2024年4月12日 (金)

「死は存在しない」 田坂広志著

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人生100年時代と言われるが、私のような70才過ぎの男性高齢者が100まで生きるのは48人に1人の割合、女性では12人に1人(国際長寿センター)だそうで、そう誰もが100才に到達するわけではない。両親のことを考えると、二人とも90歳前後でなくなったから、自分の寿命も長くてもせいぜいあと20年くらいかと思っている。平均余命の尺度で考えれば、我々はあと14才ほど生きるのが「平均」なのだそうだが、振り返って14年前のことを思い出せばついこの間のようで愕然とする。飛鳥Ⅱで人生初の世界一周クルーズに行ったのが2011年の4月で、あれからちょうど13年が経過し、それと同じくらいの時間が経過すれば、私という存在は統計的にはこの世にいない可能性が高くなるわけだ。それでは死んだあとの自分は一体どうなるのか、多くの人が考えるように、ふとその疑問が脳裏をかすめる。


特に信じる宗教もないので、人間は亡くなれば家族や知人の記憶に残るだけで無へ帰って行く存在だと思っている私だが、「死は存在しない」(光文社新書)(「死後我々はどうなるのか」)と云う本が本屋の店頭にあったので購入して読んでみた。著者である田坂広志氏は東大工学部を出た原子力工学の博士で、世界賢人会議の日本代表や大学教授などを歴任し、内閣官房参与にも就いたと云うから、履歴からすると純粋に最新の科学に立脚して本書を上辞したように見える。もっとも著者自身の最近の著作は「運気を引き寄せる」とか「人生で起こること、すべて良きこと」などのスピリチュアル系が多いようだが、この本の帯には「最先端量子科学が示す新たな仮説」とあり、科学者の眼から死についてどういう考察がなされるのか期待しつつ読み進めた。


「最先端量子化学が示す新たな仮説」とはどういうものだろうか。本書によれば、我々の住む宇宙は、138億年前に量子真空と呼ばれる真空が「ゆらぎ」を起こして大爆発(ビッグバン)して誕生したそうだ。この世に存在する物質の究極は波動であり、我々が知覚する「もの」は実際にはないし、時間もない、と云うのが最新の物理学の考えだと著者は説明する。またビッグバンを起こした量子真空は、無限のエネルギーを持っており、そこには、この宇宙が存在を開始した138億年前からのあらゆる情報が記録される「ゼロポイントフィールド」なる空間が存在するというのがこの本の主張するところである。「ゼロ・ポイント・フィールド」には私たち人類一人一人を含む全宇宙のあらゆる歴史や行動、変化が「宇宙的意識」として集積されており、我々が死ねば肉体が滅びても魂は「宇宙的意識」に止揚されるので、「死は存在しない」という理屈になるらしい。


この筋立ては、かつて若い頃、ブルーバックス本などでかいつまんだ「特殊相対性理論」などの世界に似ているようでもあり、最新物理の知見を踏まえればこのような展開に導かれることもありうべしと、引き込まれるそうになる点がミソである。また宇宙の彼方には人類の英知や進化を越えた何か超越する存在があるという話は、1968年のスタンリーキューブリックの映画作品「2001年宇宙の旅」も想起させ、見果てぬ世界を知りたいとの人々の欲をくすぐる考え方でもある。もっとも、この「ゼロ・ポイント・フィールド」が実存する証として、著者は仏教の涅槃はじめ多くの宗教の教義にその世界が描かれていることや、人々がしばしば六感、予知能力、占い、デジャブなどの非日常現象を経験するのは、「ゼロ・ポイント・フィールド」がすべての事項に繋がっているからだとの理論を展開している。しかしその論考は、神秘論的かつ余りにも性急、短絡的なこじつけに思え、「ゼロ・ポイント・フィールド」なるものが存在することを学問として示すには、より普遍的で精緻な事例をあげて検証を行う必要があると考える。「死は存在しない」は興味深い発想だが、著者の思い入れが強すぎ、それを物理学的な装飾でカバーしたのではないか、とも思えるのである。仮説と現実を繋ぐより実証的な具体例があれば、理解の度も深まる気がしている。

 

2024年4月 7日 (日)

第57回東京六大学陸上競技大会

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応援団の声援をバックに代表5000米レースの熱戦


改修工事の終わった慶應義塾日吉競技場のこけら落としとして、昨日は第57回東京六大学陸上競技大会が行われた。後輩たちの今年の戦力を占う緒戦とあって日吉に赴けば、やや肌寒い曇り空だったが風もなく陸上競技日和である。当日は男子18種目、女子10種目に亘り、それぞれ代表レースと他の学校やOBも参加できるオープン競技が新しいグラウンドで繰り広げられた。我々が学生だった50年前は、この競技会の黎明期とあって、代々木の織田フィールドや世田谷競技場などで観衆もなく担々と試合をやっていたものだが、今や各校100名を超える部員に加え、競技関係者や多くのOBが観戦に訪れるちょっとした大会に成長した。もともと東京六大学と云えば野球の連盟であり別に陸上競技で集まることもないのだが、そこは東京に昔からある大学のよしみで早慶戦や明法戦など対抗陸上競技会を開いてきた間柄であり、友好的な関係にある仲間でもある。6大学は集まるにはちょうど良い規模、環境で、50回大会からは女子種目も加わって一層盛り上がるようになった。


