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2008年9月

2008年9月29日 (月)

電車唱歌のなぞ

下は、作詞 石原和三郎・作曲 田村虎蔵になる電車唱歌。明治38年(1906年)に作られたもので都電(東京市電)の名所旧跡を歌ったものだ。

一番 玉の宮居は丸の内 近き日比谷に集まれる 電車の道は十文字 まずは上野へと遊ばんか
二番 左に宮城おがみつつ 東京府庁を右に見て 馬場先門や和田倉門 大手町には内務省
三番 渡るも早し神田橋 錦町より小川町 乗りかえしげき須田町や 昌平橋をわたりゆく
四番 神田神社の広前を すぎて本郷大通り 右にまがりて切通し 仰ぐ湯島の天満宮
五番 いつしか上野広小路 さて公園に見るものは 西郷翁の銅像よ 東照宮のみたまやよ

この歌については、永年疑問に思っていた事がある。歌の上とは言え、須田町から昌平橋を渡る路線などがあったのだろうかと言う事を含めて、なぜ日比谷から上野に行くのにわざわざ本郷を経由していくのかが不思議だった。

一番から歌詞に合わせて現在の道路を辿ってみると、日比谷交差点を起点に日比谷通りを北上する事になるが、この線を神田橋線と言ったと言う。一番から三番の途中までの部分は大手町から小川町まで現在の日比谷通り上をまっすぐ進めば良い。さて神田小川町で神田橋線の電車は現在の靖国通りと交差して右折、終点の須田町まで直行していたのであろう。神田須田町は南の東海道へ伸びる町並みと、北の日光街道や中仙道に沿ってできた町並みが江戸市中で交わる辺りで、明治時代は東京の交通の要衝、市電の一大ジャンクションでもあった。

さて難関はここからだ。普通に考えると、神田須田町から上野広小路は目と鼻の先、現在の中央通り、秋葉原の電気街を抜けて地下鉄銀座線が走っている様に北に向かって直行すれば良いはずで、須田町-上野間は上野線も開通していたはずだ。なぜ須田町からわざわざ少し戻って昌平橋を渡り、本郷を通り抜け、切り通しを下りて上野広小路に出たのかが永年疑問だった。

でここ数日地図を買ってきたり、ネットであちこち検索していたのだが、やっとこういう事だろうという事になった。

①歌の出来た明治38年は、東京の路面電車は3社が運行しており、神田橋線と本郷方面に向かう本郷線は東京市街鉄道(街鉄)という会社が経営していた。銀座方面から来て須田町を通って上野に至る上野線は東京電車鉄道(東電)の経営だったので、須田町で同じ街鉄に乗り換えることはごく普通の感覚で、運賃もその方が安かったのかもしれない。

②当時の東電・上野線の走る秋葉原は文字通りの寂しい原っぱで見るべきものもなく、歌にならなっかたのかもしれない。それに比べると神田明神、湯島天神を廻り「本郷もかねやすまでが江戸の内」と江戸時代から川柳で読まれた「かねやす」前(本郷三丁目)を通る本郷線の方が親しみがあったのではないか。

③現在の万世橋は明治36年、この歌の出来る少し前に完成したばかりで、明治29年に完成した昌平橋の方がこの地域の交通のメインだったのではないだろうか。歌の三番では須田町で本郷線に乗り換えてわざわざ少し戻って昌平橋に向かう事になるが、こちらの方が須田町乗り換え万世橋経由の東電・上野線より当時はトランク・ラインであったのではないか。

という風に考えると所詮は歌であっても辻褄があってくる。

神田須田町あたりは明治41年には甲武鉄道(現在の中央線)のターミナル万世橋駅が造られ、駅前には市電網が終結して大変な賑わいだったそうである。今でも神田の「やぶそば」やあんこうなべの「伊勢源」などの老舗がならぶのは往時の名残りによる

2008年9月28日 (日)

秋色・神宮の杜

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東京六大学野球秋季リーグ戦、慶応-明治の第2回戦観戦に神宮球場に行く。近年このカードは拮抗しており、引き分けを挟んで4回戦までもつれる事もままある。慶法戦は勝つにしても負けるにしても比較的あっさりと決まる事が多いが、なぜか慶明戦は最近息詰まる様な試合が多いので、家でのんびりはしていられない。

