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2008年5月

2008年5月31日 (土)

軽トラのオナシス

水曜日は、日帰りで愛媛県に出張。四国の船主2社といろいろ打ち合わせ。

30年ほど前、それまで内航の機帆船に家族で乗っていた瀬戸内の船主達が、外航船に進出した。これらの船主は荷物を運んで運賃を収受する運航業社(いわゆる船会社)でなく、船を所有してこれを船会社にチャーターする船主(シップオーナー)として「四国の一杯船主」と永年言われてきた。その後大手の船会社がオフバランスの観点から、所有する船舶数を減らし、船主に船舶を所有させチャーターする事が多くなり、四国船主は力をつけ大きくなってきたのだ。

地元の造船所や、シップファイナンスを熟知する地方金融機関、船に関わるもろもろ地場産業と言う基盤を持ち、近年は日本の船会社だけでなく、今治地区は世界に新造船を供給する一大海運地域に成長している。今や海外の有力船会社や金融機関は、東京を素通りして広島空港や松山空港から直接、しまなみ街道沿いにこれら船主を訪問するのである。

総資産は何百億から数千億と言われる有力船主も、地元ではごく地味な服装で、クルマといえばごく普通の国産ファミリーカー、中には軽トラックで事務所に通ってくる社長もいる。海運ブームで毎年何億も何十億円も利益を上げていようと、ほとんどの船主はその利益はフネに再投資し、四国の田舎に住んで地味で堅実な生活習慣を変えようとはしない。欧米の社交界で話題を呼んだギリシャの海運王オナシスなどと正反対の生き様である。

メルセデスなどは何台でも持てるだろうし、六本木ヒルズ位に事務所を構える事もできるのであろうが、四国の海辺で畑仕事を終えてから会社にくる様な、船主の底力に感心するのである。

それにしても東京から今治に日帰りは疲れるな~。(写真は今治市の波方(=なみかた)でここも有力船主の集まっている地区)
B

2008年5月28日 (水)

白雲なびく駿河台

東京六大学野球は、明治が8シーズン(4年ぶり)に優勝を決めた。そう言えば最後に優勝した2004年春季リーグ戦は一場(現楽天)がエースの時だった。一場がプロの金銭支援を受けていた事がわかって出場できなくなり、その秋のリーグ戦に敗れてからはや4年が経過したわけだ。

この間、明治の応援団も不祥事で活動中止になり長い雌伏の時を過ごしただけに、この優勝は関係者にとってやっと春が来た感がするだろう。リーグ戦前は早稲田が一歩リード、才能軍団ながら明治は投手が未知数と見られていたが、ピッチャー陣は4年生を中心に良く頑張ったと言えよう。ともかく早稲田の四連覇を阻止した事は、立派であった。

古くからのファンとすると、早稲田絡みの試合はハンカチ人気で、今まであまり神宮で見なかった様なおばちゃんやおじちゃん達が押し寄せるのを、少々複雑な気持ちで眺めていたが、これでやっと少し旧来のファンのものにリーグ戦が帰って来るという気持ちは、少しひが目か。

立教もスポーツ推薦を再開、慶応も気がつくと各部に大物選手が入部している。各スポーツで強さを誇る最近の早稲田を破った明治の優勝は、少子化時代で私立大学のスポーツ推薦が変化する中、早稲田一局時代が変化する嚆矢になるやも知れない気もしてくる。

2008年5月27日 (火)

悪魔のささやき

A

本日は禁酒日なり。よって昼から食の調整に入る。夕方すきっ腹にならない様にランチにはごはんをという訳でチャーハン。夕方は一挙に腹がおさまるカレーを食す。

で、カレーの他は、サラダとさしみコンニャク。それでもこの時間になるとやはり腹が減る。ビール分の胃のスペースが食を呼んでいる。

と、その時妻が買い置きのチョコを「ほれっ」と目の前に置く。妻は、在庫が切れそうになるとファミマに行って必ずこれを補充する。一口つい手を伸ばすと、やっぱり止まらない。ピーナッツとチョコのハーモニーが絶妙。CHAIN OF BITESと謂う英語が文法的に正しいかわからんが、トランス状態。「買うな!」と言ってるでしょう。家にあると止まらなくなるから!

