2020年9月19日 (土)

飛鳥Ⅱクルーズ再開

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アムステルダムの飛鳥Ⅱ 2018年5月世界一周クルーズにて

ヨーロッパでは限定的ながらクルーズ船の運航も始まる中、日本船はどうなるのか注目していたところ、にっぽん丸が10月25日から愛媛・新居浜を発着とする2泊3日のクルーズを行うことになり、飛鳥Ⅱもようやく11月2日から営業を再開すると発表した。殊に飛鳥Ⅱについては、乗船を予定していた今年のワールド・クルーズがほぼそのまま来年に延期になったため、その去就に注目していたところだが、まずはクルーズを再開するというニュースが聞けて嬉しい限りだ。飛鳥Ⅱは、郵船クルーズの持つたった一隻のクルーズ船で、かなり老朽化した船体をリニューアル工事で延命使用してきた船である。今後の事業展開について親会社の日本郵船が悩んでいたとの話があちこちから聞こえていたので、これを契機にクルーズはやめた、となるのではと危惧していたが、ちょっと一安心である。


発表された営業スケジュールは11月2日横浜発の3泊4日清水寄港の「30周年オープニングクルーズ」を皮切りに、横浜・神戸起点の2泊~3泊のショートクルーズと、12月後半以降のクリスマス・年末クルーズなどである。何となくおっかなびっくり、まずは何かあってもコントロール可能な範囲と日数でクルーズを再開しようという意図のようだが、これもあのダイヤモンドプリンセスの大騒動をみるとやむをえない措置といえよう。しかも今回発表されたクルーズは、7デッキのK.Fステートルームをクルー個室のために使用するため、客室としてはE.DバルコニーとC.A.Sのスイートルームのみの販売で、最大でも定員の半分の400名の乗客募集である。外国船に比べれば高値の日本船のなかでも飛鳥Ⅱは高く、特に今年初めの改装後には一段と値上げをしていた中において、今後しばらくは最も高価なバルコニー付きキャビンしか販売しないことになる。ウイルスが怖くて出歩かない高齢者も多いから、こうなるとどの程度の人たちが乗客として戻ってくるのだろうか。


クルーズ再開にあたり発表された感染症予防対策は、乗船前の唾液によるウイルス検査に始まり、舷門や船内での検温、船内でのマスク着用・アルコール消毒などの他、ビュフェの中止、ダンスやセイルアウェイパーティなどイベントの中止、その他ディナーやショー観覧は指定席とするなど広範囲に亘る。パブリックスペースやバーも一部立ち入りや入場人数制限が実施されるようで、そもそも定員の半分の船内で一体どのような雰囲気になるのだろうか。朝のリドのビュフェで好きなものをとりわけ、ゆったりと一日のスケジュールに思いを巡らしたり、知人と予定を確認しあったりの会話なども制限されるのだろうか。また船内でマスクを着用するのも鬱陶しく、ダンスもできないとはクルーズの楽しみが削がれるし、ディナーで新しい友人ができる機会も少なくなるだろう。なかには自粛警察のような乗客もいるかもしれず、当面何かと不便な船内生活になるであろう。


などとも思うが、もうSTAY HOMEも飽きた。クルーズ料金もGoToトラベルの対象になるというので、早速11月2日「30周年オープニングクルーズ」を申し込むことにした。船上から見る流れゆく雲のさまや、さまざまに変化する海の色、海上に伸びる本船の引き波などを久しぶりに眺めることができるかと考えると、矢も楯もたまらなくなったのである。3泊4日のこのクルーズは西口総料理長のアニバーサリーディナーにゲストは歌手の麻倉未稀、寄港地は清水となっている。清水港はもう幾度も行ったので、今度は清水駅から東海道線で金谷まで行き、大井川鉄道のSLの旅でも楽しむか、と予約後は時刻表をあれやこれや繰り、すでに旅が始まった気分だ。これまで毎週習ってきたダンスができないのは残念だが、その分ゆったりとした船上生活が期待できそうだし、先般のドックでフルにきれいにしたデッキ回りをチェックしたり、改装後の露店風呂に早く飛び込んでみたりと1年ぶりの船上を楽しみたい。早く予約確定の返事がこないものか。

 

2020年9月17日 (木)

岸 信夫・防衛大臣との苦い思い出

菅 義偉 新内閣に岸 信夫氏が防衛大臣として入閣した。懐かしい顔を久しぶりに見た気がする。岸 信夫氏が慶応義塾を出て新入社員で入ったのは、住友商事の穀物部である。私が海運会社で一般バラ積み貨物船営業の管理職だった1980年代後半から1990年代に、岸氏は住商穀物部で麦や米の輸入責任者として第一線でバリバリ活躍しており、彼とは何回か直接会って商談をしたことがある。自民党の幹事長や外務大臣を経験した安倍晋太郎氏の息子だという事は知っていたが、当時の彼はまだ30代で、切れ者だった印象はあるも尊大な素振りはまったくみせず、当初は私のような取引先にはごく温厚な好青年だったと云う印象が残っている。


