2018年4月18日 (水)

アデン湾の観艦式

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ソマリア沖海賊問題を描いたトム・ハンクス主演の映画「キャプテン・フィリップス」は、今回寄港したオマーンのサラーラのコンテナターミナルから話が始まる。ケニアのモンバサに向かうマースクラインの米国籍コンテナ船”マースク・アラバマ”号のフィリップス船長が、海賊に誘拐される実話に基づいた話題作だったが、いよいよ飛鳥Ⅱもこの辺りからソマリア沖海賊に対する警戒海域を航行することになった。


我々が乗った2011年の飛鳥Ⅱワールドクルーズも、海賊問題のため急遽アフリカの喜望峰を廻る航路に変更なった経緯がある。その折にはいつの日か紅海を渡ってスエズ運河を通り地中海に行きたいものだと思っていたところ、今回やっとその願いがかなう事となった。そのためにはまず海賊多発海域であるアラビア半島の南端イエメンとアフリカ大陸のソマリアの間にあるアデン湾を通航する必要があり、ここを飛鳥Ⅱは他の数隻の商船とコンボイを組んでジプチに駐在する我が海上自衛隊の護衛艦に守って貰うことになる。


今回コンボイに加わるのは飛鳥Ⅱの他、商船三井のVLCC(超大型タンカー)”IWATESAN”、それに外国船主のハンディ・バルカー(ばら積み貨物船)の三隻で、速力は最も船速の遅い満載のVLCCに合わせ12ノット強である。サラーラ沖から始まって紅海の入り口までの間、まる2昼夜を青森県の大湊基地から派遣された護衛艦”せとぎり”を先頭にして、左側に”IWATESAN”、右側に飛鳥Ⅱ、後方2マイルほどに位置するバルカーによる護送船団で進んだ。この間、飛鳥Ⅱには英国の警備会社のガードマンが乗船したうえ、夜間の灯火管制、暴露甲板への立ち入り制限などの対策が都度取られた。


もっともここ数年ソマリア海賊の発生件数はめっきり減っており、外国の貨物船やタンカーはコンボイに加わらないのが多いようだがそこは飛鳥Ⅱである。万全の措置の甲斐あって何事もなく無事に紅海に入る事ができた。コンボイ解散の朝、4月15日は飛鳥Ⅱに接近した”せとぎり”が観艦式のような大回頭で一旦後ろに廻り、再び速度を上げて飛鳥Ⅱを追い越しつつ登舷礼が行われた。飛鳥Ⅱからは多くの乗客が手を振り、護衛してもらった自衛艦に礼を述べる感動の場面である。我々もこの日のため日の丸と旭日旗(軍艦旗)を持参し、”せとぎり”から視認できるように懸命に振ったのである。日本を遠く離れたアデン湾で出会う日本の軍艦は何とも頼もしく胸の熱くなる瞬間で、これだけでもこのクルーズに乗船してよかったと感じたのだった。

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飛鳥船上の持参の旭日旗。”せとぎり”がマストに大旭日旗を掲揚するまで当初は”危ない人?”のような他の乗客からの視線を感じた。


2018年4月14日 (土)

サラーラにて

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マースクラインのコンテナターミナル

これまでのところ奇跡的なほど凪いだ日々が続いている2018年飛鳥Ⅱワールドクルーズである。クルーズ20日目、インド洋を西に向かって航海を続けた飛鳥Ⅱが到着したのはオマーンのサラーラ港であった。サラーラに入港するとインド洋やアラビア海を航海する独特の小型船の傍らに、多くの巨大なコンテナ船が荷役している光景が見られた。ここは世界有数のコンテナ船会社マースクラインの一大ハブ港である。地図を開けばサラーラはインド洋やペルシャ湾、遠くは西豪州などの東半球各地とヨーロッパの間の結節点のような場所にあり、なぜマースクラインがここに積み替えの拠点を設けたのかが改めて理解できた。