六大学は競技の成績に於いても昨年の関東インカレで、男子1部16校のうち早稲田が2位、法政9位、慶応12位、明治14位であり、2部42校中のうち立教は5位、東大は18位と各校がそれなりに健闘している状況にある。早稲田は今年の関東インカレで優勝を狙っているし、2部とはいえ立教も最近は箱根駅伝に復活し意気が上がっているので見る方も熱が入る。体育専門の大学に較べれば、各校ともトラックやフィールドの全種目にあまねく人材が揃っているわけではないが、却ってそれが得点争いの穴になるのが対校陸上の面白いところ(※インカレも六大学も決勝の1位が8点、2位が7点、以下8位が1点を獲得し、各校が合計得点で順位を競う)。箱根駅伝のテレビ中継で見た顔や、400米ハードルでパリオリンピックを狙う母校の主将・豊田兼君(4年桐朋)のような注目の顔が眼前で全力の争いを繰り広げるのを見ると、こちらもエネルギーを貰った気分になる。昨日は6校の応援団やチア、ブラバンの応援合戦もあって、対校競技会としての雰囲気も一段と盛り上がるなか、100米で三輪爽太君(4年西武文理)、3000米障害の安田陸人君(4年開成)ら後輩の優勝や、トリの1600米リレーの早慶デッドヒートで久々に陸上競技を楽しんだ一日であった。


競技が終了した後は、懐かしの日吉の街でOBの懇親会となる。会場の居酒屋には老若男女40名ほどのOB・OGが参加したが、見回せば我々の代が最長老であることを発見して愕然とした。若い頃にこの種の催しに参加すると、上席は白髪や禿げあがった爺さん達ばかりで、その長い説教や訓示に辟易としたものだが、気が付けばこちらがあの世代さえ超えている。まさか自分がそういう年齢になろうとは、想像だにしなかった。月日の経つのはなんと早いことか。と、隣の部屋で懇親会を開いていた早稲田OB会会長の瀬古利彦氏が我々の座に押しかけて、「本当はボク慶応大好きなんですよ、息子も慶応だし」「今の早稲田にはフィールド選手がいないんですよ、だから早慶対抗戦はフィールド種目をやめてトラック種目を増やしましょう、円盤なんか20m飛ばしてもしょうがないでしょう」など投擲陣が怒り出しそうな冗談を飛ばしていた。あの有名な瀬古もサービス精神を発揮して敵チームの宴会に乱入し、日本の瀬古ではなく早稲田の瀬古になるのだな、と彼のテレビで見るのと変わらない軽妙なトークに我々は大いに盛り上がった。

世界の瀬古から早稲田の瀬古へ、慶応OB会に乱入して盛り上げてくれた瀬古利彦氏
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2024年4月 4日 (木)

2024 春の到来 

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60歳を過ぎた頃から冬場はズボン下を履くようになった。ジジ臭くて嫌だな、とは思ったものの実際に履けば暖かいのだからやせ我慢はやめた。日記を見ると昨年は寒くなりかけた年末からズボン下を着用したことが分かったが、最近の陽気でそれも脱ぎ捨てたので、3カ月半のパッチ生活であった。これをやめて素足に近づくと、下半身がすっきりと活性化したようで気持ち良い。そう云えば今年は遅かった桜の花もようやく開き、「入学式と桜」という児童雑誌の表紙のような光景をあちこちで見かけるようになった。地球温暖化で桜の開花が早まったなどという、早とちりの解説を聞かないのも例年と違って嬉しい。地球はもっと大きな宇宙的なサイクルの下で温暖と冷却を繰り返しており、CO2の排出が温暖化の原因とは云えないとする研究者も多い。地球温暖化対策と称してCO2削減を、と声高に訴える利権ビジネスもそろそろいい加減にして欲しいと思っているところである。


アメリカでは「もしトラ」ではなく、トランプ氏が大統領に選出される可能性が高くなってきた。彼が大統領になれば、地球温暖化対策の国際的枠組みであるパリ協定から再度離脱を宣言するであろうし、EV購入に対する補助も止めることが見込まれている。安倍さん亡き後、LGBT法案の極めて拙速な制定始め、「多様化」やら「移民との共生」を促してきた自民党政権は、今やアメリカ民主党や バイデンの「ポチ」と呼ばれ、彼らの主張のままに動いているように見られる。地球温暖化の問題でもアメリカの後を追ってか、我が国もEV購入補助など諸対策を打ち出しているが、トランプ氏が大統領となったら、今の自民党は後ろ盾を失ってどこへ漂流していくのか見ものだ。もうトランプの盟友である安倍さんはいない。LGBT法案の成立に怒り自民党をすっかり見限った私は、急速にリベラル化しつつ親シナであるこの党が落ちるところまで落ちたらよいと、「裏金問題」などの自民党のスキャンダルをニヤニヤしながら見ている。


さてトランプ政権が再来すれば、シナに向きあうアメリカの姿勢はより厳しくなり、移民問題も厳格な政策が実施されることだろう。また自国ファーストのトランプによって、NATOや我が国のような同盟国も安全保障上の甘えは許されなくなることが必至。代わりにトランプ氏は日本や韓国が核兵器を持つことを容認する考えを持つとも伝えられる。増大するばかりのシナの脅威の前にアメリカのプレゼンスが地域で後退すれば、戦後80年続いた我が国の経済重視・軽武装の国是も根本的に見直すことが求められるし、何よりその前に憲法改正が喫緊の問題になるだろう。この秋には実現するかも知れないトランプの復帰によって、彼とプーチンと云う反グローバリストに先導される国際情勢が我々の眼前に広がりそうで、一体どんな光景が展開するのか興味が尽きない。そうなれば我が国も安閑としていられなくなりそうだ。個人的には「意識低い系」を自認する私は、SDGSやらCO2削減にはまったく興味がないから、当分クルマは燃費の悪いBMWの直列6気筒、ツインターボエンジンでガソリンをまき散らしてドライブしようと思っている春である。

