2024年11月26日 (火)

第29回シニア健康スポーツフェスティバルTOKYO マラソン大会 (ねんりんピック岐阜2025 東京都予選)

20241126
シルバーメダル コレクター

11月24日(日)に駒沢オリンピック公園陸上競技で行われた令和6年度、第29回シニア健康スポーツフェスティバルTOKYOマラソン大会 (東京都と東京都スポーツ協会主催 )に夫婦して参加した。私は男子70歳台の部3000米、妻は60歳台の部5000米への出場である。マラソン大会と云っても、今年は駒沢陸上競技場の場内でレースが開かれるため、実質トラックでの周回競技となる。駒沢競技場と云えば今から60年ほど前、中学生時代に世田谷区の連合陸上競技大会で走ったことがある。当時はまだアンツーカーのトラックで、区内の公立中学30余校の代表選手と共に2000米を競ったレースだったが、他校は陸上部の選手が多い中、素人の私が6位に入賞でき、その自信が以後永年に亘って走るきっかけになった場所だ。70歳をとうに過ぎているのに、その記念すべき競技場の走路を周回することが出来ると云うのも、何かの縁であろう。


このシニア健康スポーツフェスティバルの上位入賞者は、来年度の「ねんりんピック岐阜2025」の東京都代表選手の選考対象となるのもこの大会に参加する大きなモチベーションになっている。日曜日は秋晴れの下、空も高く「岐阜に行くぞ」と夫婦二人で上位入賞を期して競技場入りした。とは云いつつ、実は私はこの春から右膝を痛めており、半年間ほとんど練習は出来ていない。この間、医者や整骨院を巡った上、痛みが弱くなると無理に走り始めてはまた痛くなって休み、暫く歩いたり水泳でごまかして少し良くなると、また無理して走って痛くなりの「ランナーあるある」症候群に陥っていた。昨日も完走はおろか、ウォームアップも危ぶまれる状況であったが、「まあレースとなればアドレナリンも出て痛みも和らぐだろうし何とかなるか」と楽観的に考えて、取り敢えずスタートラインには立つことにした。


私のレースの前に妻の5000米競走がある。この種目は20数名の参加者だったが、参加者は日頃からそれなりに鍛えているような人が多そうだ。号砲一発、スタートして妻は終始3番手のグループにつける。この種の大会の常で先頭を切る1~2番手は生活のほとんどを走ることに費やしているのでは、と思える程のマニアックな走りで、残りがその後を追いかける展開となる。3位の集団は1キロ5分のペースをぴったり守るうち、1人落ち2人落ちして、妻は単独3位になるが、残る一人のおばちゃんがコバンザメのようにすぐ後ろにピタリとついている。「そいつを引き離せ」との我が思いもむなしく、最後の直線で妻は力を貯めていたそのおばちゃんに抜かれ、3秒差の4位と表彰台を逃してしまった。途中でわざと大幅に減速してコバンザメを先行させ、逆に最後にまくるという手もあったとは思うが、「そうしたら目標タイムに届かない」とそうはせず最後まで自分のペースを守った妻には拍手を送りたい。このまま後ろの人が最後にスパートしたら、既に一杯いっぱいの自分は絶対に勝てないな、とわかっていたので道中精神的にも辛かったそうだ。ちなみに更衣室でかのコバンザメに 「引っ張ってくれてありがとう」とお礼を言われ、感謝されないよりは良いかと苦笑いだった。


いよいよ60歳台と、70歳台合同の3000米競走の番がくる。こちらも20数名の参加者で、スタートしてもまずは気になるのは膝の痛みとあって、ラップを考えるどころではない。ただホンの僅かなデコボコでちょっとした力が膝にかかると”ズキューン”と差し込む痛みも、起伏のないトラックでは問題なさそうだ。こわごわと膝をかばいつつ1000米を過ぎるあたりから、これは何とか完走できそうだと意識をレースに集中することとした。しかしこの半年間の練習不足はいかんともしがたく2000米過ぎるとしんどくてたまらない。足も上がらなければ息も絶え絶えで、もがきながらなんとか走る状態である。こんなに苦しいなら膝が痛くなってくれた方が、途中でリタイアする良いエクスキューズになるのに、などと不埒な考えも脳裏をかすめる。そうこうして少しづつラップタイムを落としながらも足を前に運ぶうちに、なんとかかんとかゴールできたのは幸いだった。順位は全体で6番だったが、70歳台の部では2番でゴールにたどり着いたようだ。ゴールしてまず頭に浮かんだのは、とにかく完走できて良かったとの思いだが、想定以上の順位も長い間の蓄積によるものか。


結果、昨年と同じく3000米で2位だったが、タイムは30秒も落ちてしまった。「70歳台では万年2位か。ねんりんピックの東京代表はふつう1番の人が選ばれるからまた無理だな」と思いつつ、1位の選手に「岐阜のねんりんピックは頑張って下さいね」と声を掛けると、彼は「私は今年のねんりんピックに出たので、次は出られないんですよ」(ねんりんピックマラソンの部は毎年連続では出られないルール)とのことである。これは、ひょっとして2番でも10年ぶりに代表の座がまわってくるかもしれないと密かに期待をもたせる言葉だ。とはいうものの、家に帰って妻が撮った私のレースの動画をみると、あまりのヨタヨタ走りぶりに「オレはこんなか?」と驚く。速球を誇った往年の投手が、始球式で山なりのボールを投げやっとのことでキャッチャーに届いた場面を想起させるようなカッコ悪さである。年齢は確実に走力を落とすという事実を再認識させる動画ではあったが、シニアになっても夫婦して自ら好んで苦しいことにチャレンジできるのも、走っているからでこそであろう。こんな体験も良き人生の一ページかと晩のビールで2人して完走を祝った。もっとも妻は頑張りすぎて喉や気管支を痛め、レース後も夜まで咳とくしゃみが止まらないという、陸上競技の中長距離走あるある症候群にかかって気の毒だった。走るのも楽ではない。

女子5000米スタート地点
20241126_20241126101202

男子3000米スタート地点
20241126_20241126101201

2024年11月20日 (水)

