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2008年3月

2008年3月31日 (月)

桜並木ジョッグ

週末のジョギングは桜見物コース。土曜日は外堀公園(飯田橋~市ケ谷)を通って神宮外苑へ往復10.8キロを65分。日曜日は神田川沿いに江戸川橋から椿山荘の下を通って学習院下まで往復、桜並木の下8キロを50分で走る。人も多いしかなりゆっくりの花見ジョッグだった。靖国の桜は満開だが、ほかはまだまだ8~9分咲き位か、寒いのが幸い枝の中にはつぼみがまだ開かないのもちらほらあって、今年は桜は永く楽しめるかも。

2007年度も今日で終わった。明日から新年度、新入社員たちが初々しく出社する姿を町で見るだろう。がんばれ新入社員。

2008年3月29日 (土)

定番・靖国~千鳥ヶ淵

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出た~!この時期定番の夜桜ブログ。まあ日本人だからしゃあない。桜の下で騒ぐのは日本人くらいだから。(ソウルでも夜桜見物した事があったが、日本みたいに整然としたライトアップや夜店はなかった。)

会社の帰り妻と待ち合わせ、靖国~千鳥が淵の夜桜見物に。靖国の夜店で焼き鳥、おでん、ジャガバター、熱燗、たこ焼、お好み焼き、チョコバナナとこれまた定番の屋台フードを堪能。ライトアップされた千鳥が淵をそぞろ歩いた。

日本人で良かった。


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ささやかながら千代田区に桜の保存基金として1,000円寄付。

2008年3月27日 (木)

関西標準

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甲子園観戦の往復・阪神電車の車内である。車内蛍光灯にカバーがかかっている。阪急の電車や大阪市営地下鉄にもカバーがある。関東の大手私鉄で車内照明にカバーがかかっている電車はまずないのではないだろうか。

住宅でもオフィスでも、安易に蛍光灯を使い過ぎるのは日本の悪しき例。まして蛍光灯を使った場合はカバーや化粧ガラスやアクリルで目隠しをするものだと思うが、我が国の新しいオフィスでもむき出しのままが大半。関西の私鉄くらいが、公共の場で照明のセンスを感じさせてくれる。

2008年3月26日 (水)

ホームはうんと遠かった

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行って参りました、甲子園。3年ぶりですね。3年前のセンバツは投手は一枚でベスト8まで進出、今回は左右の両エースがいるので優勝候補の一角とも言われてました。でも相手のスミ1でその後ずっと押してたのにホームは遠かった。トーナメントの野球は恐ろしい。勝ち点制ならな~と神宮と同じ応援を繰り広げつつ感じました。

これが甲子園、高校野球部の皆さんに甲子園に連れてきてもらって楽しかったし、カレッジソングをスタンドで歌えて良かった。9回まではらはらできる試合で良かった。相手の健闘を称えたい。

帰りは、なかばやけのやんぱち、N700系新幹線を待って新大阪からグリーン車で帰ってきました。

2008年3月25日 (火)

舞鶴・護衛艦

漁船と衝突したイージス艦「あたご」はいなかったが、舞鶴には自衛艦が多数停泊していた。また沿岸で操業する漁船も沢数港内にいた。「あたご」の事故は残念な事だが、これらの船をみていると、海上衝突予防法は別にして実際の運用の問題として漁船はなぜ「あたご」を避けられなかったかと思う。

まず国際的な常識として軍艦は敬意をもって扱われるので、基本的に一般商船や漁船はこれを避けて航行するものである。また完全に多数の漁船と見合いの体勢になってしまった場合、大きなイージス艦が舵を切れば混乱は増すばかりで、最後のあの場面ではフル・アスターン(全速後進)しか「あたご」の取るべき手段はなかったと思う。舞鶴を母港とした「あたご」は、舞鶴湾の漁船が護衛艦を避けて航行するのと同じ感覚で操艦していても不思議ではないだろう。今後海難審判の場で色々な事実が明らかになってくるのだろうが、舞鶴で護衛艦の大きさや漁船が行き来しているのを見て思った事である。

ただ軍艦が軍法会議の場で裁かれず、海上保安庁という警察に捜索されるのも国際的に見て極めて不自然ではある。

知人の外航船船長に聞くと、房総沖でコースが正対しそうなあの様な漁船群を発見したら、商船ならさっさと「逃げる」。漁船の群れは何をするか予想がつかないので「危うきに近寄らず」だそうである。衝突海域では通常、内航船ならワッチは1人、外航船なら2人、それに比して護衛艦は10人。人数多きゆえ、また海外航海帰りでレスペクトされ続けた感触、舞鶴母港の護衛艦ゆえ注意力が散漫になったのかもしれない。


Bulkcarrier 2008-03-26 00:05:03
超・美人で一児の母とは思えぬ奥様へ

大型船の前をぎりぎりで回避する事で大漁祈願する漁船もあると言う、商船にとって漁船は本当に怖いらしい。
愛媛県の魚協に加入している友人も、あの事故は漁船が避けられたはずとの事。漁業権とか都会人には魑魅魍魎の世界ですね。


美人妻 2008-03-25 23:24:11
学生時代にヨットに乗っていてよく思ったこと。漁船は大人の暴走族である。

どう考えてもタイタニック級の船と漁船がかちあったら、逃げるべきは漁船であろう。その機動性から考えても誰もが「そりゃそうだろう」となる話のはず。が、いきなり話は「国家権力をふりかざすモンスターvsいたいけな小市民の乗る小舟」になってしまい、挙句、攻め続けられた自衛隊員が自殺するはめになっている。なんかおかしい。

電車で隣の女性が痴漢にあっていても無視するであろう人々が、ここぞとばかりに意味不明の正義をかざす。
なんだかやだわ。

2008年3月24日 (月)