さて、従前「一粒とも米は輸入しない」としていた日本も、1993年冷夏による米騒動に端を発した問題などから、1995年に米のミニマム輸入枠(ミニマム・アクセス)を設定し、カリフォルニアや豪州・タイ・中国から食料米を輸入する政策に方針を転換した。これにより農水省の行政機関だった食料庁の監督のもとに大手商社数社が輸入実務を担当することになったのだが、主食である米の本格的輸入は画期的なことであり、国内の農家や農協の圧力を前に輸入米の取り扱いはきわめてデリケートな問題でもあった。またミニマムアクセス米は予算で裏打ちされた数量と価格、さらに主食の輸入という政治的な観点から、当初は限られた商社が納入業者として認められ住友商事もその中の一社であった。


しかし自由競争の世の中ゆえ時の経過と共に次第に米輸入に参入しようとする商社も増えてくる。新規参入商社とそれに結びついた海運会社が、限られた数量のミニマムアクセス米に商機を求めて殺到するのは世の常である。当時は私も若かった。次々と新規に参入を企図する商社からの船舶引合いに応じるうち、図らずもその頃あった業界の秩序を完全に無視して業容を大幅拡大する事態になっていた。既に米輸入に従事していた大手の商社からは「暴れるな」と私に幾たびか警告が聞こえてきたし、会社の上層部からは商権を伸ばせと云われていたにも拘わらず 「 おまえは何を無茶苦茶しているのだ!」 と後ろから鉄砲も撃たれた。


それらをいっさい無視して営業活動に励むうち、既存組大手の住友商事の岸氏から、とうとう「あなたは住商にお出入り禁止」と宣言されてしまった。以後、一般貨物船を扱う我が部署は住友商事との商談が一切できなくなり、しばしば運んでいた同社の穀物輸送もなくなったが、当時は「まあ他にも商社はいくらでもあるさ」とさして気にも留めなかった。そのうちこちらが関連会社へ出向した後は、会社は住商とも仲直りをしたようでまずは一安心であったが、彼の顔がテレビに出る度に「お出禁」事件をどうしても思い出してしまう。人づてに聞くと、岸氏は「あいつ(私のこと)は見たくもない」と当時言っていたそうである。いまや閣僚となった向こうはまったく覚えていないだろうが、私にしてみれば半沢直樹の十分の一くらいの血気で突っ走り、のちの大臣にあれほど嫌われたあの時代が妙に懐かしい。時も過ぎ今やノーサイド、がんばれ岸 新大臣!

2020年9月12日 (土)

尖閣沖衝突事件、中国人船長釈放についての民主党政権の嘘

あれからちょうど10年という事だろうか、今になって2010年の9月に尖閣諸島沖であった中国『漁船』による、わが国海上保安庁の巡視船への衝突事件が話題になっている。産経新聞の取材に対してそのころ外務大臣だった前原誠司衆院議員が、当時の民主党政権の菅直人首相が逮捕した中国人船長の釈放を強く指示したと証言している。衝突事件で逮捕された中国人の船長を、政府は当初は「日本の国内法に基づいて粛々と対応する」としていたのが一転、中国の抗議が強まると、2週間後には「検察の判断で釈放して中国に送り返した」「政治的な関与はない」と発表した事件である。産経新聞の記事によると、前原氏は同年11月に横浜市で開催予定だったアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に、中国の胡錦濤国家主席が来なくなることを菅直人首相が恐れたという。「悪夢の民主党政権」時代の出来事、やはりそうだったかと当時のことを思いおこす。(下記ブログ)


この証言については元民主党議員で、現在は自民党の長島昭久衆院議員が「前原氏の証言は、紛れもない事実だ。菅政権の一部では、この内容は共有していたはずだ」と述べている。当時も菅直人政権の説明はおかしいと大問題になったが、もしこの前原証言が事実ならば、中国人船長の処分を検察の所為にして政権の責任を放棄すると云う、あるまじき権力の横暴と国益を毀損した行為が民主党政府によって行われた事になる。退陣する安倍首相が「モリ・カケ」「サクラ」の説明責任を果たしていないなどと、未だ些末なことを問題にする野党やサヨクメディアがあるが、菅直人元首相の嘘と役人に責任を押し付けて批難から逃げてしまった行為、なにより中国を相手に外交的失策をやらかし国益を大きく損ねた事こそいま問題にすべきではないか。


