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2008年2月

2008年2月27日 (水)

あったら良いな

家やオフィス、クルマの中でちょっと音楽が聞きたい時、音楽専門のラジオ局が日本にはない事に困る。有線放送があれば100幾つものチャンネルの中からその日の気分で音楽を選んで聞けるが、有線放送が聞ける場所って言うのはそんなにない。日本のラジオはなんであんなにおしゃべりが多いのだろうか。ラジオのスイッチをひねると他愛ないおしゃべりの連続で、床屋さんにいるかの様な錯覚に陥る。一日中クラシックやジャズ、ポピュラー、ロック、カントリーなど専門に流す局が諸外国には数多くあるがなぜ日本にはないのだろう。

しょうがないのでインターネットラジオに接続して聞きたい音楽をずっと流す事になるが、さすがにクルマの中では無理である。ミニラジオ局開設するのにどの位資金がいるのだろうか。出資者を募って、いっちょ自分でクラシック専門局でも開いてみるか。

2008年2月26日 (火)

時代閉塞

メディアや評論家が、「この閉塞の時代に」と言う表現をする。なにか現在が行き詰まった時代で、少し先が暗く閉ざされているかの様に良く使われる。

でも40年前、全共闘の学生達もヘルメットと覆面の下から「この閉塞の時代を正に打破しなければならない~」と絶叫していたものだ。
石川啄木は、明治43年に「時代閉塞の状況」という評論を出していたし、昭和初期の青年将校も時代閉塞を打ち破る為に2・26事件などを起こしたのではなかったか。おそらく西欧の近代社会では多くの学者や政治家が、これに類した言葉を長きに亘って使ってきたのではないかと思う。

という事は、少なくとも市民社会なるものが成立してこの方、閉塞していない時代などあったのだろうか、と言う疑問が湧く。

現代に入ってから「閉塞」していなかった時期と言えば、多分戦争中と戦後の復興期初期(昭和30年代)位ではなかろうか。戦火に追われた日々、食うや食わずの戦後、朝鮮戦争からオリンピックを前にあちこちで突貫工事が始まり高度成長の始まりを感じた日々。そんな時代は「閉塞の時代」などと言っていられなかったと思う。

してみると「閉塞の時代」等と言う枕言葉は、社会が成熟してどちらかと云えば皆そこそこやっていける時代だからこそ語られる幸せな表現かもしれない。

2008年2月24日 (日)

スカイラインVSボルボ

A_9

愛車スカイラインの2度目の車検時期になり、車を買い替えたいなと思った。今の車に満足しているしまだ新車から5年で3万キロも走っていないのでもったいない気もするが、新車を買うと言うのは、買い物嫌いの自分の中で唯一つ興奮を覚えるものなので、ま仕方ないか、と自分に対するエクスキューズをする。

実は数年前ハワイ島でクライスラーのコンバーティブルを一週間借りた際、あまりの快適さにすっかり夫婦でオープンカーの虜になり、次ぎにはこんな車に乗りたいねという事になった。ちょうど自転車やバイクで風を切る感覚と四輪の自動車の中間くらいだろうか、外気に触れ風や周囲の匂いを感じ、それでいて車内では冷房や暖房が効く心地よさと云うのは新鮮な悦びだった。心配した雨は、車が走っている限り屋根全開でもウインドシールドの上を通過して行ってしまい、まったくと言って良い程車内には吹き込んで来ないのも驚きだった。

なので帰ってからオープンカー(ハードトップ)の展示や試乗があると出かけて見るのだが、なぜか日本のディーラーは国産車も外車もオープンカーという車をそんなに積極的に薦めないし、取り扱い方をセールスマン自体が良く知らなかったりして白けてしまう。売れ筋でない事と、都内ではゴーストップが多すぎて少しでも雨の降る日は屋根を閉めなければならないからか。また夏のむし暑さはオープンカー向きでないのかもしれない。もう一つ、たまには親戚や友人を後部座席に乗せたり、ゴルフバッグやボストンバッグを載せる為にはほとんどのコンバーティブルの2+2の後部席やトランクルームが小さすぎて、ドライブオンリーなら良いが実用に適さない事が判った。