2024年3月27日 (水)

ボルチモアの橋 (フランシス・スコット・キー橋)の崩落

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崩落したボルチモアのフランシス・スコット・キー橋(2018年5月飛鳥Ⅱ船上より)


米国東海岸メリーランド州のボルチモア港入口に架かるFrancis Scott Key Bridge(フランシス・スコット・キー橋)の橋脚に、現地時間3月26日未明にシンガポール船籍の大型コンテナ船が衝突し、46年前に造られた橋が崩落、何名かの行方不明者が出る事故が発生した。Key Bridgeと云えば2018年の飛鳥Ⅱ世界一周クルーズで、ボルチモア港に入出港した際、この橋の下をくぐったことが記憶に鮮明なので、橋の崩壊を告げるニュースにびっくりするばかりである。米国に於いて船舶がぶつかって橋が落ちた事件で思い出すのは1980年にフロリダ州タンパ湾口に架かっていたSunshine Skyway Bridgeのことである。私は乗船研修で貨物船に事務員として乗船していた1978年夏に、タンパの問題の橋の下を通過したばかりだったので、当時崩落の報道に驚いたことを思い出した。


巨大な架橋の大きな橋桁も船舶の衝突には極めて弱いようである。この点を知り合いの橋梁の専門家に尋ねたところ、『トラス形式の橋は、冗長性がない、不静定次数が少なく、計算し易い構造で、断面を削って製作費用を抑える事ができる。逆に言えば1箇所壊れると連鎖的に崩壊します。今回、超大型コンテナ船が橋の橋脚の前にあるはずの緩衝材ラムショック(想定船舶が10万トン程度が多い)を乗り越えて橋脚に衝突した。1940年代から1980年代の米国には、似たような形式のトラス構造、カンチレバートラスが多い。以前に崩壊したタンパの橋も同じです。』『 マリタイムナビの写真を見たら、船舶衝突防止構造は、一応ありました。しかし、小さいし、あのコンテナ船は、止まらない。橋の下部構造のコンクリートが破壊されたら、橋は持ちません。また、トラスの橋脚取り付け構造部にあたり破壊されたら、橋は崩壊します 』との貴重な見解を頂いた。東京ゲートブリッジなども同じような構造だと思われるが、渡ったりくぐったりすれば一瞬で通過する橋梁も実に様々な要件があるものだ。


ボルチモア港は米国東部だけでなく、五大湖や中西部へ向かう物量の一大結節点にあたり、輸入コンテナの扱い量では全米の港の2.5%を占めている。砂糖や石膏、石炭の取り扱いのほか自動車の輸入額では全米一を誇り、近年はカリブ海やカナダ東岸へのクルーズ船の拠点としてカーニバル社やロイヤルカリビアン社の客船の寄港も増えているそうだ。同港の入口に位置する橋の崩落により現在航路は閉鎖されているが、これによる損害は一日当たり15百万ドル(23億円)と見積もられているとのこと。またフランシス・スコット・キー橋は首都ワシントンDC近辺に連なる交通の要衝となっていたこともあり、地域経済や人々の生活にかなりの影響が出ることを地元が懸念しているとローカル紙は報じる。


港の入口に位置するKey Bridgeにぶつかった船舶は、船名が"DALI"。長さ約300米/幅48米、9万1千総トンで20フィートコンテナ換算で約1万個を積むオーバーパナマックス型の巨大コンテナ船である。本船は2015年に韓国の現代重工で竣工しており、船主は当初はギリシャ籍だったため、西欧風の変わった名前が付けられたようだ。その後シンガポールのGRACE OCEAN PRIVATE LTDという会社が買船して、コンテナ船の運航会社(オペレーター)であるマースクライン(デンマーク)に長期の定期用船に出されているものと思われる。


船はボルチモア港で荷役を終え次港のスリランカに向けて夜間の出港作業中で、衝突時のYoutube動画を見るとエンジンまたは発電機の故障なのか、直前に何度か航海灯が消え全船BLACK OUT(電源喪失)になっているようだ。一方で現地のニュースでは、本船の操船が困難であることが事前に分かったため、橋は通行止めになり橋上には工事車両だけが残っていたため巻き添えになった人が少なかったとされている。しかしもし時間的に余裕があったならば、橋に近づく前にタグボートの応援を頼むなり、錨を降ろすなりの処置がなぜ為されなかったのだろうか(錨は降ろしたとの情報があるが、そうならば錨が効かず走錨したのか)。事故時にはパイロットも乗船していたはずで、衝突原因については今後の調査結果が待たれる。


