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2008年10月

2008年10月31日 (金)

ネタの宝庫

24日の「並ぶ事きらい」を読んだスッチーの義妹からメールをもらった。

『(航空機)搭乗前に(改札の前に)並ぶ件ですが、ビジネスマンが列に並ぶのは荷物収容もあるけど、機内搭載で部数の限られている新聞を読みたいからだそうです。伊丹線などでそれはそれはスゴイ勢いで、何度怒られたかわかりません。』
『 また降りる時に並ぶのは、接続のバスや電車の時間に間に合わせる為と聞いた事があります。少しでも早く近づいておきたい様です。』

うーん、なるほど。朝は新聞を取りたいので並ぶのか、これは目からウロコだった。そういえば私も新幹線のグリーン車に乗る時、社内に備え付け、JRが出しているビジネス誌"WEDGE"に必ず目を通す事にしているが、これがなかなか面白い。街の売店で買うと\400なので、東京-新大阪グリーン料金 \5150 は少々高いかなと思うものの、実質支払いは\4,750-だと自分を納得させている。航空機に乗ると新聞を必ず読むと言うのは、これと同じ様な心理なのかも。

ただ義妹のメールにはなかったが、機内搭乗の際は、多くが”日経”を確保したいのだと思うが、ちゃんとしたサラリーマンなら"WEDGE"とは違い、”日経”くらい自宅か空港へ来る車中で読んでおけよ、とも思う。これがもしスポーツ紙だったら尚更だ、そんなもので乗務員を煩わすなと言いたい。

さて降りる時は、地方空港だと、大体航空便に併せてバスが接続しているし、東京ではモノレールは2~3分毎、京急は色々な種別と行き先が混ざった電車が来るので、どれに当たるかはかなり偶発的な確率で、焦って降りる必要もないと思うのだが、要はせっかちな人が多いのだろう。

何かの本で読んだのだが、「一番切れて怒鳴るのはビジネス・クラスの客、ファーストの客は紳士淑女、ツーリストは自費やレジャーで乗る客が多くあまり文句がでない。ビジネスクラスはとかく扱いづらい」とあった。

飛行機が遅れて接続便に間に合わなかったり、機内で些細なトラブルがあった時は、結構その人の素顔が出てくる様な気がする。私もかつてさる上司が、天候による事情で乗り継ぎ便に間に合わなかった時、航空会社の係り員にえらい剣幕で怒鳴りまくっているのを見て、その人の本性を見た気がした事があった。年をとるに連れ、そういう嫌な客にならない様に注意しなければ。

それはさておき、義妹によると「私たちはネタの宝庫だから、ブログやったらヒット間違いなし」との事。これから時々ネタを貰う事としよう。

2008年10月29日 (水)

駅弁まつり

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妻が何やら重そうな買い物袋を提げて帰って来る。が、その顔は結構嬉々として見える。何かと思ったら「今日は駅弁な気分だったから、会社の帰りわざわざ東京駅に行って買って来たよ」と言う。見るといかにも彼女の好きそうな米沢の「牛肉どまん中」と私の為に高崎の「鶏めし」だ。

3年前、JR東日本の「土・日きっぷ/南東北乗り放題1万8千円」切符の旅行が面白そうという事で夫婦2人、塩釜、寒河江、米沢と廻った事があった。何の事はない、日本一マグロの水揚げが多い塩釜でマグロ寿司を食べ、次の日は寒河江でさくらんぼ祭りを見て、最後は米沢牛のステーキで〆ようという単に食欲を優先させるだけの旅の企画だった。目的を果たした最後の米沢で、お腹一杯ステーキを食べた後、山形新幹線駅で「さて、これは東京に帰って明日食べよう」と牛肉てんこ盛り「牛肉どまん中」を妻は浮き浮きと買っていた。

「鶏めし」は、かつて上越線や信越線に乗る際、普通は高崎定番「だるま弁当」、横川定番「釜飯」と決めていたものだが、さすがに毎回は飽きた時、甘辛いそぼろの「鶏めし」を買っていて好きになったのである。やはり3年ほど前、久しぶりにスキーに行った際、たまたま高崎駅で「鶏めし」を買った処、発車する間もなく「うまい、うまい」と言って私が全部食べてしまったそうで、一口味見したかった妻は怒りの為この弁当を良く覚えていたのである。

私はすっかりそんな事を忘れているのだが、いやはや女性はいろんな事を覚えているものだ。ことに食べ物の恨みは恐ろしい。でも彼女の怒りのおかげで、今日は久しぶりに「鶏めし」を味わえたわけである。これからもおいしい弁当は、妻に分けるのを忘れたふりしてさっさと平らげてしまえば、もう一度執念で妻はどこかで探してくるかも。

2008年10月28日 (火)