兵庫県知事選と新聞・テレビのオワコン化

20241120
SNSに否定的な論調の読売新聞11月19日社説(購読する読売新聞オンラインより)


最近、痛快なニュースが2件続いた。メディアの「まれに見る大接戦」との予想を覆してのトランプ大統領の再選と、「斎藤氏追い上げ」との事前報道をはるかに上回る得票での兵庫県知事選の斎藤知事の勝利である。圧倒的なトランプ氏の勝利は、11月7日に『祝・トランプ勝利、試される日本、オワコンのメディア』で書いたとおりであり、斎藤氏も予想以上の大差で対抗の稲村候補を破ったが、この2つの選挙結果はメディアの報道姿勢という点でエポックメイキングな出来事だと感じている。端的に云えば、これまで 『報道しない自由』を最大限に行使してきた従来型の新聞、テレビの報道は今回で完全に”オワコン”化し、代わって有権者が情報源として頼りにし選挙結果に大きく影響するのはネットの情報となったことだ。


兵庫県知事選挙を振り返ってみれば、当初は斎藤知事が 「パワハラ、おねだり疑惑」のトンデモ知事である、との報道がオールドメディアから大々的に流されていた。斎藤知事を裁く百条委員会の結果が出る前に県議会から不信任を突きつけられた時には、「なんという知事なのか」と私も憤慨したのだが、知事選に彼が再び立候補し孤軍奮闘している姿を見た時から、「ウン!?失職したにも関わらずにまた出馬するとは、この人はなんらかの強い信念があるのではないか」と、彼を一方的に悪者扱いする報道に疑問を持ち始めた。私も神戸に住んだことがあるが、兵庫県は巨大な港湾利権、反社の存在、同和や第三国人の問題などが渦巻いている上、井戸前知事の県政が20年も続いた土地である。ひょっとすると従来の利権構造にメスを入れようとした斎藤氏が、守旧派の返り討ちにあっているのが、今回の構図ではなかろうかとの疑念を持ち始めたのだった。


ところが、テレビや新聞を見ても彼を肯定する論調はまずなく、反対に悪行(と指摘される行為)の限りを報ずるニュースばかりであった。一方でネットに流れる情報に接すれば、高校時代の旧友や出身の総務省時代の上司の話として、彼がきわめて優秀かつ温和な人物との評価だったし、知事に就任した後は、財政健全化に尽くすなどの実績も挙げていることも分かった。一体全体、斎藤氏の素顔や実態はどうであったのかひどく好奇心を掻き立てられる情勢であった。それらの情報を踏まえ私が考えたのは、斎藤氏は旧態依然として効率が上がらない県の職員を叱咤するあまり、強い言葉も出たのではないか、そしてそれについて行けず反発した職員による告発がごたごたの発端ではないかと云う見立てであった。古い体制や慣行に慣れ親しんだ庁内で、クレバーな斎藤氏のやり方を良しとしない職員によって公益通報を装った知事告発文書が出されたが、案の定、それは怪文書として知事に一蹴されてしまった、というのが実際のところであろうと思っていた (「公益通報」なのか「怪文書」だったのか、その取扱いが妥当だったか否かについての議論は今も告発文の中味が公開されておらず収束していない)。


そんな折、兵庫県知事選挙に候補者として名乗りを上げたNHK党の立花孝志氏による衝撃的な政見放送が飛び込んできた。当選する意思はハナからなく、NHK放送を使って不正を正したいとの、立花候補による真相(と思われる事実)の暴露で情勢は一挙に逆転し、斎藤氏はSNSを中心に一躍支持を驚異的に拡大し、結果として当選したのである。話を戻すが立花候補の政権放送から後は、立花氏の言葉を裏付ける様々な真実(と思われる)情報が次々と飛び込んできた。最も注目されるのは、斎藤氏の行動をパワハラとして「公益通報」的に告発した県民局長(のち自殺)の公用パソコンからは、多くの女性職員との「不倫日記」なるものが発見され(動画もあったという)たそうで、それが記者会見の場で副知事から開陳されようとした件である。不倫疑惑も問題だが、瞠目するのは、その事実のさわり(それも県の弁護士が公益上発表が妥当と確認済の事実)を公表せんとする副知事を、兵庫県記者クラブに所属する大手新聞社やNHKの記者たちが逆に喋らせないように隠蔽したことである。副知事に不倫に関する発表を辞めるように寄ってたかって強引に彼に迫る記者たちの生々しい遣り取りは、Youtubeで聞くことができる。


メディアはなぜ記者会見の場で不祥事を発表させず封印したかったのか?要はこういうことのようだ。斎藤知事は「パワハラ、おねだり」の最悪の人物であり、告発者である県民局長が正義の味方であるとする『筋書』で報道を続けてきたのが兵庫県記者クラブに属する大メディアであった。よって県民局長が斎藤氏のパワハラに苦しんで告発文を作成したものの逆に処分され、ついに自殺に追い込まれたという彼らの『筋書』にメディアはどうしてもこだわりたかったのである。しかし調査が進展する中で、局長の公用パソコンからは職員として不適切な行為に及んでいた事実が露呈してしまい、その発覚と拡散を恐れて彼は自死を選んだ可能性が高いという推測が成り立つようになってしまった。もしその不適切な行為が世間に広く開示されれば、告発者はいつまでも「正義の味方」であり「斎藤知事のパワハラによって死んだ」というナラティブ(物語)が成立しなくなる。不倫の行為や公用パソコンの実態を知った世論が、どうもことの真相は知事のパワハラではない、との思いを抱くことをメディアが恐れ、事実の隠蔽に走ったということになるのだろう。しかし記者クラブの中にも 「これはおかしい」と記者会見を隠し録音して、Youtuberに流した「漢」がいた。そして斎藤氏は劇的な勝利を得た。人の口に戸は立てられないのである。

 