スピードは控えめに

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これが、自動速度取り締まり機。通称オービスである。今までお世話になった事はないが、これで切符を切られ罰金を払った友人(一人は千葉、一人は神奈川国道16号で)によると、スピード違反でこの機械に写真を取られた瞬間は昼間でもびっくりする程フラッシュの光りを感じるそうである。

オービスも2種類ありレーダーで違反車両のスピードを測るタイプと、このカメラの様に手前の道路に検知器が設置してありいくら車側にレーダー対策のセットをつけていても無意味なものとあるらしい。

オービスが設置されている数キロ手前には「自動速度取締機設置路線」などの青い警告が掲示しているが夜の高速道路などではうっかりすると見逃す。この青い警告は普通2回以上あるのだが、例えば首都高速1号線・平和島のオービスは警告板が1枚しかないので、次までに減速しようなどと考えていると「あれー」って言う間に通過してしまう可能性がある。

横浜・横須賀道路の上りを朝比奈インターから入ると加速がまだ終わらない様な位置にオービスがあって警告板どころではない、これはちょっと信義違反?じゃないと思う。

昨日東名の上り静岡県内では2枚目の警告板のすぐ後にNシステムと言うオービスそっくりの交通調査の為のカメラが設置してあり、このカメラの下を通過するとついアクセルを踏んでしまいそうになるのだが、実はその数百米先に本物のオービスがある、と云うフェイント気味の場所もある。

オービスは固定式なので地元の人や良く知った人はそこではスピードを出さない。みんなゆったりと走っているなと感じたら、その流れの中に。そして肝心なのは、どきっとしない為にも常にスピードは控えめに。


院長! 2008-03-26 00:53:50
CDデッキ修理に、な・な・なんと4万円!!
そりゃ、代替えの理由になりますな・・・(笑)

やはり行きますか、甲子園!
やはり注目は力道山のお孫さんですか!?
横浜高校の特待生入学を断って、塾高に来た逸材。

神奈川県高校球界の勢力図をすっかり書き換えた義塾。
大いに期待してテレビ観戦いたしますよぉ!

それにしても700系。かなり震動が少なかったです。いわんやN700系!
あぁ~、やっぱり悔しい・・・。


Bulkcarrier 2008-03-25 00:08:15
院長先生

実は、あさって仕事をさぼって甲子園に応援に行く事にしたので、週に2回、関西まで新幹線往復はつまらないと思ってクルマにしたのでした。本当は。

1回戦勝ったらどないしよ。それにしても世界に冠たる新幹線がこのざまでは困りますね。ゴーゴークレイマー!!

今日日産プリンスに行ったらCDデッキ修理は4万円だって。とほほ。


院長! 2008-03-24 22:56:44
週末はお疲れ様でした!!ご周知の通り、私たちは車で行くより高い費用を費やして、2度の車両故障に見舞われ、すっかりJRが嫌いになってしまいました。

とは言うものの、帰りは700系のグリーン車を堪能しましたが・・・。でも、定刻で帰っていれば、N700系に乗れたはずが・・・、残念です。

それにしても、チケットを買ったのは東日本、行きのトラブルは東海、帰りのトラブルは西日本。

最後に少しばかり払い戻しをしてくれ、状況を察知して平謝りしたのが東日本。

分社化の影響はトラブルに巻き込まれたときに初めて解かる!!って感じでした。

今週末、JRのお客様相談室にいざ出陣です!!!

2008年3月23日 (日)

オバマ?

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この週末の2日、所要で妻と二人、京都府の舞鶴まで運転を交代しながらクルマで往復した。行程は東名・名神・北陸自動車経由、琵琶湖・湖北の木元から日本海側・小浜に抜ける道で2日で1,120キロ。カーナビのデータによると、この間の表定速度(休憩や給油の時間を除いた平均時速)は71.2キロ、燃費は12.4キロ/リッターであった。費用はガソリン代と高速道路代で36,000円余。新幹線+在来線で行くより2人で10,000円ほど安上がりになった事になる。(ガソリン代がこんなに高くならなければもっとセーブできたはず。)

この間、通過したオービス(自動速度取り締まり機)は下り10箇所、上り11箇所だが勿論安全運転で帰ってきた。さて今話題のオバマ候補に因んで売り出し中の小浜がこれである。

2008年3月22日 (土)

線路標識(1)

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昨年11月、碓井峠鉄道文化むらでEF63の体験運転をして以来、鉄道ヲタが復活し、電車ではかぶりつき(運転席のすぐ後ろのガラス窓後ろ)に乗る様になった事は以前記述した通りである。運転士になったつもりで前方を凝視していると様々な発見があって、鉄道の奥深さに取り付かれる。何気なく通過する線路際のポールの標識にもこんなものがある。

写真の内、左半分の丸い標識(丸の中に三角)は、運転士が信号を確認して指差し換呼する地点を示した信号換呼表。ここに来ると運転士が、次の信号の現示を見て「進行」とか「停止」などと声を出して確認する。

右半分の丸に黒ナナメ線の標識は惰行表。ここまで車両は力行(加速)して、ここからはノッチをオフにし惰行運転に入れという標識。ただしあくまで目安で列車の状況によってここで必ずしもノッチオフされない場合もある。(その右に小さく見えるオレンジの四角い標識は、新幹線の停車場(駅)接近標識)

これら標識を確認しながら、運転士が指差し換呼を規定通り励行しているか、惰行表に合わせてノッチをオン・オフしているか等運転士の個性や習性がわかる様で面白い。

2008年3月20日 (木)

伊予の早曲がり

手許にJAFから届いた機関誌の最新号がある。その中「ローカルルールが引き起こす事故」という記事によると、長野県の松本には「松本ルール」と云うのがあるらしい。交差点内で直進車が対向の右折車に道を譲る習慣があり、右折車が直進車の前を横切るので他の場所から来た人と事故の可能性が大きくなると言う内容だ

