのである。地下とは言えマンションの他の住民の目を気にしつつ、2人でこっそりステップを踏んでいる。

最近は、撮り放しだったNHKのビデオも棚の奥から引っ張り出して、ステップが間違っていないかなど確認も熱心になってきた。こんな努力をしても、いざ生音楽が鳴ってフロアーに出てみると頭が真っ白になって何が何だか分からなくなるだろうな等とどうも悪い方向の想像をしつつ、「人間変われば変わるものだ、この私がダンスなんて」と自分の変身に驚くのである。これは私にとって「不可能への挑戦」と言えるかもしれない。

2008年12月 3日 (水)

傘は天下の廻り物

昔から、忘れ物は多い方であったかもしれない。昔、会社に入った直後に親しい友人と伊豆に海水浴に行った際は、現地に着いたものの、道中どこかで財布を落としていて、友人の財布にあった2万円ほどで二人で民宿に一泊した以外飲まず食わず、やっとの思いで東京に戻って着た事があった。彼と酒を飲むと、未だにその時のけちけち珍道中が話題になる。

名古屋駅では、東京まで帰る新幹線の切符を買ったものの、改札口までの間にどこにしまったのか切符が無くなってしまい、東京までの切符を二度買った事もある。

今も老眼鏡を探さぬ日はないし、腕時計をはめたまま「時計、時計」と騒ぐ事はしばしばである。なので冷蔵庫の中に合ったはずの食べ物を探す際は、ハナから妻に「済まんけど探して」と頼む事にしている。妻に言わせれば 「ない!」と思って見るから目の前にあっても見えないので「ある!」と思ってみれば探せるのだと言うが、本当か?

最近も小銭入れを球場に落として来た事は、先月のブログで書いた通りであるし、間違えや忘れ物の類はきりがない。 そんなわけで雨上がりの日に傘を忘れた際は「傘は天下の廻り物」と言って諦める事にしている。

今日は今日で、美味しいソース焼きそばを作りたいと思って、会社の帰り道に買ったはずの「蒸し焼きそば」が家に帰ってみると行方不明になり、思わずどこかで落としたのかと思っていたら、肝心の焼きソバはガスレンジの傍らに無意識に置いてあった。

そんな事で我ながら大概の事には驚かなくなってきたが、先般スーパーで買い物をした際は、考え事をしていたのか、料金を支払った後に品物をビニール袋に移し換えず、スーパーのカゴごと家に持って帰ってきてしまった。 台所でスーパーの緑色のプラスチックカゴと買ってきた野菜を呆然と見つめつつ、さてどうやってスーパーまで籠を返しに行こうかとしばし迷ったものであった。(結局、何食わぬ顔してカゴだけ返したら、その時は誰も気がつかなかった様である)

大体が二つ以上のルーティンを一度にこなす必要がある時に、かた一方の事に気を取られているともう一方で、物を忘れたりしている様である。歳と共に気をつけねばならないが、私に2つ以上の頼み事を同時にしないで、と身近の人に思わず頼みたくなってくる。

2008年12月 1日 (月)

お祭りオンナ

東京マラソンの抽選に当たり、来春フル・マラソンにデビューする妻は、仕事が多忙ではあるが、11月には月間170キロ程走り準備に怠りない様である。

最近は距離が正確で、信号で待たされる事がない皇居周回コースで練習する事が多いが、さすがに同じ場所で走っていると飽きてくるし、皇居ではタイムを測ってしまうので、毎回時間と戦いながら苦しい思いをするのも疲れるのであろう。昨日は、どこか別の場所をゆっくり楽しみながらジョッギングしたい、と何やらネットでいろいろ検索している。

じゃあどこへ行くのかと尋ねると、酉の市めぐりをしたいと言う。なんでも日本武尊を祭神とする大鷲神社で、この時期酉の市が開かれ、商売繁盛を祈念する縁起物の熊手を売っており、その風景を見たいのだと言う。酉の日とは、毎日に十干十二支を当てて定める日付け法で、「酉」に当たる日のことで、これは12日おきに巡ってくるので11月ひと月30日の内、巡り合わせにより2回の年と3回の年があるのだそうだ。で今年は、3回の酉の日があるので是非三の酉のお祭りに行きたいと、どの神社でお祭りをしているのか検索している。

で、その結果、我が家から走っていける範囲の神社で、酉の市があるのは雑司が谷の大鳥神社・新宿の花園神社・四谷の須加神社と言う事になり、昨日は雑司が谷から3神社を走って廻って見る事にした。ところが大鳥神社に30分ほどで走って到着すると、露店の食べ物の美味しそうな匂いがプーンと漂ってくる。大体が走るときは胃の中が空っぽなので、じゃがバターやら焼きソバの匂いはひどく食欲を刺激するものだ。なので眼の毒・鼻の毒という事で早々に大鳥神社を後に、また30分程走って新宿・花園神社まで走って行った。さすが新宿、ここは人・人・人で前に歩くのにも疲れるが、あちこちでおでんやらソーセージを肴に酒盛りをしている人を見ていると、妻は食欲にもう我慢できないようだ。じゃがバターの前で持ってきたお賽銭用の小銭で買ってしまおうか考え込んでいるのだが、ここで食べると家まで走って帰れなくなってしまう。

という事でこの際、最後の四谷・須加神社参拝をパスして、真っ直ぐ家に走って帰り、家で酒盛りを始めたのは良いが、少しアルコールが廻ると、妻は行き残した須加神社にタクシーで行ってじゃがバターを食べたいと言い始める。まことにお祭り女の面目躍如で、まあまあと抑えるのに必死であった。

こうして涙ぐましい(?)節制をさせているのだが、4年前走り始めた頃は面白い様に体重が減ったものが、身体が走る事に慣れて来ると、今はいくら走っても一向に体重が減らないと、走り終える度に妻は嘆いている。

お祭りオンナ 2008-12-04 00:25:12
はーい。その際はよろぴく。


整骨院 院長 2008-12-03 00:05:48
いよいよ来春フルデビューですね!!

体のケアの際は是非ご利用ください!

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2019年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