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2008年8月

2008年8月31日 (日)

セレブリティー・マーキュリー

8月も今日で終わり。まだしばらくはむし暑い日も来るのだろうが、8月が終わる頃になると今年の夏も終わりか、と寂しく感じるものだ。さて今年の夏は7月に行ったアラスカクルーズがハイライトだった。

かつてバンクーバーに行く度に、常宿のパンパシフィックホテルの前からアラスカクルーズの客船が出て行くさまを眺めていて、何て客船はきれいなんだろうと憧れていたが、今年はその夢が実現したわけである。

で今回は米セレブリティクルーズの”セレブリティ・マーキュリー”(7万7千トン)に乗船する事とした。これまで乗った外国船はいずれも ”カジュアル・クラス” であったが今回は初の ”プレミアム・クラス” のフネと言うので少々緊張しながらの乗船。だが船内はアメリカン・スタンダード、楽しさで満ちており食事もうまく (セレブリティは食事が良いと評判らしい) あっという間の7泊のクルーズであった。アメリカのクルーズ船の乗船客平均年齢は43歳で、年々若返っているとの調査通り船内はごく普通のファミリーの夏休みという雰囲気に満ちている。

カナダ西岸や、東南アラスカのフィヨルドの息をのむ美しさ、氷河の青さとこの世の果ての様な冷涼な海、クルーズは正に 「ホテルの自室が観光地に連れて行ってくれる」 旅といえよう。何回ものパッキング/アンパッキング、ホテルや空港のカウンターでの不愉快な思い、セキュリティーチェック、レンタカーを借りたら予約していた車がありません等ととかく海外旅行にストレスはつきもの。それも旅の一部と割り切っているが、クルーズを経験するとこんな快適な旅行が他にあるかと感じる。乗船してしまえば、入出国の手続きなども簡単(場所によっては船側で一括してやってくれる)、目的地についてオプショナルツアーに行くも良し、港の近所を散策するも良し、腹が減ったら船に戻ればいつでも飯にありつける。

で3食の食事に、スナック、喫茶、夜はショーの他、カジノやら様々なクラブやバーがあって、一日中船内どこかでイベントがある。アルコール類やカジノ以外は全部込み込み料金。今回は奮発して、スカイスイートというバルコニー付の部屋であったが、それでも往復の航空運賃を含めても日本発着の7泊程度の飛鳥Ⅱのバルコニー付部屋より安かった。

クルーズは楽しい。一度この楽しさを覚えたらやみつきになってしまう。という事で次は伝統の”ホランド・アメリカ・ライン”でロス発メキシカンリビエラ・クルーズあたりに乗船したいとパンフレットをつらつら眺めている。

(写真はアラスカ・ジュノー、ロバーツ山のトレッキングからの帰路フネにもどるロープーウエイからの写真)
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バルクキャリアー 2012-01-04 22:43:06
ito747さま

コメントありがとうございます。2008年の旅行記なので少し古いのですが、クルーズが好きで毎年内外の客船に乗っております。

妻は遅筆なので、気を大きく持って時々見ていただければ嬉しいです。


ito747 2012-01-04 21:22:50
奥様が書かれた旅行記を読ませていただいています。

とても詳しく料理の献立写真まで、

食べるまでの時間が少しお預け状態ですね。

いつかこのような旅ができればと読ませていただきます。

Ocean boulevard 2008-09-02 21:44:23
藤原様

コメントありがとうございます。また貴サイトにリンク頂き光栄です。

まだまだ若いつもりですが、カリブはどうしても米国内での乗り換えがあり、あのハブ空港での混雑と遅延(珠にキャンセル)は少々辛いものがあります。なのでどうしても直行便のある西海岸に魅力を感じます。

なのでメキシカン・リビエラのレポートがもっとあったらと、いつも思っております。

藤原雄一郎 2008-09-01 20:11:02
初めてお邪魔します。

メキシカンリビエラは3回も行きましたが、寒い日本の冬には最高ですね。

10月にはHALアムスタルダムで神戸から香港まで。もちろんインサイドの格安部屋ですが、期待が高まります。

2008年8月30日 (土)

誠のステーキ

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日本橋、三越前のステーキ屋さん「誠」のステーキである。三越前から中央通りを亘り、昭和通りとの間、古くからある雑然とした横丁の一角、店の看板もなければ入り口に表示があるわけでもない。知っている人だけ来て頂戴というステーキ店で、日本橋界隈の若旦那や政治家などがひっそり味を楽しみに来ていると云う。以前来た時は、中国か台湾だかの結構身分が高いらしい人が来ていて、その秘書らしき人たちの会話を聞いていたら、下見に来たと云ってたから海外でも密かに知られているのかもしれない。