これに良く似たものに「伊予の早曲がり」がある。愛媛県、特に松山市内などでは交差点の信号が赤から青になった瞬間に、右折車がいち早く対向の直進車の鼻先をすり抜けて行くのだが、仕事で松山空港でレンタ・カーを借りる際は「伊予の早曲がりに注意」と思い起こす事にしている。

海外でもその国独特の法規やルールがあって、車を借りる際はなるべく現地の事情を知っている人に聞いた方が良い。旧英国領で良く見られるラウンド・アバウト、例のサークルになっている交差点だが、土地土地のラウンド・アバウトに飛び込んで行くタイミングと云うか呼吸に慣れるのに少し時間がかかる。また日本と同じ、車は左のニュージーランドは概ね日本のルールと同じだが、交差点内で右折車と左折車が同じ道路に侵入する場合は右折車優先。このため他国から来たドライバーが左折する際に事故を起こす事が多く、国際的に通用する左折車優先に直す運動が高まっていると聞いた。豪州・メルボルンでは市電が走っている地域で、右折車は自転車の様に直進後、反対側のコーナーで信号が変るのを待って曲がる交差点が数多くあり戸惑う。

東京は最近、概して運転のマナーが良くなった気がするが、これも車社会が成熟してきたからだろう。その点、自動車の先進国アメリカはさすがと思う点が多々ある。1993年初め、住んでいたエリアが50キロ四方ほど嵐によって全面停電した事があった。もちろん交通信号も点灯しない。復旧に3日位かかったが、公共輸送システムに乏しい米国、人々は車で外出せざるを得ない。どうするのかと見ていたら、すべての交差点で4ウエイ・ストップ(オール・ストップ)と云って全方向の車が一旦停止、交差点に来た順に一台・一台発進して行くというルールを守っていた。もちろん交差点通過に時間がかかるが、警官のいない交差点でもこのルールがスムースかつ完璧に守られていて混乱が起こらなかった。アメリカの車社会の成熟度はすごい、と感嘆した次第である。

2008年3月19日 (水)

記録とさしみこんにゃく

春のトラックシーズンも間近になってきた。毎年春と秋には1500米か3000米のレースに出ている。距離が短い中で今持っている身体の能力、特に筋持久力をどう出し切るかで勝負が決まる。10キロや20キロなどの長距離ロードレースにない面白さである。記録は現役の部に遠く及ばないが最近は50代以上の参加者が多くシニアーの部が賑わっている。ここ2年ほど3000米は大会新記録で優勝できたので、今年は久しぶり1500米にチャレンジしようかと思っている。

50才を過ぎてから1500米は5分を切れなくなってきて、久しく歯がゆい思いをしていたが、最近の減量のおかげ、一人の練習で軽く走って1500米4分50秒台で走れるまでに回復してきた。5月の大会には4分40秒台、中学2年並くらいの記録では走りたいと思っている。それにしても体重の減量は記録に直結するものだ。体重を1キロ減らすと1500米なら10秒、5000米なら20秒は確実に速くなる。ビールのつまみには、さしみこんにゃく様様である、これは腹にこたえ栄養もない。腸の掃除もしてくれている様だ。

2008年3月18日 (火)

横浜名物シウマイ

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おなじみ横浜名物、崎陽軒シウマイである。

かつて祖父のお墓が北鎌倉にあった。私の家の隣に住んでいた祖母は、お墓参りは東横線で横浜に出て、横浜で横須賀線に乗り換えて北鎌倉に行っていた。帰路、孫のみやげを横浜駅で買ってくれていたのだが、老人なのかワン・パターン、みやげは崎陽軒のシウマイというのが定番であった。

であるから春・秋のお彼岸、お盆や命日など事ある度に、崎陽軒のシウマイであって、この独特のチープな味に我が舌がすっかり慣れ親しんでしまった。幼児の頃覚えた味覚がその人の一生の好みを左右するとか、長じてもこのしゅうまいの味だけには目がない。米国に居た時、出張者に手土産を聞かれた時は「崎陽軒のシウマイ、ただし真空パックでなく駅で売ってる生のやつ」と指定していたほどである。

ホタテを使って味をだしていると宣伝している、この一箱の値段は550円也。味はビールに良し、白いご飯に良しである。私の中では「しゅうまい」と「崎陽軒のシュウマイ」は別の食品なのである。

今日、東京駅で買う際「特製シウマイ」ですか「普通のシウマイ」ですかと店員が聞く。「もちろんチープな方の!」。

2008年3月17日 (月)

靴下の邂逅

洗濯終了。ピー・ピーという音で洗濯機のフタをあけ、洗った衣類をハンガーにかける。ところがどうしても靴下が片割れの一足しかない。ドラムの内側にへばりついているのかと目を凝らし、中を手探りで確かめるのだがやはりない。洗い忘れたかと、洗濯もの入れをのぞくがここにもない。

不思議なものだとしばし捜索をあきらめる。

3日後、またピー・ピーという終了音がして洗物を干し始めると、先日なかった靴下の片割れがドラムから出てくる。一日干したあと、靴下のカップルはめでたく元の鞘におさまって箪笥の引き出しの中で4日振り位に一緒になる。いままで片割れの靴下はどこを彷徨していたのだろう。まあめでたく元に戻ったから良しとしよう。

私が洗濯すると良く起きる珍現象である。

2008年3月16日 (日)

お腹が痛い

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しゃぼん玉ホリデー」の様な笑える番組をまた見たいと言ったら、妻が「クレージーキャッツ・メモリアル」なるDVDをネットで探してきてくれて先日届いた。DVD4枚組みの堂々のセット。1960年代前半テレビ放映された「大人の漫画」「しゃぼん玉ホリデー」などの残存フィルムの焼き直しで、映像・音声とも荒れているが、いやはや懐かしく面白い。