船乗りシンドバッドの話はオマーンの船員をモデルに描かれたという通り、この辺りは古くからアジア・中東とヨーロッパの文化、物流が交差する海域だったのである。以前にも何度かアップしたが海外でも国内でもクルーズ船に乗って旅すると、なぜそこに町ができたのか、初めてなるほどと気付かされることが多い。近世以降に発達した鉄道や飛行機などの交通手段に乗っていては判らない地理を船旅は教えてくれるのである。その要衝であるサラーラはかつては乳香の一大積み出し港として発展したそうで、町の郊外には中世に栄えた都市アルバリードの遺跡がある。キリストの生誕に東方の三賢人から送られた物の一つが乳香で、木の樹液から生成される乳香は以前は香や香水のほかに医薬品として珍重されたと云う。


町を観光するツアーに参加すると、そこはやはりアラブの世界である。西欧的な高層建築はあまり見られず、町のあちこちにモスクの尖塔が目につく。男はクーフィーヤと呼ばれる白いかぶりもの又はターバンを頭に乗せ、白い衣装を着けている者が多い。なにより女性が町の中にあまり見れらないのが何とも異様である。港を離れると椰子やバナナの畑以外は周囲に砂漠の様な景色が広がっているが、現地ガイドの説明では石油などからの収入で医療費・教育費は無料という羨ましい国でもある。もっともここから1000キロ離れた首都マスカットにいる商社やトヨタなど日本人の駐在員は、休暇にはドバイに息抜きに行くそうで日本人にはやはり遠い国という感じがしたオマーンであった。

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アルバリード遺跡

2018年4月 9日 (月)

モルジブと中国

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現役時代は海外といってもなぜかアブラに関連するビジネスには縁がなかったから中東に出張に来た事はなかった。よって飛鳥Ⅱがインド洋を東に進むにつれ未知のゾーンに初めて踏み入れるようなワクワクとした気持ちになる。もっとも飛鳥Ⅱの船上は正に「日本!」そのものであり、港に着いて上陸しても乗客の行動は船が施した万全の対策の下で行われるからこちらは気楽なものだ。その万全の対策の一つとしてモルジブの首都マーレ沖に錨泊した昨日は、マーレ市内での自由行動は禁止となり、ドーニーと呼ばれる通船に揺られて乗客が運ばれたのは、パラダイスアイランドリゾートという小さなリゾート島であった。


1,190の小さなサンゴの島から成り立つモルジブは、人口40万人のスンニ派モスリムの国で観光や漁業が主な産業である。海外からの観光客は首都マーレを素通りして、島全体がリゾートとして開発された各離島へボートや水上飛行機で渡って過ごすと云う。そこでは飲酒が許されているので、イスラム国という感じはあまりしないらしい。首都マーレは政変のため非常事態宣言が出されていたところ、この3月に解除されたのだがそこは「万全」の飛鳥Ⅱのことである。制限解除直後の首都には乗客を行かせず、治安の安心なリゾート島へ通船を出すのが飛鳥の飛鳥たる所以であろう。リゾート島での滞在時間はわすか40分と極めて短かかったものの、人口密度が世界一だというマーレでなく、リゾートを垣間見たのは、典型的モルジブの体験とも云えよう。


マーレ沖に錨を降ろした飛鳥Ⅱの船内から目の前に見えるのは、小さな島の上で盛んに進められている土木工事であった。マーレの海抜は1米、国全体でも平均海抜が2米のこの国は、いま地球温暖化による海面上昇に悩まされている。港内に停泊中のバラ積み貨物船から粉塵とともにはしけに揚げられている荷物は砂利のようで、これを使って護岸工事や埋め立て工事が行われるのだろう。ここでも一路一帯の構想実現を目論む中国が港湾整備に手を貸していると報道されており、目の前の島の土木工事も中国資本で為されているのだろうか。いまマーレには多くの直行便があることが中国との関連を物語っているようだ。2016年の南極・南米ワールドクルーズの際には、南米各地の港湾整備に中国が関わっているのに驚いたが、ここでも覇権を目論む中国のプレゼンスが大きいのが些か気にかかる。

砂利を艀に荷揚げするばら積み船

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2018年4月 6日 (金)