今日も慶応は連投の若林(3年慶応高出・センバツベスト8)明治は野村(1年広陵出・夏の甲子園準優勝)の投げあいで、緊迫したゲームだった。若林は高校時代よりストライクの取り方が巧みになった印象、野村は体こそそう大きくないがさすが甲子園準Vだけあって一年生ながら貫禄充分のピッチングだった。春のリーグ戦覇者明治は、全国大学野球選手権で東海大にこっぴどい負け方をした後遺症だろうか、昨日の1回戦、今日の2回戦とも打つほうがどうもさっぱり、一方の慶応も塁には出るものの、相変わらず残塁の山で、秋色漂う神宮の杜は肌寒く感じる位であった。
試合は母校慶応がストレートで明治を破り、前カードで法政にストレート負けした処から優勝戦線に踏みとどまった感がする。これで応援する方も少し熱心に応援できるというものだ。

子供の頃父に連れらて神宮球場で六大学野球を見る様になってから、もう50年近くになるが、それにしても秋のリーグ戦というのは風情があって良いものだ。総じて秋は感傷的になる季節。くれなずむ神宮の杜で懸命にプレーする選手の姿が春より印象に残る気がしてならない。

2008年9月27日 (土)

秋の味覚

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韓国の取引先からもらった松茸だ。なんでもオリジンは北朝鮮らしい。日本の中国地方原産のものに比べると風味は落ちるものの、大味な北米産松茸に比べると味も香りも良い。

今晩はソテーにするか、トースターでグリルしてすだちをかけて食べるか、お吸い物に少し入れるか。いずれにしてもその日の「めだま」の食材が一つあると、自然と組み合わせる料理も浮かんできて、夕方お酒と共に楽しんでいる姿を想像すると朝からなんかそわそわしてしまう。

2008年9月24日 (水)

てつのくじら館

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先週、呉に出張した際、空いた時間を見つけて訪れた「海上自衛隊呉資料館の”てつのくじら館”」である。

2004年まで現役だった自衛隊の潜水艦”あきしお”が資料館脇に展示され、艦内の一部が見学できる様になっている。呉は掃海艇と潜水艦の基地なので、資料館は掃海の歴史や資料、潜水艦の勤務の有様などが展示されているが、展示の最後に資料館ビルの3階から潜水艦の横腹に入れる様になっている。

今までアメリカやオーストラリアなどで、第2次大戦時の旧式の潜水艦は何隻も見学したが、流滴型の少し前までの新鋭艦、それもわが国の自衛隊の潜水艦の中に入るのは初めてなので興味深かった。艦内の居住区画や司令室などを見る事ができるのだが、何より計器が日本語で表示されているので、一目でその機器が大体何をするものか判って良い。もちろん艦内は大変狭いものの、旧式の潜水艦に比べると清潔で快適そうである。

日本の潜水艦は原子力推進でなく、ディーゼルエレクトリックで水中行動するが、そのメリットやデメリットなども案内の方が説明してくれて良く解った。ところで映画の中では潜水艦というと、必ず「ピコーン、ピコーン」と言う音と共に水中を進んでいるが、あの音はなんだかご存知だろうか?あれは潜水艦を探す水上艦艇のソナーの音で、頭上で対潜の策敵をする艦艇がいなければあの音はしない、という事である。初めて知った次第!

2008年9月23日 (火)

”ららぽーと豊洲” は、まるでサンテック・シティ

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最近は、休日を週末とくっつけて三連休にする場合が多いが、今日は珍しく火曜日のお休み。何か特別休暇をもらった様で、ちょっとうれしい。

天気が良いので、朝ごはんはドライブをして海の見える所で食べようと妻と決めた。と言ってもお彼岸で多くの自家用車が繰り出す今日は、遠出して渋滞に巻き込まれるのはゴメンなので、近場で目新しい場所は、と考えたら豊洲のららぽーとが思い浮かんだ。時々、クルマで脇を通る事はあるのだが、なにせ豊洲と言えば今まで寂れた岸壁のイメージしかなくて素通りしていた場所である。ただ最近この地区の再開発が盛んに行われていて、次々に建つタワーマンションの広告が我が家にも入っているので、好天を利用してぶらっと朝のドライブに出かけたわけである。