布施あきらが熱唱してファンが「布施さーん」と絶叫していると、突如、植木等が軍隊の迷彩服で登場。その瞬間見ている方も例のギャグの予感で笑い始めてしまう。「布施~、ふせ~、伏せ~伏せ~・・・・・うん?・・・お呼びでない?、こらまた失礼しました」。出演者も可笑しさを我慢して噴き出しそうになっているのがまた笑える。

昭和37年だっただろうか、視聴覚教育なるものが導入され、小学校の各クラスにテレビ受像機が置かれた。週に2~3時間、NHK教育テレビで社会や理科の教材番組を学習するのだが、当時、ませ餓鬼ですでにスーダラ節が大好きだった私は、昼休み時間中の「大人の漫画」だけは見せて欲しいと担任に懇願したのだった。とても話のわかる先生でこの提案はすんなりOK、全校で私達のクラスだけが「大人の漫画」を毎日楽しんでいた。毎回5分のコント仕立て、主に時事ネタを生で放送するのだが、今となっては内容のかけらすら忘れてしまっていた。

今回、40数年ぶりに「大人の漫画」を見て、懐かしさとともに5分間と云う一つの時事ネタとしては結構長いコマ、生放送で纏まった風刺を毎日毎日供給するのは至難だったろう、とあらためて驚嘆する。生なのでシーンが変る毎、クレージー7人の内何人かは裏で着替えをしているわけで、着替えもそこそこに慌ただしく新しい場面にメンバーが登場して来るは大変な作業だっであろう事は想像に難くない。

このDVDにはその他にクレージーのバンド演奏なども多々収録されており、植木の歌唱力はじめ音楽的に極めてレベルが高いものがこのグループのベースにあった事がわかる。すでにメンバー7人の中、リーダーのハナ肇、植木等などが他界しており、司会の高橋圭三や、後に都知事になる青島幸雄など幽明を境にした人達も多数出演しているのが貴重だ。

今回気づいた「大人の漫画」のメインスポンサーは「日本理研ゴム」、現在のコンドームトップメーカーの前身である。「提供は日本理研ゴム」とクレージーの面々が叫ぶのを、何もわからない子供たちクラス50人全員で楽しんでいたのである。

夕べはセット4本のうち一挙に3本を鑑賞、笑いすぎて今朝はお腹が痛い。

2008年3月15日 (土)

十三

関西に行くと私鉄に乗る様にしている。最近は関東の私鉄にソフト・ハード含め急速に追い上げられているが、まだ私鉄先進地域の面影がところどころに残っている。なかんずく関心を引かれるのが関西の駅名の豊かさである。例えば阪神間で言えば阪急電鉄の十三(じゅうそう)、夙川(しゅくがわ)など。阪神電車では大物(だいもつ)、出屋敷、甲子園。京阪間では阪急の正雀、(しょうじゃく)、桂なんてのも味があって良い響きだ。京阪電車では中書島(ちゅうしょじま)、墨染(すみぞめ)なぞはいかにも京都に来たという感じがする。圧巻は南海電車で大和朝廷の頃から開けた地だけある。浜寺、羽衣、高石、岸和田、貝塚、泉大津、羽衣から出る高師浜線など歴史そのものという響きだ。

西宮北口(阪急)とか西中島南方(大阪市営地下鉄)という命名スタイルも関東にはない。関東なら北西宮とか南・西中島になっていたか。

駅名の素晴らしさという点では関東が圧倒的に負けと思っている。やたらにすみれ野だの、月見台、菜の花が丘だのとってつけた様な名前が多い。カタカナ駅名の「プラーザ」って何?と思ってしまう。新○○と云う駅名が関東に多いのは、人口増で新路線が開通するのが関東に多いからか。北○○や南○○も多い。とにかく味気ないし、親しみがわかない。いくらかつては武蔵野の台地と雑木林だったとは云え、鉄道関係者はもう少し命名に知恵を絞って欲しいものだ。○○野だとか○○台をつける位なら土着のその場所の字(あざ)名でもつけたらどうだろう。やぼったくてもずっと親近感が湧いて「わが町」という気がすると思う。昔からの線には青物横丁(京浜急行)とか千住大橋(京成)など思わず降りて見たくなる様な駅もあるし、丘をつけても聖蹟桜ヶ丘(京王線)などクールなのだが。

横浜市営地下鉄はセンター北、センター南と来たあと仲町台、一駅おいて新横浜北というなんともやる気のない駅の名前をつけた。案の定、新横浜北で新幹線に乗り換えようと下車する人がおり「新横浜は次ぎ」の表示があったが、その後 北新横浜に改名した。「ほくしんよこはま」か、プっである。 

2008年3月14日 (金)

蘇れ日本橋

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毎日の様に通る東京日本橋である。この橋のたもとが江戸時代から日本全国の道路の基点になっているのだが、今は下の写真のとおり首都高速道路が上を通り、酷い風景になっている。東京オリンピックの前の突貫工事でこんなぶざまな場所になってしまったのだが、今だったらこんな道路の建設は風致保存の点から許されないだろう。エッフェル塔の前を高架高速道路が走ったら、パリジャンはどう怒るかだろうか?