一連の展開には、先の米大統領選の際の「まれに見る大接戦」の大誤報と同じ構図が見て取れる。メディアは自分たちが好む『筋書』をまず用意し、それに沿った報道をするが、もし『筋書』に沿わないような情報があれば、それは見て見ぬふりで『報道しない自由』を決めこむ。大統領選ではカマラハリスの無能ぶりや彼女が極左的信条の持ち主であることを日本のメディアは触れなかったし、兵庫県知事選では県民局長の自殺がもっぱら斎藤知事に責任があるかの報道で、「不倫」騒動で局長が窮地に陥っていたことには一切触ないばかりか隠蔽まで行った。そのメディアが好むのは、総じてサヨク的、社会主義、理想主義的なリベラル風に偏した耳ざわりの良い『筋書』であり、現実を糊塗して世間を一定の方向に誘導しようとすることがミエミエのケースが多い。今回の件は斎藤という気鋭の若手知事による、改革への語気鋭いリーダーシップに対して、「パワハラ、おねだり」「公益通報の尊重」とキレイ事を並べ、『報道しない自由』によって彼を追い詰めようとしたメディア側の『筋書』が見事に失敗した事例だと云える。この2~3日、「 虚実相半ばのSNSには規制が必要だ」などと笑止千万のオールドメディアの論調が見受けられるが、片腹痛いとは正にこのことだ。大統領選にしろ兵庫県知事選にしろ、反省するのはまずオールドメディアの方だろう。自分たちの見立てに合わぬ現実を 『報道しない自由』を続ける限り、新聞やテレビはネットに負けることがはっきりしている。

2024年11月17日 (日)

11年ぶりの10時打ち 観光列車「はなあかり」号

20241118
JR西日本おでかけネットより 「はなあかり」

この10月から新たに運行が始まった人気の観光列車 「はなあかり」の切符に妻が執心である。「はなあかり」はJR西日本が所有する3両編成の観光列車で、「季節ごとに運行エリアを変えて、お客様と各地域を結び、地域のとっておきを発信する」(JRおでかけネットより)新しい列車である。その 「はなあかり」は運行第1弾として、10月5日から12月22日までの週末、北陸新幹線敦賀延伸に伴い開催される 「北陸デスティネーションキャンペーン」に併せ、北陸新幹線に接続する小浜線から若狭・京都府北部を経由し城崎温泉を結ぶ観光列車として運転されることになった。妻は父親の郷里が 「はなあかり」が走る京都府の舞鶴市内であり、近辺の福井県小浜近辺にも遠い親戚がいて、小さい頃からこの辺りを海水浴で訪ねたことがあるので沿線はとても懐かしい地域らしい。


「はなあかり」のタネ車はJR西日本の特急型気動車キハ189系である。車両は内装・外観とも今回すべて改装され、1号車はスーペリアグリーン(定員20名)、2号車は特産品名物販やイベントにも使用するスペースを備えたグリーン車(定員16名)、3号車が豪華ボックス席の他に横1+1列独立シートを配置したグリーン車(定員18名)の3両編成になっている。乗客定員は52名(全車指定)で、車内にはJR西日本管内のとっておきの工芸品も展示されているとのことで、すべての車両はキハからキロに格上げされている。JR各社は観光キャンペーンとして、各地で改造車両の観光列車を走らせる営業努力を重ねており、JR西日本でも、我々はこれまで『奥出雲おろち号』(木次線)、『べるもんた』(城端線氷見線)、『SAKU美SAKU楽』(津山線)に乗ったことはそれぞれ記した通りだ。


人間は齢をとると、子供の頃に慣れ親しんだ場所にことさら郷愁を覚えるようだ。私も父親の転勤で住んだ門司港や神戸の街を時折歩きたくなったりするのだが、妻も子供の頃に毎年訪ねた舞鶴の祖父母の家や、小浜の親戚のことを懐かしみ、最近も 「飛鳥Ⅱ」や「にっぽん丸」では機会があれば舞鶴に寄港するクルーズに墓参りがてら乗船している。そんな妻ゆえ 「はなあかり」の運転開始を知るや、矢もたてもたまらず乗車したくなったようだ。とは云え週末限定で僅か50席余の指定席はプラチナチケットである。特に妻の希望である豪華な内装のスーペリアグリーン車は、ネットでは取れず窓口販売のみであるから切符の確保は簡単ではない。ということで、次月のここなら何も予定がないという週末を決めて、指定席確保のために最寄のJR駅みどりの窓口で1ヶ月前の予約開始が始まる10時打ちに賭けることにした。


10月半ばの第1回目10時打ちのため、妻は朝10分前にみどりの窓口に行くも、すでにその時点で(他の列車の予約であろう)10時打ちの人達が4名おり、自分の番が来るまで少なくとも10分以上かかることを察したそうだ。なにせプラチナチケットゆえ10時00分00秒を一瞬たりとも逃せば、全国から殺到する希望者の後塵を拝することが必定だ。ということでこの日は早々に戦わずして意気喪失の帰宅。翌日上り列車の10時打ちには、気合を入れて朝9時過ぎにはみどりの窓口に並び、10時シャープに駅係員のENTER KEYを押すさまを見守ったが、この時もあえなくどこかの誰かに瞬殺ですべての予約を取られてしまい、駅員の申し訳なさそうな顔に送られてみどりの窓口を無念の退出。ということで12月に乗車する列車の予約が最後のチャンスとばかりに、妻は先週三度目の正直に出かけて行った。かくも女の執念は強いのだ。


3度目はいかにも早打ちが得意そうに見える、マニア的な若いJR駅員が対応してくれたそうだ。時間になる3分ほど前から他の予約の人たちを待たせて10時打ちに向けてスタンバイするなか、NTTの時報とともに彼の指はEnter Keyを押す。妻は心配そうにその様子を眺めているしかなかったと云うが、「取れましたが、この席番号がご希望の海側かどうかは...」「いえいえ、取れて嬉しいです、ありがとうございます!」というやりとりがあったとのこと。嬉しさのあまり小躍りしながら帰宅した妻は、今度は朝10時40分に敦賀を出る下り「はなあかり」で車内専用に出される豪華ランチ弁当を喜々としてネットで注文している。いろいろ調べた結果、取れた席も希望の海側だったようで始発の敦賀にはどうやって行くか、終点の城崎温泉からはどのルートで帰京するか、ネットや時刻表を睨みながらあれやこれや旅のプランを考えている。こんな時の妻はひどく楽しそうだ。

3度目の正直のみどりの窓口
20241117_20241117221701

2024年11月11日 (月)