マッハの恐怖

柳田邦男が書いた「マッハの恐怖」を読んだのは、今から30年前以上だったろうか。羽田沖に墜落した全日空のボーイング727の事故を、一般向けに分析した分厚い本だったが、巨大事故の原因を究明しようと試みる作者の筆致は新たな領域を開く、画期的なノン・フィクションだと印象に残ったのであった。爾来、システムの欠陥に関する様々な事象に少なからず興味を持って、かなり多くの本を読み、フェイル・セーフだのフール・プルーフだのと言う言葉も親しんできた。

最近はディスカバリー・チャンネルの「航空機事故の真実と真相」や「衝撃の瞬間」「メーデー」などの飛行機に関する事故の番組を良く見るが、今まで本で得た知識やNTSBのウエッブ・サイトで拾った情報と参照して、これら番組を通して巨大システム事故を探求する事も興味がもてる。

さて本日もうつらうつら同チャンネルを見ていると。「エアー・カナダ143便」事件をやっている。この事故もこれまで、あちこちで紹介されてきたが、改めて画面で見るのも新鮮だ。事件は1983年、新たにエアーカナダに導入されたボーイング767、143便(モントリオール発エドモントン行き)が燃料給油の際、メトリック法とヤード・ポンド法を間違い、必要量の半分以下の燃料しか給油せず離陸した事が原因で途中空港に不時着する事件だ。幸い死者が出なかったが、そもそも同機の燃料計が故障していたと言う遠因はあるものの、システムとそれを取り扱う人々の小さな認識の齟齬と、確認不足に事件の主原因があった。

アメリカ/カナダの国境をクルマで越えると、同じフリーウエイの延長なのに、それまでマイル表示だった制限速度が、キロ表示に急に変ってしばし面食らうものである。同様にシステムや換算に関する基本をちょっと間違えた事で大事に至る事は随分多い。船の世界でも、同じ重量トンでもロング・トン(2240ポンド)メトリック・トン(2200ポンド)ショート・トン(2000ポンド)と3種類ある。1マイルは陸上では1609米、海上では1852米とちがうし、ブッシェル、バーレル、ボード・フィートなどなど数え上げだしたらきりがないほどの単位がある。いつも仕事上では注意している点ではある。

さて人間はどの様な認識の誤謬に陥るのか、システムと人間の認識にどの様な相違が生じるのか、人間の構築したシステムがいかなるバグを生み出すか、など日頃事務系の仕事をしていても考えておかなければならない問題が、これらの事故例を見ると多々教訓として示されている気がする。143便の事件を見ると、ドル表示なのに1000円単位の円表示だと勘違いして、決算表を見ている自分なら「同じ事やりかねない」と自省するのである。特に1米ドル=100円になると表を見ても円かドルか判りませんよ。

2008年10月24日 (金)

並ぶ事ぎらい

広島への出張、今回は往復空路を利用したが、飛行機に搭乗・降機の際は人々の行動に興味が湧き、人間観察をする事もある。国際線の搭乗なら、2時間位前にチェックインして搭乗まで長く待つ事や、荷物の収納の関係で早く乗り込みたい気持ちもわかるが、なぜほとんどが軽装、背広姿も多い国内線でゲートの改札口の前に列を作って人は搭乗を待つのだろうか。座席は決まっているし、荷物も少ないのにそんな必要があるのだろうか? 私はいつも通路側、荷物も軽装なので航空機の搭乗の際は、なるべく最後に乗り込む様にしている。座席に着くやいなや搭乗口がしまる位のタイミングだと、狭い機内にいる時間が少なくて済む。

反対に着陸後、飛行機がゲートに着くや着かずの頃から立ち上がって降りようとするせっかちな人も多い。ロンドンやニューヨークから座りづめなら一刻も早く機外に出たい気持ちもわかるが、高々1~2時間の国内線でも到着と同時に出口へ列を作って機内で多くの人が立っている人が多数だが、そんなに急いでどうするの?と思い、これまた列が動くまで私は椅子に座っている事が多い。因みに昨日、羽田に到着した機内(ボーイング777)で計ったら扉が開いてから、入り口に向かって人が動き出す迄に、中央やや後部の私の席付近では約3分かかった。そんな列を作って早く動こうとせずともすぐに機外に出られるし、3分位座っていれば良いのにと思ってしまう。

まあ私は順番待ちの列が極端に嫌いで、どんなに評判のレストランでも「順番待ち」と聞くだけで「味が不味くても待たない方が良い」と思って列に加わる事を断ってしまうたちだ。その点では、どんなに混んでいても、専用ゲートでのチェックインなどが出来る航空会社の上級会員のカードだけは、水戸黄門のご印籠の様に思えてくる。大して興味もなかった私に「是非入れ」と妻が強引に申し込んだのだが、これだけは実に便利なものである。

2008年10月23日 (木)