この首都高を地下に移し、日本橋川を都心のオアシスとして緑陰の散歩道なども整備したら素敵だろう。始終混雑している東京やその他大都市圏の道路整備にこそ、道路財源は使って欲しいものだ。

下の写真は都電の走っていた頃の日本橋(中央通沿いの案内写真から)
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2008年3月13日 (木)

ゴルフを離れて

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サラリーマン定番のゴルフだが、営業の第一線を離れてご縁が薄くなった。もともとそんなに熱心なゴルファーでなかったし、最近はスコアーも滅多に良いのが出ない、云うところのLOUSY GOLFERだったのでこれ幸いと出不精を決め込んでいる。昨年の手帳を確かめてみたら、何と1回しかプレイしていなかった。

代わりにその時間に、いろいろな事が出来るのが嬉しい。ジョギングの距離と時間が3割位増えたので体重が減って、この年齢ではかなり良い記録で走れる様になった。また週末は妻と小旅行をしたり、首都圏をあちこちドライブする時間も増えた。ダンスをかじり始めたのは先に当ブログに記載の通りだが、それ以外に時間があると、子供の頃に習っていた(というより実は親に無理やりやらされていた)ピアノも時々触っている。40年振りの鍵盤で、まだポロポロと音を鳴らし始めている段階なので、音楽になっているかどうかも甚だ怪しい。定番ブルグミューラーの始めの方を練習すると、左手・右手・ペダルがなかなかハーモナイズしないが、妻の「子供の頃やってると違うね~」というほめ殺しが効いてなんとか続けている。

ゴルフのない週末、何より良い事は、アイロンをゆっくりかけられる時間が出来て、背広ズボンのプレスがピッシリ入る様になった事。これは毎日、気分が良いものである。 と共にいやがる息子を引きずってピアノの先生に通わせた親にいささかの感謝。

2008年3月12日 (水)

CAVEAT EMPTOR

春の息吹が感じられる今日この頃である。30数年前を思い返すと、ちょうど新入社員として4月の入社に先立ち研修が始まった季節でもある。

研修では元京都大学教授で海運の権威の先生の下、慣れぬ英語や、社会人として、海運マンとして覚えておかなければならない基礎の基を終日詰め込まれた。

泊り込みの研修所で集中講義と云うのもあったが、その研修中、天気の良い日は「今日は、天気も良いので皆でソフトボールをしましょうよ」との我々新入社員の無邪気な提案で、半日屋外で楽しんだりした事もあった。今ではISOなどの要件から、研修中に新入社員の提案で半日もソフトボールをする様な上場会社は、まあ普通は無いだろうが、まだ牧歌的な時代だったのだろう。コンプライアンスなんて言葉もなかったし。

その研修の中で一番最初に習い、商売をする上で心しなければならないと繰り返し教えられたのが「買主、注意せよ」という言葉。英語で"LET THE BUYER BEWARE"でありラテン語で”CAVEAT EMPTOR"と言う。

商人は、とかく粗悪な物を売りつけたがるので、買主(金を払う人)は常に最善の注意を払って騙されない様にしなければならない、と言うのが趣旨である。

その後時代も変わり、製造物責任法(PL法)や消費者保護法などが制定されて買主の立場も以前より強くなって来たが、商売や大きな買い物の際は「買主、注意せよ」という文言を自分としては念頭に置いてきたつもりだ。

幸いこれまで大きな詐欺や騙しにも合わず社会人生活を送れてきたのは、やはり先生や先輩の教えによるところ大だ、と考えるのである。

2008年3月11日 (火)

Take Me Out The Ball Game.

初めてアメリカでメジャーリーグベースボールを観戦に行った時、球場全体に横溢する楽しく軽い雰囲気と7回ホームチーム応援時のストレッチング「Take me out to the ball game」の合唱に感動した。なんとかこの歌詞を覚えてアメリカ人と一緒に歌いたいものだと考えたが、当時はインターネットなどもなく、歌詞を覚えるのにどうしようかと思案したものだった。そこで考えたのが図書館か本屋の子供の本売り場に行けば、子供向けのベースボールの本があるはずで、その中に何か歌詞のヒントがあるのではないかという事。もくろみは的中し、事務所の近所の大手本屋で絵本に書かれた歌詞を見つけて早速その本を購入した。以来ボールパーク(野球場)に行くと隣あったアメリカ人達と共にTake me out the ball gameを歌い大いに野球観戦を楽しんだ。

最近は日本のプロ野球でも、この歌をエレクトーンで流している所があるが、この歌は皆が知っている他にも歌詞があって元の歌は次の通りである。

Katie Casey was baseball mad, Had the fever and had it bad.
Just to root for the home town crew, Every sou (=cent) Katie blew (=spent).
On a Saturday her young beau called to see if she'd like to go
To see a show, but Miss Kate said "No I'll tell you what you can do"

Take me out the ball game, Take me out the crowd,
Buy me some peanuts and Cracker Jack,
I don't care if I never get back.
Let me root,root,root for the home team,
If they don't win ,it's a shame.
For it's one, two,three strikes, you're out,
At the old ball game.

Katie Casey saw all the games, Knew the players by their first names.
Told the umpire he was wrong,
All along, Good and strong.
When the score was just two and two,
Katie Casey knew what to do,
Just to cheer up the boys she knew,
She made the gang sing this song.

以下Take me out the ball gameの節繰り返し。

野球好きのお転婆な女の子が、「デートはショウより野球場がいいわ、選手もセオリーも全部知っているから。だから野球場に連れて行って」とボーイフレンドにせまる歌である。


1908年に出来たこの歌が全米の球場で流される様になったのは、実は70年代初頭からだそうで、そういう意味では7回のストレッチ(校歌、応援歌のエール交換)を神宮球場や甲子園でずっと早くからやっていたのは日本だったのである。おそるべし日本の応援団。

2008年3月10日 (月)

電気機関車は腰で運転する

昨年11月に碓井峠鉄道文化むらで、かつての峠のシェルパEF63型電気機関車の体験運転をした。架線電圧が1500ボルトから600ボルトに降圧されているものの、先年まで信越本線(このあたりでは碓井線と言うらしい)で活躍していた本物の電気機関車である。一人3万円也(妻と二人で6万円)の受講料を払い、座学や構造の講習を一日受け、試験を受けて晴れて指導員の監督の下で運転が許される。試験をやっとパスした後、初めて自分の手でマスコンのノッチを入れ、ブレーキを操作して108トンあまりの機関車がうなりを上げて前進し始めた時は感動ものだった。