2008年5月26日 (月)

魂のラグビー

スポーツ観戦は、母校の応援を中心にしているので、どうしても野球やラグビーに興味が行ってしまう。残念ながら駅伝は弱いので、時々学連選抜に抜擢された選手の応援位か。

さてそのラグビーだが、今年から大幅にルール変更が行われる予定である。今まで厳しくペナルティーをとられていた相手モールを崩すプレーが今年から反則でなくなる他、ラックの中で手を使って球を扱える様になるなど驚きの改正だ。 密集での球出しを早くし、展開するラグビーを促進して見て楽しいラグビーにしたいのだろう、もっぱら観戦する側としてはラグビー界が目指す方向は判る様な気がする。

ただ今年の改正が実現すると、これまでフォワード主体で攻撃に時間をかけて来たチームの戦い方は、大きくそのスタイルを変える必要があるのでないか。僅差の試合でノーサイド直前ゴールラインを背に、スクラムやモールを押し合う、観客席からは時計を気にしつつ悲鳴がもれる様な、そんなラグビー観戦の醍醐味の一つはなくなっていくのだろうか。

素晴らしいラグビーの試合を観戦しノーサイドの笛を聞くと、体から一挙に力がぬけ一種の虚脱感を感じると同時に、不思議に満足感に近い感情も湧き上がってくる。何かグラウンドから勇気を貰った気がするのだ。展開が目まぐるしいラグビーだけでなく、こんな鬼気迫るラグビーを新しいルールの下でも演じて欲しいものだ。

2008年5月25日 (日)

アジアの息吹

ひさしぶりにシンガポールに出張した。1年半ぶりだがこの間にもこの国は大きく変っている。東京で言えば新宿にあたるマリナ地区の宿からジョギングしようといつもの川べりに出ると、コースは再整備の為全部通行止め。川の出口にダムが出来ていて、川の水を将来は飲料水に使用するとか。川べりには大きな観覧車が出来て、カジノの計画があると謂う。ハンディな都市国家なので進歩と変化のスピードがとても早い。

初めてシンガポールに来た15年前に、いろいろな面で早晩日本はこの国に遅れをとるなと感じたが、やはり予想通り今は総じて日本の相当先を行っている、と感じる。

アジアの息吹を感じると、日本は20歳代、30歳代が安心して働け、子育てをできる環境を真剣に整備しないと、20 年後はもうないな、とつくづく思うのである。道路を作る予算は、教育や子育て支援に使い、老人ではなく若者に厚い政策をする必要がある。その為には若者よ、本を読みなさい、(嘘を沢山書いてあるが)新聞を読みなさい、選挙に行きなさい。若者の投票率が上がれば、この国が既得権益をもっている人たちのくびきから少しは自由になるだろう。

いつも感心する効率的なチャンギ・エアポートから、成田の短い方の滑走路に着陸し、曲がりくねった情けない誘導路をタクシーイングする時、この国の未来は本当に大丈夫かと憂慮してしまう。

2008年5月20日 (火)

地獄のジャンプ

この時期になると思い出す事がある。山田宏臣選手の事である。1960年代の後半、数ある陸上競技の中で戦前の日本記録が長く破られていなかった種目が走り幅跳びだった。1931年に南部忠平が創った7米98がそれである(1931年当時はこれが世界記録だった)。いつ、初めて日本人がこの南部選手の記録を破り8米を飛ぶかが大きな話題になっていたのだ。

山田宏臣は当時この記録に最も近い選手と言われ、幾度となくこの偉大な記録に挑むも、あと一歩の処で及ばない事がメディアでしばしば取り上げられていたのである。日本人初の8米を跳ぶ者という十字架を背負って、彼が朝隈コーチと京都の知恩院の階段で神がかりのトレーニングする様は、地獄へのジャンプと謂われ多くのファンの知るところであった。

1970年6月7日小田原競技場の「実業団対学生競技会」で、山田は遂に念願の8米を超え、8米01の日本記録を樹立する。その模様はテレビや新聞で全国に広く報道され、朝隈コーチと涙する山田選手の姿は「涙のジャンプ」として日本中の感動を誘ったのだった。