当時の官房長官であった仙谷由人官房長官はすでに亡くなり事件が風化しようとしているが、菅直人氏や前原誠司氏はまだ現役の国会議員なのだから、この証言を機会に国会で特別委員会でも開いて事件の検証をすべきではないのか。当時どのような圧力が誰ににかかり、それに対して政権の誰が発言して誰が決定したのか。その過程で役人の「忖度」や「公文書の書き換え」があったのかなど、安倍首相が野党にさんざんとネチネチとやられた、「モリ・カケ」「サクラ」の「倍返し!」を新政府・自民党に期待したい。11月の米大統領選でトランプとバイデンのどちらが選ばれるかわからないが、いずれにしても今後米・中の対立は抜き差しならぬ段階に進むであろう。安全保障は日米安保で、経済は中国と協調しながら、などという中国寄りのお気軽・無責任な論調がメディアに目立つが、経済的損失が甚大でも中国とは距離を取るべき覚悟がわが国には求められている。あの事件の顛末をつまびらかにし、もって中国との付き合い方を再考する時ではないだろうか。

2010年10月4日の我がブログ「ごまめのはぎしり」(10年前の予想はその通りになっているようだ)

2020年9月11日 (金)

BS日テレ 友近・礼二の妄想トレイン

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「半沢直樹」や「YOUは何しに日本へ」などごく一部を除き、ニュースを含めて今の地上波のテレビ放送には見たいという番組があまりない。バカなタレントが並んでウイルスの恐怖を煽るワイドショーに、「放送しない自由」のニュースばかりでまるで面白くないのだ。その点BS放送の方がよほどまともで、ちょっと視聴してみようかというプログラムがこちらの方に多い (ただし韓流ドラマはご免蒙りたいが)。例えば夜の8時から10時まで放送されるBSフジのプライムニュースは視点もしっかりしており、ゲストコメンテーターもリベラルが多い地上波よりよほど信頼おける専門家が登場している。プライムニュースを見だすとつい最後までみてしまい、夜ももうこんな時間かと時計を見ては驚く。そのほか早朝のクルーズ船の番組もBSならではの放送で、いつも録画してはポスト武漢ウィルスのクルーズ再開に夢を馳せている。


BSで面白いのが、BS日テレで毎週月曜日の9時から1時間弱放送される「友近・礼二の妄想トレイン」だ。この番組は大の鉄道ファンであるお笑い中川家の礼二と、それほど鉄道ファンではないのだが好奇心満々の旅好き姐さん友近に、二人のゲストを交えて時刻表を見つつスタジオから架空の旅をするという設定となっている。毎回、主に東京をスタート地点としてゲストの好みの寄り道ポイントを経由しながら、設定された目的地まで鉄道のほか、グルメや景勝地を映像で巡る趣向である。番組はずぶずぶ鉄ちゃんのゲストと、それほど鉄分の濃くないもう一人のゲスト、それに女子鉄の久野アナウンサーが絡んで時刻表ベースに、料理や宿などの紹介が適宜織り込まれている。スタジオも、鉄道好きならいかにも考えそうな、列車や駅の銘板に囲まれた凝ったつくりである。


この番組は最新の車両や珍しい車窓風景も画面に多く登場するが、かつて都会で働いていた通勤車両が地方私鉄でまだ活躍している場面など、ロートルに敬意を表すかの鉄道愛あふれる場面が多いのがほほえましい。特に番組中で笑ってしまうのが礼二と毎回変わる鉄道好きゲストがしばしば掛け合いで行う、鉄道場面に関する声帯模写である。車内放送や駅の構内放送のものまねに始まり、電車や気動車の走行音や風切り音など、鉄道ファンなら「ここ!ここ!」と耳を傾けるポイントの擬音芸は秀逸で聴きごたえある。また友近や鉄でない方のゲストが、気動車を「電車」と言うと、さりげなく「電車でなく列車!」と礼二がツッコむのもお約束どおりで、鉄道ファンが安心して楽しめる内容となっている。旅番組というとグルメや豪華な旅館、温泉や寺社仏閣などに焦点が置かれがちだが、鉄道や時刻表を中心に旅を楽しむという切り口が新鮮で、毎回見終わると番組と同じ鉄旅をしたくなってくる。

 

2020年9月 7日 (月)

銀座 LA BETTOLA(ラ・ベットラ)の夜

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油の乗った穴子とサラダ、雲丹のクリームスパゲッティ

「日本で一番予約のとりにくいイタリアン」と呼ばれる落合務シェフの銀座一丁目"LA BETTOLA da Ochiai"に9月4日(金)の夜に行ってきた。飛鳥Ⅱの2015-2016南極南米ワールドクルーズで知り合い、以後しばしば都内で夕食を共にする仲良しのご夫妻が私の快気祝いを催して下さったものだ。もう一つ、この秋に催行予定の飛鳥Ⅱ就航30周年記念「アニバーサリー・オープニングクルーズ」を申し込んでいたら、これがウィルス騒動で中止なったので弔い合戦の意味もある。このクルーズは5泊の船内で「BETTOLA」の落合シェフの他、フレンチ「ラ・ロシェル」の坂井宏行シェフ、「赤坂四川飯店」の陳健一シェフ、「つきじ田村」の田村隆シェフによる「和仏伊中」のスぺシャルディナーが供されるのが売り物で、以前より乗船を楽しみにしていたのだが、この状況下ではクルーズが行われないのもやむなしか。「飛鳥の仇は銀座で討つ」である。