旧友と行く慶早戦

202411111

同期の仲間が、最近はみな閑になって、様々なお誘いがあちこちからかかる。先の土曜日は高校時代の友人に誘われて、神宮球場に野球の早慶戦の応援に行ってきた。50数年ぶりに 「 昔の仲間と肩を組んで『塾歌』や『若き血』を球場で歌いたくなった」と云うのが、言い出しっぺで、今は大病院の院長を辞し悠々自適の身になった医者の友人。彼と海外勤務の長かった銀行員のもう一名と三人での野球観戦である。東京六大学野球の秋期リーグ戦も、慶応はここまで東大から挙げた勝ち点1のみで第5位と、久しぶりにBクラスに落ちたのに対し、早稲田はすでに勝ち点4を挙げて首位を走り、この早慶戦で1勝でもすれば優勝とあって、神宮球場には3万人近い観衆が詰めかけた。


慶応が今季振るわなかったのは、主戦投手・外丸君(3年前橋育英)の不調もあるが、何と言っても打撃不振のためで、チャンスを作ってもあと一本がどうしても出ない。なにせ最終週の早慶戦前までチーム打率が2割を切り、主将の本間君(4年慶応)にいたっては、4分3厘という低打率にあえいでいたくらいだ。話題の清原ジュニア(4年慶応)も、速い球で内角を攻められた後に縦の変化球などを投げられればクルっとバットが空を切り三振という場面が多く、とてもプロにすすむレベルではないとみていた。対する早稲田は甲子園でも活躍したエースの伊藤君(3年仙台育英)を擁し、吉納(4年東邦)、山縣(4年早大学院)の両君がプロ野球ドラフト会議で指名を受けるなど戦力はかなり充実している。


ただ「 早慶戦は弱い方が勝つ」というのが、昔から云われるジンクスである。ここ10年ばかりのゲームを思い出しても、慶応が『あと1勝』で優勝という場面で、早稲田に連敗して涙をのんだ場面が幾度あったことか。最近では2020年秋、9回2死から蛭間君(現・西武ライオンズ)の逆転サヨナラホームランで、優勝がポロリと慶應の手中から落ちたことが記憶に新しい。我々の頃は、早慶1回戦の土曜日には「こんな所で講義を受けてないで、今日は出欠とらないから神宮球場に行ってこい」という先生もけっこうおり、学校を挙げて応援するなかで、独特の雰囲気で行われるのが早慶戦である。そんな異様な応援を背に1勝を挙げるのは周囲が考えるほど易しい事ではないようで、今季は優勝にあと一歩の早稲田に慶応が一矢をむくいるチャンスも大とひそかに期待しつつ入場した。


試合は2年生になってようやく覚醒した左腕、渡邊君(高松商業)の好投に加え、主将・本間君の最後の奮起や4番清原君の4打数4安打、うち1本は大本塁打の大活躍でなんと9対1で慶応の快勝である。この神宮球場で学生野球を応援する良いところは、周囲に連帯感が芽生えることである。土曜日も隣に座った見ず知らずのオヤジ達グループと一緒に応援歌を歌ううち、試合が終わるころには彼らとすっかり仲良くなってしまった。隣のオヤジは「僕は86年卒なんですよ」と言うので「そうか、あの志村君の時代だね」「そうなんす」と慶應が得点を着々と揚げるに連れて会話もはずむ。「先輩の時代は?」「我々の頃は慶応三連覇で強かったよ、山下大輔知っている?」などと話しているうちに、知らない者とも百年の知己のようになっているから同窓とは不思議なものだ。


この日は久々に憎き早稲田に快勝とあって、早稲田の優勝はお預けとなり、みなで歌う「塾歌」の声もひときわ大きかったが、満員の早稲田の応援席から流れる「都の西北」も惨敗にも関わらずスタンドに声高らかに響く。塾歌も良いが、4拍子で悠揚と場内に流れる「都の西北」も素晴らしい。特に感動的なのは3番の「 あれ見よ彼処(かしこ)の常磐の森は、心のふるさと我らが母校、集り散じて人は変れど仰ぐは同じき 理想の光、いざ声揃えて 空も轟(とどろ)に我らが母校の 名をば讃えん」の歌詞で、これを暮れなずむスタンドで聞いていると、いつもジーンと目頭が熱くなる。「勝っても負けても六大学野球は素晴らしいね。特に秋の慶早戦は良い。今日は早稲田をコテンパンにやっつけてもっと気持ちいいや。いつまでもこの伝統が続いて欲しいね。」などと、表参道駅近くで3人で杯を傾けながら秋の夜長を楽しんだ。

追記:日曜日も慶応の執念に負け2連敗となった早稲田は、明日12日に同勝ち点・同勝率の明治と優勝決定戦に回ることになってしまった。

20241117

2024年11月 7日 (木)

祝・トランプ勝利、試される日本、オワコンのメディア

20241107
BSの「報道1930」より。右端のコメンテーターはネットでパヨックンと呼ばれたりしているそうだ

私がかねてから予想していたとおりドナルド・トランプが、圧倒的なリードでカマラ・ハリスを破り米大統領選挙に勝利した。後出しで今だから言うのではない。政治には素人の私でさえ、「まずトランプになった 来年は日本の覚悟も試される(2024年7月22日)」に記したとおり今年の夏の初めにはすでにトランプの勝利が見えていたのに、この数か月間の「まれに見る大接戦」だの「ハリス氏リードも」などの報道は一体何だったのだろうか。前世紀的マッチョを体現するかのトランプ候補に対し、非白人でポリコレや多様性を主張する女性、という耳ざわりの良いハリス候補である。「リベラル」と呼ばれる「サヨク」メディアがハリスを応援したくなる気持ちは分からぬでもないが、彼らはやはり自分たちの単なる願望を報道と称して垂れ流してきたことが改めて明らかになった。当事国アメリカのメディアであれば、そうしたい気持ちがあるのはまあ理解するも、海を越えた日本のマスコミまでがハリスを推す姿勢は気持ち悪いほどであった。思い返せば、トランプが銃撃された際に、TBSサンデーモーニングのメインキャスターが「(撃たれた彼が今後)有利になりかねない」と言ってのけたものだった。
10月27日日付トランプ候補優勢のブログ:衆議院議員選挙 自民党惨敗