肉は○○牛という特定の産地にこだわらず、市場でその日一番の肉を仕入れていると云うとおりの絶品。一見でもお断りはしない、と言うから試してみたければご連絡を。
昨日はこの店なじみの人にご馳走になったのだが、”けっこうなお値段、ただし法外ではない”という事は明記しておきます。

2008年8月28日 (木)

前照灯

先日の中公新書「電車の運転」の中にこんな記述がある。「前灯は列車の前頭を示す標識であり、運転士が前方を見るための照明ではない。」

都市でのクルマの前照灯もこれに似ている部分がある。最近は夕方、早めのクルマの点灯を心がけようというキャンペーンもある様だが一向に改善されていないし、指導もされていない様だ。北米ではイグニッションスイッチを入れると、昼夜を問わず自動的に前照灯が点灯するクルマが多くある。特にレンタカーは北米のメーカー製のクルマが多いから、昼でも前照灯全開のクルマがほとんど。もっともオセアニアやアジア各国ではこの運動は、あまり普及していない様だが。

クルマの前照灯の役目は、夜間に前方を見る事は勿論だが、その他「自車ここにあり、気をつけよ」の意味もあると思っている。なので夕方だけでなく、曇りの日の昼間も気がつくとスモールランプでなく、前照灯を点灯する様に心がけているのだが、日本ではバイクや一部のタクシー以外こういうクルマはあまりいない。対向車の中には「オタク、ライトを消し忘れているよ」とばかり親切に注意(ライトをオンして、また消して注意を促してくれる)などもいるから、そのたび「あ~あ、そうじゃないんだよね」とがっくりするのである。

2008年8月27日 (水)

折り合い

今日は、岡山県の水島に日帰り出張を予定していたが、キャンセルになってホット一息。以前、会社勤めの頃は部下の女性社員等に出張前日の朝までに切符を頼んでおくと、夕方には旅行会社からJRや飛行機のチケットが届いていたものだが、自営業の今はすべて自分で手配しなければならない。

文房具の購入やちょっとした支払い、慶弔電報の手配やら郵便局なども自分で行くようになったが、やってみれば何と言う事もない。パソコンのメンテなど最低限必要な事は業者に任せているが、今まで部下に頼んでいた資料の作成なども自分でやってみると、これはこれで新しい発見があって、興味が湧く点も多い。

我々の年代も、後数年の中に周囲や部下に何かを頼める様な地位から、ほとんどの事を自分でやらねばならない境遇になるだろう。その時「職業としてできるのは管理職です」などと言わない為にも、なるべく新入社員でもやる様な雑事をこなすべし、と思う。

それにつけても、慣れぬ雑事やパソコンでの資料作成などは神経を使う時もままあるが、最初から完璧などを目指さず、「まあまあ目的が達せられば良い」位で手を出して見る事が肝心と考える。もともと完全主義、オール・オア・ナッシング思考に傾き易い性格を持ち合わせているので、仕事の上でも対人関係でも 「適当に折り合いをつける」 事をお金をもらって今は学んでいる、と思っている。


そう言えば、最近妻からも「この頃は、かなり丸くなったね」 とほめ殺しのお言葉も受けるのである。

2008年8月25日 (月)

電車の運転

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昨日は、寝る前から急に腹具合が悪くなって、夜中に何度もトイレに駆け込むはめに。昨朝からなんとなく腹が下り気味のところ、夜は肉好きの妻に付き合って焼肉などを食べたのが悪かったか、はたまたその後に氷などを食べたのが悪かったか。8月に入って私には珍しく忙しい日が続き時間に追われていたし、このところ急に涼しくなったりで体も疲れていたのだろう。今日は思い切って休む事にした。

幸い、朝一番で近所の医院に行って薬をもらったのが効いて、昼前にはお腹の調子も戻った様だ。しかし、今日はあまり運動もできず、酒も禁酒なので、本をゆっくり読む事にする。最近は家でも何気なくパソコンに向かう時間が増え、映画のDVDを見たり読書をゆっくりしたりする時間が減っている様だ。以前に読もうと思っていた新書などを持ち出してぱらぱらと読んでみる。

これは「電車の運転」中公新書の新刊だが、これが結構おもしろい。旧国鉄時代から山陽本線を中心に永年列車を運転をしてきた人が書いた本で、列車の運転に伴うハード、ソフトの両面を多角的に、また元本職でなくてはわからない事柄を具体的に数多く列記している。50年来の鉄道ファンで断片的にはいろいろな知識を持っていると思っている私だが、この本を読んで見ると、自分が雑誌で読んだり聞きかじった知識が、実は奥深い背景があったりして改めて愁眉を開かれる箇所が多々ある。