それ以来、鉄道少年だったかつての気持ちが蘇り、最近は電車に乗っても運転台のすぐ後ろ、所謂「かぶりつき」に陣取る事にしている。子供が来ても無視、そこで背中を向けてメールなどしているフトドキ者などいると勿体無いと心の中で憤る。

EF63講習では2系統あるブレーキのエアーを「込める」のと「減圧」するのが難しかったので、電車のかぶりつきでもブレーキエアーの状況を表示する圧力計や回生ブレーキ(発電ブレーキ)の電力を示す電流計に目が行ってしまう。回生ブレーキから通常のブレーキにモードが変る際の各メーターの動作を確認したり、この時感じる僅かなショックの感覚を意識するのは新鮮だ。

最近の電車のブレーキはかなり進んでいて、運転士が一見簡単そうにハンドルを操作すると停止位置にショックもなくピタっと止まる。 (実はあそこまでになるのは相当な訓練と経験がいる事は想像に難くないが・・・)。 これに対し電気機関車は、牽引する列車毎に長さや重さが違い、一編成を貫通するブレーキエアーホースからの若干のエアー漏れなどを勘案してブレーキハンドルを操るそうで、うまい運転士(かつては機関士)とそうでない者で相当の差が出ると云う。昔は登り勾配区間で重い貨物列車が停車すると、うまく列車を引き出せる機関士とそうでない機関士もあったとか。

講習の運転台では「牽引する後部車両のブレーキの効き具合を『腰』で感じながら電気機関車は運転するものだ」という指導運転士の説明が印象的だった。近年開発された最新型の電気機関車では随所に自動化が施されていて、運転も昔より随分易しくなっているらしいが、こういう「匠」の技と体験を直接聞けるのは碓井峠鉄道文化むらならではである。

東海道本線の東京駅から熱海駅まで、客車列車を牽引する電気機関車(電車じゃ駄目)の運転台に添乗したいというのが、人生で一度は体験したい子供の頃からの夢である。


写真はEF63・11のマスコンハンドルを握り運転と格闘する私。
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2008年3月 9日 (日)

今週の走り

恒例の週末・皇居周回走。今日も2周(1周約5キロ)+往復の15キロとする。今週は風が穏やかで走りやすい。1周目いつも通り先行させて走り始めた妻は23分28秒で廻る。

そして私は19分20秒、1周終わって妻にちょうど追いついたので、2週目はゆっくりとカップルでジョギング。このままうまく調子を上げていけば、暖かくなる頃、着るものももう一枚薄くなった連休前後には妻は22分台、私は18分台で走れそうな予感が。

が、好事には魔多いもの、順調な時は思わぬ怪我など落とし穴がありがちなので、先を見るより毎回走れる事だけをよろこびとして一歩一歩。体重もあと1~2キロは減らしたい。

今日はそれにしても皇居周回コースはランナーが多かった。東京マラソンから一ヶ月弱、完走した人達がまた次ぎに向けて戻ってきたのだろうか。

2008年3月 8日 (土)

クルーズにはダンスを

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フネ好きの妻に請われて、昨年はハワイ・クルーズ、フェリークルーズ、サハリンクルーズ、グアム・サイパンクルーズなどクルーズテンコ盛の一年だった。さて客船と云えばダンス。別に知らなくてもクルーズは楽しいものだが、ダンスを知っているとその楽しさは何倍にもなるだろう。何せ毎晩、船のどこかかでバンドの演奏があって(大型船なら何箇所かで)リクエストも聞いてくれる。

ただ小中学校の頃から、リズム感が悪くてフォーク・ダンスの時間さえ何かと理由をつけてはサボってきた我が身、ゴーゴーならいざ知らずそう簡単に社交ダンスを習う決心はつかない。以前から妻には一緒にダンスをやろうと強く奨められており、近所のダンススクールなどをこわごわ覗いて見たものの、なにやら腰がなよなよした様なお兄ちゃんや、多数の女性で、気の弱い私にはそれだけで別世界に来た様に血圧が上がってしまいステップどころではない気がする。

それでも飛鳥の年末・年始グアムサイパンクルーズは、往復の航海6日間かけてダンスの初歩を教えて呉れるというダンス教室があり、妻が行くので絶対一緒に来いとのご命。
上司には逆らっても妻に逆らうとのちのち大変な目に遭うし、まあこの際少し初歩の初歩でも習ってみるかと重い腰を上げてみた。毎日の45分の講習は、最初は男女別々にステップを習い、途中から男女が組むのだが、そもそも男性が少ない上、知らない人と踊った方が覚えが早いのだろうか、パートナーとは余り一緒になれず知らないご夫人と踊らされる事が多い。そうなるとあがってしまい、さっきまで覚えたつもりのステップも頭が真っ白になってまったくわからなくなり足を踏んでばかり、と言う有様。

なので「はい、パートナーを交代しましょう」という先生の声の時は、こそっと隅の柱の影に隠れて皆の視線を逃れ、妻を頼りに絶対最後まで彼女の手は放さない、つもりだった。ところがあろう事か、数日目、例によって柱の影作戦を実行しようという時、妻が女の先生(このクルーズでは男の先生2人と、その先生の奥様が乗客として乗っていてダンス教室をお手伝いされていた)に突如「この人、一緒に踊って教えてやって下さい」となんと私を「売った」のだった。

「それは一緒に踊らなくちゃ」と微笑む二人の女性を前に「いや、冗談で・・・・」と、ここはサラリーマン時代に培った「逆らわず笑ったままで従わず」作戦もまったく功を奏さず、舞台の真ん中の方に引っ張り出されてしまった。

ところが、やはり先生のリードが良くて(本当はダンスは男性がリードするものだが)今度は、習ったとおり踊れるじゃないか。やっぱりプロはすごい、と驚いたと共に少し自信らしきものも湧いてきたのであった。