 

"LA BETTOLA"の住所は銀座一丁目とあるものの、実は昭和通りよりも海側で地下鉄・宝町駅にも近く、以前は木挽町と呼ばれた場所に店を構えている。このあたりは江戸時代初期に、江戸城を作る木挽きが多数住んだと云われる職人の町で、銀座といっても昔からの小さな店が残っている庶民的な街だ。その一角にごくひっそりとあるLA BETTOLA前の路上は昼の部も夜の部も、時間になるといつも開店を待つ人の群れができており、ここがいかに人気のあるレストランなのかがわかる。素晴らしい素材に、本場仕込みながら日本人の口にもあう味付けのイタリアンが、夜のコースでも4500円というごくリーズナブルな料金で食べられることが人気の秘密なのだろう。

 

その夜、私がチョイスしたのは脂の乗った穴子サラダ、スペシャリティの雲丹のクリームスパゲティ、ほどよい食感の豚のカツレツと、どれも期待を裏切らない味で、夜の更けるのも忘れクルーズ再開の期待や友人たちも苦戦しているダンスレッスンの話などで盛り上がった。料理の途中で落合シェフが挨拶に顔を見せたが、ここの顔である友人夫妻によると、ウイルス騒動で落合氏のゲストシェフ出張や講演などがなくなり、店に毎日顔を出すので従業員は気が抜けなく大変らしいとのことである。すっかり話し込んで長居をした帰り道、妻と二人ぶらぶらと地下鉄の駅まで歩くと、金曜日の夜だというのに銀座界隈はまだ人通りが戻ってこないのに気付く。柳の並木道が早く人出で賑わうようにと、酔いにまかせて「待ち合わせてあ~るく銀座♪」「みゆき通り、すずらん通り、二人の銀座♯」と山内賢と和泉雅子の「二人の銀座」を歌いながら家路についた。

金曜の夜というのに人出もまばらな銀座並木通り

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2020年9月 4日 (金)

白井聡のツイッター

内田樹などとともに本屋の店頭にあるサヨク本で良く名前を見る白井聡がやらかした。松任谷由実がラジオ番組で、安倍晋三首相の辞意表明会見を見て「テレビでちょうど見ていて泣いちゃった。切なくて」とコメントしたのに対して、「荒井由実のまま夭折すべきだったね。本当に、醜態をさらすより、早く死んだほうがいいと思いますよ。ご本人の名誉のために」とツイッターで発言して炎上したという。彼はあちこちからの批判にさすがに抗しきれなくなってツイッターを削除し、反省のコメントを出したそうだが、共産党推薦のサヨクの論客と呼ばれる人物でもこの程度の「知性」だったかと笑えてならない。彼らサヨクは日ごろヘイトスピーチと云われるものに敏感だが、本当にそうであるならば自分も人に対して「死んだほうが良い」などと過激なことは言わないだろう。それを平気でやるのは、主義主張の異なる人には厳しいが、自分がいうことは過激でも良いと彼は思っているはずだ。

 

なぜリベラルと云われる人たちやサヨクが嫌われるのかと云えば、彼らが日ごろ発する「言葉」が結局ブーメランとなって自分に返ってくるという事実に無自覚だからと思われる。今回も首相退任に際して、大事な時に体を壊す癖がある人を総理に担ぎ続けてきた自民党の責任は問われるべきとした立憲民主党の石垣議員のツイッターが物議をかもした。出自や病気など自らコントロールできないことを理由として責めるのは不適切だという、日ごろリベラルが声高に主張するのと反対の発言に我々は驚かされたわけである。そういえばかつて「非武装・中立」のスローガンを掲げていた社会党の村山党首が、自民党と連合政権を組んで首相に任命されるや、日米安保や自衛隊を認め、結局のところ党の存在意義がなくなって社会党が消滅したことを思い出した。社会党はただ反政府の「言葉」として「非武装・中立」を唱えていただけで、責任ある立場になり現実と向かいあうや、自分が唱えていた「言葉」は実現する気がないことが露骨に分かり国民は白けてしまったのである。

 