水平対向4気筒

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愛媛県の船主の事務所に出張。今回は新幹線は利用せず往復とも空路、広島空港からレンタ・カーでしまなみ街道経由行く事にする。広島空港のレンタカー屋では昨年出た新型スバル・インプレッサをピック・アップ。

最近のクルマは4気筒車でも、どちらかというとエンジン音が”ウイーン”というモーターに近いリニアーな響きで、4パツといえども安っぽい感じがなくなった。と共に各メーカーのエンジンの音が似てきて面白みがないのも事実。

かつてバスのディーゼルエンジン音が各メーカーで異なり、路線バスと言えども好みの日野や三菱のバスを選んで乗っていた乗り物「音」マニアの私としては、最近のエンジンサウンド同一化傾向にいささか寂しさを感じている。町中で耳に残るエンジン音といえば、今ではアメ車のV6エンジンの野太いエキゾースト・ノート位になってしまった。

そんな中であるが、スバルの水平対向4気筒エンジンの”ボッボっボ”というやや低い唸りは「お、スバルだな」と思わせてくれて心地良い。このエンジン音に魅せられたファンが多くいるというのも頷ける。今回は最初、空港から下り坂や平坦な道を走っていた時にはあまり感じなかったのだが、登りになると以前より洗練されたが、水平対向エンジンの”唸り”を堪能する事ができた。ただ高速では登り坂に於いて100キロ位の走行時に4速のATギアーのシフトアップ・ダウンが激しく、もう少しスムースな走りをして欲しい処だった。1500CCと思えばしょうがないし、キックダウンでスポーティに走りたいドライバーなどにはこの方が向いているのかもしれない。

などと偉そうに評論家チックに書いたが。いつも妻からは「安全運転に徹して、遅すぎるんじゃない?」と笑われているのである。

2008年10月21日 (火)

恩讐の彼方に

紅葉の季節、今日の様な日本晴れの日は、子供の頃家族で行った耶馬溪(大分)の紅葉を思い出す。耶馬溪にまつわる菊池寛の小説「恩讐の彼方に」や山国川の流れが懐かしい。

恩讐の彼方に・荒筋

旗本の家臣・市九郎は誤って主君を殺めてしまい江戸から逃亡、木曽で強盗・人殺しを稼業とする餓鬼道に落ちていた。ある時罪の深さに気づき仏門に帰依、厳しい修行の末得度して僧・了海となり、罪滅ぼしの全国行脚していたのだった。良心の呵責に苦しみながら耶馬溪にさしかかった時、たまたま了海は崖から人が落ち死ぬ現場に立ち合う。山深き遭難場所に佇んだ了海は、残りの人生をかけてこの難所に安全なトンネルを穿つ事を誓った。

来る日も来る日も、単身、托鉢を続けながら、一心不乱に槌とのみだけで絶壁を掘り進むその姿は、狂人として村人の嘲笑をかうが、その鬼気せまる姿に次第に協力する者も現われる。こうして20年近く崖に挑戦する中、足は不自由になり目も光りを失い化け物の様になりながらも、ただ大願成就の一心で了海は槌を振るっていた。

そんな時かつて市九郎に父を殺された旗本の子供、実の助が親の仇を討たんと了海に迫っていた。ようやく仇相手の了海に出会う実の助だが、了海の石を穿つ執念に心乱れ、しばし仇討ちを中断して、了海と実の助はのみを手にトンネル完成に尽力する事になる。21年目のある日、ぽっかりと二人の行く手から光りが差し込み満願成就、遂にトンネルが開通した。この時、了海は晴れて実の助に、親の仇をうって自分を切る様に懇願するのだが、もはや実の助の心は、この偉業を遂げた一人の弱った老人への共感で満たされているのだった。

人生いろいろ、人は恨まれたり恨んだりして生きる。私も自らの業の深さに人を傷つけ、またしっぺ返しをされたりして生きてきた。そんな人としての人生を歩みながらも、できれば恨みつらみをどこかの置いて、今を感謝して生きたいものだと常々思う。天高い秋空を見るに付け、秋は思索の季節でもあるな~と感じる今日である。

荒い息づかい

昨日の3000米レースでは、ぴたっと後ろにつかれ、最後のスパートで負けてしまったがレースだから仕方がない。自分の実力がなかっただけの事である。がそれでも50歳代での自己新で走ったから、めでたさも中くらいなり、という感じだろうか。来年の目標が出きて張りが保てるというものだ。こちらもレースによっては、最後の最後までくっついていってスパート勝負をする事もあるから、「うまく使われた、コン畜生!」と言う気持ちもない。

くっついて走ると言えば、皇居の廻りなどで丁度良い目標とばかりに抜かした直後そのジョガーに併走されたり、すぐ後をついてこられたりする事がある。しょうがないな、とばかりスピードアップすると相手もむきになってスピードをあげる。レースでもないのに真後ろで「はっは」と荒い息を聞くのははっきりいってうざいものだ。「勝手についてくるなよ、自分一人で走ってくれよ」と思わず呟きたくなる。こういう時はしかたない、急減速して「どうぞ」と手を差し伸べると、たいてい相手はびっくりして「あっ」という顔をする。