行ってみてびっくり。旧石川島播磨重工の工場の跡地に、大規模な商業施設やシネマ・コンプレックスができている。港頭地区の倉庫や工場跡地を人気のスポットに再開発する事業が、世界的に行われているが、ここもその例に漏れず。 まだ午前中とあって人もまばら、天井の高さや吹き抜けの感じから、シンガポールの新しいショッピングセンター、サンテックモールを歩いているかの錯覚に捕らわれてしまった。出店されている店も、世界中どこにでもある様なブランド店が多いのもそんな錯覚を起こさせる原因か。

でクラムチャウダーと揚げドーナツを屋外のテラスで食べ、優雅な休日の朝を過ごせた。ここは都心に近く交通の便も良いので、平日仕事が終わって訪れたら、ちょっと日常から離れた感覚を味わえるかもしれない。

2008年9月20日 (土)

JRのシステムもいい加減か?

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出張で呉に行っていたが、帰りは例によって切符は取っていない。前の晩の酔っ払い具合と朝の気分で飛行機にするか新幹線にするか決めるのだが、今日は天気も良く土曜日なので新幹線で帰京する事に。

広島から東京までは「のぞみ」で約4時間なのだが、人間は歳とともに段々ぜいたくになるもので、最近は普通車に4時間座リ続けるのが辛く、グリーン車に乗りたくなってしまう。ただ広島から東京までのグリーン料金は7440円で、これは少々高い。で今日は、広島/新大阪は「ひかりレールスター」の普通車指定席にして、新大阪/東京は新型N700系「のぞみ」グリーン車で帰って来る事にした。「ひかりレールスター」はJR西日本の人気列車で、普通車(グリーン車なし) でも指定席車両は横2列-2列、リクライニングも深くグリーン車と実質設備が変らない上に、停車駅はのぞみ並に少ないし割増運賃もかからない。新大阪で「のぞみ」に乗り換えて、東京までの間のみ「のぞみ」グリーン車に乗ればグリーン券は5150円ですみ、広島/新大阪間の「のぞみ」割り増し運賃200円もセーブできる算段である。

でその旨、呉駅で告げ所定の乗車券・特急・指定席券などを購入し、広島行き呉線の快速列車に飛び乗ったが、どうも考えていた金額より高い気がしてならない。特にグリーン料金が7440円と切符に記載されているのは変である。なので広島駅の新幹線乗換え口の精算所で、この券は広島/東京すべてグリーン乗車の料金と思われおかしいのではと問うてみた。

案の定、呉駅のみどりの窓口の若い女性の駅員の間違いで、広島/新大阪間のグリーン料金も取られていた事がわかり、広島駅の駅員の謝罪と共に、グリーンの差額2290円が返ってきた。気が付いて良かったが、逆にこれに気が付かなかったら結構大きな間違い料金を取られすぎていたわけである。グリーン車がない「ひかりレールスター」の普通車指定券を発行しておきながら、その区間のグリーン料金を記載した切符を発券する事ができるとすれば、これはシステムの大きな欠陥ではないだろうか。

それとも「ひかりレールスター」で新大阪まで行って、わざわざ「のぞみ」のグリーンに乗り換える様な客はごく稀なのだろうか。いずれにしても、JRのコンピューターも結構欠陥があって、時々間違った請求をされるかもしれない、という事はこれからも頭に入れておいた方が良いだろう。

2008年9月19日 (金)

汚染米騒動

汚染米騒動の原因の一つにMA(ミニマム・アクセス)に拠って、国際的に輸入を約束した米の処分に困っている問題があると言う。

1993年・日本の冷夏、米不足と時を同じくして急浮上したGATT、ウルグアイラウンドの農業問題。世界的な貿易自由化の流れに抗して、国内農業関係団体の圧力をバックに、当時の食糧庁は、米の輸入に対して関税化でなくミニマムアクセスを選択した。すなわち米を輸入する際は、関税率の高さで内外の格差を是正して国内農家を保護するのでなく、需給に拘わらず毎年最低限の数量の米輸入を国際的に保証する代わり、関税による調整を行わない事にしたのだ。簡単に言えば、毎年何があろうと一定の量の米輸入は実行する代わり、米市場を価格競争というマーケットにさらさない、と言う宣言をしたのである。