「人がすれば不倫疑惑、自分がすればラブロマンス」ではないが、野党やリベラル・サヨクなど政府・与党をするどく批難する人こそ、自分の言動にはより注意深くならねばならないはずだ。ところが日ごろサヨクやリベラルが発する「言葉」は口先だけのもので、本音は自ら実践や体現する気もないただの空理・空論に過ぎなかったいうのが白井発言や石垣発言からうかがえる。米・中の本格的対立で世界のパラダイムが変わろうとしているなか、日本を取り巻く環境は大きく変わろうとしている。安全保障はアメリカに委ねながら経済は中国と密接のままで良いのか。世界の警察をやめようとする米国にこのまま安全保障を委ねてよいのか。憲法改正に向けて動き出すべき時と私は思うが、口先だけの「言葉」を弄する野党やサヨク、リベラル相手に時間を浪費していてよいのか。健全な民主主義のために、野党やリベラルがもう少し大人になるように期待したい。

 

2020年9月 1日 (火)

武漢ウイルス騒ぎはそろそろやめにしませんか

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前立腺の全摘手術から早くも3週間以上が経った。帰宅してから友人たちにメールをすると「実は俺も手術したんだ」という返事が結構あった。どうも我々の年代では少なくとも2割以上の男性が、前立腺に問題があって手術をしたり検査を経験しているみたいだ。私の場合はロボットのダビンチによる手術で、以前より入院期間もかなり短くなったようだが、それでも入院とは何とも退屈なものであることを実感した。ことに今は武漢ウイルスの院内感染を防ぐために、家族でも入退院と手術日以外は入院患者への面会謝絶とあって、時間のたつのがより遅くて困った。たぶん日本中の病院で入院患者への面会禁止が行われていると思われるが、武漢ウイルスは世の中あらゆる場面で迷惑をまき散らしているのだ。武漢で新しい感染症が発生したという情報を隠蔽し、世界中にウイルスをばらまいた中国の態度には怒りを覚えるのみである。


とは云うものの、もうこの騒動もこの辺りで終わりにしないか、というのが今の率直な思いである。日本では武漢ウイルスによる重症者や死者が欧米諸国より極めて少ない中、何度もこのブログで書いているように、経済を大きく疲弊させてまでこの大騒ぎを続ける意味があるのだろうか。そう念じていたら、やっとここにきて一部の雑誌でも、私の思いと同じ論調が散見されるようになってきた。我が愛読誌の一つである月刊「HANADA」10月号は、国民全員PCR検査やれと一つ覚えの放送を連日繰り返していたモーニングショーの玉川徹らを「まだ懲りないバカのクラスター」と名指しし、彼らが「恐怖を煽るデマ、自粛警察を生む倫理操作」を拡散していると断じている。週刊新潮も8月に入ってから「怖いのはウイルスよりも集団ヒステリー」「ゼロリスクと叫ぶ偽善者たち」とワイドショーほか、ウイルスに過剰反応するポピュリストの知事たちを非難する記事を連載し始めた。昨日は新聞を広げると週刊ポストの広告に「岡田晴恵、玉川徹は恐怖の伝道師、モーニングショーは自粛警察の総本部」とある。高齢者や基礎疾患がある者以外は大した感染症でないことがわかってきた武漢ウイルスを必要以上に騒ぎたて、引き続きウイルスをネタに『商売』をしようとする「バカのクラスター」がまだ国内に多く巣くっているのである。


私もマンションのエレベーターには「マスクを着用してください」とあるのでエチケットとしその中ではするし、通勤電車や地下鉄の駅、それに狭い店などではマスクを着用してきた。外出後の手洗いやうがいも、この春からはきちんとするようになった。それでも「ジョギングにマスクがいるのか(5月3日)」でアップしたようにジョギング中や広い道・公園を歩くときにはマスクはしない。黙って近くを通り過ぎただけで感染はしないだろうし、何より暑いさなかに鬱陶しいものが顔についているだけで不愉快である。ということで昨日は退院後久々にジョギングを再開しようと皇居前の広い道でゆっくり走り足慣らしをしていると、向こうから歩いて来たマスクの男性にジロっと睨まれ、いきなり「チッ」と舌打ちされた。状況からしてこちらに何も思い当たる節がないから、その男性はマスクなしで1米くらい脇を走る私を見て、俺のそばで息を吐くな、とでも言いたかったのだろう。そう云えば先日、地下鉄でマスクをつけて普通に会話をしている二人連れ男性に「車内で会話をしないでください」とヒステリックに叫んでいたおばさんもいた。どこにでもワイドショーに感化されたような神経症的な自粛警察がいるものだ、と改めてバカのクラスターたちの罪に腹がたった。武漢ウイルスの大騒ぎはそろそろやめて、経済活動に飲食・旅行、スポーツや文化活動をふつうにやりませんか。

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2020年8月25日 (火)