一方代々乗り継いで着たスカイラインの新しいヤツ(イチローがCMをやっている)はスタイルは今一かな、と思うものの魅力的だ。なによりこのクルマをずっと乗ってきたから進歩のありさまというか、慣れた「氏、素性」というか、はたまた「新しい古女房」みたいな親しみと安心感がある。6気筒エンジンと今では数少ないFR車の魅力も大きい。なにより国産車というのはまず故障しないし、整備点検が経済的にも物理的にも楽で、なんか今さら浮気をしたくない様な気もしてくるから不思議だ。

6気筒のFRと云えばドイツ車が頭に浮かぶものの、同じクルマがアメリカではもっと安く売られていてなんだか馬鹿にされた気がするし、アウトバーンを200キロで走る事を念頭に於いて設計されている車はオーバースペックな気がして、不当に高いものを買わされている感が強く食指が動かない。

たまたまそんな時、ジョギング途中のボルボディーラーの店頭で魅力的なハードトップオープンカーを発見。スタイルも良いし後部座席も一応大人二人座れる。トランクもハードトップを収納して屋根を開けた時でも、そこそこゴルフバッグ2つ位は収納できる。なにより北欧コンテンポラリー的な内装がシンプルで大変美しい。値段はスカイラインより高いがまあ無理すれば何とかなるか、と言った処。試乗した限りはなかなかのものである。

半リタイアの私に比べはるかに稼いでいる妻は、このクルマにすっかり一目惚れして資金面では補助するから買い換えようと盛んに薦める毎日である。この際5気筒のFFだけどオープンカーをチョイスするか、はたまた浮気はやめるか、どっちとも判断できないから今のクルマをしばらく乗り続けるかしばし思案のしどころである。

皇居ランニング

休日恒例の皇居でのジョッギング。天気予報によると昼過ぎまでは暖かだが、3時頃から急に北風が吹き気温が急落するとの事。できれば午前中に走ってしまいたかったが、起きたら12時だった。「歳をとって朝早く眼がさめて困ると最近までこぼしていたのはどこの誰?」とあまりに惰眠をむさぼる我が姿に妻も呆れ顔である。近頃は休みの日は12時間くらい寝てしまう事もある。毎日脳細胞が夥しい勢いで老化しているのかな、と不安になる。

昼からラグビーの日本選手権の母校のテレビ応援。前半は互角の戦いだったが、所詮力に優る社会人チームには後半まったく手が出ず完敗。で後半半ばにはテレビ観戦も切り上げて暖かい中にと妻と皇居へ走りに行く事にした。

先週、風邪による腹痛でまったく食べれず走れずの妻は1週間ぶりの走りなので、今日は足慣らしで二人でゆっくり竹橋起点2周(10キロ)プラス往復5キロの計15キロ走にする事とする。
皇居1週目は2人で走って25分ほど、2週目は妻を先行させ4分竹橋でインターバルをとり追いかける事とする。しかし2週目の1キロ過ぎの地点(イギリス大使館前)で予報通り北風が吹きはじめ、突如辺りは嵐の様な状況になった(都心では風速30メーター弱の記録)。これでは前へ進むどころか目も開けられないし、先行した妻は膝の痛みでスローダウン。散々ではあったが何とか21分ほどで2週目をカバーした。まあこういう日があっても良いだろう。

ところで走るのは楽しいが、15キロ位走ると着替えやらシャワーも含めてそれでほぼ半日つぶれてしまい、土日には他の事ができなくなる。妻は家事も滞おり予定が狂うと言うがこれが走る事の唯一のマイナス点だろうか。

2008年2月22日 (金)

他力本願

他力本願」という言葉は、もっぱら他人の力をあてにするという意味で使われている。
しかしこの言葉の本来の意味は、仏様(阿弥陀仏)が立てた願いの力によってのみ、凡夫は仏の世界に往生できる、と云う事らしい。