電車のノッチって何気なく見ていたけど、1ノッチでも5ノッチでも加速には関係なくスピードの上限だけの差、速度指令機だった、とかダイヤはその電車の能力のほぼマックスに近いところで設定されているので、遅れた場合ダイヤ通りに遅れをとり戻すのは運転士の技量だけではかなり難しい、それでも運転士がどこで数秒の余裕を稼ぎ出すかなど「ハハーん!」と唸る記述が多々ある。

「電車でGO」では停車位置が正しければ満点を貰えても、実際にはホームに入ってからブレーキハンドルを緩めたり、強く引いたりするのは舟漕ぎブレーキと言って感心できないと言う。乗客の多さ、その車両固有の癖や天候などを考えながら、目標を自分で定めておいて始めは緩く、ブレーキが利き始めたら一気に強いブレーキを、最後は緩めブレーキで停車位置目標にぴたりと止めるのが職人、だそうである。

昔の貨物列車は、ブレーキの構造が単純でエアー漏れも多く、停車位置の誤差許容範囲は30米だったなどという話を読むと、昨秋、碓井峠鉄道文化村で教習をうけたEF63の元機関士の「ブレーキは牽引する後部車両の重さを感じて腰でかけるのだ」という話の下りを意味ぢくも思いだす。

2008年8月24日 (日)

帰巣本能

今週末は2日とも何も用事がなく、久しぶりにのんびり過ごす。で昨晩はテレビを見ながら10時前には寝てしまったので、今朝は早くに目が覚めた。オリンピックの男子マラソンは、あまり期待もしていなかったのでテレビを見る事もなく、疲れの為まだ寝ていたい様子の妻をおいて一人で郊外にドライブに。

あまり天気は良いとは言えないが、以前住んでいた神奈川方面へ。さすがに神奈川県は信号が都内より少なく、日曜日の朝ともあってのんびりとドライブ。一人ドライブは郊外に限るといつも感じる。行きは首都高、東名を使うも、帰りはチンタラ下道を。

以前世田谷や川崎に住んでいた時は、山手線の内側など商用車のテリトリーで自らドライブしたいと思った事もなかったが、国道246号線の渋谷のガードをくぐるとすいていれば家までの道のりは20分位。僅か2時間ほどの一人でのドライブなのに、最近はなぜか山の手線の内側に入ると、帰って来たとホットするのは人間の帰巣本能か?人間は環境に慣れて行くものだとつくづく感じるのであった。

2008年8月23日 (土)

緩めブレーキ

街中を一人でドライブしていると、退屈だったり考え事をしていて「ハッ」とする事がある。こんな時には電車の運転士の真似をして、指差し喚呼をする。例えば道路脇の標識を見て最高速度40キロだったら「制限40」などと声を出して、スピードメーターが大幅に制限速度を超過していないか確認するのだ。

前方の信号が青ならば「進行」と声を出して指で確認する。赤信号だが余裕を持って停車できる場合の手順は、

①「停止」と喚呼してギアをオートマからマニュアルモードに切り替える。
②自動的にマニュアルの3速にギアが入るので時速30キロ位までエンジンブレーキで減速。
③2速にシフトダウンして15キロ位までエンジンブレーキで減速。
④1速にシフトダウンして最後はフットブレーキで停止線にぴったり停車。

丁度、電車が高速から電力回生ブレーキを使って減速し、停止目標間際で空気ブレーキを使う感じである。

無論、停止直前には電車で言う「ブレーキ緩め」操作を心がけ、いわゆる「かっくんブレーキ」にならない様に心がける。すなわち減速度を固定していると、速度が低下するに従って急激にブレーキの効きが強く感じる事になるので、車両の速度が低下していくに従い減速度(ブレーキ)を緩め、停止直前にはブレーキを開放すればまったく抵抗なく車両が止る、という理想のブレーキパターンを試みるのだ。

問題はオートマ車特性。アクセルを放してもオートマ車(たとえマニュアルモードに変更していても)はクリーピング現象と言ってそろそろ前進する上に、クラッチがないから最後はブレーキをしっかり踏んでやらなければ停止しない。そのためどうしても停止線直前ではやや軽い衝撃を感じながらブレーキを踏まなければならなくなる。「電車でGO」なら客席の女子高校生に「何よ!下手くそ!チョーむかつく」などと叫ばれない様に結構気を使いながら停車するのだが、これは一人ドライブの時、眠気覚ましになって楽しいものである。