悪気があって追って来る訳でなく、苦しくなる中で良いペースメーカーなのは良く理解できるのだが、勝手に目標にされた上、どこまでも着いて来られる身にもなって欲しいものだ。一言、言わせてもらえるなら、目標にするなら路線バスなどが良いのでは? 停留所での乗り降りなどの時間で、大体ジョッギングよりちょっと速い位でバスは街中を走っているから、これは格好のペースメーカーになるのではなかろうか。

ちなみに妻によると、女性が抜かした場合は抜かれた相手が余計にムっとするのか、はたまた追いかけるのにそれ程苦しくないペースで走れるからなのか、彼女の方がこの経験は多いようである。でも下り坂から上り坂に急に変わる所でやおらスピードを上げると「大抵脱落するよ」との一言。ただしそういう場所は皇居では1ヶ所しかないため、ほとんどの場合は、荒い息遣いに急かされているらしい。

2008年10月20日 (月)

残念ながら2位

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これが、今日の私の試合での走りである。50歳代も後半に入ろうという割りには、まあ下肢が頑張ってくれている気がする。それもこれも高校・大学と皆が勉強にいそしんでいた時期に走っていられる環境にいたからで、それを以って幸せな青春時代だったというべきだと考えている。(その代わり会社に入ってからは、語学力の不足などに大いに苦労したのだったが)

この大会の3000米シニアーの部では私がディフェンディング・チャンピオンで大会記録保持者。今日は3000米を10分台で走り、自己の大会記録を大幅に更新して優勝するつもりであった。しかし世の中は、そう甘くはない。シニアーの部というのは50才以上なのだが、毎年新たに新規参入50代に入ってくるランナーが現われる。それに引き換えこちらは、確実に一才づつ馬齢を重ねる。学生時代、来年こそは正選手になれると思っていたら有望な新人が入ってきて、また補欠かと言う悲哀を味わった事を思い出す。

レースは15人位のエントリー、スタート直後から先頭に立ってレースを引っ張るが、すぐ後ろにピタっと付かれた50歳台前半のランナーに最後の800米でスパートをかけられてついていけず残念ながら2位。それでも11分5秒で50歳代後半の自己新であったのは僅かな救いか。

それにつけても、シニアーの部は元気な初老が毎年増えて競争が大変だ。50才以降は大体閑職になるのだろう、レース前に参加者にそれとなく話を聞くと、週末は半日を走りに費やし、平日は朝5時に起きて一時間走ると言うランナーもいる。来年優勝する為には5時起きで走らなければならないのだろうか?それとも60才以上の部になるまでしばらく大人しくしているべきか?

2008年10月19日 (日)

スポーツの秋

あと一敗でもすると六大学リーグ戦の優勝が遠のく母校・慶応。今日も対立教第1回戦応援に神宮球場へいそいそと赴く。少し前までは安全パイだった立教も、最近はスポーツ推薦が復活して侮れない相手になってきた。前々週の観戦では、慶応が東大に負けるという何年かに一度の試合を見させられ、エース中林(3年慶応高出)が東大の打者の直撃球を利き腕に受け降板、なんともフラストレーションの溜まる試合だったが、今週はどうなのだろうか。

心配した中林は、怪我の影響も軽微だったのだろう、まずは無難な立ち上がり。ただ攻撃の方は相変わらずちぐはぐで3回にはこんな場面も。一死一塁・三塁で打者が左中間に大きなフライをあげる、三塁ランナーは捕球を確認した後、タッチアップでゆうゆうセーフの場面。ところが一塁ランナーもなぜかタッチアップして二塁に向かった処、敢え無く二塁ベースでタッチアウト。その時点で三塁ランナーが本塁に達していないと判断されたのだろう、ゲッツーで得点なし。一塁ランナーが立ち止まるかしてちょっと時間を稼げば1点だったのだろうが、永年野球を見ていてこんなケースは初めてであった。

今日もこんな凡試合なら途中で帰ろうかと思っていたが、その後中林が好投。打線もつながって快勝、まず1勝できた。打では普段あまり打たないキャッチャー坂本(岡山城東出)の活躍が光ったし内野の守備がリズム良く、立教2番手以降の投手の頑張りもあって、中盤からは締まった試合になって良かった。

それにしても今日は、その他箱根駅伝の予選会も立川で行われていて後輩の応援に行きたかったし、明日は野球の慶立2回戦にラグビーの対帝京戦、自分も日吉で競技会で走るという忙しさ。スポーツの秋の週末は体がいくつあっても足りないものだ。

2008年10月17日 (金)