私が早くからトランプ勝利を信じていたのは、歯を見せて意味もなく笑うハリスの、中身のまったくない頭からっぽのコメントや、論点に答えぬありさまを次々と暴露するX(旧ツイッター)の情報によるところが大きい。Xの画像はもちろん「切り抜き」であり、彼女を揶揄したい部分が強調されていることは承知のことゆえ、Xに加えてYoutubeやニコ生で日頃「この人ならば本物」と私が思っている識者の反ハリスコメントにも触れていた。これらを見聞きするにつけ、こんな資質のないハリス候補を米国人が信任するわけがないという確信が育まれたのである。この間、我が国のテレビ地上波は総じてハリス推しなので、ニュースをやむなく見る際には少しはマシなBSの報道番組とし、新聞もトランプ下げが顕著なので大統領選に関する記事はざっとナナメ読みするだけにしていた。反対にネットの世界では終始トランプが遥かに優勢ということになっていたが、蓋を開けた結果も「大接戦」とした大メディアより、案の定ネットの情報が正しかったということになった。


日本のオールドメディアは、アメリカのニューヨークタイムスやワシントン・ポスト、CNNや三大テレビネット局などリベラル系報道機関を情報源にしていると云われる。これら米リベラル系の見たて通りにハリス陣営を応援し続け、「まれにみる大接戦」と報じた我が国の報道は、終わってみれば大本営の発表を鵜呑みにして国民に真実を伝えなかった大東亜戦争時のそれとまったく変わらぬ図式だった。事実ではなく願望を伝え続けたテレビや新聞など日米オールドメディアは、これを以て”オワコン”化が決まったのではないか。さてトランプ大統領の再登場となって、多様性の尊重やらジェンダーフリー、SDGS、地球温暖化対策などリベラル(サヨク)主張の後退が確実になるのが実に喜ばしい。21世紀になって世界を席巻したこれらグローバリズムの風潮はEU含めここにきて一頓挫し、国家ナショナリズム台頭の時代を世界が迎えることが確実である。安倍さん亡きあと、アメリカを唯一の同盟国とする日本も、「自国第一」を掲げる新トランプ政権の下では極めて不安定な立場に置かれよう。何度も言うが、これは日本がアメリカの属国から脱して真の自立を果たす、最大のチャンスでもある。憲法の改正(前文”平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して..."の削除や自衛隊の地位の明確化)は当然のこととして、トランプもすでに日本に対して容認しているとおり、我が国防衛のための核武装を真剣に検討する時期がきた。

2024年11月 5日 (火)

”にっぽん丸”「神戸/横浜クルーズ」と”飛鳥Ⅱ”「博多発着 秋の連休 ウイーンスタイルクルーズ」連続乗船記

にっぽん丸伝統のローストビーフ
20241105

この一週間で、”にっぽん丸”と”飛鳥Ⅱ”の2隻のクルーズ船を乗り継ぐ旅をしてきた。まず10月29日から2泊の”にっぽん丸”による「 神戸・横浜クルーズ」、続いて11月2日から2泊の「 博多発着 秋の連休 ウイーンスタイルクルーズ」の連続乗船である。 都内に住んでいながら、なぜ神戸や博多までクルーズ乗船のために出かけたかの理由は紙幅の都合により割愛するが、時を経ずして日本の代表的客船2隻による、無寄港ショートクルーズを経験できたので、思いつくまま気づいた両船の相違点を挙げてみたい。今回の2クルーズとも定員一杯の満船状態で、食事やイベントはすべて2回制、特に”にっぽん丸”は、例によって旅行社による団体ツアーの片道乗船者が多数と云う船内光景であったことをまずは付記する。


船体の大きさや設備などの物理的な面はさておき、両船の一番大きな違いは、クルーと乗客との間の「距離の差」であろう。”にっぽん丸”では正にソーシャルディスタンスとでも言うべき「適度な距離感と緊張感」がクルーと乗客の間にあるのに対し、”飛鳥Ⅱ”ではその距離がはるかに近いと感じた。まずはタガログでの会話を例に取ろう。乗客へのサービスクルーは両船ともほとんどがフィリピン人なので、我々も日ごろの挨拶や簡単なコミュニケーションには、数少ないボキャブラリーながらなるべくタガログ語を使うようにしている。「お元気ですか」に始まり「おはよう」「こんばんは」など時間により1日で4回ある挨拶言葉、ご飯やみそ汁、サカナなど食事の名前、数詞、「多い」「少ない」「ちょうど良い」の他、「ありがとう」「問題ない」「どういたしまして」「これは終わりました」など、狭い船内で顔を合わす彼らとの会話をちょっとしたタガログ語で行えば、それは良き潤滑油になると思っているからだ。


”飛鳥Ⅱ”では彼らフィリピン人クルーは遠くからでも我々を見つけるや、「○○さま~」と、恥ずかしくなるほど大きな声と笑顔で手を振ってくれることが多い。時々乗船するとは云え最近は年に2~3回しか来ないのに、みな良く名前まで覚えてくれるものだと、つい嬉しくなってこちらも笑顔になる。いくつかの船内のバンドは、私がかつてリクエストした曲目を覚えており、顔を見ると黙っていてもお気に入りを演奏してくれるのも嬉しい。拙いタガログ語で何かを頼めば、タガログでちょっと難しい返事が返ってくることもよくあり「え、ちょっと待って、それはどういう意味?」などと語学講習のように会話が弾むこともある。要は”飛鳥Ⅱ”のフィリピン人クルーが人なつっこいのである。これに対して”にっぽん丸”では、我々がタガログで挨拶しても、意に反して日本語で「こんにちは」と却ってくるケースがほとんどだ。”にっぽん丸”の神戸/横浜クルーズ中、こちらのタガログ語での挨拶に、フィリピン人クルーからは、タガログ語による返事が僅か1回あっただけだった。それも何とも恥ずかしそうな小さな声で。ここでは日本人の乗客はタガログなど喋らないとの先入観があるのか、彼らにはとっさに脳内回路が切り替わらないと云うように見える。同様に日本人クルーについても、様々な場面で”飛鳥Ⅱ”の方が、乗客との距離感が”にっぽん丸”より近いことを感じる。


