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2008年10月21日 (火)

恩讐の彼方に

紅葉の季節、今日の様な日本晴れの日は、子供の頃家族で行った耶馬溪(大分)の紅葉を思い出す。耶馬溪にまつわる菊池寛の小説「恩讐の彼方に」や山国川の流れが懐かしい。

恩讐の彼方に・荒筋

旗本の家臣・市九郎は誤って主君を殺めてしまい江戸から逃亡、木曽で強盗・人殺しを稼業とする餓鬼道に落ちていた。ある時罪の深さに気づき仏門に帰依、厳しい修行の末得度して僧・了海となり、罪滅ぼしの全国行脚していたのだった。良心の呵責に苦しみながら耶馬溪にさしかかった時、たまたま了海は崖から人が落ち死ぬ現場に立ち合う。山深き遭難場所に佇んだ了海は、残りの人生をかけてこの難所に安全なトンネルを穿つ事を誓った。

来る日も来る日も、単身、托鉢を続けながら、一心不乱に槌とのみだけで絶壁を掘り進むその姿は、狂人として村人の嘲笑をかうが、その鬼気せまる姿に次第に協力する者も現われる。こうして20年近く崖に挑戦する中、足は不自由になり目も光りを失い化け物の様になりながらも、ただ大願成就の一心で了海は槌を振るっていた。

そんな時かつて市九郎に父を殺された旗本の子供、実の助が親の仇を討たんと了海に迫っていた。ようやく仇相手の了海に出会う実の助だが、了海の石を穿つ執念に心乱れ、しばし仇討ちを中断して、了海と実の助はのみを手にトンネル完成に尽力する事になる。21年目のある日、ぽっかりと二人の行く手から光りが差し込み満願成就、遂にトンネルが開通した。この時、了海は晴れて実の助に、親の仇をうって自分を切る様に懇願するのだが、もはや実の助の心は、この偉業を遂げた一人の弱った老人への共感で満たされているのだった。

人生いろいろ、人は恨まれたり恨んだりして生きる。私も自らの業の深さに人を傷つけ、またしっぺ返しをされたりして生きてきた。そんな人としての人生を歩みながらも、できれば恨みつらみをどこかの置いて、今を感謝して生きたいものだと常々思う。天高い秋空を見るに付け、秋は思索の季節でもあるな~と感じる今日である。

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