丸の外線

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わが家のトイレの壁一面に貼ってある、東京メトロネットワーク2008年カレンダー付き地図である。トイレに地図とはあまり趣味が良いとはいえないのだろうが、これがなかなかスグレモノだ。

毎朝トイレに座りながら、その日の訪問先に行くにはどの駅で乗り換えるのが便利か、という事が一目でわかる。最近の東京の地下鉄は複雑に入り組んでいて、目的地への最短コースを考えると迷う事がよくある。営団(メトロ)に都営地下鉄、その上JRや新交通、モノレールやらで東京に永い間住んでいても、とても交通網のすべてをフォローし切れない。その点この地図はデフォルメされた略図でなく、実際の縮尺の地図なので「乗り換え駅」と言っても結構距離があったり、出口がどの辺りにあるのか一目瞭然で、トイレに居る間に最適なルートを頭にインプットできる。

その上、大きな地図で都心全域や主要道路も俯瞰できるから、例えばタクシーを使う際、どのルートが2点間の最短距離かもすぐ判り運転手への指示も適確になるのでタクシー代の節約ができるというメリットもある。

さて今日も、トイレに座りながらつらつら地図を眺めていると、東京は放射状の交通網はかなり整備されているものの、環状方面の連絡がやはり悪いと改めて気が付く。山手線や副都心線と外堀(市谷や四谷、虎ノ門)の間には地下鉄の空白区間が出来ている。もし私が、都内交通に関する役所の審議会などの委員だったら次の路線を提案したい処だ。

上野 - 谷中 - 千駄木 - 駒込・白山 - 茗荷谷 - 江戸川橋 - 神楽坂 - 柳町 - 曙橋 - 四谷3丁目 - 信濃町 - 外苑前 - 霞町 - 広尾 - 白金・高輪 - 泉岳寺

なるべく大きな道路の下を使ったつもりなのだが、これは相当便利な線だと自画自賛しながら”気張った”のであった。

名づけて「丸の外線」、いや「小江戸線」の方が良いかな?

2008年10月16日 (木)

心の欲する処にしたがうと規を超える、か

禁酒日だ。

妻より早く仕事が終わる事が多いので、ウイークデイの夕食は大体一人で摂るのだが、禁酒日でない日は仕事が終わって家路につく頃、思わず冷蔵庫の在庫を思い浮かべてしまう。 「あれが残っていたな」 とか 「つまみには、スーパでこれを買えば、残り物と足して何か作れるな」 などと考えていると帰宅の足取りもいささか軽くなる。で帰って新聞を広げつつ、ニュースや天気予報を聞きながら自作・即興のちょっとした料理 (または”えも知れないと料理”と言うべきか) を肴に、ビール・ウイスキーと飲み進むうち、頭の中が段々と陶然としてきて一日の疲れも忘れる。

ところが禁酒日は、そそくさと「ご飯もの」をかけこまないと、ついおかずを食べ過ぎてしまう上、ものの10分もあれば夕食が終わってしまい寂しい限りである。なにか一日の大事な仕事をし残した気分がして、食後も落ち着かない。それで甘いものをつまんだりしてしまうのだが、ストレスを感じながら禁酒をして結局お菓子などを食べ過ぎるのと、ゆっくり酒・さかなを楽しむのとでは、どっちが健康なんだろうか、と自問してしまう事もある。

禁酒日の今日は、日中珍しく忙しかったので、帰り道に外食してまおうと思い、東京駅で 「カツカレー+スープ+サラダつき」 650円セットですませてしまった。案の定、家に帰って口さびしくなって、先週末買った「麻布豆源」の「しお空豆」や「南京糖」を思わずぼりぼりと食べてしまう。 「何だ、あんまりパリッとしてねーな」「これなら中学の同級生がやっている三軒茶屋の豆商の方がずっとうめーや」などと毒づきながら、いつのまにか一袋あけてしまった。

あ~、酒が飲みたいなー。

2008年10月14日 (火)

ベルレーヌ

雨もようの連休明けの秋の空、ベルレーヌの詩が浮かんでくる。

「秋の日のビオロンの、ため息の身に沁みて、ひたぶるにうら哀し」

などと、のっけからフランスの詩などを書くとのけぞる人が出てくると思うが、文芸的なインテリジェンスなどはハナから持ち合わせていない。実は第2次世界大戦中のDデイを描いた超大作「史上最大の作戦」から覚えたフレーズなのである。

映画の中で、ノルマンディ上陸作戦の前日、隠れ家に集まったレジスタンスの部隊に対して、連合軍が地下のラジオ放送を使って「秋の日のビオロンの・・・・」の一節を流すのだが、これが作戦開始、蜂起の暗号として使われているのである。

ジョン・ウエインやヘンリー・フォンダなど超大物フルキャスト、ケン・アナキン監督の「史上最大の作戦」は、1962年の公開時はもとより、テレビやビデオで何回(何十回かな?)と見て台詞も覚えてしまったくらいだ。史実のDデイは1944年6月なのだが、この一節は深く記憶に残っていて、なぜか秋の薄暮になると映画の一場面と共に詩が脳裏に去来する。