涙のジャンプの数日後、私は出勤途中の山田選手と東急バスの中で偶々隣合わせになった。見ず知らずであったがドキドキしながら「山田さんですか、この度はおめでとうございます。」と思わず声をかけてしまった。山田選手はにっこり笑って「ありがとうございます。学校ですか。頑張って下さいね」と答えてくれた。

山田選手はその10年ほど後に病気で亡くなってしまったが、初夏になると、東急バスの後部で丁寧に応対してくれた山田選手の笑顔を思い出す。そしてここまで私が駄走を続けているエネルギーの一部は、あの時にやさしく対応してくれた山田選手にもらった感動に負う処もあると感じるのである。

2008年5月19日 (月)

ちょっと良い話

ニュースを見ていたら、米海軍兵が横須賀で日本人を救った話が報道されている。この兵は横須賀市の京浜急行の駅で、60歳代の男性が線路に落ちたのを見て、快速特急が10秒後に近づいているにもかかわらず線路に飛び降り、転落した人を救ったそうである。兵隊は横須賀基地に配属にされている空母キティホークの乗組員の若い水兵の様だ。

このニュースは、NHKテレビの関東版の最後に僅かに報道されていたのだが、我が家で購読している新聞などでは何も報道されていない。米兵が何か事件をおこすと、国家の一大事とばかりメディアは報道するのに、今回の様な美談には冷淡な様だ。米国兵に限らず、若いものが何万人もいれば、中には悪事を働く者のいよう、良い人間もいるだろう。

悪い事を糾弾するのはメディアの責務であろうが、人を救った兵がいれば、普段米軍を何かと追い掛け回すメディアである、これも相応に報道するのも役目ではないだろうか。

2008年5月17日 (土)

究極の物欲

仕事のストレスで物欲メーターが極度に高まっている妻が、ディーラーのセールスも顔負けの熱心さでカブリオレ(オープンカー)の購入を勧めてくるが、「スカイラインのオープンが出たら買う」「ウィンカーの操作が今のと反対側」「FR6気筒でない」などといなし続けていたら、週末とんでもない物を見にいくハメになった。

もともと妻は小型船舶免許を取るほどフネ好きなのであるが、客船クルーズに出かける際には双眼鏡を持って貨物船やタンカーをワッチするのに余念がない。200m以上の巨大船がタグボートを従えて航路を航行するのを見て興奮している。東京湾海上交通センター公開日に合わせて観音崎灯台見学に行き、浦賀水道航路を行き交うフネを眺めて楽しんでいた事もある。観音崎では「こんな所に住んでいたら一日中船が眺められて楽しいね。週末用に賃貸マンションでも借りようか」等と言い出したが、軽く相槌を打ってそれっきり忘れていた。

しかし彼女は本気だった。どころか勢いを増していたのだった。浦賀水道航路を臨む久里浜港で新築のオーシャンビューマンションが発売になることをネットで見つけ出し、カタログを取り寄せ、週末に見学に行くから連れて行ってくれ、と言い出した。

今から不動産を買う気か?とわが耳を疑ったが、不動産会社のセールスも顔負けの熱心さでその物件がどれだけ素晴らしいか熱っぽく語る。まぁその場で決めることはないだろうからドライブがてら付き合うことにした。

都心から湾岸道、狩場線、横浜横須賀道路と順調に走り、1時間とちょっとで久里浜港に到着した。金谷に行く東京湾フェリー乗り場と釣り船の基地があり、いかにも田舎の港、といった風情。振り返ると京急久里浜駅に向かって平坦な道。車でわずか1時間でこんなに雰囲気が変わってしまうとはちょっとした驚きである。マンションは水産工場の跡地の岸壁まで数メートルの場所に建つ予定で、東京湾フェリーの入出港が眼前とこれだけで妻は舞い上がってしまった。