「おや?」と思ったのは、"DALI"の船級がNKと登録されている事である。船級とは船の湛航性(安全性)を担保する検査機関で、NKはNIPPON KAIJI協会(日本海事協会)であり、本船はこの協会の基準に従って建造、検査を受けていることを示している。世界にはロイド(英)、ABS(米)、DNV(ノルウェー)などの海運先進国を中心に幾つかの船級協会があり、船主が日本に関連した外航船舶は船級がNKであることが多い。そこで船主のGRACE OCEAN PRIVATE LTDは何者かと検索すると、どうやら三井物産となんらか関係のある法人であるらしいことが伺える。ネットでは三井物産が同社に2010年から13年間に亘り、約 250 百万米ドル(約375億円)の融資契約を実行することを発表した2010年9月11日付の同社の広報ペーパー(リンク)を今でも見ることができる。船主は実質的に三井物産と関係しているのか、単に融資のみの関連なのか、いずれにしても心配なところだ。今後起こされるであろう巨額の損害賠償請求に向けて、まずは船主のPI ( PROTECTION AND INDEMNITY ) 保険組合が対応することになろうが、その手続きの中で、関係者が保証金を求められた際などに日本の法人が巻き込まれることもあるかも知れない。


追記:その後気になってGRACE OCEAN PRIVATE社を調べてみた処、どうやら同社は三井物産とも親しいわが国有数の四国船主のシンガポール法人らしい。事件は対岸の火事ではなくなってきたようだ。


1980年に船の衝突で崩落したフロリダ州タンパのSunshine Skyway Bridge (乗船研修中のジャパン・ロブレ号より1978年夏撮影)
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2024年3月24日 (日)

飛鳥II 常夏のグアム・サイパンクルーズ乗船 (6)番外編

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ビンゴ大会もたまには嬉しい景品が当たる(飛鳥クルーズ オリジナル クラフトジン)


そう云えば、クルーズ中に行われる定番の行事、ビンゴ大会で久しぶりに、「これは!」と思う景品が当たった。これまでもいろいろな船上でゲーム最後の方でやっとビンゴとなって下位入賞の景品を貰ったことはあったのだが、残ったハンドタオルやらお菓子の類いがほとんど。かつてシンガポール発着のスタークルーズの”スーパースター・ヴァーゴ”号船上で乗船アンケートに答えたところ『スーパースター・ヴァーゴ マラッカ海峡クルーズ乗船記(2005年12月16日)』で記したとおり、抽選で大きな袋に入ったロゴ入りグッズ一式を貰ったことを思い出したが、船内イベントに参加して貰った景品で「やった!これは!」というものに当たることは滅多にない。今回も「面倒くさいし時間の無駄だから行かないよ」と云うと、妻は「とにかく会場に行かなければビンゴカードが貰えないのだから」と、ゲーム中は寝てても良いから会場の入口だけは一緒に通って欲しいとの要求である。女性はタダで貰えるものは何でも欲しいのだろうか。


ということで読みかけの本を持参して会場のギャラクシーラウンジへと赴いた。パームコートでゆったりコーヒーでも飲んでいる方がましか、などと思いつつ渋々ゲームに参加していると、のっけからN列の数字ばかり読み上げられ、早くも7巡から8巡あたりで我が手持ちカードは縦4個の一列が当たりのリーチ状態となった。とはいうものの「出そうで出ないは何とか」で、ここから長いのがビンゴ大会とあって、「どうせ」とさして期待もせずに待っていると、壇上のマシンから飛び出てきたピンポン玉はまたまたN列である。眼前のカードはと見ればこの数字も正に盤上にあって、一瞬我が目を疑うも間違いもなく、早々に縦一列「ビンゴ!」の大当たりとなって驚いた。なんと300名は入ろうかというギャラクシーラウンジ満席の中で上位3番目くらいでゲットした景品は、飛鳥クルーズのオリジナルクラフトジンであった。船内のショップで買うと500mlで6050円もする酒とあって、これまでのビンゴ大会で得た中ではもっとも嬉しい景品であり、我が人生で飲んだなかでは最も高価なジンである。私を引っ張ってきた妻は、「ね、ビンゴ大会も来ればたまには良いこともあるでしょう」と鼻の穴が膨らんでいた。


船舶という一種の運命共同体、他と隔絶された洋上の世界で過ごすクルーズは非日常の世界である。クルーズ船では自ら工夫して主体的に楽しむべしの心意気はその(5)でアップした通りで、植木等のコスプレだけでなくクルーズ中に来たる場面を想定して、航路や寄港地にちなんだ準備をするのもクルーズの愉しみの一つとなった。思い出すのは2018年の世界一周クルーズで紅海入口のアデン湾で海賊警備に当たる我が海上自衛艦の為に、軍艦旗(旭日旗)を用意して飛鳥Ⅱに乗船したことだ。我が国を遠く離れ任務に当たる護衛艦”せとぎり”に向かい、早くから最上階の12デッキで軍艦旗を振っていたところ、最初は「あっち系のアブナイ人?」とほとんどの乗客たちは遠巻きにしていたものだった。しかし飛鳥Ⅱ護衛の任務を終え”せとぎり”も答舷礼で大きな軍艦旗をメインマストに掲げたのを見て、「これいいね」と我が旗を大勢が賞賛してくれたのは良き思い出である。ニューヨーク出港のSAIL AWAYパーティで着たSTARS & STRIPSをプリントしたキャップにTシャツ、半パンツとソックスの全身アメリカ仕様のいで立ちも思い出に残るし、国内クルーズでも舞鶴で観光協会から手に入れたカニのかぶり物で皆で踊った事など印象深い。オシャレをする日はうんと決め、楽しむ時は人目を気にせず大いに弾けるのが非日常のクルーズの魅力でもある。クルーズに因んだ持参の品があればなお愉しみも増えよう。そんなことを考えていたらまた船に乗りたくなってきた。