顔見知りの”にっぽん丸”のクルーズコンシェルジュの話では、先年フレンドシップを謳い文句にしていた”ぱしび(ぱしふぃっく・びいなす)”が運航をやめ、同船のクルーが転職してきてからは、それでもかなり船内の雰囲気が変わったとのことだ。彼女の話によれば 元”ぱしび”から転職したフィリピン人クルーが”にっぽん丸船上”で以前の乗客に再会し、派手にハグして喜びをわかちあった時には、従来の”にっぽん丸”の雰囲気にはないものと船内びっくりしたと云う。それを聞くと”にっぽん丸”では、良き意味でクルーは乗客との間に「適度な距離感と緊張感」を保つことを伝統としてきたことがうかがえる。”ぱしび”と”飛鳥Ⅱ”クルーのフィリピンでの養成機関は同じソースである。久しびりに再会したクルーと馴染み客のハグぐらいは、飛鳥Ⅱではそれほど珍しいとも思えない光景だが、サービスをプロバイドする側と受益者の間のやや放埓に見える関係は、従来の”にっぽん丸”の伝統からすると奇異に見られるのだろう。そんな馴れ馴れしさに眉をひそめる古くからの”にっぽん丸ファン”は多いものと思われる。ただ乗客とクルーの距離間は「文化」の問題であり、どちらを好むかは人それぞれである。”にっぽん丸”乗船は最近は年に一度あるかないかなので、頻度の差が出るのは致し方ないが、私個人としては、目を逸らしてまで距離を保つかの慎ましやかな”にっぽん丸”よりも、陽気な笑顔の”飛鳥Ⅱ”の方が居心地が良く感じられる。


食は”にっぽん丸”ということである。2泊クルーズの2晩目には、本船名物の大きなローストビーフが(約150グラムくらいか?)供された。目玉料理とあってこれまで食べたローストビーフに中でも、最も美味い部類に入るものだった。さて毎回”にっぽん丸”の乗船時にアンケートにも記しているが、今回もダメ元で、日本人男性ウエイーターに 「これ美味しいね、お代わりできない?」と質問をしてみた。案の定  「それはちょっと」とすげない彼の返事。「なぜ?」と尋ねると「 人数分しか用意していないので」とこんな質問するな、とも言いたげである。「飛鳥Ⅱではお代わりどうぞっていつも言ってくれるよ。またあちらではメニューに1~3までチョイスがある際には、1x2つでも、3つすべて選んで頂いても結構ですと云うけど」「 ローストビーフは切ればすぐ出せるので問題ないでしょ。そういう声があったと上に伝えておいて」とお決まりの文句をぶつけた。どうせ無視されるであろうことは予想されるも、”にっぽん丸”が少しでも良くなるようにと、暴走老人にならない程度に穏やかな怒りの表現である。対して「ウイーンスタイル」の飛鳥Ⅱは、2晩めは「銀座ハプスブルグ・ファイルヒエン」のオーナーシェフによるオーストリア伝統料理と、こちらも豪勢な晩餐を楽しめた。以前、”飛鳥Ⅱ”で同じ様なスペシャルディナーが出された際に、「 あんまりうまいのでメイン皿のお代わりできる?」と聞いたところ「まだ出せるか数を確かめてきます」と厨房をチェックしてお代わりを出してくれた。余裕があれば乗船客のリクエストに応えようとする”飛鳥Ⅱ”と、公平性と規則を重んじて人数分しか出しませんという”にっぽん丸”の違いである。

どちらかと云うと杓子定規な”にっぽん丸”の食事と、現場の裁量がある程度許されている”飛鳥Ⅱ”ダイニングには間違いなく文化の差異はある。

20241105_20241105125501 20241105_20241105125701
シュヴァイネ・ブラーテン(ローストポーク)と銀座ハプスブルクの神田シェフ

2024年10月27日 (日)

衆議院議員選挙 自民党惨敗

20241027

いま日曜日の夜である。衆院選挙の開票速報をテレビで見つつ、自民党の大幅議席減は当然、と留飲が下がる思いで過ごしている。いわゆる「裏金」は国民を馬鹿にした問題であるが、それは表層の出来事で大したことではない。安倍政権を支持してきた岩盤保守層をことごとく裏切る政治を、岸田、石破の2人の愚相で続けた結果、2012年の第2次安倍政権スタート以来続いた国政選挙6連勝という記録がここで途絶えてしまったのである。思いおこせば党議拘束までかけて立法化したLGBT法の制定、財務省の言うままの増税・社会負担増の路線、外国人労働者の受け入れ、媚シナ・親韓(石破はさらに親北朝鮮)の諸施策、実態を国民に説明しないままバイデンのポチとしてウクライナなどへ行う巨額支援、「やるやる詐欺」に終わった憲法改正、総裁選での高市早苗つぶしなどなど、ことごとく反安倍的な政治、すなわち保守の気持ちを逆なでする政治を行った結果が今回の自民党体たらくの原因である。元来自民党支持の私も今回は選挙区は非自民候補に、比例では日本保守党に票を投じた。自民支持の30%を占めると云われる岩盤保守層を甘く見たツケは大きいと見なければならない。


さて目を米国に転じれば、大統領選挙に関して、左に急旋回中の日本のメディアは、相変わらずカマラ・ハリスとトランプの勝敗が「接戦」などと報道している。しかし選挙キャンペーンを通じてカマラ・ハリスの脳みそがまるで空っぽだという事があらためてアメリカの国民に知れ渡り、予想通りトランプが優勢になっているのが現状とのこと。日本のメディアまでが、なぜハリスを応援するのか実に不思議なのだが、常に国民の3%~5%はいるという「隠れトランプ」の存在を見れば、次の大統領はトランプでほぼ確定ということだろう。すでに米金融界では”トランプ・ラリー”と称し、トランプ氏当選を前提に、来るべきドル高や金利上昇を予想して新たな金融・投資ポジションをとる動きが始まっているそうだ。このまま彼が大統領になれば、シナからの輸入製品には60%の関税をかけると言明しており、米中の離反がますます顕著になることは間違いない。世界はシナ・ロシア・イラン・北朝鮮の枢軸国と、G7を中心とする西側先進国陣営に完全に分断されることが明らかで、インドやグローバルサウスが都度、両者の間でポジションを取り合う新「冷戦時代」になることが予想される。