その様な訳で、帰ってからの新年、たまたまNHK教育テレビで趣味悠々・社交ダンスと云う8回のコースを放送していたのでビデオにとり、空いた時間があると夫婦二人でステップを覚える毎日である。今やトイレに行く時もステップを踏んだりして、もう竹中直人にでもなりそうな気分だ。

次のクルーズではダンスタイムに格好良く登場しよう、いやできたら良いな。

(写真は先生2人のデモンストレーション)

2008年3月 7日 (金)

春のうららの隅田川

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久しぶりの陽気に誘われ、昼休み隅田川を散策する。思わず武島羽衣作詞・滝廉太郎作曲の「花」を口ずさんでしまう。さすがに櫂のしずくが滴る様な手漕ぎの船は、今はないが、観光船の他、上流の荒川と東京湾を結ぶ水運路として行き交うバージも多い。江戸の昔から「おおかわ」として市民に親しまれて、この川が物流の要であった事を彷彿とさせる。

先の大戦前は、中央区新川や湊の辺り(現在の中央大橋たもとの辺)に伊豆航路などの港があり賑わったそうである。これだけの水量である。欧米なら川底を浚渫し川にかかる橋は大型船が通行できる可動橋にして、大型船が行き来する事だろう。子供の頃は勝鬨橋が中央から跳ね上げって、下を船が通行する為、橋のたもとで待たされた事もあったっけ。港が沖へ沖へ、埋立地の先にと行ってしまい、身近で大型船が見られない日本は、ちょっと寂しい。

それにしても、金曜日の昼休み、春の隅田川の岸辺を散策するのは「げに一刻も千金の」時間であった。桜はあと3週間位か。

2008年3月 5日 (水)

魂の応援

ネットで注文していたTOKYO BIG 6(東京六大学)応援団のCD「魂の応援」が今日届いた。各校の第一応援歌と、野球のチャンスの場面で奏でられるチャンス・パターンが収められている。迫力満点で、まるで神宮球場で観戦しているかの様な錯覚に陥る。

母校ではないが、振興・飯田橋の大學の応援と、弊衣破帽・駿河台の大學の演奏が元気良くて嬉しい。この2校の応援団が時々皇居周辺で合同で練習していたが、その一種異様な雰囲気を、外国人観光客が興味深げに遠まわしに眺めているのが何とも微笑ましかった。

残念ながら駿河台の応援団は、不祥事により活動中止になってしまったが、いつの日か禊を済ませて神宮球場に復活して欲しいと切に願う。

東京六大学野球は、『対校戦』。国立の東京大学を含めたどの一校が欠けても対「校」戦は成り立たない。またこの対「校」リーグ戦が存立する基盤の一つはスタンドの観客の母校への応援。どの一校かの応援が欠けてはこのリーグ戦のレーゾンデートルは失せると思っている。

今年から神宮球場が広くなるとの事。また新しい歴史を静かに見守っていきたい。

2008年3月 4日 (火)

横浜港にて

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今日は仕事で、横浜本牧埠頭に停泊中の重量物運搬船へ早朝から訪船。中東向けのプラントを積み込みを視察する。原油価格高騰で潤っている中東各国は、機械やプラント輸入にドライブをかけ、極東から中東へ向かう航路はどの船も満船状態である。

仕事の合間、ブリッジのVHFでは東京湾交通海上管制センター(東京マーチス)の交信が始終流されているのでつい聞き耳を立ててしまう。東京マーチスからは内航の小型船にしきりに船名や行き先を尋ねている他、巨大船やガス積載船の入出港の際にも、近隣の船舶に盛んに注意を喚起する呼びかけがなされている。来年から500総トン以上の内航船にも船舶自動識別装置(AIS)の搭載が義務づけられ、船名の他、進路方位、仕向け地などが把握可能になるのだが、それまではこういう交信・管制で東京湾の航路の安全が担保されている事を認識する。地味な仕事ながら、正に東京湾の安全の為の縁の下の力持ちだと実感。

東京は気温11度だったらしいが、船の上は海風が直接当たって結構冷え込み、帰宅後は50肩のだるさがぶり返す。

2008年3月 3日 (月)

Daylight saving time

春は名のみの風の寒さよ、と言った季節だ。

まもなく春分の日が来て欧米ではイースターとなるのだが、この頃から北半球のあちこちの国で、ある夜を境に一時間時計の針を進ませる夏時間が始まる。今、朝5時に感じる暗さが夏時間では6時まで続く代わりに、夕方6時に感ずる日差しが7時まで延長すると云う訳である。夏時間の事を米国ではDAYLIGHT SAVING TIMEと云う様に夏の夕方の明るさを皆で楽しく過ごす為のものである。

アメリカでは州によって、夏時間を採用する所とそうでない所があるので混乱するのはしばしばらしい。アメリカに駐在した初めての年のある朝、時間通り空港に着いたが、その日はちょうど夏時間に変る日で予定のフライトに乗り遅れた経験がある。窓口に掛け合ったら「今日は同様に乗り遅れた乗客が沢山いて、次ぎのフライトも一杯になりました」と言われてしまった。
オーストラリアでも州によって夏時間がまちまちななので、豪州国内間の電話のやりとりに支障を来たす事があると聞く。なにしろ夕方5時過ぎたら普通、勤め人は脱兎の如く退社してしまうお国柄だから、州を跨った大事な話が夕方になって来ると気を遣うと言う。

日本でも終戦直後、進駐軍の下で夏時間が採用された事があったが、すぐに廃止されてしまったと聞く。時計を合わせるのが面倒だとか、眠いと訴える人が多かったのがその理由とか。緯度が欧米の諸国に比べて低いので必要ないと言う人もいる。

でも東京にいると、夏は外国の諸都市よりも異様に朝早くから明るくなり、夕方はすぐに暗くなってしまう感じがしてならない。何か時間を損した気分だ。経度的には日本と同じお隣の極東ロシアも2時間位日本標準時より時間が早いし、南のグアム、サイパンも日本と1時間時差があって夕方が明るいから、やはり日本の時刻はちょっとおかしいのではないか。歴史的に「朝は早くから労働に精を出すべし」なんて云う思想から、朝が明るくなる様に時間を設定しているのかもしれない。