2008年10月13日 (月)

みんなまとめて面倒みたよ

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ひょんな事から、妻の母親や妹達夫婦7人(+子供一人)を上海蟹やらの高級中華に招待する事になった。メニューの値段を聞いて一瞬「ウッ!」と唸るものの、こちらもジイさんの代からの江戸っ子(まあ私は江戸と言っても主に山の手の方なのだが、祖父や父は牛込や大久保に長くいたから江戸っ子でェ!と言って良いだろう)。みんな纏めて面倒みたよと、麻布十番は中華の「富麗華」に昨晩は大集合だった。

「富麗華」は、平日は企業の接待用なのかお値段も結構なもので、店内は琴や琵琶の生演奏とともに、ウエイターやウエイトレスがうやうやしくサービスにこれ努めてくれる。そしてこれが本日メダマの上海蟹。普通では蟹と云うと貴重な蟹を残さず味わおうと、口は蟹だけにあるかの様に一心不乱に身をほじるもの、でもここでは優雅に前もって各自のお皿に取り分けてサーブしてくれる。普段、皆が蟹をものも言わず食べている姿を見ると「一意専心」などと言う言葉が脳裏に浮かぶのだが、今日は上海蟹を会話と共に上品に楽しめる事ができる。

その他、酢豚もピーマンやパイナップルなどと一緒に炒めるのでなく酢豚の肉部分のみが出てくる、というのも何か高級感があってうれしい。北京ダックに海老のマヨネーズ風味、仕上げは蟹みそ入りチャーハンで大いに満足した。

で帰り際、少々酔った私達夫婦は義弟に自宅まで送ってもらおうとレストラン駐車場まで行くと、並んでいたのはベンツ始めすべて外車。「うーん、週末にここで夕食を食べるのはどういう人達かな~?」などと少しスノビッシュな気配に圧されたがものだが、私も最近ちょっと嬉しい事があって皆を招待出来たいきさつがあり、ささやかな幸福感も同時に味わった夕べであった。

2008年10月12日 (日)

全塾大運動会

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昨日は、慶応義塾創立150周年記念の水・陸に亘る大運動会が、新装成った日吉の競技場とプールでそれぞれ行われた。陸上競技場の方では幼稚舎や一環教育各校の有志による演技や競走が繰り広げられ、本当の運動会と言うよりはお祭りの気分。OB・OGの民放アナウンサーが場内放送で雰囲気を盛り上げる中、演技や競技の演目が進んだ。

そんな中、お昼から競走部OBと幼稚舎の10歳位の子供たちとの1000米の交流競走という種目があった。これは近頃箱根駅伝の予選を通過できなくなっている慶応にあって、昔箱根に出た選手を中心としたOBと幼稚舎の子供たちが一緒に走って、箱根駅伝に興味をもってもらい、将来その中から選手を目指す子が多く出て欲しいという趣旨のレースとの事。久しぶりの母校競技場、それも新しいグラウンドで走れるとあって、一緒に走って欲しいとお呼びがかかった時はすぐ応諾したのだった。

当日は上は80歳代のOBから下は30代の若手まで集まって旧交を深める中、いよいよ昼12時、多くの父兄や教職員が観戦する競技場のゲートをくぐって場内に入場して走る事になった。場内紹介では「箱根を目指して欲しい子供たちと、かつての一流選手・OBの交流です」と何度も案内されるのだが、「一流選手」と放送されると「それは誰のことかい?」と気恥ずくしく面映い。たしかに先輩の中にはオリンピックに出場した選手や、箱根駅伝で活躍したOBもいるのだが、自分の事を考えるとこんな事を言われたのは生まれて初めてで、ただ苦笑いするばかり。

レースは子供たちの先導をする程度のお遊びであったが、久しぶりの母校の競技場の感触を楽しみ、また改装資金の一部として募った寄付金募集にも応募したので、この全天候トラックの数ミリに協力できたのだ、という感慨を感じて走れた。

その他、当日は慶応義塾体育会45部の行進がアトラクションにあり、各部の選手がそれぞれのユニフォームで、ブラバンが演奏するカレッジソングに乗って入場行進をしたのだが、こんな行進も150周年ならではで、大いに楽しかった。

それにしても、大学4年間下積みで何度も辛くて競技をやめようと思ってきたが、卒業して何十年経ってもこうして時々お呼びがかかり、母校や諸先輩・後輩と繋がりがもてると、体育会を卒業して本当に良かったな、といつもしみじみ思うのである。

2008年10月10日 (金)