2008年8月22日 (金)

尾道帰路雑感

昨日は、尾道から東京へ出張帰り。尾道・福山方面への出張は普通、行きは飛行機だが、帰りは仕事の都合(というか、前夜の飲みすぎを計算して?)で乗車時間に縛られないJR利用が多い。

尾道駅は、伝統的な旧国鉄駅の仕様、駅本屋改札口が上りか下り本線のどちらかのホームに直接連がっている構造で、ここでは山陽本線の下り本線が改札口前のホームを走る。一旦改札を通り地下道で上り本線のホームに進むと、その向こうには貨物列車の待避線や車両の留置線(引込み線)がかつて引かれていたであろう空き地が広がっている。なぜかこういう昔風の駅に佇むと心が和んでくる。

電車を待っていると、山陽本線の貨物列車がホイッスルの響きも高らかに、目の前を駆け抜けて行き旅情も盛り上がる。この駅の案内放送が良い。上りホームは電車が入ってくると「我は海の子」の音楽に続いて「列車が入りますのでご注意下さい」旨の放送がある。この辺りは、寝台列車など客車列車が停車するのだろう、電車でなく「列車」が入ってきます、と言うのは今時分しびれる。

尾道から新幹線接続の福山まで、約20キロの道のりは115系の電車、例によってかぶりつきに陣取り、東京地区との線路標識の違いなどを観察して楽しむ事にする。すると松永あたりで、下り本線をJR貨物の新鋭電気機関車EF210が1000トンを超えるだろうコンテナ貨物列車を牽引して対向して来る。この機関車ならこの後の瀬野ー八本松の難所も楽々越えて行くだろう、などと思っていると運転席には女性の運転士の姿が。

機関士が運転士と名前が変り、電気機関車の運転台にさっそうと女性が座って長大編成のコンテナ列車を運転していると、旅情の中にも、時代は徐々にではあるが確実に変わっている、と実感したのであった。

2008年8月18日 (月)

禁酒、ならず

健康の為週に1度、定期健診前は週に2度の禁酒日を設けている。検診前の”2度”と言うのはいかにも小心者で、我ながら納得してしまう。

で、今日はその禁酒日のはず、だった。が禁酒日は大変なのである。まず運動は仕事時間中に行う。仕事をさぼってプールなどに行くのである。なぜなら終業後に運動をすると、間違いなくその後ビールが飲みたくなり、一杯ビールを飲むとワインか焼酎かウイスキーが飲みたくなる。当日は食事も昼食から調整が始まるのだが、この日は糖分を多めに取り、おやつも適当に食べて、夕方に脳が「栄養を欲しい」という状況にならない様にするのだ。

その禁酒日は仕事を終えて家に帰ったら、ビールを飲みたいという誘惑に打克つ為に、まず甘いレモンティーとかコーラをがぶっと飲み、まず脳に糖分が行き渡る様に工夫する。でいきなり、どんぶり飯になま卵やら納豆やらをかけて、ご飯をかけ込むのである。胃袋が炭水化物で一杯になると、やっとそれ以上ビールを飲みたい気持ちがしぼむので、それから野菜やら肉をおもむろに禁酒日には食べるのである。

私の禁酒日はまるで克己の日、イスラムのラマダンの様なものだ。定期健診の予定が遠い今、週に一度のこの日は、朝から気合いを入れて禅僧の様に日々の行に励まねばならないのである。

今日も昼休みは恒例により、仕事場近所の区の体育館の屋内プールへ。ここで昼泳いでおけば夕方運動する必要もなく、禁酒日の「行」の1合目は達成する皮算用。今日はお盆明けでプールもまだすいているか、などと気楽に口笛などふきつつ体育館に行くと、な、なんと真っ暗ではないか。「やられた・・・・・・!休みか~!公立のプールってのは人が泳ぎたい時に休むんだー!」「何もお盆に休む必要はないでしょう。そんなに人と同じ休日に休みたかったら公務員になるなよ~」などと一人毒づきながらすごすごと職場復帰したのであった。

斯様なわけで夕方は水泳の代替、仕方ないので40分ほど自宅周囲をジョッギング、夏の夕方汗だくで帰宅してシャワーを浴びたらもういけません。朝の誓いはどこへやら、ビールの誘惑に負けている私がいたのであった。「おい公立の運動施設よ、そんなに簡単に休むなよ」と言いたい。

2008年8月17日 (日)

みんな長距離に転向したら?