シンガポール・プーケット・インド洋

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横浜を出て12日目、シンガポールとプーケットに寄港し飛鳥Ⅱはインド洋に出てきた。これまで幸いな事に海はなぎ、天候も良好である。さて本クルーズ初寄港地のシンガポールではセントーサ島にできた各種施設を散歩してみた。ここはディズニーランドやユニバーサルスタジオ、後楽園ラクーアに東京のお台場を一緒にしたような新しい施設で、シンガーポール名物のマーライオンまである。以前は仕事でしばしば訪れたシンガポールも、最近はクルーズなどで数年に一回訪れる程度である。近頃ますますろ開発スピードも一層早まっている様で、来る度に新しい高層ビルやショッピングセンターが出来ていることに驚いてしまう。ただそのあまりの変化の早さには、却って落ち着かないような気もする。


シンガポール基点クルーズのスーパースター・ヴァーゴ号で2度ほど来た事のあるタイのプーケットでは、象に乗るエクスカーションを体験してみた。まるでインディアナジョーンズのハリソン・フォードになったような気がしたが、普通の旅行ではまず行かないような場所に、気軽に行ってみようかという気になるのも船旅ならではである。さてロングクルーズも第一ステージが過ぎ、これから船内で何の教室に行こうか、どこで過ごそうか、何の本を読もうかと改めて見直そうという頃になった。「何だか疲れた!」とこぼすお年寄りの乗船客もいるとおり、あまり船内の行事を欲張らず7~8分目のエネルギーで活動し、ゆったりする時間をなるべく多くするのが楽しい船旅の秘訣ではないだろうか。


マラッカ海峡を抜けインド洋を西に向かうと、乾舷を高くした大型タンカーがペルシャ湾に向かって同航し、逆にそれらが同地で喫水線一杯まで原油を積んで反航してくるのにしばしば出会う。原油タンカーや大型コンテナ船の隊列を見ていると、ここがアジアの経済を支えている基幹航路、現在のシルクロードである事をひしひしと感じるのである。水平線の彼方、発達した入道雲の下に降るスコールを眺めていると地球の水の循環に思いを馳せて自然の驚異を感じ、その下に展開するタンカー銀座を見ると中国がなぜ南シナ海からペルシャ湾にかけて自らの勢力を伸ばしたいのかあらためて実感できる。船旅はほかの旅では見えない様々な視点を与えてくれるものだといつも思うのである。

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2018年4月 2日 (月)

船上のピアニスト

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横浜を出て一週間、国内クルーズならそろそろ下船の準備と云うところだが、最初の寄港地・シンガポールは明日である。船では一日が飛行機の一時間の行程にあたっているから、数日前から船の周囲は南洋モードで、マラッカ海峡を前に行き交う船舶の往来も頻繁になってきた。日本を出た直後の船内のよそよそしい雰囲気もすっかりほぐれ、そこかしこで新しくできた友人や再会した船友たちの談笑の輪が広がっている。ここまでの気象や海象は穏やかで、夜は満月が夜の海を煌々と照らしてまずは順調な船出といえよう。


船内の様々なアクティビティも始まって、それぞれの乗客が自分のペースや落ち着き場所を得始めているようである。私達も例によって午前・午後2回行われるダンス教室に通い始めたが、午前中の初心者コースはまあ余裕なるも、午後は周囲が上手い人ばかりでちょっとおっかなびっくりといったところだ。家で毎日練習していたピアノはマリナーズクラブというバーのグランドピアノを空いてる時に使えるので、さっそく1時間づつ数回試してみた。


久しぶりのグランドピアノは我が家の電子ピアノとは迫力がまったく違っている。3年がかりで何とかかんとか怪しげながらも弾けるようになったモーツアルトのピアノソナタも、グランドピアノで弾くとぐっと上手に聞こえるのには感激するが、逆にグランドピアノの響きが良い事に却って戸惑ってしまう。鍵のタッチも滑らかならばピアノ(弱音)のところは本当に小さく弾かねばならないなど、家で電子ピアノで力任せに飛ばしていた部分も繊細なタッチを心がけないと曲にならない。それでも窓の外に見える引き波を背にグランドピアノを奏でると「船上のピアニスト」の気分となって嬉しくなる。