マンション販売現地センターで勧められた部屋は、目の前に海、その向こうに浦賀水道航路を行き交う大小の船舶、さらに房総の山々が一望。この雄大な景色を眺めながら入れる眺望バスまでついている。一方裏側は皇居より大きそうな公園がすぐ近くにあって夏は蝉時雨、春秋は鳥の鳴き声でにぎやかだろうな、というロケーション。思わず海を見ながら風呂に入り湯上りビールを明るい中から飲んでいる自分の姿がイメージされてくる。思わず「ここ良いじゃない」とのど元まで出かかる。

現地販売員のセールストークに危うく乗せられそうになるのだが、そこはそれ、週末用マンションなどを簡単に買うほど度胸もカネもない。「まあ家に帰ってじっくり考えてみよう」と乗り気の妻にブレーキをかける事に。お値段も予想以上だしここは時の経過に身を任せよう、と考える。

帰り道、車中で聞いたら、気に入って値段がイメージ以内だったらその場で自分で買うつもりだった、と昨年の自分の源泉徴収票と印鑑を持参していたそうである。ここでこのマンションを見送ったとして次は何を言い出すか。いやはやストレスとは恐ろしいものだ。そのうち本物の貨物船を買うと言いださない事を祈ろう。

2008年5月16日 (金)

マスターズ陸上

天気が良いので、昼休みをちょっと(かなり?)延長してトラックに行って練習する。6月8日に3000米競走にエントリーしているのだが、できればスタートからゴールまで先頭を一度も譲らず勝ちたい。その為にスピード練習が必要なので時々インターバルトレーニングをしている。

ただ一人でのインターバルトレーニングはやはり苦しく、走っていると予定の本数や、タイムに対してどうしても妥協して甘くなりがち。今日は500米X6本走ったが予定のタイムより1本当たり平均5秒位も遅い。いかんなと思うも、これ以上速く走るとまた肉離れをおこしそうだし、と弱気になる。

帰り際にロッカーで同年代の人とたまたま会話をする機会があった。聞くと年齢は同じ年。ハードルを50才から練習していると聞いたが、走り方やハードリングはなかなかのもの。彼も一見サラリーマン風、やはり仕事をさぼってきたか、はたまた自営業なのか?

会話を続けていると、熱心にマスターズ陸上への登録・参加を勧められた。マスターズは各レースの年齢刻みが5歳づつで行われ、同年齢の競技者と走れるとの事。たしかに大会によっては40歳以上60歳も70歳も同じレースで走らなければならないので、これは良いかもしれない。登録費用も高くないし、なにより中高年に適するインターバルトレーニングなどの情報も得られるかもしれない。登録を検討してみようか。

2008年5月15日 (木)

球ぎわ

東京六大学野球春のリーグ戦も第5週を過ぎた。当初予想された様に、ここまで早稲田の力がやや優って6戦全勝勝ち点3でリーグ戦優勝へリードしている。一方好素材が集まっているものの未経験投手陣が心配された明治が、これまでリーグ戦に出ていなかった4年生投手2人の踏ん張りで2位、以下3位の慶応まで優勝の可能性を残し今週末の早明戦で勝った方が優勝に大きく近づく。

今後の展開について見ると、立教ー明治のカードが1勝1負1分で雨天の為次週以降に順延した事もあってまだまだわからない状況。しかし投手力、特にプレートさばきの差で早稲田がこの3校の中で優勝に近いのではないかと私は思っている。

大学生は4年間で大きく伸びる選手もおり、その成長を見るのがリーグ戦観戦の楽しみの一つでもあるが、総じて甲子園で勝ち進んだ投手や、下級生からリーグ戦を多く経験した投手は球速表示がそれほどでなくともやはりうまいと感じる。いわゆる「球ぎわ」という紙一重の差でピンチを凌げる場面が多いのではないか。

明治・立教の3回戦で明治の投手は3四球を立教に与え満塁にした後、ピッチャーゴロ処理を暴投して負けたとか。実際にその場面を見たわけでないが、塁が詰まっている時にピッチャーゴロやライナーがくるとピッチャーは「しめた」という気持ちと次を焦る気持ちでしばしばとんでもない失策をする事がある。そういった時、場数を踏んだ選手はやはり一息違って落ち着いて〆る場合が多い。