 

2018年アデン湾で海自”せとぎり”に向け持参した軍艦旗で敬礼する(写真家 高橋敦史氏の撮影)。最初は遠巻きにしていた他の乗客も一緒になって敬礼の声を送った
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今回のグアム・サイパンクルーズで持参した大阪で売られている(受け狙いの)サングラス
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2024年3月15日 (金)

飛鳥II 常夏のグアム・サイパンクルーズ乗船 (5)デッキディナー 植木等 編

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ダンスの先生とジルバで盛り上がる植木等

今回のクルーズでは久しぶりにデッキディナーが開催された。南十字星の下、飛鳥Ⅱプールサイドのデッキで酒や食事が出て音楽を楽しむならば、やはり「植木等」だろう。私の「植木等」とは、カンカン帽にロイド眼鏡、口ひげをつけてクレープのダボシャツにステテコ、肌色の腹巻、足元は雪駄という出で立ちでデッキディナーに参加することである。この衣裳はクレージーキャッツの植木等が昭和36年の大ヒット「スーダラ節」を歌いながらよく身につけていたもので、後年ドリフターズの加藤茶も似たような恰好をして「8時だョ!全員集合」に出ていた。”豪華客船”たる飛鳥Ⅱでステテコ姿とはいかにも場違いな出で立ちなのだが、元々は2011年の世界一周クルーズに際して、『 寄港地にちなんだテーマナイトを設ける予定です。民族衣装や浴衣などお持ちでしたら、ぜひご用意下さい。…アジアンナイト 飛鳥祭り アフリカンナイト メキシカンナイト ハワイアンナイトなど…』との乗船前案内があり、それならまずアジアンナイトで昭和のオヤジで決めようと一式を持ち込んだのが最初である。この時はチャイナドレスやアラブの王侯貴族風着衣に混ざって、我がステテコ姿がかなり受けたものと自負している。


数年前に母親が亡くなった際に弔問に来てくれた小学校時代の恩師が「君で一番覚えているのは、良くスーダラ節を歌っていたことよ!」と話してくれ、改めて合点がいったのだが、当時からなぜか一貫して植木等やクレージーキャッツのおちゃらけが大好きな子供だった。顧みれば学級委員的な優等生に対して、斜に構えるのがちょっと恰好良いくらいの幼弱性の現れに違いないが、三つ子の魂百までで、今に至ってもちょっと人と違ったことをやりたい気持ちが湧いてくるのだからしょうがない。妻は「2018年の世界一周クルーズ以来の植木のチャンスだし、船上の知り合いは多分期待しているから是非ともやってよ」と強く勧めるものの、さすがに70歳代になってコスプレしたら「イタい爺イ」だと嘲笑されるのがオチかと心配になる。なのでこのグアム・サイパンクルーズに乗船してからは、顔見知りのクルー達に「あの恰好をデッキディナーでまたやっていい?」と恐る恐る尋ねてみたのだが、みな一様に「どうぞ、どうぞ」「あ、またあの髭でしょ、待ってます」と嬉しい答えが返ってくる。


とは云うものの第7日目の夕方に行われるデッキディナーの直前まで、人前に出る自分の姿を想像しつつ、やるかやらぬかを逡巡していたのである。これまでの例からすると「それ、いいね!」と声をかけてくる人、プッと笑う人、完全に見て見ぬふりの人、怖いもの見たさに横目でにらむ人、「エンタメクルーだと思った」と言う人など反応は様々だが、このクルーズは友人も多いし、高い金を払って乗船するのだからここは自ら大いに楽しまなけりゃソンと蛮勇を奮って決行することにした。ただし今回は、さすがに透けて下着が見えるステテコに代わり、ベージュのハーフパンツにしたのはやはり年齢の為せる慎みである。夕方6時、いよいよ意を決してカンカン帽、ダボシャツ、腹巻、雪駄姿でデッキに飛び出せば、「ここ、ここ!」と友人たちが目ざとく見つけてくれ混雑の中で座席もすばやく確保、ビールにステーキをほおばっていると通りがかるクルーが「あ、久しぶり」と注目してくれるし、「一緒に写真撮って」と知らないオバちゃんたちからは何組からも声が掛かって段々と気分が盛り上がってきた。


そうこうするうちに始まったバンドの音楽に合わせて、雪駄のままでジルバを踊り、さらに飛鳥Ⅱのイベント定番ミュージック「ダイアナ」や「ダンシングクイーン」などで弾けている自分がいた。これで妻を始め船の友人の期待に応えることができたかと思うと船上を流れる宵の風も心地よい。酔いに任せるまま、あちこちからお呼びのかかったテーブルを遊弋するうち、あっという間にデッキディナーの時間が過ぎ去り、そのまま夜のダンス会場へ乱入した一夜だった(雪駄だけはシューズに履き替えてダンスをしたが)。ダンスも終えてホッと一息、心に浮かぶのは「随所に主となれ」という禅の言葉である。どこでも周囲に惑わされず主体性を持ち、その場になりきって行動すれば、心は自在に働き、本来の自分が発揮できるという意味なのだが、クルーズ船では自ら工夫して主体的に楽しむという心構えで乗船すれば、高い料金も損はないという気持ちになるから不思議だ。本船からのお仕着せの楽しみもなかなか良いが、普段はできない恰好をするとか、これはと思う趣味を船上で試みるとか、日常を離れた空間で自らが楽しむ気持ちで乗船すればクルーズの喜びも倍加すること間違いなし。こんな旅は他ではありません。