時代も変り、この際日本も4月~9月位は夏時間を採用し、思い切って2時間位時計の針を進めたらどうだろう。省エネになるし、夕方のラッシュアワーは明るい中に終わる。薄暮に多いと言う交通事故も減るだろう。また働く人の意識も変って、夕方は家族で過ごすとか勤務が終わってからスポーツや趣味を楽しむという人達が数多く出てくるかもしれない。特に陽が長い西日本では、夕方以降に営業する屋外のレジャー産業や施設が売り上げを伸ばすだろう。

自分の事を言えば、閑職の身となり5時には会社を出られる様になると、毎日夕方以後をいかに過ごすか、計画を練るの事が楽しみになってくる。かつては残業後、飲み友達を探していた私が言うのだから、夏時間で早く退社って良いものだと言うのは間違いない。

2008年3月 2日 (日)

ブルース・ブラザースはサウンド・オブ・ミュージックへのオマージュ?

DVDになったサウンド・オブ・ミュージックをたまたま何十年ぶりかで見た。するとこの話自体どこかで見た映画とそっくりだなと思えてきた。そうだブルース・ブラザースに似てるじゃないか。というか、ブルース・ブラザースがサウンド・オブ・ミュージックを真似たのか、と思ったのである。

片や美しいアルプスを背景にロマンに満ちたサウンド・オブ・ミュージックに対し、片や薄汚い二人がシカゴを舞台に噴飯のアクションを見せるブルース・ブラザース。設定された場面が反対の極致ではあるが、そのモチーフはそっくりではないか。反権力というストーリーの基調。修道院や孤児院が話の発端である点、神の啓示は教会や修道院の先輩から受ける事、物語の中で大きなウエイトを占めるのが音楽会という筋立て。逃避行に至る契機がともに音楽会で、かつ主役が舞台からこっそり裏口を通って逃亡するのが終盤のクライマックスの発端など、見れば見るほど似ている。ブルースブラザース兄弟が、孤児院でシスターの院長に説教される場面は、マリアが修道院で、磔のキリスト像を前にしてシスターに教えを受けてる場面と同じ道具立てや色使いじゃないか。

初めてブルース・ブラザースはサウンド・オブ・ミュージックの啓示を受けて出来たのだ、と一人確信した。普段映画にほとんど興味がないが、お茶の間DVD鑑賞で最近気付いた。この事って映画通の間では、もうどこかでとっくに話題になっているのであろうか、それとも私の想像が荒唐無稽?

2008年3月 1日 (土)

今日のメニュー

今日は、予報では気温も上がり風も南風という事で、先週に引き続き、家から皇居往復(5キロ)+皇居2週(10キロ)計15キロ走る事にする。先週は大風で思う様に走れなかったので、今日は少し気合を入れて皇居2周のうち1周だけは速めに走る事にしようと思った。

ところが周回出発点の竹橋に到着して、さあ行くかという頃になると急に風が変り北の風が結構吹いてくる。後で調べるとこの時間に気温も急激に下がっている。うーん!どうも先週に続き天気が見方してくれないなと思いながら、まあレースではないから気軽に行こうと気を取り直す。妻を5分先発させ、速めに走る事にしている1周目スタート。

竹橋から最初の1000mまではいきなり結構急な登りで4分10秒、次ぎの1000mはイギリス大使館前までの登りと国立劇場前までの下りでここを4分6秒、2000mから3000mの桜田門までは下りで3分57秒、そこから4000m大手町までは、当初追い風で楽に行くはずだったのだが北風になった為、向かい風で苦しく3分55秒、大手町/竹橋の最後の1000mは3分48秒、計19分57秒だった。先行の妻は25分弱で走ったのでゴールでちょうど追いつくという感じで1周目終わり。 

竹橋スタートの場合、南風の日ならば、後半、丸の内側で追い風を受けて最後が楽になるので、最初の坂を勇気をもって飛ばして上がって行けるのだが、北風の日は逆で辛い。特にスタート後が登り坂の連続でどうしてもセーブしながら上る為、ビルドアップ(後半を上げる事)の様な練習になってしまう傾向がある。ここを3分台で駆け上がれば良い練習になるのだが、その後の苦しさを考えるとあまり勇気が湧かない。

多くのランナーが発着とする桜田門スタートにすると、最初の2000mが平坦、そこからの登りを頑張ると後は一挙にゴールまで下りなので、記録はこちらの方が出るのではないかと思う。ただ我が家と桜田門は、ちょうど皇居の反対側に位置する為スタート地点まで遠すぎるのと、「いやな事=きつい登りは先に済ませたい」と言う妻に従がって通常、竹橋発着としている訳である。

また桜田門発着コースは、完全な皇居1周(半蔵門~桜田門~祝田橋~大手門)コース約5000mに対し僅か距離が足りないと謂われている。今まで色々な方の実測された結果では約20mの差と云うが、グーグルで測定すると約40m短い。我々が走った実感では約15秒、距離にして60m違うという感じがする。これは桜田門の内門を入ってから時計台の前を通り内堀通りに出る広場を、どの位斜めに走ってショートカットするかで差が出て来る様に思われる。「皇居1周」と云うのは良くこの内門を通る短い方を指すので、それだと私の今日の記録は19分45秒位になるか。

この処体重を3~4キロ位減らしたら、なかなか切れなかった20分の壁が簡単に切れる様になってきた。40歳台の頃は18分台で走れたので、あともう2キロ減らして18分台を狙いたいものである。

(妻はいつもスポ根で先行させられるのにやや不満顔、本当はカップルで仲良く走りたいらしい。なので2週目は仲良く二人で時計周り=反対周りで走りました。)

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