オリンピックの男子100米決勝で9秒69という驚異的記録がでた。優勝のボルトは途中から流した様な走りでこの記録なのだから、最後まで競って全力だったらどうなるのだろうか考えると末恐ろしい。本来200米の選手だというから200米も驚異的記録で勝つのだろうか。とても楽しみだ。

それにしても日本チーム、水泳が復活したが陸上はあまり期待がもてない。有望なのはハンマーくらいらしいが、陸上選手が良く使う「一発、ひっかけるからよー!」という一騎当千のアスリートが世界中にうようよしているから、期待はしつつ今から失望しない様に準備して見るしかない。どう考えても黒人のスプリンターや背が高く筋肉の大きな北欧系のフィールド選手に日本人が互角以上に戦えるとは思えない、というと皮相すぎるか。

トラック競技でいつも思うのだが、例えば100メートルの記録が10秒6位の若者は、そこで纏まらないで400米、さらには800米、1500米を目指したらどうだろう。短距離と中距離では筋肉や酸素負債能力などが違うという専門家の意見が出るのだろうが、かつて100米が10秒8「しか」出ないのでマラソンに転向して成功したフィンランドの選手もいた。400米ハードルの為末も800米に再度挑戦しても良いのではないか。100米や200米の選手が意識的に800米や1500米に出る位のスピードの底上げがあって、初めて日本の陸上が活気づくと思っている。ただほとんどの短距離選手は、大変繊細な神経を練習や生活に配っているが、中距離以上になると科学的練習が研究されていても最後は「少々何があっても走れば良いのだ」というのが基本だから、なかなか移行がすんなり行くか、という問題はあるだろう。

さて現役時代、今から30数年前の私のトラックの記録は「女子」ならオリンピックで少なくとも入賞、うまく行けば優勝できるタイムであった。(女子ならなどと注釈をつけるのが寂しいが事実だから仕方ない)しかし今の女子の記録を見ると日本の男子大学生でも相当のレベルでないと勝負できない。100米のボルトの記録だけでなく女子の記録の伸びには目を見張るものがある。

2008年8月16日 (土)

体重パリティー

夫婦間の体重差は丁度10キロである。無論私の方が多いのだが。

ウイークデイはほとんど食事が別々で、生活パターンも仕事で歩く距離も違う。それでも測った様に体重差は常に10キロに誤差数百グラムの範囲でいつも同じである。

前夜飲みすぎて体重が重いと感じた日も、軽めの食事が続いている時も、妻は別のパターンで生活しているのにこの差が変わらない。

土日にほぼ同じ行動をし、一緒にジョギングをするだけなのに、体重のパリティーが変わらないのは夫婦は似てくるという例なのだろうか。

2008年8月11日 (月)

さぼりの達人

90回の高校野球選手権、慶応高校が2回戦も勝った。お昼すぎ義弟から「もしかして今、甲子園ですか?」と言うメールが入ったが、そう毎試合甲子園まで行って遊んでばかりもいられない。ちょうどお盆休みに入って多くの会社は夏休みかもしれないが、船は世界中で一年中動いている。休む人が多い今どきが自営コンサル業の仕事の見せ場でもあるのだ。

仮にこのまま3回戦以降勝ち進んでも、お盆明けまで仕事が入っているので、できれば大阪地方に台風でも来て2日くらい順延にならないか、と勝手な想像をめぐらす。順々決勝からは甲子園は阪神タイガースに譲って「学生野球の聖地」神宮球場か、全天候の東京ドーム球場でやって欲しいくらいだ。東京でやってくれたら「ちょっと用事が急にできて」などと言って3時間くらい仕事をさぼる常套手段が使えるのだが・・・・・・。

そういえば若い頃、母校(大学)が久方振りで六大学リーグ戦での優勝に王手がかかった一戦に、例によって会社の仕事をさぼり神宮球場のネット裏に行くと、私の名前を呼ぶ声がある。ぎくっとして振り向くと飲料会社に就職してルートセールス服に身を包んだ大学の1年後輩ではないか。 「おい、一体ここで何してんの?この地区の担当じゃないだろ」 と問うと 「へへへ、先輩こそ何してるんですか」 お互い顔も見合わせてにっこり笑ったものだ。

その試合母校を応援して神宮球場から出ると、球場前には彼の大型ルートセールス車がコーラの広告も目に鮮やかに、あたかも営業中の様に堂々と駐車しているではないか。 「へへ、又神宮で会いましょうね」 と言って何食わぬ顔でトラックに乗り込む彼の姿を思い出すたび 「さぼりにも上には上がいるものだ」 と感心したのである。