2018年3月29日 (木)

2018年飛鳥Ⅱ世界一周クルーズ「マイ出港セレモニー」

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横浜・神戸を経てクルーズは5日目、飛鳥Ⅱは台湾とフィリピンの間のバシー海峡を南下中だ。北回帰線も越えて海は群青色に変わり、シンガポール時間に合わせて時計を一時間遅らせて、やっとクルーズも本番という気分になってきた。今回は満船状態の699名が飛鳥Ⅱに乗船とあって食事も完全に二回に分かれて出されているが、船内は覚悟していたほどどこも長蛇の列というという訳でもない。船内生活や各種レクチャーのオリエンテーションに加え、知り合いの飛鳥Ⅱの船友に、またその船友を紹介されたりしておしゃべりをしているとあっという間に過ぎてゆく一日である。


横浜に見送りに来てくれた友人達から頂いたお餞別の品を前に、昨日は我がキャビンの出港儀式を執り行った。先ごろニッカ十年浪漫倶楽部で届いた2本の十年ものシングルカスク・マイボトルのうち、船内に持ち込んだ最初の1本の開栓式が我が家の出港セレモニーである。様々な事情があったがそれを乗り越えて無事に100日余のクルーズに出かける事ができたら、この59度もする濃いマイ・ウイスキーボトルの封を切ろうとかねてから妻と話していたが、いよいよその夢が実現する瞬間になった。開けたボトルは航海中のイベント毎に少しづつ乾杯し、10回ほどで飲もうと思っており、本日本の領海を出る昨日は待望のセレモニー実行日である。


という事で昨夕はふつうのウイスキーよりよほど厳重な封を開き、琥珀色に輝く10年ものマイ・ウイスキーを慎重にグラスに注ぐ事にした。ニッカ浪漫倶楽部では3万円の会費を払い何人かで共有した樽の中で熟成した5年もののウイスキーを1本、10年ものは2本貰える事になっていたから、5年ものは0.5本と換算すると1ミリリットルが約18円くらいになる。シングルでは高々500円ほどの価値だが、十年も待ったボトルである。これを一滴でもこぼすまいと慎重にキャビンのグラスに注ぎ、一口目はおもむろに生で、次にオン・ザ・ロックで口にはこぶと、えも云えぬ芳醇な香りとともにほのかな甘さのウイスキーが口内に広がった。船の揺れと相まって気持ちよい酔いが身体を巡るうち、とにかくクルーズに来て良かったという実感がわいて来た。

2018年3月24日 (土)

飛鳥Ⅱ 2018年世界一周クルーズを前に(2)

今回、飛鳥Ⅱの世界一周に乗船する事を決めた背景は昨日の通りだ。その上で実際に申し込む動機になったのはコースの良さに加え、早期割引代金などが従来より割安だった(最安のプランは1泊3万数千円から)事による。さて代金の事はさておき、コースが過去2回のワールドクルーズと比べてどうなのかを比較したのが自作のエクセル表(下の写真)である。


これは前に乗船した①2011年の飛鳥Ⅱによる喜望峰周りの世界一周クルーズ②2015年末-2016春乗船の南極・南米ワールドクルーズ③今回の世界一周④参考のため外国船を使ってかなり割安な料金設定で人気のJTB・サンプリンセス号の2019年世界一周クルーズの寄港地と航海日を比較しまとめたものだ。


この表から判ったのは ①(2011年)は104日間で23港寄港(運河通過・フィヨルドはそれぞれ1港とカウント)しており、前港と次の港の間の終日航海日、すなわち洋上のみの日が平均すると3.6日間、最長の無寄港日間隔が8日間が1回、7日間が2回という設定であった。②(南極・南米)は101日間で25港寄港(南極・氷河・運河はそれぞれ1港とカウント)平均終日航海日が3.7日となっており、7日間無寄港が2回、6日間無寄港が2回とこちらも洋上の時間が多かった。