反エコロジー

生来のへそ曲がりの部分があって「皆が良い」と言うと「本当かい?」と疑ってしまう。若い時には血液型による性格分類が流行ったが、その話題が出るたび「嘘に決まってるだろう」などと座を白けさせていたものだ。考えてみれば、適当に相槌を打っていれば良い様なものだが「なぜ血液型と性格に有意の関連があるのか?」とか「多くの血液型分類法があるのにABO型だけで判断できるはずがない」などと批判精神が頭をもたげてしまう。

現在盛んに言われている都会/地方の経済格差についても、実は統計の取り方や読み方次第で、格差は10年前よりむしろ縮まっているというある経済学者の講演を最近聞いたのだが、これは私の実感通りと内心でしたり顔をしたものだった。

その他、凶悪犯罪が増えたとか、子供のいじめが多いなどというステレオタイプの報道を見聞きする度に「本当かね?」と思うのだが、あまりへそ曲がりの事ばかり言っていると皆に嫌われるので、口にはせずぐっとこらえている事も多い。

そんな気持ちを代弁してくれたのが、「環境問題はなぜウソがまかり通るのか3」というペーパーバックスである。著者は武田邦彦と言って東大を出て大学教授などを歴任し、最近は環境問題の著書も多い人。本屋でパラパラ立ち読みすると、あながち、でたらめな本だとも言えない様なので、店頭で早速購入する事にした。内容についてはと云うと、

*地球温暖化は二酸化炭素が原因と確定された訳でなく、地球の大きな流れの中で歴史的にそういう時期にあたっていると考えられる事。
*各地の気温は確かに上昇しているが、データの取り方が恣意的であって、気温の上昇は二酸化炭素でなく、むしろヒートアイランド現象によるものと考えられる事。

などなどメディアの情緒的な報道にごまかされず、今、言われている環境問題をもう一度考え直した方が良いという、頷ける内容である。

一緒に働いている相棒に「この本面白いですよ」と薦めたら、彼はにやっと笑い「偽善エコロジー」と言う同じ著者が書いた反エコロジーの新書本を 「もう読んでいるよ」 と得意げに示すのだった。 反エコロジーはいまブームになりつつあるのか?

2008年10月 9日 (木)

のみの心臓

血圧は普通と思っているのだが、定期検診の時は高く出てしまう。私が受診する病院では着替えの後、健診項目の最初に機械で血圧を測る為、朝一番であたふた落ち着かないのだろうか、血圧が相当高く出る。半日ドックが終わって最後に医師の問診があるが、その際には、もうかなりゆったりした気分になっているので「ではもう一度測ってみましょう」という事で医師が計測すると平常に戻っている。

ところが昨年の人間ドックの際は、最後の医師の測定でも上が150位、下が100位にしか下がらず、自宅で「注意」する様指導された。なので秋葉原で最新鋭の高価な血圧計を買い、従来持っていたアメリカのコンシューマーガイドで「ベスト」と言われていた血圧計と合わせて2台をそれぞれ家と会社に置き、朝・昼・夜と一日3回徹底的にトレースする事にした。その結果を毎日エクセルの表にして約半年比較したところは、まったく問題ない事がわかった。朝は平均110/77 昼は111/79 夜110/68である。

「ほーれやっぱり心気性のものだ、白衣をみると高くなるんだ」と安心した次第でしばらく血圧の事は忘れていたのだった。ところが2週間位前、どうも二日酔い気味の朝、少しふらふらする気がするので、これは血圧が低いのかと久しぶりに測ってみた処、上は130ちょっと、下が92と逆に高め。下が90を越えた事は昨年の検診以来なかったので少しびっくりすると共に、少々意地になって90以下にしようと深呼吸をして数回計測しなおしたのがいけなかった。意識すればするほど、どきどきして何もないのに心拍数が80台(普通は60くらい)になり血圧は上は150、下が100までに上がってしまった。

こうなると血圧を意識しだし、低い数値をたたき出したくなって、その日以後血圧計が目に付く度に測りたくなるのだが、あのカーフを巻いて上腕を圧迫しだすと、どきどきと心拍数が早くなってくるのが分る。つい数ヶ月前むしろ低めの血圧だったものが、意識しだしてからは高くなってしまっているわけだ。家でどきどきするとは、なんとも情けないと思うのだが、深呼吸を繰り返してもあのカーフを見ると条件反射で脈がコントロールできないからやっかいだ。

妻はそんな私を見て「完全癖」「心理状態で血圧が上下しやすい性質なんだから、そう思っとけば良いじゃない」などと笑っていたが、そのうち「そう、頭で判っていても体が違う様に反応するのは、妻を怒鳴ってはいけないとわかってもついカーッとなる処と同じね」などととんでも方向に飛び火する始末。

しかしこれも慣れで、毎日毎日、意地になって測り続ける事1週間。初回が高くても2回目、3回目がすーっと下がる様になって来て、その経験の繰り返しから安心してくると血圧も安定しだすから不思議なものだ。 因みに一昨日の結果は1回目151/94・2回目(2分後)122/89・ 3回目(また2分後)118/83 と大幅に下がる。ゆったりするだけで数分で最高血圧は40も違うのだ。感情は意志でコントロールできないが、慣れによって落ち着くものだと改めて認識すると共に、自宅でこんな事にみずから緊張している自分の臆病さに苦笑してしまうのである。こんな性格は死ぬまで直らないのか?