2008年8月10日 (日)

夏の日と音楽

今日は、雲がかかり夏の陽射しも一休みだが、大都市特有の肌にまとわりつく様な夏の暑い日は、クーラーの効いた部屋で過ごしていたい。

まったり過ごすそんな夏の休日の音楽と言うと、ヘンデルの「水上の音楽」などが頭に浮かんでくるが、私はモーツアルトのホルン協奏曲全4曲を良く聴く。

昭和53年の春から夏にかけて、私は研修でカリブ海の航路の貨物船に事務員として乗船していた。パナマ運河を越えてカリブ海に入ると、プエルトリコやキュラソーなどの島々に立ち寄り、日本から輸送した電気製品や鋼材などを揚げ荷して行く。ベネズエラのオリノコ川で最後の荷物を降ろすと、帰りは米国・フロリダのタンパに寄港し日本向けの肥料を積みとった。

研修といえども所詮員数外、船内ではアプさん(アプレンティス=見習い航海士)などと呼ばれていたが、狭い船内での大方の体験実習はタンパに着いた頃にはすでに終了していて、タンパから帰り長駆日本までの1ヶ月あまりは大いに無聊をかこつ事が予想された。その対策としてタンパに上陸の日、レコード屋で片っ端から30本ほどのクラシックのカセットを買い込み1日1本づつ封切りして、自室に持ち込んだラジカセで長い航海を楽しもうと考えた。タンパのレコード屋のセールスで籠に入って売られていたカセットは1本3~4ドルで当時は為替が1ドル300円位だったろうか。パナマ運河を越えて大西洋では遠隔地と言う事で航海日当も高くもらえたから、あまり躊躇せずカバン一杯に音楽カセットを買って本船に持ち帰った事を思い出す。

そんな中の一本にモーツアルトのホルン協奏曲があった。帰りのパナマ運河を越えて太平洋に乗り出した頃だったろうか、南の海特有の深い水の色、まるで海面に油を流した様な粘る様に見える海で、この曲のカセットを開いた。カリブの島のあれこれを追想し、また日本と言う「しゃば」に戻る嬉しさと会社勤めに戻る憂鬱な心境がおり混ざった複雑な心境であったが、そんな中でホルンの伸びやかな響き、モーツアルトの明るい旋律が心をとても和ませてくれた。

夕食前のひと時、海上の太陽はまだ高く、あたり一面水平線の彼方まで視界をさえぎる物が一切ない太平洋の初夏、デッキのドラム缶にビールを置き、通風口のブロア音とともにラジカセから流れるゆったりしたホルン協奏曲を聞くと、それは彼方から寄せるうねりとあたかも調和している様で、うっとりとさえする感じであった。それ以来夏の日がくるとこの協奏曲をまた今年も聞こう、と思い出すのだ。

2008年8月 8日 (金)

ああデジタル、その前に

ビデオテープレコーダーが壊れてしまったので、思い切ってHDD/DVDレコーダーを、先日、秋葉原で買って我が家に据え付けた。若い頃は、オーディオ(まだオーディオと言っても通じない時代であったが)に凝った時期があったので、家電製品の配線などは朝飯前だったが、デジタル時代になり初期調整やら配線が複雑になり、今では作業もおっくうになったのは歳のせいか。その上、我が家ではテレビの音声が外部のステレオやサラウンド装置などから聞ける様になっており、一方ケーブルテレビやゲーム機器などがやたらめったらテレビを中心にセットされているので、居間にはリモコンばかりあって最近では何が何やら混乱するばかりである。テレビを見ようと思ってリモコンを操作したら、なぜかステレオからCDが聞こえてくる始末。

そんな状況で、今回のHDDレコーダーの配線は、理科系で私よりまだ頭がクリアーな妻に任せる事として、ゆうゆうと傍観を決め込んだ。妻は設置に当たって衛星放送入力のケーブルが足りない事に気づき、会社の帰りにいそいそと電気店に立ち寄ってケーブルを買ってくるなど奮闘しており「しめしめこれで楽をして何もせずに待つのみだ、もつべきは理科系妻だ」などと思っていたのだった。

さて設置完了後、初のHDD録画は慶応高校の甲子園での第1戦の留守録だった。甲子園の応援から帰った夜、新しい機械で勝利の余韻を再度楽しもう、とスイッチオンするとHDDからはデジタル画像によって、選手の活躍が鮮明にテレビ画面に映し出される。なかなかきれいな画面だ。が「うん?音声が出てこない!」。何か操作を間違えたのかとリモコンやら各種スイッチをいじるのだが状況は一向に変わらない。

