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2008年5月20日 (火)

地獄のジャンプ

この時期になると思い出す事がある。山田宏臣選手の事である。1960年代の後半、数ある陸上競技の中で戦前の日本記録が長く破られていなかった種目が走り幅跳びだった。1931年に南部忠平が創った7米98がそれである(1931年当時はこれが世界記録だった)。いつ、初めて日本人がこの南部選手の記録を破り8米を飛ぶかが大きな話題になっていたのだ。

山田宏臣は当時この記録に最も近い選手と言われ、幾度となくこの偉大な記録に挑むも、あと一歩の処で及ばない事がメディアでしばしば取り上げられていたのである。日本人初の8米を跳ぶ者という十字架を背負って、彼が朝隈コーチと京都の知恩院の階段で神がかりのトレーニングする様は、地獄へのジャンプと謂われ多くのファンの知るところであった。

1970年6月7日小田原競技場の「実業団対学生競技会」で、山田は遂に念願の8米を超え、8米01の日本記録を樹立する。その模様はテレビや新聞で全国に広く報道され、朝隈コーチと涙する山田選手の姿は「涙のジャンプ」として日本中の感動を誘ったのだった。

涙のジャンプの数日後、私は出勤途中の山田選手と東急バスの中で偶々隣合わせになった。見ず知らずであったがドキドキしながら「山田さんですか、この度はおめでとうございます。」と思わず声をかけてしまった。山田選手はにっこり笑って「ありがとうございます。学校ですか。頑張って下さいね」と答えてくれた。

山田選手はその10年ほど後に病気で亡くなってしまったが、初夏になると、東急バスの後部で丁寧に応対してくれた山田選手の笑顔を思い出す。そしてここまで私が駄走を続けているエネルギーの一部は、あの時にやさしく対応してくれた山田選手にもらった感動に負う処もあると感じるのである。

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