今回の自民党大敗戦の結果を受けて、総理総裁は今後どうなるのだろうか。アジア版NATOの創設だとか日米地位協定の見直しなど総裁選での主張、メディア受けする言動は、跡形もなく消えてしまったことからしても、石破首相という人物は口先だけで、自らの政策を本気で推し進めようという強い意志は持っていないことが露呈した。言行不一致の石破氏に対し、私は「やはり野に置け、評論家」だと思っている。今後トランプ氏が大統領に復帰した暁には、世界の分断や貿易摩擦の問題だけでなく、我が国は安全保障の面で第一次トランプ政権時代よりはるかに難しい状況に追い込まれることは必至である。まずは米軍駐留費用(思いやり予算)の大幅な増額を要求されようが、問題はそれだけでは終わらない。台湾有事の際には日本の基地から米軍が出撃することになろうが、その際にシナは我が国を恫喝するだけでなく攻撃してくるかもしれない。そんな事態になったらどうするか?。石破首相の様に口先だけで覚悟がない首相で来るべき難局が到底乗り切れるとは思えない。万が一、カマラ・ハリスが大統領になったとしたら、台湾有事に際して覚悟なき日米トップ同士のアタマが空っぽということになり、それはそれで目も当てられない悲劇的な事態となる。(自民党政権が続くなら)惨敗した自民党は高市早苗氏を総裁に指名し直し、来るべき国難に対処すべしと、選挙速報を眺めながらひそかに彼女に期待する。

2024年10月18日 (金)

健康診断・右脚ブロック(続き)

20241018

9月12日にこのブログ(健康診断・右脚ブロック)で記したように、この7月に受けた健康診断で「要精密検査」と云われた心電図は、9月の循環器科での診断では「正常範囲」という結果となった。ただし9月の受診時には血圧が高いので1ヶ月ほど自宅で朝・晩に測り、それを記録した「血圧手帳」を持参のうえ、心臓エコー検査を念のため受けて下さいと云われていた。こうして1ヶ月強、先日はこのエコー検査の為に記録済の血圧手帳を持って再び病院を訪問した。なにせ生来の気の弱さと医者嫌いのため、病院に行くだけで脈拍は80以上に上がり、上の血圧が180から190にもなる所謂「白衣恐怖症」の身である。9月に診察を受けた際にも、女性医師がパフパフと手動で空気を入れる従来の血圧計で測ると1回目は上が160、2回目150、下も100前後とあって、「家で朝・晩毎日血圧を測れ」との彼女の指示を無視するわけにもいかなくなった。


と云うわけでこの一か月強、朝・晩、自宅の血圧計を持ち出してはカフを腕に巻くのが日課であった。この間は10日間ほどクルーズ船の旅にも出たので、船には小型の簡易血圧計を持ち込んで毎日の船上での測定。一日のうちで最も血圧が高いと云われる朝は、起き抜けでまだ目が完全には覚めきらない状態で2回、夕方はアルコールが入ると血圧が下がるので、その直前の6時半頃に2回、毎日毎日血圧を測っては平均値を記入してきた。夕方の忙しい時には都合の良い数値を適当に書いてしまおうかとも思わないではなかったが、医師の指導に逆らうほどの勇気を持ちえないわが気の小ささに苦笑しつつ、冷えた缶ビールを目の前にして血圧計のスイッチを押し続けたのであった。


その結果は、朝が上140~150・下が90~100、夕方は上は120~130・下が80であったが、とにかく血圧は年がら年中変化して捉えどころがない所がくせ者である。前夜に酒を飲みアルコールがまだ体内に残っている朝や、その日仕事が忙しい事が見込まれる朝には確実に最高血圧は150を超える。逆に昼に水泳をした日は数時間たった夕方でも上が100くらいであり、いったい何の数字を手帳に記入したらよいのか混乱するほど変化が激しい日もある。私のように自宅にいる者ならまだしも、会社員ならオフィスの手許には血圧計がないし、会議や宴会もあるから、一体どうやって毎日測定して相当程度に正しい数値を出せるのか不思議なところではある。


などと1ヶ月以上それなりに苦労して記録した手帳を持参して、30分にも亘る心臓のエコー検査を済ませ循環器科の医師の2回目の診察となった。診察台にあるエコー検査の動画画像を見ながら先生は、「この心臓右側の動きがやや遅れ気味なのが右脚ブロックですが、これはまあ大丈夫でしょう。心臓の各弁もとてもよく動いていますし、隔壁も正常です」とのコメントである。血圧手帳を一瞥した彼女は、「この数値は薬を飲むかどうかのボーダーラインです。ただ運動を良くしているようなので、当面は塩分を控え気味するなど注意して生活して下さい」「ご存じかと思いますが、血圧が130台で降圧剤を処方する医師もいますが、私はなるべく薬を使わない考えです」とのことで、次のアポイントもなしの無罪放免ということになった。健康診断から3カ月以上に亘った「心電図要精密検査」騒動も、予想通り何事もなく終わりを告げ、これからは定時に血圧を測る作業から解放された。人騒がせな健康診断ではあったが、結果オーライでほっと一息の秋の空の下である。

2024年10月13日 (日)

カブリオレの屋根を開ける候

20241013bmw

昨日の都内の気温は最高で約25℃、湿度が50~60%とあって、やっと過ごしやすい気候になってきた。今日も25℃ほどの予想とのこと。7月初めから3ヶ月に亘る猛暑も去り、ほっと一息である。この気温や湿度は東京で云えばちょうど5月終わりから6月初め頃のそれとほぼ同温・同湿になるが、同じ気候なら、私は初夏の頃よりこの季節の方が好きである。なにより毎日の日課であるジョギング(最近はウォーキングの日もある)に出る時、「これからますます気温が高くなっていく」と先を見て憂鬱になるより、「毎日寒さに向かう」と考える方が遥かに心理的負担が軽い。秋の気配が濃くなるに連れ、夏と同じ力で走っていてもスピードは自然と速くなるし、汗をかく量が減って呼吸が楽になるからである。妻はだんだん明るくなる春~初夏にかけての気候が好きらしいが、私は町の木々が徐々に色づいて落ち葉が散る風情の方により趣きを感じるのだ。