佐藤琢磨、インディ2度目の快挙

世界三大自動車レースの一つと云われるインディアナポリス500マイルレースで、佐藤琢磨選手が2度目の優勝を遂げた。快挙である。ということで、昨日は午後6時からNHK BSで完全中継録画されたレースを、4時間フルに興奮しながら見てしまった。例年なら5月最終週メモリアルデイの前日に何十万人もの観客を集めて行わるインディ500も、今年は武漢ウイルスのため8月末の開催、しかも無人の観客席という異様な状況でのレースである。それでも一周2.5マイル(4キロ)のオーバルコースをグルグル回って200周、平均300キロ以上の速度で500マイル(800キロ)を走り抜けるアメリカンスタイル自動車レースの迫力を久しぶりに画面で堪能した。


考えてみれば初めてインディ500の素晴らしさを知ったのは、1960年代なかば毎週末にテレビで放送していた海外作成の自動車レース記録番組からだった。当時インディアナポリス・スピードウェイで競うクルマは消火用ポンプがベースだと云われたオッフェンハウザー製エンジンを積みこみ、フロントエンジンでリアタイアを駆動する旧式のフォーミュラカーが主流だった。そこにイギリスのロータスがフォードエンジンを積み、今のようなリアエンジンの本格的モノコックボディにジム・クラークと云う天才ドライバーを擁して殴り込みをかけた。まだ私は免許証を取れない中学生だったが、なにより乗り物大好き少年で、もちろんクルマにも大いに興味があったから、その番組で見るロータスのモダンなインディカーに目を見張ったのだった。


昨夜、居間のテレビで佐藤琢磨と2位になったスコット・ディクソンの一騎打ちに手に汗を握りつつ見ていたら、60年代当時の14インチの白黒画面から流されていた番組は、いったい何というタイトルだったのだろうとふと気になった。レースシーンのバックに流れるタイトルミュージックが”007危機一髪”だったことは良く覚えているのだが、60年代の、それも当時はマイナーコンテンツだった海外自動車レースの放送などは、ネットで検索してもなかなかなかなかヒットしない。それでもインディ500の中継を見終わって、あちこちパソコンで探すうちに何とかたどり着いたのが、日本教育テレビ(NET、現テレビ朝日)の「世紀のデッドヒート」という番組だったらしいことが分かった。


自動車レースのあれこれを検索してうちに「世紀のデッドヒート」が放送されていた頃の、わが国のカーレース黎明期の印象的な場面が脳裏に蘇ってきた。1964年に鈴鹿で行われた第2回日本グランプリで、プリンススカイライン・ワークスチームの生沢徹選手が、式場壮吉選手のポルシェ904の前を走った時は、国産セダンがドイツの本物のレースカーを抜いたとテレビの前で興奮したものだった。大人になってからスカイラインを何台も乗り継いだ原点が、あのテレビ放送にあるのは間違いない。また1966年の第3回日本グランプリでは滝進太郎あやつるポルシェ・カレラ6のあまりのカッコ良さに感動し、飯倉にあったポルシェの総代理店・三和自動車のショールームに実車を見に行ったこともあった。昨日はインディ500の佐藤選手の見事な勝ちっぷりに刺激されて、昔のレース番組のことや、国産車勃興期でクルマやレースにあこがれていた若き日々のことを思い出していた。

中学時代、飯倉の三和自動車ショー・ルームで父のカメラでポルシェ・カレラ6を撮影

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2020年8月22日 (土)

WAKASHIO の座礁油濁事故を考察する(続)

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モーリシャス島・ポートルイス港のタグボート 孤島なので今回のサルベージもこのクラスのタグか
(2011年飛鳥Ⅱのワールドクルーズで撮影)

モーリシャス島で起きたWAKASHIO号の座礁・油濁汚染事故について、船主たる岡山の長鋪汽船と用船者(=運航者)たる商船三井の用船(チャーター)契約について責任関係が如何になるかの関心が高いようだ。そこで長鋪汽船のような瀬戸内の船主の歴史的な背景と、用船契約における船主責任に関して今一度以下の様に纏めてみた。

1)瀬戸内船主の歴史
陸上の街道が整備される以前の上代より、人や物資の行き来は船を使って行われるのが主流であった。例えば中国大陸や朝鮮半島から日本の中心部だった畿内にやって来るために、九州の沿岸に着いた船は、風力の他にまず関門海峡の強い潮に乗って瀬戸内海まで進んだと考えられる。その後、来島海峡の上下げ潮の急流で船足を進め、芸予諸島などの島や港で風待ち、潮待ち後、今度は明石海峡の潮汐を利用して、京や奈良に近い畿内の津にたどり着いたことだろう。当時は海上の航路がもっとも早くて便利な大陸との物流ルートであったはずだ。瀬戸内海の沿岸や点在する島々に住む人たちは、舟の所有者として海上運送の仕事に携わったが、時には平家や源氏など権力者の水軍になり、時には海の難所のパイロット、はたまた海賊となって付近を航行する船から通行税を巻き上げるなど、海をベースに様々な仕事を営んできた。明治以降彼らは機帆船の船主として物流に直接携わるようになり、そのうちの有力な業者が戦後の高度成長期を迎え外航船の分野に進出することになる。このような事例はわが国にとどまらずヨーロッパでも見られ、バイキングの末裔たるノルウェーや北ドイツの船主、あるいは地中海物流を基盤としたギリシャ船主などがその典型である。