最初の配線や設定を妻が間違えたのかと思い、会社から帰って来たばかりでまだそれどころではない妻を巻き込んで、マニュアルを引っ張り出し、配線を調べたり初期設定をやり直したり、夏の夜中に汗だくで奮闘する。そうこうして直そうにも、デジタル時代でマニュアルには見たこともないカタカナ文字が並び、とにかく難しい事この上ない。わからぬままにあちこちをいじるのだが、埒があかぬまま時間だけが経過し「最初繋いだ時は出たと思うんだけどなぁ」と妻も段々不機嫌になるのがわかってくる。ついに深夜にギブアップ、明朝サービスセンターに電話をしようという事になった。

寝る前にもう一度、音声のケーブルを再度しっかり差し込んでおこうとプラグを押し込んでみると、何とその瞬間に画面から音声が出てくるではないか。「何だ、これが原因か」と拍子抜けすると共に、デジタルやらアナログやらの以前に、配線をしっかりしなければ電気製品は動かない、という当たり前の事を改めて思い知らされたのだった。新しい電気製品がうまく動かなかったら、難解なマニュアルと格闘する前に、まずケーブルや配線がしっかり繋いであるか、と確認するのがもっとも手っ取り早そうだ。

2008年8月 7日 (木)

多分、私が日本一?

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ミッチ・ミラーと言うと50才以上の人ならどこかで聞いた事がある合唱団だな、と思い出す人もいるかもしれない。往時の大ヒット「史上最大の作戦」や「大脱走」のマーチを歌っている合唱団だ、と言えば「ああ、あれか」とわかるだろう。ひげのリーダーが楽しそうに指揮を執り、バーバーショップミュージックを中心に歌っている合唱団である。バーバーショップミュージックとは、昔アメリカで床屋が町の社交場だった時代、そこに集まった歌好きが、民謡や土地に根ざした歌を合唱した事から名づけられた音楽と言う。伴奏も簡単なアコーデオン位で主にアカペラで楽しむジャンルである。

昭和40年ごろだったと記憶するが、ミッチ・ミラー合唱団がアメリカのテレビでバラエティーショーをもっており、それが少し遅れて日本でも放映されていた。たしかショーの題名が「ミッチと歌おう」と言ったはずだが、日曜の昼過ぎNHKから、男性の大合唱団の馴染みある音楽が流れてくると「あ~、今日は日曜でのんびりできるな~」と心から思ったものだった。(その頃は、牧伸二の『あ~あ、やんなっちゃた、あ~あ驚いた~』の大正テレビ寄席とこのミッチ・ミラーのショウが日曜の昼の楽しみだった。)

私は、晩生(おくて)の中学生であったから、当時「ヒットパレード=ヒッパレー」に出てくる若い女性アイドル歌手や、海外では売り出し中のビートルズなどに興味はあっても、素直にファンにもなれず、ちょうどテレビといえば「コンバット」歌と言えば「ミッチ・ミラー」というバンカラ路線を歩んでいたのだが、そんな心持ちもこの合唱団の名が私の心に深く刻まれる理由の一つだったであろう。

その後もお正月のテレビで「黄色いリボン」がリバイバル放映などされる都度、テーマを歌うミッチの歌声を聞いているうちに、いつの間にかこの合唱団のファンになっていたのだった。

なので、今でもアメリカに出張に行くと、町のレコード屋さんに入り、OLDIESのコーナーでMで始まる歌手の棚、私の知らないミッチのCDアルバムがおいてあるか必ず調べる事にしている。若い店員の中には「ミッチ・ミラーがないか?」と聞くと私の発音が酷いせいかもしれないが「はあ~? それ誰? 人の名前?」位の回答がかえってくる有り様で、この合唱団のアルバムは今では希少になってしまっている。

それでもこの15年で集めたCDは8アルバム(9枚)レコードが2アルバム(4枚)ざっと200曲以上のコレクションになった。多分音楽業界に関係ないただの愛好家としては、私がミッチ・ミラーのアルバムを日本で一番保有しているのではないか、と勝手に想像している。テンポが良く力強い彼らのバーバーショップミュージックは、今でも楽しい時は気分をより盛り上げ、落ち込んでいる時は引き上げてくれている。

2008年8月 6日 (水)

幸福な時

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甲子園は暑かった。慶応高校の試合は2回先発の田村が松商学園に1点を取られ、その裏の反撃ではスクイズを失敗するなど、今春のセンバツの悪夢(相手のスミ1に対し後一歩攻めきれず残塁の山を築き、最後は1-0で負け)が一時は脳裏をよぎった。