今週末の早明戦は、多くの大舞台を経験したハンカチ斉藤と早稲田投手陣が、明治の投手陣より一日の長があるか、と思っているのだが。ただそれだけでないのも野球の面白さ、かつて江川法政に立ち向かった島岡明治の気迫を明治ナインに期待したい。

2008年5月13日 (火)

新聞を読もう

今日取引先のある若者から相談を受けた。彼は今までレストランなどの接客の仕事をしてきて、海運界に中途で飛びこみ一年、まだ修行中の身だが、あまりにもわからない事が多くて何から手をつけて良いかわからないと焦っている。一方上司や周囲からはもう一人前になっただろうと期待もされるが、それが辛いらしい。

どの業界でも勉強や苦労はあって、一人前になるのは大変な事だ。その中で今までB to C(一般顧客対応)の仕事をして来た若者が,B to B(法人相手)なかんづく重厚長大産業に入ってくると、用語や仕事の流れ、書類作成含めすべてがそれまでとかなり違って、戸惑いもまた別のものがあるらしい。この世界には「マニュアル」もないし、現在のIT世界とも一線を画している部分があるのは確かだ。

社会経験が浅く、真面目な若者が、マニュアルもない世界で周囲から早く一人前になれとプッシュされたら、これは重荷かもしれない。

「ところで君は新聞を取っているか?」と私が聞いたら「ネットのニュースですませている」という案の定の答え。
「一般紙一つを自宅で明日から購読する事。経済紙を通勤途中に必ず目を通す様に。勉強はまずそこから。」
というのが今日の私から出来るアドバイスだった。

2008年5月12日 (月)

猛打賞

アメリカに行くとアメリカンリーグ、ナショナルリーグのメジャーのみならず1Aのマイナーリーグの試合なども金を払って良く見に行ったものである。どんなレベルのリーグでも「おらが町のチーム」として地元ファンが声援を送り、ファンあってのベースボールという雰囲気が球場に横溢している。

ホームチーム主催ゲームには、キッズデイとか女性の日とか、スポンサーの名を冠した日とかが頻繁にあって、それぞれの日に因んだちょっとした、と言うかかなり貴重な記念品(バット、ミット、帽子その他)を、該当者や入場者全員に配ったりしている。

日本の野球で大変おかしく感じるのは、猛打賞とか本塁打賞、第一生還者賞などの景品が、選手に与えられるのである。ファンあってのプロ野球なのに、である。決して安くははない入場料を払ってゲームを見に来る観客でなく、観客の何倍、何十倍もの報酬を貰って、自分のプレーを見せる事が仕事のプロフェショナルが当たり前のプレーをして賞品をもらう、これには何か違和感を感じる。

相撲の懸賞に由来するやり方なのか、戦後の貧しい時代に米の俵を選手に賞品として配った名残なのか?

例えば猛打賞を貰った選手がいたら、その背番号の下一桁の入場券を持った観客に記念品を配るなど、観客本位のプロ野球にして欲しいものだ。

2008年5月11日 (日)

卒業試験

今だによく見る夢がある。就職も決まっている大学4年の最後の試験直前、それまでにあまりにも遊んでしまい学校に行っていなかったので、教師の顔はおろか自分が何の科目を履修したのかさえ皆目思いだせず立ち往生している夢である。会社が始まるのも間近なのに、どの試験教室に向かえば良いか分からず、大いに焦っているのである。学校を卒業して30有余年、仕事人としても終盤を迎えているこの年で、まだこんな夢をしばしば見る。

実際は大学の成績は低空飛行であったものの、卒業が本当に危ういと言う程の危機的水準ではなかったし、その後の社会人になってからはもっと深刻に悩まなければならない事が多かったはずであるが、大学時代に経験した何がしかは、いまだに意識の底に強烈に残っているのだろうか。

夢を見る事の意味については、科学的にはまだ本当に分かっていないと聞くが、この夢一体何歳まで見るのだろう。

2008年5月10日 (土)