という季節になり、我がカブリオレのルーフも3カ月ぶりにオープンで走れるようになってきた。いまや車齢16年のおばあちゃんグルマとなったが、このところBMW自慢のシルキー6(直列6気筒)エンジンの吹け上りがとても気持ちよい。決してとばしたりはしないのだが、都内の道路でも時速20キロから60キロくらいまでの加速は、ツインターボの効果もあってアクセルコントロールが楽しい。ところで、これに乗っていると新たな出会いがあるものだ。今朝はマンションのガレージでルーフを開け出発しようとスイッチをオンしたところ、すぐ脇のクルマに乗り込もうとしていた小学校低学年の男の子が、「あ、屋根があく」と興味深くこちらを見ているではないか。じっと凝視される手前、ニコニコと彼に笑顔を向ければ、若いお父さん、お母さんがクルマから降りて手を振って挨拶してくれる。こうなると彼らとは今後エレベーターで会っても話を交わすことになるだろう。住人同士、普段あまりコミュケーションをとる機会がないマンションでも、このようにクルマを媒介として顔見知りができることもある。


その後、ルーフを開けて一人皇居近くを流していると、すぐ後ろから新しいBMWセダン(320)がピタリとついてくるのに気が付いた。なにか文句でもあるのかと注意していると、赤信号で停止した私の真横の車線にそのBMWがピタリと停まり、同じような年齢のドライバーが窓を開けて話しかけてきた。どうやら「クルマの調子はどうですか?」と彼はしゃべっているらしい。「以前、同じクルマに乗っていたんだけど、ルーフの故障などしませんでした?」と語りかけてくるので、「一回調子が悪くなって部品を代えたらエラク高くて参りましたよ」と答えると、「私も同じで、それは保険で直しました」などと交差点での会話が弾む。彼は「今乗っているこのクルマはディーラーの代車で、BMWアルピナの納車待ちなんですよ」と、どうやらきわめて高価な新車を待つワクワク感をカブリオレ仲間に話したくてたまらないようだ。「それは素敵ですね。早く納車されると良いですね」と共感しつつ、「最近のBMWのキドニーグリルは大きくなりすぎですよね」などと短い信号待ちの時間でも話は弾む。そうこうするうちに信号が変わって発進したが、その後はお茶の水付近まで2キロほど並走し、最後はお互いに手を振りつつ道を右と左に分かれた。都心の道路で見ず知らず同士でも、こんな出会いがあるのもカブリオレならではである。別れ際、彼が放った「オープンエアドライブ、楽しんで下さいね!」の挨拶が心地良かった。

2024年10月 9日 (水)

飛鳥Ⅱ 秋の3航海乗船記 (番外編)

20241009

因島大橋をくぐって航海は続く

「飛鳥Ⅱ」の少し長めのクルーズに乗ると、いつも乗船している本船お馴染みの乗客の方々を見かける。彼らのなかには「旅行社には1週間以上のクルーズは全部押さえておいてと頼んでいるよ。キャンセルならいつでもできるから」という猛者もいれば、常時スイートを利用して「飛鳥Ⅱ」にとっては上得意のシニアもいる。しかしふと気が付くと、これら常連さんの中には最近見なくなった顔もある。「そう云えば、あの方は最近どうしているか知ってる?」と物知りの船友に尋ねると、「Aさんは病気で船に乗るどころではないようだ」、「ダンスの上手だったBさんも身体が不自由になって大変らしい」とか「Cさんはガンの手術をしたばかり」などとの話である。いつもキレイに化粧し一人で乗船していた女性が、この1年の間に亡くなったと聞くと、元気だったその笑顔を思い出し、もう彼女と船上では会えぬのかと不思議な気持ちになる。


こういう話を聞くにつけ、長期のクルーズに乗船するということは、まず健康に問題ないことが必須条件であることを改めて実感する。さらに身近に介護が必要な人がいないとか、自分の会社が倒産しそうなどという社会的問題がないことも必要だ。2011年に初めて世界一周クルーズに出た際には、ソマリア沖の海賊問題で航路が変わった上に、出発3週間前に東日本大震災があった。この時は「飛鳥Ⅱ」は通常の約款を変えて、出発直前でも乗客のキャンセルに対して無条件で全額料金を返却したが、天変地異や大きな事件がおきないことも長期クルーズ実現には欠かせない要件である。また新たな感染症の蔓延がない事やウクライナ、中東の戦乱が世界的規模に拡大しないことが、言うまでもなくクルーズの安全な催行のために求められる。シナの台湾進攻が近いと最近よく云われるが、目先でそのような事態が起これば日本近海でのクルーズ事業は多大な影響を受けることになるだろう。


などと考えると仮に金銭的に余裕があったとしても、退職したシニア世代が、長期に亘るクルーズ船の旅に出るというのはなかなかハードルが高いことになる。あらためてわが身を振り返れば、きわめて幸いにも今は大きな障害はなさそうだ。今回の10泊中には偶然にもグリーンフラッシュを見ることが出来たし、上げ膳、据え膳、露天風呂の毎日という波枕で、下船してみると又すぐに海の上が恋しくなってきた。我々には第二の我が家のように感じる飛鳥Ⅱも老齢船となっていつまで現役でいるのか分からないし、来年就航する飛鳥Ⅲは乗客一人一泊当たりの単価が1.5倍以上になるとのこと。飛鳥Ⅲは主に富裕層とインバウンド客を対象にしているそうなので、そうなると飛鳥Ⅲで長期クルーズに出ることは難しくなりそうだ。あれこれ考えると、思い切って2025年の「飛鳥Ⅱ」世界一周クルーズに行ってしまうかとの気持ちが益々強くなった。人生は楽しめるうちに楽しんでおかないと、これから先も何が起こるかわからないと理由づけを自分にして。


露天風呂から眼前を流れゆく夕陽の多島美を眺める至福
20241009_20241009134201

«飛鳥Ⅱ 秋の3航海乗船記 (4) 「爽秋の神戸着発、瀬戸内 九州・松山クルーズ」 瀬戸内海 と「秋の神戸・横浜クルーズ」(完)

フォト
2024年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