1993年当時、アメリカに駐在していた私は、戦後初めてわが国が米を輸入するという事で、カリフォルニア米の輸出港サクラメントやストックトンに毎週赴き、関係農業団体・役所・港湾関係者と綿密な打ち合わせを行い、米の安全輸送に万全を期した事が懐かしい。同じ岸壁からはパキスタンや中東向けの加州米が、毎日の様にいとも簡単に輸出されるのに対し、日本向けは大変な検査と労力と関係者の注意を集めて船積みされていたものである。それは日本人の米に対するセンシティブな心情の表れとも云えるし、予算が付く限りコストを無視する役所仕事の典型の様にも思えた。

関税化を避けミニマムアクセスを国策として採用すると聞いた際は「貿易に拠って立国するわが国が、農林族の圧力でなんとおろかな決定をするものだ」と内心憤ったものの、輸送を担当する船会社としては毎年何があっても必ず一定の数量が必ず輸入される事は、配船繰りで大変ありがたいものだ、ほくそえんだものである。

案の定、昨今、国際的な食糧の値上がリで内外の価格差が急速に縮まっている上、食の安全問題が急浮上しており、不必要な米を毎年必ず輸入するより関税で調整した方が有利であった、と反省する動きが出ているとニュースは伝えている。不必要な輸入米が大量に倉庫に保管されている事が、事故米の不正処分を促進した遠因になっているとも云う。国際的流れであの時関税化を受け入れていれば、今頃安い関税になっていたって国民はおいしい国産の銘柄米を食べているはずだし、大量の輸入米の在庫もなければ、今回の汚染米の騒動もなかったかもしれない。

あたり前田のクラッカー、みんな判っているのだが伏魔殿の様な農水族の声に国策が誤り、国民(消費者)が迷惑を蒙る典型的事例に思えてくる。

2008年9月17日 (水)

おそろしや、米国の鉄道

アメリカ、ロサンジェルスの北方郊外で先週金曜日の夕方、通勤列車と貨物列車の正面衝突事故があり、これまでに26人が死亡、135人が負傷したと報道されている。NTSB(国家運輸安全委員会)のホームページには事故調査を開始した、としか記載がないが USA TODAY のウエブサイトなどを読むと、事故原因は旅客列車の運転士の赤信号見落とではないかと推測されている様だ。

ただ新聞記事には 「もし赤信号でも強制的に列車を止める装置があったら、この事故は防げたはず」 とあり、さらには 「全米ではこの様な装置の必要な箇所が多数あるものの、経営者の安全に対する認識のお粗末さで設置していない」 旨、書かれている。 これが事実とすればアメリカの鉄道システムは、昭和37年の三河島事故を契機に、ATS装置が導入される前のわが国の国鉄並の安全設備で運行されている事になる。

いつかは、AMTRAKに乗ってアメリカ大陸横断をしたい、と夢みていたが冗談じゃない、と思えてくる。この事件の続報を注視してみたい。

2008年9月16日 (火)

深海のイール

「深海のイール」というミステリーを読み始めたら、はまってしまった。ドイツ人のフランク・シェッツイングが書いたSFの大著。ヨーロッパではダ・ビンチコードを抜いてベストセラーになったとかで、近々映画化も決まっていると云う。日本版はハヤカワ文庫から今年出版されたばかり、なにせ分厚い文庫本で3冊、1500頁もあるから読むのが大変。睡眠時間を削って読んでしまったのでこの処、寝不足に陥ってしまうわ、夢に魚が化けてでてくるわ。

世界中の海で突然異変が起きる。鯨が人間を襲い、原因不明の海難事故が多発する。ロブスターや蟹から新種の伝染病が文明国に広まった上、北海海底ではメタン層をゴカイが食いつくして大規模な海底岩盤の崩落がおこり、これが津波を引き起こし北ヨーロッパの海岸地帯は壊滅的打撃を受ける。

この海の生物の異変に対し、世界中の科学者が結束して対策を練っていくのだが、その中に恋愛あり、陰謀あり、環境保護ありのテンコ盛。少々冗長すぎる箇所もあるが、膨大な科学的知識に圧倒されながら海のなぞ解きに夢中にさせられる趣向だ。

「地球汚染を続けると、そのうち取り返しがつかない事になる」というテーマはさておき、この本に私が惹かれた点は 「人類以外の未知の高等生物が存在したとすれば、我々には認知や理解しえない形で現われる」 というのが小説の基本になっている点で、これは私がUFO特集などをテレビで見る時にいつも感じる考え方と一致する。