2)船主業の発展 
これら外航海運に進出した瀬戸内の業者の多くは、地方銀行など地場の金融機関の融資をもとに外航船を地元の造船所で建造し船主業を営むようになった。WAKASHIO号の所有者、長鋪汽船もその一社であろう。船主は、荷主と契約して輸送運賃を収受する日本郵船や商船三井のような海運運航業者にはならず、これら大手に船をチャーター・アウト(=用船に出す)して定期的にチャター料(用船料)をもらう船主専業者となった。なぜ運航会社ではなく船主業に特化したのかという理由は、運航会社(=用船者)は荷主から受け取る海上輸送運賃が荷物を積んだ後に受領する一方で、現金決済が必要な高額な燃料費(=バンカーと呼ばれる燃料代)や入港した港で払うタグ代やパイロット料金、岸壁使用料、税金などの港費を航海前に現金先払いするので手元に潤沢なキャッシュが必要なこと、運航会社は世界中の航路や拠点を維持する要員や代理店網が必要であり通常数隻しか所有していない船主では対応できないこと、船主は地場の造船所や金融機関など地方の海運クラスターを基盤として事業展開しており、東京や大阪に拠点を置く荷主とは疎遠であった事、かつては船主の信用力が無かった事、定期用船の用船料はスポットの輸送運賃より相場が安定的だったことなどがあげられる。なお日本郵船や商船三井のような運航業者は、オフバランスの観点から船主から借りてきた用船が増えているが、一部自社船も保有し船主業も兼ねている。

3)船主負担費用
このように船舶を所有する事と運航する事は、今では別の事業分野に分かれるケースが多くなったが、その費用負担はどうなるか。船主はまず金融機関の融資を受けて造船所で船を造り、用船料を原資にそのローンの返済を行う。船員を手配し船員費を支払いながら係船ロープやエンジンなどの部品・備品のほか潤滑油の補充を行い、本船の故障箇所の修理や必要なドックの手配を行って常に本船を航海に堪える状態に保持する。また衝突事故や座礁、船舶火災に対応する東京海上火災などの海上保険会社に船体保険を付保し、今回の油濁事故のような第三者への損害賠償のために船主相互責任保険クラブ(Protection and Indemunity Club = PI Club)の保険に加入して保険料を支払う。また安全運航や環境汚染に関する国際ルールの遵守も船主が求められる。これらを総じて堪航性を保持する業務と云い、航海に際して湛航性を担保するのが船主の責務である。

4)用船者(=運航者)負担
こうして稼働状態になった本船を借り受け船主に定期的に用船料(チャーター料)を払いつつ、荷主と輸送契約をし貨物を運び運賃を貰うのが商船三井のような用船者(=運航者)である。用船者は指定した港へ配船し、自らの費用と責任(あるいは荷主の責任)で荷物の積みおろしを行なう。世界中のどこへ、いつ配船するかは用船者の任意であるから、航海に必要なバンカーオイルの手配やその費用、入港した港の港費は用船者負担となる。船主負担と用船者負担の分担は、「船を常に稼働させるための費用は船主負担」であるのに対し「航路や積み荷など用船者の要求で変動する費用については用船者負担」が原則である。なお船が事故や故障で不稼働になると、オフ・ハイヤーとなって用船料は不稼働の期間について支払われない。

5)航路選定や事故の責任
用船者は任意に彼らの指定の荷物を指定の量を積み、指定した港に指示したスピードで向かえと船長に指示書を出す立場である。ここで用船者には、指定の港および航海海域は紛争地域でないなど安全な場所に配船する事が求められる絶対条件となる。このような役割分担・費用分担を定めたチャーター方式(用船方式)を定期用船契約(英語ではTIME CHARTER)と呼び、広く世界で普及している船舶の貸し借り形態となっている。それでは今回のような海難事故や油濁事故は誰の責任になるであろうか。海事に関わる事件を裁くのは今も世界的に英法が準拠法となっており、英法は周知のように成文法でなく判例主義なので、定期用船下でのトラブルについては膨大な議論がこれまで尽くされてきた。しかし事故の最終責任者は船長の雇人たる船長にあるという原則から、安全海域である限り事故や航路選定に関わる事項は、定期用船契約下で船長(船主)に帰するという結論が明確になっている。船外に流出したバンカーオイルも用船者の資産であろうと、その管理に対するすべての責任は船長にある。この点について定期用船契約に使用されるNEW YORK海運集会所発行の標準様式(NYPE FORM1981版)には次の様に記されている。