理科系

ケアンズ沖のグリーン島では、シュノーケルを借りてリーフや泳いでいる魚を見ることができる。さて海へ入っている間に、着替えの服や持参した荷物・水などをどこかに置いておかなければならないのだが、できれば日陰に置いておきたい。砂浜の後ろにはジャングルがあるのだが、この中はちょっと木が密になりすぎ、また地面も湿気を含んでいて荷物置きには不適当。

やはり海岸とジャングルの境目あたりの潅木が茂っている辺りが良い。が、この辺りは太陽の向きと時間によっては陽が直接差し込んでくる気配。海に入っている間にすっかり日向になってしまい、飲料水がぬるくなるのもあまり気持ち良くない。

と、その時、妻はなにやら地面をならして、適当な長さの枝を探し始めた。一体何をしているのかと思っていると、20センチ位の枝を砂浜に直角に差し込んで、陰になっている部分の砂浜に線を引いている。でその砂浜に引いた線から、太陽の影が時間とともにどちらへ移動するかを見て、太陽の動きと影の移動する方向から、今後潅木の陰がどうなるのか調べ始めたのだった。うーん、さすが理学部で物理を専攻しただけある。

私は、大体午後には太陽はこの辺りかと、おおよその見当でいい加減な事を言っていたのだが、なにせここは南半球、太陽は東から出る事はわかるのだが、南が日当たりなのか今ひとつわからない。で突如考案されたこの日時計作戦には「うーん、うまい事考えるものだ」と恐れ入りました。

大体かなりの事を余断をもって、大雑把に入って行く傾向がある、と妻は私の行動を言う。確かにだんだん年をとってくると、いろいろ行動をする際、非合理とわかっていても自分のやり方や永年親しんできた方法で押し通す事が多い。人がこちらが良い、とかこのやり方をしてごらん、と言ったら素直な気持ちで聞く耳を持たないとただの頑固、因習爺さんになってしまうな、とも感じている。お金の使い方やもろもろ理科系的考え方で計算して、モノを買ったり行動している妻に感心する事も多い。老いては妻に従えか。

さて問題の日時計の影だが、いつまでたっても移動しない。そうケアンズは南回帰線に近くこの季節ほぼ真上を太陽が通過していたから、20分位しても陰は短くはなるが位置は変らなかったのだ・・・・・・。とここまで書いてオチにしようかと思ったら、妻は原稿をみて「太陽の動く向きがわかったので、午後に向けて木の反対側に荷物を移動する」ことを考えていたそうである。日時計をただ感心し、影が短くなるので「このままでいい」と見ていた私を「単純王だね」と今、横でほくそえんでいる。

2008年5月 8日 (木)

機内トイレ

ケアンズからの帰りのフライトは、連休の最終日という事で満席であった。高々7時間くらいであるが長時間飛行機の席に座ると言うのは、高速道路で渋滞に巻き込まれたクルマ、二日酔いで乗る朝の満員電車とともにノリモノ三大苦であると思う。いつの日にか「昔は、何時間も狭い一つの席に座って、皆前を見てベルトをして、ブロイラーの様に拙いご飯を食べされられた時代があったんだよ」と笑い話になる日がくるだろう。

さてそのご飯も、動物小屋の様に、同じ時間に画一的に食べさせられるから、トイレに行く時間も大体皆同じ時間になりがちである。で食事の後などはトイレの前に列が出来る。ごはんの後にコーヒーなどを飲んでいる横で、そわそわと多くの人が待っているのも極めて不粋な眺めである。女の人は化粧などもするのだろうか、概してトイレに居る時間が長い。

いつも思うのだが、新幹線の男子用小便所の様な立ち便所のブースをいくつか機内に作って、男はそちらに並ばせる様にしたらどうだろう。全体の並ぶ時間と列が減るだろうし、スペースに限りある機内では男子用には化粧台も最小のものを付ければ済むし。構造上もそう難しい事とは思えないがどうであろう。

2008年5月 7日 (水)

ゴールデンウイークとツアー

4連休を利用してオーストラリアのクイーンズランド州ケアンズに行ってきた。距離的にはシンガポールとさして変わらず余り移動に時間をとられないし、金曜日の夜は機内泊だったので現地ではちょうど4日間ゆっくり時間を使える。今年の様なカレンダー配置のゴールデンウイークには気軽に訪問できる良い海外リゾートと言えよう。