仮に地球外に高等生物が存在しても、無限的な宇宙の広がりと時間の中で それがたまたま人類と同時代に存在し、人間が認知しうる形(例えばUFO)で地球にやってくる様な可能性はまずありえない、と私は信じている。逆にこの小説に描かれた様に、いまだほとんど解明されていないこの地球の海に、未知の高等生物が居るという設定は目からウロコ、何となく真実味を感じてしまう。その未知の存在の実態をたね明かしすると、人類の誕生のはるか前より地球に存在し、今も世界で一番繁栄している様々なバクテリアなどの単純な生物「単細胞生物」がそれ(犯人)であったのだが、この単細胞生物が人間が理解できない方法で、地球汚染を続ける人間に意図をもって逆襲する、と言うパラドキシカルな筋立てがユニークだ。

本文中にも書かれているのだが、より高等な生物の存在はそうでないものには理解しえないという認識に対する作者の考察は、バクテリアの集合であってもそれが真の高等生物体ならば、人類の想像を超えた存在として働くに違いないという論理になり、この理解や認識に関する「怖さ」をうまく利用している点が、この作品がヨーロッパではベストセラーになっている由縁であろう。作品中「犬は人間の行動や文明を理解はできず、そこにあるのは権力だけである」という下りがこの小説のキモになっていると思う。本書に引用されている「地球外知的文明の探索とは、我々自身を探す事だ。」というカール・セーガンの言葉が印象的である。

「深海のイール」荒唐無稽なSFではあるが中味の濃いエンターテイメントでもある。映画化が待ち遠しい。

2008年9月15日 (月)

綾瀬バス停

連休の前半は、伊豆に行っていた。いつも通り東名高速を利用するのだが、例によって「綾瀬バス停」付近を先頭に渋滞が延々。ここを超えるのに1時間半くらいかかる。ここで渋滞に巻き込まれる度に思うのだが、渋滞する場所も時間もわかっているのに何故対策がとられないのだろうか不思議でならない。

休日の東名高速の下り線は、東京から来た車に川崎、横浜青葉、横浜ICからの流入車が加わり、これらのクルマが厚木で小田原/厚木道路に分岐するまでの間、すなわち横浜/厚木間の交通量が最も多いようだ。横浜インターを過ぎてほどなく、綾瀬バス停付近に緩やかな上り坂がありその先に大和トンネルがある。この付近ではドライバーが上り坂である事に気が付かないでいる内に自然にクルマのスピードが落ち、自然渋滞がしばしば起きるのだと言う。

しかし問題の渋滞箇所の手前には 「スピード低下の気をつけろ」 の表示は見当たらない。ひょっとしたら陸橋の横断幕などに書かれているのかもしれないが、たびたびドライバーに注意を喚起する様に目立った表示はない。

例えば横浜/厚木間だけは最高速度を120キロをあげ、80キロ以下は低速車両として取り締まる事にし、その旨大きく表示したらいかがだろう。あるいは時々地方で見られる 「時速オーバー、スピード落とせ」 の様な大きな電光掲示板をこの地点に立てて 「時速アンダー○キロ、直ちにスピード上げろ」 という表示をしばしば出しても良い。

その他、横浜/厚木間のみ路肩の車線を削って4車線にする(上りは一部4車線になっているが)様な方法がとれないのか。アメリカのフリーウェイでは1~2マイルに1台くらいの割合で故障車が路肩に置き去りにされているが、車検制度の整った日本では路肩に止まって修理を待っている車両は100キロ走っても1、2台位か。緊急事態用の路肩も渋滞区間に限って思い切って最小限に狭め、その分通行車線を増やすと言う手も考えられる。中央分離帯をコンクリートのブロックで分けて午前中は下り4車線・上り2車線、午後は下り2車線・上り4車線にしても良い。あまりに高規格の完全な分離帯を備えた高速道路にこだわりすぎていないか?

