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2008年6月25日 (水)

賞味期限切れ

会社の床に落ちた食べ物も頓着せずに食べてしまう方であるが、賞味期限という表示にはどうも弱い。特に乳製品や生卵は期限が気になって、数日過ぎた物は捨ててしまいたくなる。一方、妻は私が顔を洗わなかったり、風呂に入らなかったりすると口うるさく注意するのだが、食べ物の賞味期限は気にせず「あれはあくまで目安よ」とうそぶき何ヶ月も冷蔵庫に保管していた食品を平気で調理している。で、すき焼きの日は、古い卵で大丈夫と言い張る妻に、私だけスーパーで新鮮卵を買ってきて対抗している。

先日、新聞を読んでいた妻は「食ショック」と言う記事を発見して、私に良く読めとよこす。いわく「25年前の缶詰を試食したら問題なかった」とか「日本の賞味期限は諸外国より早すぎる」などとあり、記事を読む私を見て一人ほくそえんでいる。

確かに言われてみると、我々は表示に慣れ過ぎ、においを嗅ぎ口元で試して食べるという、人類が長い間実行してきたいわば本能的な防衛方法を捨てて、ラベル一枚に安全を托す文化に染まっているのかも知れない。その翳には食の安全に対する責任を回避をし、かつ在庫の回転を早めたいと言うメーカーや行政の本音も見え隠れする。外国のスーパーで日本製食品が期限切れでも堂々と売られているのを見ると、我々は五感でなくラベルに飼いならされすぎているのかも知れないという感がしてくる。

そもそも日本中で売られている大量の食品は、期限切れになるとどこかで密かに廃棄されているはずだが、一体その量はどの位になるのだろう。日本の津々浦々の漁港で揚がった魚貝類は、そのどのくらいが食卓に登るのだろう。食料の自給率やマグロの獲り過ぎなどの記事を見るにつけ、こういう素朴な疑問が湧き上がってくる。賞味期限の問題も含め、食品を無駄なく生産し、食べ尽くすというかつての文化をもう一度認識しても良いのではないかと思う。

赤福の件も、そもそもは売れ残りを前提に生産するという事が問題ではあるが、仮に売れ残ったら冷凍再生品として廉価で堂々と店頭に並べる対応があっても良いのではないか。

すべて原則自己責任や五感を発揮するという基本を忘れ、ラベルや行政に頼って生きて行く中で、生きるのに必要な第六感や、経験に頼る知恵が急速に失われている気がする。

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