さて今回は準備の都合などで、久しぶりに大手旅行会社のパッケージツアーに参加した。パッケージに参加するなど何十年ぶりだろうか、お値段はゴールデンウイークという事で少々高めであったが、大手の旅行社のツアーは簡単・便利でとても楽チンな事を発見した。

部屋のベッドが希望より小さかったので部屋を代えてもらおうと思ったが、旅行社の日本人係員に頼んだらホテルと交渉してくれるし、食事のクーポンもつき、初日の市内観光も団体バスでぐるーっと廻ってくれる。

普段レンタカーで廻ると、知らない場所なのでどうしても目的地到着を優先してしまい、ちょっと見ても良いかな、という所もパーキングの場所探しや地理不案内でパスしたくなる事がある。いろいろ立ち寄りたいとのたまう妻と、一方通行やらなにやらで「もういいじゃない、かんべん」とだんだん不機嫌になる私で、時々険悪なムードに・・・・・。
でガイドブックを後から見ると、ちょっと横に行けば見るべき所が一杯あったのに・・・、なんて所も素通りしてしまっていたりするのだ。

妻は前回ケアンズに来た際、動物園を見たいとリクエストしたが、車で先を急ぎたい私に無視されたそうで(まったく記憶にないが)、今回セットで訪れるツアーで動物園に行けてたいそう喜んでいた。

イギリスで高校を卒業している妻の方が英語はうまいはずのに、交渉事となると「男じゃないと馬鹿にされるから」などとうまくいなされて私が前面に出され、「もうこんな細かい事どうでもいいじゃない」とブツブツ言いながらしり込みする必要も、現地の係員がいるとしなくてすむし。

旅の一つの楽しみである、冒険とかチャレンジとか困難を克服と言うものには遠くなるが、家庭円満で日常生活の雰囲気のまま気軽に海外に行ける、現地の係員も一生懸命サービスをしてくれるし、パッケージツアーはなかなか良いものだと認識した次第である。

2008年5月 2日 (金)

年金と検診

5月1日よりある会社の顧問契約を引き受け週数日出社する事に。これまで1年半こぢんまりとやって来たので久しぶりに活気のあるオフィスに出て少々疲れた。というわけで昨日の帰りは、ふらっと銀座の居酒屋に一人立ち寄る。古くからやっていそうな店で、こちとら一見の身、思い切ってのれんをくぐると、60才代だろうか数組の客がまだ薄暮というのにかなり出来上がっていた。

文庫本を読みながら、一人酒をゆっくり楽しむ中、聞くともなく彼らの会話が聞こえてくる。「年金を30万円もらってまあまあだとか、人より多いの少ないの」ひとしきり年金の話で盛りあげったと思ったら次ぎは定番の「健康診断」の結果の話を延々としていた。

60も半ばをすぎたら『年金と健康』で酒席は興が盛り上がる様だ。

2008年5月 1日 (木)

メーデー


5月1日はメーデー。昔は働いていた会社と労働組合の協定で、メーデーの中央集会に参加する組合員は会社を出社扱いとするという決まりだったので、5月1日は毎年代々木の会場に集まって、渋谷や恵比寿までデモ行進をした。行進は1時間から2時間、昼頃には終わるがこの日は「出社扱い」ゆえ会社に戻る必要もなく、午後は映画を見たり、ビアホールに入ったりゴールデンウイークの「おまけ」の様な日だった。

若手の組合員はよほど業務に追われていない限り、多少天気が悪くても勇んで代々木公園に集合したものだ。

ところが数年後、組合の要求で海運業界の多くの会社がメーデーを休日と定め、集会参加の便宜を社員に与えた。もう「出社扱い云々」などと言う事も関係なくメーデーは皆が参加できる日になったのだ。すると組合幹部以外の多くの組合員は、会場に行かなくなって、ただのゴールデンウイーク中の休日増になったのだった。


選挙も平日にして、選挙に行った時間は「出社扱い・業務扱い」に労働基準法を改めたらどうだろう。きっと20歳代の投票率がぐんと上がる様な気がするが。

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