道路行政は創意工夫、安く簡単な方法で、知恵を出し合ってフレキシブルな対応を示して欲しいものである。渋滞による経済損失は計り知れないのだから。

2008年9月10日 (水)

北朝鮮のアナウンサー

北朝鮮の主席の健康に関して、大きな変化がある様だ。日本のニュースで流される北朝鮮のTVニュースでいつも「我らが首領様のおかげで~」と絶叫している小太りの女性アナウンサー。何年後になるかわからないが、かの国の体制が崩壊したり大きく変ったりして日鮮の交流が出来る様になったら、日本の民放のバラエティー番組に呼んでタモリと対談させてみたいな~。何を思って絶叫していたのかなど聞いてみたいと北朝鮮の画像を見るたびに思ってしまう。

2008年9月 9日 (火)

クルージング2008

ベルリッツ社のCRUISING & CRUISING SHIPS 2008を読む。数ヶ月前に購入していたのだが、まもなく2009年版が出るそうであわてて旧年版を読む事にしたもの。日本の雑誌”クルーズ”にも執筆していたダグラス・ワードと言うイギリスのクルーズ評論家の本で、クルーズ年鑑の部と、クルーズ船の格付けをしているレーティングの部の2部構成となっている。

クルーズ船のレーティングは1980年以来続けているそうで、彼と5人の評価員のレポートから世界中の主要クルーズ船約300隻の格付けがこの本に記載されている。チェック項目は船体、内装、食事、サービス、エンターテイメント、アクティビティなどの20項目から成っている。

これによると、大型船の最高はQUEEN MARYⅡの1712(5つ星)小型船ではEUROPAの1860点(5つ星)が最高。飛鳥Ⅱ、にっぽん丸、パシフィックビーナスの日本船3船と、ちなみに私が乗船した外国船"PRIDE OF AMERICA" "STAR VIRGO" "CELEBRITY MERCURY"3船のレーティングは以下の通り。

評価項目配点飛鳥Ⅱにっぽん丸ぱしびP/o AmericaS VirgoC Mercury
船体設備     500427348387406421416
内装・部屋・家具200160135145149156170
食事400341287309248293292
サービス400337289316233284313
エンタテイメント100836276786676
アクティビティ400337269309276302312
合計       2000168513901542139015221579
総合評価  4+3+43+44+

これを見ると、なるほどと納得する部分もあるが、日本船の点数は??という部分もある。特に食事の項目は一般的に言われている日本船3隻の順とまったく逆なのが面白い。

飛鳥Ⅱの点数に近い外国船はというとQM2の1688、CELEBRITY SUMMITの1661、中型船最高得点CRYSTAL SERENITYの1702あたり。評価員が日本人ではないとすると、クリスタルクルーズ2船と飛鳥Ⅱの得点が、食事も含め各項目でほとんど同一点である事からクリスタルクルーズの高得点に飛鳥Ⅱが影響されていると考えたら判り易い。

などとひいきの船や、今まで乗船した船、これから乗船する船などを比較検討してみるのも、クルーズの楽しみの一つだろう。それにしても掲載された船以外にも、世界にはまだ多数のクルーズ船がある。世界の景気が曲がり角を迎えている中、新造船も参入してますます競争が激化するクルーズは、利用者から見ると楽しみな世界である。
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2008年9月 6日 (土)

昭和を点検する

講談社現代新書の「昭和を点検する」保阪正康・半藤一利の対談が面白い。大東亜戦争の泥沼に日本が落ち込んでいった過程を、歴史に詳しい2人の専門家が分析しているのだが、随所に納得する箇所あり、また昭和の初期の世相と今の世相も根っこではあまり変っていない事を感じる。

当時、陸軍・海軍共に、予算の分捕りに眼が行く為に、国際情勢や常識から逸脱した武装や船略(本当の意味で日本に戦略があったかどうかは議論されるところ)を採用してしまう。主的はアメリカでなく海軍・陸軍なのだ。軍隊とは巨大な官僚組織であった証左である。また天皇の統帥権に関して旧憲法の条項にこだわりすぎて、結果軍縮を放棄し軍備拡張にまい進する辺りは、憲法9条論議を彷彿とさせる。 朝日新聞を始めとするメディアが昭和6年を境に「政府の尻をたたいて」軍備拡張を主張し、軍部や国民がその風潮に乗っていく当時の世相などは、「戦後民主主義」を標榜する朝日新聞などが、また同じ事を反対の立場でやっていると常々感じるのである。