 

女性達にモテモテでダンスに興じる植木等。クルーズは楽しまなければソンソン!
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2024年3月14日 (木)

飛鳥II 常夏のグアム・サイパンクルーズ乗船 (4) グアム戦跡めぐり

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南太平洋戦没者慰霊公苑 参加者一同献花と線香で戦没者を慰霊

 グアムは2009年の正月、「にっぽん丸」のクルーズで来島以来、15年ぶりである。その時の為替は90円とあってレンタカーを借りてK MARTなど大スーパーマーケットでショッピングを大いに楽しんだ後、横井庄一さんが28年間ひそんだ横井ケーブ(レプリカ)を見学したのだった。今回は為替も円安で買い物の気分ではないので、飛鳥Ⅱのエクスカーションであるグアム戦跡めぐりツアーに参加することにした。これは大東亜戦争時に激戦地となったグアムの、アメリカ軍上陸ポイントであるガアン・ポイントや太平洋戦争博物館、旧日本軍守備隊長だった小畑中将以下が最後に自決した南太平洋戦没者慰霊公苑などを廻る4時間ほどのツアーで20名ほどの参加であった。グアム島は元々スペイン領だったのち、米西戦争(1898年)で勝利したアメリカ領となっていたが、1941年12月の日米開戦直後に日本軍が上陸して我が国に帰属するようになった淡路島くらいの大きさの島である。現在の人口は15万人ほどとの事。1944年7月の米軍の反攻上陸作戦では日本軍の死者18500人、米軍は死者・負傷者7000名を数える大激戦地となり、島にはいまだにトーチカや機関銃座などが残る戦跡の地でもある。


ツアーのポイント、太平洋戦争博物館は入口の前に帝国海軍の2人乗り潜航艇の「海龍」が置かれていた。入館すると、まずは日本軍統治時代のことを映像(日本語吹き替え版)で見るような展示になるのだが、おやッ?と思ったのがその内容。現地チャモロ人が作業する画面では、日本軍によってチャモロ人の住民は登録され、強制労働に駆り出されたとの音声解説が流れ、日本軍の圧政を上陸した米軍が解放したかの場面に続く。どうやら極悪非道の日本の軍隊と、それを駆逐した正義の味方の米軍というお約束の構成に仕立てられているようだ。ところが他の展示をよく見ると、1944年の米軍上陸作戦の際のチャモロ人の死者は1000名以下だったそうで、その事実からすれば多大な戦死者を出しながら日本軍は彼らを決して戦争に巻き込まず、それなりに扱ったのではないかとの推測が成り立つ。そもそも住民を登録させたのは、我が国固有の戸籍制度の一環であり、住民を日本人と同じに遇しようという意図があったのではないか。現にグアム政府観光局のホームページ「歴史」には、米軍の侵攻が急を告げる前は 「またチャモロ人の住居の自由は保証され、住みたい場所に住むことができました」とあり日本軍が常に圧政を強いたとは云えない記載になっている。


我々の世代ならこの種の展示を見ても、米国によるWGIP(War Guilt Information Program、マッカーサー進駐軍が我が国のメディアや教育機関などを総動員し、連合国側の見地のみに立った一方的解釈で旧日本軍の行為を断罪し、戦争責任や罪悪感を日本人に深く植え付け、もって2度と米国の脅威にならぬよう日本人を洗脳したプログラムのこと)の一環かと一歩引いてみることもできるが、グアムはいま多くの日本の高校生の修学旅行の地でもある。我々が訪れた時にも和歌山県の公立高校生たちが戦いの跡地を訪れていたが、彼らの若い脳裏に、このような所で自虐史観が植え付けられぬかと心配になった。日本が統治した時代に、現地の人々にとってなにがしかの不愉快な出来ごともあったかもしれないが、すべてが「日本人による悪行」のみであるはずはない。このようなプロパガンダ映像については、日本政府は当時の経済や民生について事実を調査し必要な訂正を申し入れるべきであろう。南京で日本軍によって市民が20万人虐殺されただとか、営利目的だった朝鮮人売春婦が、日本軍が組織的に関与したとされる(ありもしない)「従軍慰安婦」制度の犠牲者だった等ウソ八百の馬鹿げた事例が反日キャンペーンに利用されるのを見るにつけ、戦後も80年を迎え、そろそろ歴史の「事実」を見直す時期に来たと思う。グアムのツアーに参加して、飛鳥Ⅱに戻る車中でそんなことを考えていた。

 

ガアンポイントの帝国陸軍機銃座を見る日本の高校生たち
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戦争博物館
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2024年3月12日 (火)

飛鳥II 常夏のグアム・サイパンクルーズ乗船 (3)