2008年10月 6日 (月)

グローバルフェスタ2008

子供の頃からの友達3人(男2・女1)で皇居周回コースの駅伝大会の部15キロ(1人5キロX3人)に昨日参加した。この大会はグローバルフェスタ2008というNGO主催のイベントの一環で、毎年秋に日比谷公園で開催されているもの。なにかNGOとか聞くとどうもうさんくさげな組織、と言う風に私などは思ってしまうが、このフェティバルは外務省共催・大手有力企業協賛・世界中の国の大使館などがブースを出すなどそれなりに大きなイベントである。駅伝参加費1人1500円の内1000円が社会的な寄付に廻されるのだそうだ。

で駅伝メンバーの紅一点女性の夫君(彼も中学の同級生)も10キロの部に出場、その他幼な馴染の応援のシニアチア(元)ガールズ3名も交えて、昨日は都心で盛り上がった。
妻からは、「いつも仲がいいわね」とあきれられるが、小学校・中学校共にごく普通の東京の公立コースなのに昔の同級生でいつもわいわい、がやがや何かやっている。さらには幼稚園時代の同窓会も定期的に行っているのだが、これを他人に言うと結構驚かれる。まあ沢山いれば中には面倒見の良いヤツも居るもので、そんなヤツを中心に、いろいろなのが集まるから面白い。高校・大学以降の友達は、どうしても職業も生活も似た様な仲間が多いが、公立中学の雑多な仲間、それも頻繁に会ってうちに同年代共通の家庭の些細な問題や地域での本音などが出て、これはこれで楽しいのである。

特に50歳代に入ってからは、女性は子育てから解放され、男性は社会人として先も見えて来るのだろう、昔の仲間と会おうというお誘いの機会が増えてくる。そういえば毎年参加している企業グループの陸上競技大会も、最近は若手の正式競技より40歳代、50歳代、60歳以上の部などの方が参加人数も多く盛況だ。トシを取って行くと、大人になってから参加した社会、例えば会社員とか夫婦とか親子とかの関係とは、また少し違う社会が開けてくるものである。

昨日の駅伝大会は、私以外の2人は昨年の自己記録を1分近く更新、好きな事をして気持ち良い汗をかいて、3人で3000円の寄付をさせていただいて言う事はなし。皆で真昼間から日比谷公園の屋外レストランで飲んだビールが美味しかった。

2008年10月 2日 (木)

日比谷公園のみどり

A

昼休みは日比谷公園に行く。そう云えば昼休みなどと云って、優雅に皆が一斉に休むのはアジア系民族の特徴だろうか。ヨーロッパではちょっとした職場にはカフェテリアがあったりするが、アメリカはよほどのオフィスでないと社員食堂の類はない。昼飯を食べる人もいれば、食べない人もいる。りんごをかじっていたり、ハンバーガーやサンドイッチをちょっとした街の階段やベンチで食べている人もいる。12時きっかりに昼の食事というより、むしろ仕事優先で、空いた時間に食べているという感じだろうか。

もう随分前になるが、アメリカ駐在の辞令が出たとき、先輩達からは「昼はブラッディーメリーを飲んで、ゆっくり食事に2時間はかけるものだ」と聞いていたのだが、実際その当時の西海岸でも昼の会食にアルコールを飲むのはむしろ少数派になりつつあった様だ。その代わり山盛りのシーザーサラダにチーズ入りのドレッシングをたっぷりかけて、それだけでランチのメインにしている人が結構いた。あれだけドレッシングをかけるならむしろカロリーは多すぎるのだろうな、と冷ややかに見ていた事を思いだす。その点ヨーロッパでは今でも、ランチにワインを飲む人の割合も高い様で落ち着いた伝統を感じる。

日比谷公園の事から何も考えずに書き起こしてきたら、なぜかアメリカの事に腹が立ってきた。テロとの戦い、などと世界中が狩り出されているが、本来はイスラム等とアメリカ(およびその傀儡)の間の問題じゃないか。今回のサブプライム問題も、アメリカが一人で世界を巻き込んで混乱を起こしているわけである。日本の次に好きなアメリカではあるがこの国が建国されていなかったら、世界の地図は今頃どうなっていたのだろうか。もちろんコカコーラもハリウッドもなく、自動車の社会も今とは随分違っていただろうが、世界はもっと穏やかな社会になっていたかも知れない。米国の功罪を時々考えるのだが、持っている株がアメリカのせいで半分になってしまうと、思わず罵りたくなってしまった。

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