江戸散策その2水道橋
これは、水道橋駅東方付近の神田川を下流から上流に向かって見たもの。井の頭公園を水源として、飯田橋付近から日本橋方面に流れていた本流 (江戸時代以前は平川と呼ばれていた)の分水路として、江戸時代初期に神田駿河台を掘削して開いた人工の放水路が神田川である。かつて神田上水がこの付近で神田川をオーバークロスしていて、その木橋があったため水道橋と言われる様になった。
その神田上水は、ここより3キロ程上流の関口(今の椿山荘脇)で平川から分流し、小石川の水戸藩上屋敷(現在の小石川後楽園)に流れ込んだ後、この付近で神田川を超え (写真向かって右から左へ流れていた) 神田駿河台から地下に設けられた石桶や木桶を通り、江戸の主に東半分に給水されていた。
一方、江戸西半分は多摩川から引いた、玉川上水により給水されており、両上水道に関わる歴史や遺構などが、水道橋近くの東京都水道歴史館に詳しく展示されている。こうして見るとすでに17世紀には、上水道が江戸市中に張り巡らせていたのだが、これは水道としてはロンドンなどと共に、当時世界で最も先進的なシステムであったと言う。
近代日本文明の礎になる社会体制が江戸時代には構築され、徳川300年の鎖国中に成熟、明治維新以降に一気に近代化に結びついたわけだが、これらの歴史の遺物を見ると、我らの先祖もなかなか大したものをこしらえていたものだ、としばし思う。
最近は水辺めぐりの写真の様なボート遊びもあるので、そのうちこんなボートに乗って、川から江戸の歴史や東京の地誌を眺めてみたいものだ。
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