Nothing herein stated is to be construed as a demise of the vessel to the Time Charterers. The Owners shall remain responsible for the navigation of the vessel, acts of pilots and tug boats, insurance, crew, and all other similar matters, same as when trading for their own account. 訳;本様式の記載事項は用船者への責任移転とは解されない。船主は本船の運航、タグボートやパイロット『が例え用船者手配であっても』の行為、保険手配や乗り組み員、その他同様の事項に船主自身が航海したものと同じ責任を負うものとする。(注:『』内は筆者加筆)

この項目はDEMISE条項と呼ばれ用船契約の責任事項に関して述べたもので、これによって海難・油濁事故の責任は用船者の指示の下の航海でも用船者たる商船三井ではなく船主・長鋪汽船にあることが明確なのである。なお本船は再用船として、例えば長鋪汽船ー商船三井のスキームから川崎汽船など他運航者に再び定期用船に出される(長鋪汽船→商船三井→川崎汽船=運航会社として荷主と輸送契約)こともしばしばあるが、その際でも事故の責任は船主である長鋪汽船である。道義的・社会的責任は別として法的には船主の責任は重いのである。

追記;ファンネルマークや船体のロゴは定期用船契約上、用船者(=運航会社)が任意に書き換える事ができる。WAKASHIO号のファンネルもオレンジ色の商船三井カラーであるが、これによって輸送責任や事故責任の重さが変わるなどの法的効力は一切ない。

長鋪汽船と商船三井間で締結されたであろう定期用船契約標準様式のサンプル

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2020年8月18日 (火)

真夏の早慶戦

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猛暑が続いている先週末は、退院直後でまだ無理もできず、冷房の効いた部屋でNHK BSで実況放送された東京六大学野球リーグの早慶戦を見ていた。東京六大学野球の春季リーグは、例年なら4月初旬から5月末までの8週間、風薫る季節に戦われるが、今年は武漢ウイルス騒動で8月10日からと真夏の開催である。それも同一カードで先に2勝した方が勝ち点を得る勝ち点制ではなく、今季に限り一回戦総当たりで、延長になればタイ・ブレークで決めるという変則的な方式である。また従来は成績に拘わらず早慶戦はリーグの最終週に行われるものも、途中の第六週目に対戦する日程となっている。


東京六大学野球で早慶戦を最後に行うのは、リーグの発祥が早稲田大学 対 慶応義塾の対校戦に他の4校が加わったという歴史的経緯によるのだが、今年の事態では伝統を変更するのもやむを得ないところだろう。このようなごたごたは大東亜戦争中の昭和18年の連盟解散、あるいは戦後昭和21年の一回戦総当たり時代以来との事だが、全国の他の大学野球リーグ戦がウイルス禍で開催できない中にあって、東京六大学野球連盟だけが天皇杯をかけて戦えるのは何とも名誉なことである。またこの早慶戦がNHKによって全国に放送されるのは、早慶両校選手には大変な喜びだと云えよう。


試合は今年のプロ・ドラフトで上位指名が予想される早稲田の早川投手(4年・木更津総合)対 慶応打線の勝負とみられていたなか、慶応の一発攻勢と堀井新監督の冴えわたった選手起用で慶応がリード。早稲田も粘って9回2死から追いつき3対3の同点でタイ・ブレークによる延長戦に入る見ごたえある熱戦となった。まさか東京六大学野球でタイブレーク方式の延長戦を見るとは予想だにしたこともなかったが、無死1塁2塁からの攻撃方法、先攻・後攻による戦術の違いなど、画面を通じて初めて見る攻防も興味深かった。結果、5対3で塾が早稲田にせり勝ち、ビールがまだ飲めない体なのでコーラで祝杯。

 

それにしても今季は学生応援席のない真夏の神宮球場スタンドである。応援団・ブラバンによる声援や演奏、エールの交換など、六大学野球をそうあらしめる伝統のお約束プロトコルが画面から聞こえないのが何か気の抜けたビールを飲んでいるようだった。選手の息づかいが伝わってきそうな静かなテレビ音声を聞いていると、チャンスパターンの応援や耳になじんだ各校の多くの応援歌、ラッパや太鼓の響きが東京六大学野球リーグ戦の重要な構成要素だとあらためて認識できたのだった。どうか秋には元の伝統の形式に戻って、ふつうのリーグ戦が開催できる状況になってほしいものだ。

«WAKASHIOの座礁油濁事故を考察する

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