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ダンス教室 午後(中級者)向けのクラス

今回のクルーズは横浜を出てグアムまで丸3昼夜以上が洋上の航海日、帰路もサイパンから3日間半が終日航海日という旅程であった。世界一周クルーズに於けるヨーロッパの区間、あるいは日本を一周するようなクルーズでは、船はほぼ毎日どこかの港に寄るのだが、実際問題として我々にとって毎日の寄港・上陸スケジュールは忙しすぎで、2~3日くらい船内でゆったりしてのちに観光というのがちょうど良いように思う。終日航海日が3日間あると船内での生活のリズムが整って、慣れたパターン通りに時を過ごせば体には楽だからだ。私は今回のクルーズでは毎朝8時過ぎに起床し11Fのビュフェで朝食、午前中はダンス教室の入門コースに参加し、昼食を抜いてデッキで恒例のジョギング。午後は一番に露天風呂に飛び込み、その後は船内ライブラリーで借りてきた本の読書や久々のゴルフの練習でのんびり過ごし、夕方のダンス教室(中級)に参加する日々を続けた。ダンス教室が終わって午後5時に缶ビールを一杯飲むと、その後は面倒になってショーなど催し物はほとんどパス(または部屋のテレビで中継を見る)、夕食は午後7時半からの2回目で、夜はクラブ2100で時々ダンスを冷やかすという毎日であった。


これら行事の中で社交ダンス教室だけは、クルーズ船に乗ると必ず参加する催しで、今回のクルーズでは午前中の入門初心者コースは参加者が約50名ほどであった(午後は30名ほど)。ダンス入門と云えば、多少でも経験がある人がこの入門者コースに来ると、まったくの初心者は肩身がせまいもの。特に競争社会に永年身を置き何事も人と較べがちできた男性は、ただでさえ慣れぬ種目で自信がないうえ、いざ組めばダンスは男性のリード次第となるからなおさら敷居は高い。なので暫く陸でダンスのレッスンを受けてきた身としては、午前中の入門コースに顔を出すのは控えようかと飛鳥Ⅱに乗る度に逡巡しがちである。とは云うもののクルーズ船の教室に参加する人たちの男女比を見れば、いつも大体女性が6割で男性が4割くらいの比率で女性が多い。よってダンス教室会場となるクラブ2100ではあまり目立たぬように隅の方で講師の解説を聞き 「空いている男性お手伝い下さい」 と先生が言う時にフロアーに出るようにしている (女性は余っているから、と妻は午後の中級向けだけ参加 )。入門者コースといえども参加すればしたで、ブルースやジルバなどのパーティダンスでも、かつて覚えた基礎がいつの間にか手抜きになっていたり、思わぬ気付きもあって結構勉強になるものだ。


最近はショーなどの催し物はパスと記したが、今回は船内で3回あった落語の古今亭志ん彌師匠の落語は、大いに楽しませてもらった。2011年の飛鳥Ⅱ世界一周クルーズで彼の落語を聞き、その名人芸に感動したのだが、また飛鳥Ⅱで師匠の落語を聞けるとは嬉しい限りだ。このような出しものがあるのが日本のクルーズ船の良さだと云える。久しぶりに生の落語を聞いて気が付いたことは、「ブス!」「バカ!」「こんちくしょう!」などの言葉やシモネタ、今では公衆の面前では大声で喋ることが出来ず、テレビなら禁止用語になる会話がテンコ盛りなことだ。いま話題のテレビドラマ「不適切にもほどがある」でも面白可笑しく描写されている通りだが、なんとも下らぬ「ポリコレ」を背景にあれも差別これも差別、ルッキズムだのセクハラだの言葉狩りに怯える窮屈な世の風潮が、落語の世界では一切ないことに救われる思いがする。そういえば飛鳥Ⅱに初めて乗船したのが50代半ばで、当時は船内あちこちで「場違いな若造が乗って来た」という視線を感じたものだが、こちらも70歳をとうに過ぎ、ほぼロングクルーズにおける飛鳥乗船者の平均年齢になった。以前は船内どこを見ても爺さん、婆さんばかりだと感じたのが、最近はマジョリティーの仲間入りをしたような居心地の良ささえ感じる。船内は自分の世代が中心かと思うと、元気なうちに大いにクルーズを楽しむべしという気持ちがまた湧いてきた。

古今亭志ん彌師匠の落語 (一席後の撮影タイム)
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2024年3月 9日 (土)

飛鳥II 常夏のグアム・サイパンクルーズ乗船 (2)

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入出港時、ウイング上で見物客に気さくに対応してくれる小久江船長

10日間と云う久しぶりに長め、それも外国人クルーを起用することに起因する対組合対策の韓国ワンタッチ寄港などではなく、海外が目的地である本来の海外クルーズにやっと行くことが出来た。思い起こせば予約していた2020年の世界一周クルーズが、武漢ウイルス騒動でキャンセルになって以来、4年に亘る感染症対策と称する泥沼が続いたが、それも去り、いまクルーズの日常が漸く戻って海外に船で行けるようになったことがとても嬉しい。久しぶりに再会した船友とカタフリ(船乗り用語で船上での会話のこと)をしていたら、この後に続くA-styleクルーズに連続乗船すると言う人もちらほら数名。それを聞いて、少なくともあと2~3日はこのまま乗っていたいという気持ちが湧いてきた。その未練を断ち切り自宅に戻った昨晩は、風呂に入ればお湯が揺れており、今日も椅子から立ち上がる時などいまだに陸酔いを感じている。