これをもっと平易に考えてみると、こういう事なのだろうと思っている。
人はだいたい自分自身の力や努力によって生きていると考えている。しかしちょっと考えれば、人は周囲や社会に依存して生きており、自分一人の力では何もできない事に気づく。両親がいなければ生まれて来ず、愛がなければ健康に育たなかったかもしれない。大人になれば家族や友人に助けられて毎日の生活を営み、職場の人が居なければ経済活動もできない。近所の人々がいて自分が安心して住める家がある。もっと広く言えば社会の仕組みや枠組がなければ、どの人も一日たりとも生活ができないのだ。人は人に活かされて生きているのだし、自分もその中の一員だという事をすべからく自覚せざるを得ない。
その事に本当に気づけば、毎日毎日を大事にして周囲に感謝し、まわりの人をおもいばかって生きる事が大切だと分かる。これを仏教では利他というらしいが、利他の行動がすなはち自分の幸せになると云うのが「他力本願」の本来の意味であろう。

私は、40歳台後半から50歳代になる頃、何度か大きな転機・危機を経験した。それまでは自分の人生は「まあこんなものかな」と思って、物事を深く考えずに来たわけだが、そういった安易さのつけが一挙に巡って来て危機に直面したのでないかと云う思いだった。
危機の原因は本来もってうまれた「業」の強さというか、心の弱さにもあると痛切に感じ、少し生きる方向、考え方を変えたいと悩んだものである。この悩みの中で出合った言葉の一つが「他力本願」だった。

自分自身に「他力本願」の本意をあてはめてみると、「周りの人をもっと信頼し大きな目で見てあげなさい。自分一人で生きているのではないのだから、周囲に感謝し穏やかに生きなさい。」という事ではないかなと考えている。

そうは言うものの、みずから修養を積んでいるわけでなく、むしろその反対の幼弱性に翻弄される毎日であって、自分の「業」の深さには時々嫌気がさしてくるのだが、先般作家の宮本輝が「人間にはそれぞれ業がある。長い葛藤を経てそれがふっと消える時がある。人生何一つ無駄なものはない」と言う趣旨の発言をされていた。それを聞いて少し救われた気持ちになったのが事実である。

2008年2月21日 (木)

一陽来復

A

最近は閑職の身になって夕方5時過ぎにはオフィスを出られる。この時季ビルの外に出ると、陽が段々長くなっていくのが感じられ得をした気分になる。春分の日までちょうどあと一月あまり、日中の長さは秋で云えば10月の半ば位になるのだろうか。まだ続く寒さの中にも梅の花のニュースなどを聞くと心もなごんでくる。やがて沈丁花の妖しい香りが道端から漂って来る頃には、道行く人々のコートの襟もゆるんでくるだろう。

しばらくするとセンバツの便りが聞かれる様になり球春が到来する。今年は母校の一環教育の中にある高校が3年振りに甲子園に出場する事になり、今からセンバツを楽しみにしている。3年前はベスト8まで勝ち進んだが、今回は投手力も充実して更に上を狙えるのではないかとのメディアの予想である。できれば甲子園まで応援に行きたいものだと予定表を繰っている。

やがて4月になり東京六大学野球のリーグ戦が始まると、春も本格的になってくる。子供の頃から神宮球場に通い続けてかれこれ半世紀近く学生の野球を見ているので、神宮のスタンドは私にとって居心地の良い古巣の様なものである。そこはまた春と秋、季節の移ろいを感じる場所にもなっている。徐々に銀杏が色づく秋のシーズンは、たそがれる神宮の杜は感傷的な雰囲気に包まれるし、夏に向かい降り注ぐ日差しの中の春季リーグ戦は、球場全体が選手や懸命に声援を送る応援団の躍動に満たされる。

自分の子供の世代より若くなってしまった大学生たち。今年はどんな子が入ってくるのだろうか、上級生になって伸びたのは誰だろう、等といろいろ想像を廻らしながら春の一日、陽光の下スタンドの一画に佇むのは幸福を感じる一時である。

例年になく寒いと言われるこの冬、あと少しの辛抱で春が来る。応援団の大太鼓と校歌が甲子園に、神宮の杜にこだまするのを待つ今日この頃である。

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