これらの本を読んで思う事は、先の戦争は、我々の父祖の代が何か我々と少し違っていて、あるいは当時は特殊な状況であったのではなく、日本社会に内在する基調、日本人の社会の有り様(良い意味でも悪い意味でも)が、当時の国際情勢の下でいわば必然的に日本国を泥沼に引き込んで行ったのであって、決して他人ごとではないと言う事。 現代日本社会を振り返ってみると、この本で指摘されてセンチメントがまだ我々の社会に残されていて、将来、また何らかの危機に遭遇した場合、同じ様な泥沼にわが国が陥っていく可能性がある、とも言えそうだ。

昭和8年、日本が国際連盟を脱退した時、朝日新聞が作った唄。(同書より)
「遂に来れリ 現実と 正義の前に 目を閉ぢて 彼ら(注:国連)が無恥と 非礼なる 42票(注:44票の内、日本の満州進出を認める表1、反対42, 棄権1)を投げしとき、 我が代表は、席をたつ」

2008年9月 3日 (水)

文明の衝突

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アメリカの政治学者、サムエル・ハンチントンの名著「文明の衝突」(原題:THE CLASH of CIVILIZATIONS and the REMAKING of WORLD ORDER)を読んでいる。
1996年に書かれたこの本は、東西冷戦の終焉と共に何が起こっているのか、何が始まるのかを考察した論文である。ソ連の崩壊によって東西の壁がなくなり、世界平和が訪れるかの様な論調が当時はしばしば見られたが、この本では世界は八大文明に分かれており (日本文明もそのうちの一つ) その文明と文明の断層(境界線)で、今後紛争が多発するであろうと予測している。

その後の10数年の世界の出来事、特に9.11事件を始めとするイスラムと西欧社会の激突、中国文明と周辺の紛争などを見ると、けだし筆者の先見の明に打たれるのである。

彼の別の著作を新書で読んでいて、大体の論旨はかねてからわかっていたので、英語のブラッシュアップの意味もこめて、今年初めから「文明の衝突」を原書で読んでいる。しかしなかなか難しい単語や、文化人類学や政治学で使われる様な表現が多くて、とても私の読解能力では歯が立たない。なので原書と一から格闘するよりは、集英社から出されている訳本を”あんちょこ”に、少しずつ読み進める事にした。

訳本は500頁の大著、原書は1日1~2頁読めたら良い、という感じで焦らず読んでいるが、気がつくとうつらうつら舟を漕いでいる状態で、なにやら大学時代の原書講読を思い出し苦笑してしまう。時々面倒になって訳本を先に読んでから原書にとりかかる処なども、学生時代となんら変わっていない。それでもなんだ、かんだで3分の2ほど読み進め、今年中に読み終えたら良いと思っている処だ。

この本を読むにつけ、わが国が注意しなければならないのは、中国の覇権主義。この勢いで中国がGDPを伸ばし、経済はもとより軍事面で拡大を続けて行く時、わが国はどういう進路を取ったらよいのだろうか。大中華文明圏に巻き込まれず、八大文明の一つ、誇るべき日本文明を堅持するためには、いかに処すべきか、いろいろ本を読みながら考えるのである。中華文明は、中華料理だけで充分なのだが・・・・・・。

2008年9月 2日 (火)

夏の味(2)と八時半の男

今日は、また夏がぶりかえした様な蒸し暑さの東京だ。夏の味覚といえば、やはりかき氷。子供の頃から特に氷イチゴが好きだった。しゃきっとした氷を一口ほおばると首筋というか、後頭部にキーンと言うような衝撃が走ったのは懐かしい思い出である。大人になると冷たいものを食べても、あのキーンという感覚が来ないのは何なのだろうか。

さて氷いちごを食べる度に、なぜか 「八時半の男」 宮田征典を思い出す。子供の頃、当時は家庭に冷房などなかったから、夏の日曜日の夕食の後は、よく家族で夕涼みの散歩に出かけていた。まだ国道246号線が大山街道と呼ばれていて、玉電が道路の中央をのんびり走っていたが、この電車通りに出た所に甘味やさんがあり、夕涼みの帰り道、ここでしばしば氷を食べた。たしか両親は氷あずき、弟は氷メロンで私が氷イチゴというのが定番だった記憶がある。