一言でいえば、3か月のドックを終えて、飛鳥Ⅱはとても良くなったと感じる。赤錆が目立った外板がきれいに錆落としがなされたのもそうだが、なによりネット環境が大幅に改善され、陸上にいるのとほぼ変わらずサクサクと通信が出来るようになったのが嬉しい(IT主任の妻の言)。今回利用したDバルコニーでは、毎日1時間 x 12回無料でネット接続、実際にはほぼ無制限で使い放題のような感覚である(ただし1時間経つと接続が切れるので再接続する必要はある)。自営業者としてまだ細々と仕事を継続している身とあって、連絡先とのメール交信が適宜必要なのだが、それを欠かすことなく船上(しかも室内)でできたし、確定申告の時期で税理士との連絡も問題なくこなせて一安心であった。飛鳥Ⅲが来年就航したあとしばらくは併存させるものの、飛鳥Ⅱは遠からずリタイアするのだろうと思っていたが、このリニューアルを見て郵船クルーズはまだまだ本船を現役で使い続けるつもりだということがわかった。


かねてより問題の本船のエンジン(変圧機)もやっと修理がなされ、久しぶりに15ノット以上の航海ができるようになった。もっとも4月3日より始まる「飛鳥Ⅱ2024年世界一周クルーズ」においては、郵船クルーズから 「主発電機(エンジン)の一部に不具合が生じている事を確認し、修繕の対応を進めております。…寄港地間によっては必要な速力が確保できないことにより、クルーズスケジュールに支障をきたす可能性がありますことから横浜・神戸の出港時間、ならびに一部寄港地の入出港時間の調整を行いますことを決定いたしました。」と突如3月6日に発表がありびっくり。この「常夏の島グアム・サイパンクルーズ」では、この後の世界一周航海を前に、久しぶりの米国寄港に備え安全・衛生基準の確認のほか、換装したエンジンの外洋での試験が行われたとみられるが、どうもエンジンの方はまだ完全復活とはいかないようだ。世界一周クルーズでは横浜をはじめ一部の寄港地で出港を早め、次の港の到着時間を遅めにするのだろうが、今年の世界一周はただでさえ少ない寄港地なのにその滞在時間さえ減ってしまいそうだ。


さて永年本船の指揮をとってきた小久江船長は、3月半ばを以て船長職を離れるとフェアウェルパーティーで挨拶があった。思い返せば、2011年の世界一周航路に彼がスタッフキャプテンとして乗船して以来、幾たびか小久江船長率いる飛鳥Ⅱに乗ることができたのは幸せであった。丁寧な航海情報のアナウンスとともに、クルーズ船の船長として出来る限り名所に近寄って乗客を喜ばようという操船ぶりには大いに楽しませてもらった。今回のクルーズでも孀婦岩、鳥島、硫黄島、小笠原などへ最大接近して詳しい解説を聞けたし、帰路の洋上でも”にっぽん丸”との邂逅を企画し、終日航海日を盛り上げてくれたことに感謝である。2018年の世界一周クルーズ中に7デッキをジョギングしていた際、エクササイズを兼ねて船内見回り中の小久江船長と立ち話を幾度もしたのは我が良き思い出。ビスタラウンジ前のデッキからブリッジのウイングで操船機器を操る小久江船長と毎回のように言葉を交わした妻は、「小久江キャプテンもいなくなっちゃうし、飛鳥Ⅲになったらウイングも覆われて上から声もかけられないから、見学は潮時なのかも」と寂しそうである。

洋上での”にっぽん丸”との邂逅
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2024年2月29日 (木)

飛鳥II 常夏のグアム・サイパンクルーズ乗船 (1)

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太平洋上の雲


強風が吹き荒れた東京を離れ、横浜港より乗船して一晩、飛鳥Ⅱは北緯30度付近を南下している。北風の残滓による大きなうねりを船尾から受け、船はほどよい周期でピッチングを繰り返している。今日は水が暴れるのでプールは水が抜かれているが、船の周りあたり一面大海原が広がり、早くもちぎれ雲が水平線線の彼方まで浮かんで南の国の風情を漂わせている。やっとクルーズに来た実感が湧いてきた。


武漢ウイルスの感染騒動以後、ワンタッチ寄港ではなく目的地が外国の港である初クルーズとあって、今回は650名ほど満船に近い乗船者でディナーも2回制である。顔見知りのクルーとの挨拶はここ数年行われた感染予防のグータッチでなく以前のようにシェークハンドに戻り、いつもの船上の日常が始まった。しばらく会わなかった船友とあいさつを交わし近況などを語り合っていると、ここでは時間があっという間に過ぎそうだ。残念ながら参加できなっかったが、昨晩はクラブ2100で飛鳥ダンス(エイキー・ブレーキー・ハート)も踊ったそうである。


船内には立派なひな人形があちこちに飾られ、陸上にいるより季節を実感できるのもクルーズの良いところである。昨年10月以来数か月ぶりに飛鳥Ⅱに乗船したが、長いドックの間にエンジンが直され久しぶりに速度が17ノットくらい出てまずは安心である。見れば細かい点もドックで改修されたようで、例えば11デッキのプルーサイドステージがアンブレラ状のものからきれいなひさしに改装されたのが目を引く。何にもましてネットが以前よりサクサクと速くつながる環境になったのが気持ち良い。飛鳥Ⅱは乗っていると船齢が34歳とは思えぬ、まるで働き盛りの船かとみまごうばかりだ。昼にいつも通りデッキでジョギングした後に露天風呂に駆け込むと、春風のような風がほほをなでて改めて日本船の良さを感じている。

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プールサイドステージ上のひさしの形状変更

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