が昨日は2死から打線が良くつながり2回に4点、3回・4回と1点づつ加点、9回の敵反撃を交わしてまず1回戦を勝ち抜いた。スタンドを埋めた大応援団も、暑さにもかかわらず熱心な応援を続け、46年ぶりの夏の甲子園は大いに盛り上がっていた。私自身、甲子園で塾歌を歌えるのは、3年前のセンバツの対関西高戦以来。神宮球場ともまた趣が違って、勝った後の校歌斉唱はなんとも気持ち良いものである。

近くに座っていた老OBが「もうこれでいつ死んでも良い」と喜んでいたが、老若男女、応援席のどの顔も幸せそうに輝いて見えた。

それにつけても、普通お金が自由になる様な時には時間がなく、時間がある時にはお金がなかったりする事が多い。また体の元気な時は大体仕事が詰まっていたり、会社が大変であったり、さらには海外に居たりなどと、さまざまな事情で念願の行事に参加できない事がままあるものだ。

老OBではないが、46年ぶりと言うお金を出しても決して買えない甲子園出場のその夏に、元気ではるばる甲子園まで応援に来れると言う事、時間的にも金銭的にも都合がつけられるという事は、誠に幸せなものだとしみじみ感じるのである。

2008年8月 3日 (日)

準備万端

甲子園地方、明日・明後日天気よし。よって雨天の順延の確立極めて低し。慶応高校の試合は5日火曜日のお昼、その日は大阪・兵庫のチームが出ないので、甲子園球場に入れないという事はないだろう。が念のためチケットピアで一塁側内野席券も確保した。そして最後に仕事の関係先に「火曜日は休みます、何かあったら携帯へ」と言う連絡も先週末に済み。

さあセンバツに続き甲子園に行くぞ。妻は残念ながら仕事、親しい友人を誘ったが「行きたいところだが、会社の試験があるので」と断られてしまったので、一人で応援に出かけよう。何、神宮球場の六大学リーグ戦も秩父宮のラグビーの観戦も大抵は一人。スポーツは自分のペースでゆったり雰囲気に浸りながら観戦するのが良い。

卒業して何十年たっても、校歌(塾歌)や応援歌(若き血)その他多くのカレッジソングを青空の下歌える。本当に一粒で何度でも楽しませてくれる誠にありがたい学校である。

1回戦で負ければ「これで今年の夏は終わった。じっくり仕事に集中できる」と悔し紛れの自己への説得。勝てば「2回戦また交通費何万円もかかるし、仕事さぼらなければ。でも次回の甲子園はいつかわからんな。仕事は明日でもいいっか」である。

2008年8月 2日 (土)

夏の味1

この時期になるとなぜかとても懐かしくなって、また再現してみたくなる事がある。昭和40年代に高校・大学の夏合宿で過ごした生活や食事のメニューを再現して週末を過ごしたくなるのだ。

大体、やってみたい事はこんな事だろうか。
まず朝6時半ころに起き掛けの運動。当時は1時間位朝練習で走ったのだが、今ではこれは30分ジョッグが精一杯。朝練後はシャワーも浴びずに生卵をかけたドンブリ飯をかきこむ。ごはん以外は味噌汁にビンの牛乳1本である。

その後は朝10時頃から本練習。若い頃はインターバルトレーニングなど負荷の高い練習を2時間程行ったが、これも今では1時間走るのが精一杯。で、練習が終わったら肉があまり入っていないつなぎだらけのカレーライスに冷たい水道水。この際スプーンは冷たい水の入ったコップに入って出てこなければならないのがお約束である。さらに色素たっぷりの福神漬けが添えられていれば合宿の雰囲気はいよいよ再現されてくるだろう。

セミ時雨を聞きながらのお昼寝後、午後練習なのだがさすがにこの歳ではそんな事をしたら死んでしまう。なので午後は自転車にのるかゴルフの打ちっぱなしでも行って夕食である。夕食はサラダなんてものはなくて、揚げ物が定番。キャベツにメンチカツかアジフライ、これに味噌汁にドンブリ飯といきたい。味のない出がらしのお茶などあれば最高である。あ、デザートでスイカは定番。

夏の週末の2日間どこか田舎に行って民宿にでも泊まって、こんな感じで過ごしてみたいと無性に思う事がある。これだけでは夜、多分お腹が減って眠れなくなるから、夜食はファンタグレープか三つ矢サイダーで決まりである。これで週末2日で2キロ体重が減るのは間違いない、と思うのだが・・・・。

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