氷を食べながら、調理場に通じる棚の上に置かれたテレビでナイターの巨人戦中継を家族で見ていると、ちょうど 「八時半の男」 ジャイアンツの宮田征典投手の出番の時間となる。巨人軍V9時代が始まった頃で、超満員の後楽園球場のカクテル光線を浴びながら、宮田投手は、来る日も来る日も毎晩八時半頃、回にすると6回か7回位だろうか、リリーフで登板してくる事がお約束で、その姿は「八時半の男」として日本中の注目を浴びたものだ。背番号はたしか24、上手投げからさっそうと速球を投げ込み、後続を切ってさっそうとマウンドを降りる姿は、野球少年であった私の心に強く印象に残っている。 (当時はほとんどの男の子が野球少年だったのだが。)


あこがれの宮田投手は、先年、残念ながら60歳代で亡くなったが、今でも氷イチゴを注文すると、夏の夜、電車通りのお店で口の中をイチゴの汁で真っ赤にさせながら、「八時半の男」の登板を、胸ときめかして見ていた子供の頃を思い出すのである。

2008年9月 1日 (月)

東京バーバーズ


友人に誘われて”東京バーバーズ”ア・カペラ・ショウに行ってきた。以前ブログでミッチー・ミラーの事をアップした際少し触れたが、旧き良き大西部時代、床屋に集まる男性達が自然発生的にハモった合唱をバーバーズショップ・スタイル・ミュージックと言う。フォークソングやカウボーイの歌、昔の流行歌、時代は下ってミュージカルなどの歌曲が中心で、素朴で力強い無伴奏の男性合唱は、当日のパンフレットによれば 「高音部(テナー)がメロディより高い音を歌うハーモニー・パートである事が特徴」 だそうである。東京バーバーズは一部プロの歌手も入っているが、アマチュアが中心、現在では環太平洋で開かれる大会にも出場している国際的な合唱団らしい。

昨日のコンサートは、ハレの舞台、タキシードで正装の団員が熱唱する中、団員のご家族や知人らしき人が大勢、客席に詰め掛けてなかなか和やか雰囲気。司会がしゃべりすぎな事以外は大変楽しい日曜の夕べのコンサートであった。

舞台の合唱団員の平均年齢は50才後半以上か、社会ではそれなりの地位を築いている方も沢山おられるのだろうが、学生のグリークラブの様な真剣かつ楽しげな合唱、客席もちょうど子供のピアノ演奏会を見守る父兄のまなざし、楽しく近しい雰囲気に満ちていた。

きっと「おじいちゃん、歌を歌いにいく時は、背筋もしゃんとしていて格好いいね」と孫達から言われているだろうな、などと感じて昨日は合唱に聞き入っていた。ここまで来るには大変な練習があるのだろうが、こんな趣味を持ち続けられる素敵な人達をうらやましくも思ったのだった。

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バルクキャリアー 2008-10-21 01:01:30
宮本様

先ほど、貴書き込みを気づきました。勝手な事を書きまして誠に失礼いたしました。宮本様はプロの話し手と思って聞いておりましたが、そういうご関係だったのですね。感心すると共に恥じ入るばかりです。

仕事も大分、閑な時間ができたもので、50の手習いならぬブログを始めましたが、検索などでひっかかる事もあるのですね。「WATCH MY LANGUAGE!」と思いました。

先日、家の近くの箪笥町区民会館で開かれた女性のバーバーズも拝聴いたしました。これからも皆様で楽しい音楽をお聞かせ下さい。

宮本康幸 2008-10-16 11:33:44
ブログでご指摘のあった「しゃべりすぎの司会者」、その本人である宮本康幸でございます。

昼休み(朝が早い仕事なので11時から昼食です)にちょっと東京バーバーズ関連の記事を検索していて、ブログを見つけた次第。ご指摘に対して、素直に反省をしております。

こんな私でも東京バーバーズにはいつも司会を頼まれております。団員のお一人の奥様が、私が以前いた旅行業界とつながりがあり、その奥様の依頼でお引き受けをしています。本業ともまったく関係がなく、もちろんプロではないのですが、プロに負けない雰囲気作り、バーバーショップの楽しさを団員達とともに聴衆の方々にお伝えしていきたいと存じます。

お見限りなくお付き合い下さい。来年の5月29日が東京バーバーズ、第6回ショーです。ご来場をお待ちしております。

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