それに比べて今回の2018年世界一周は103日で28港寄港(運河は1港とカウント)平均終日航海日が2.5日、無寄港は8日が1回、6日が1回、5日間が4回と寄港地の滞在が増え、洋上日数が減っているのが判る。特筆すべきは④のサンプリンセス号による2019ワールドで、100日間で35港寄港(運河・フィヨルドなどを1港とカウント)、平均終日航海日が2.2日、無寄港は7日が1回、5日が1回とこちらは圧倒的に港での滞在時間が長く、終日航海日が少ない。


港に寄れば船社には通常のポートチャージの他に、入出港に関わる本船燃料(バンカー)の追加費用はじめ乗客用のシャトルバスなどや歓送迎の為の諸費用がかかる。それを考えるとサンプリンセス号の来年の世界一周クルーズは、圧倒的に見所が多いうえ、値段設定も飛鳥よりはるかに割安でお得なクルーズとも云えよう。ただ飛鳥Ⅱの高い乗客年齢を考えると、サンプリンセス号並に寄港地が多いと疲れるというクレームも多数出るかもしれない。いずれにしても今回の世界一周は外国船よりはゆったりしているが、今までの2回の飛鳥Ⅱワールドクルーズより港と港の間の航海日が少なく、それも今回選択した理由であった。

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2018年3月23日 (金)

飛鳥Ⅱ 2018年世界一周クルーズを前に

飛鳥Ⅱ 2018年世界一周クルーズを前に、多くのするべき事がやっと一段落して後は乗船を待つのみとなった。100日余り船内で過ごす間の衣類・持ち物のパッキング、留守中の家の管理や税金などの諸支払い、クルマの管理に歯の治療などにここのところ忙殺されていたが、やっとまた乗船できるという実感が湧いてきた。これで2011年のワールド・クルーズ、2015年末~2016年の南極・南米ワールドクルーズに次いで三度目の飛鳥Ⅱでの世界一周クルーズとなる。


一介のサラリーマン出身者としては大枚をはたいての重なるワールドクルーズ参加とあって、いくら何でも贅沢すぎない?という周囲のそしりは免れないところだろう。しかし65歳を超えても働ける職場が私にあり、妻も昔の職歴を活かした仕事がある。なにより周囲に病人や介護が必要な人がいないという僥倖。自身の健康は年齢相応にガタが来ているものの、医師の許可も得た。先の事はあまり悩まずに、遊べるうちに遊んでおこう!の気持ちなるも、すべて周囲の理解やサポートあってのクルーズで、お天道様に感謝しつつ出発を迎える。 


2011年に乗船した際、ソマリア沖の海賊問題で航路が喜望峰周りとなり、それはそれで貴重な体験だったものの、いつの日かスエズ運河を越えてエーゲ海・地中海に行ってみたいという夢もこれでかなう事になる。今回はこれまでのクルーズで知り合った船友も多数乗船するようだ。ダンスもこの2年間レッスンを受けたからそれなりに上手くなっているかもしれない。今回も船上で新しい習い事にチャレンジしてみようかと意欲もあるが、まああまり欲張らず、まずは波でも眺めながらゆったりと船上生活を楽しむ事にしたい。乗船した日にはとっておきのウイスキー(リンク ニッカ十年浪漫倶楽部)をキャビンで開けよう。

やっとパッキングが終わり船に送るばかりとなった衣類などのダンボール箱
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2018年3月21日 (水)

環状四号線

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環状四号線の建設工事(豊島区・高田付近で神田川を渡る架橋建設工事)

都内の環状道路といえば外側の環状八号線(環八)や、かつて公害や喘息でその名を馳せた環状七号線(環七)が知られているが、その内側にも環状六号線(山手通り)や明治通りと呼ばれる環状五号線がある。明治通りの内側には都内を輪のように横に結ぶ道がないのかと云うと、お堀の周囲をぐるっと廻る内堀通りや日比谷通りが環状一号線であり、その外側の外堀通りや最近やっと開通した虎ノ門から汐留に向かう通称マッカーサー道路などが二号線なのだと云う。


これら都心を巡回する環状道路は、関東大震災の復興計画として当時の内務大臣だった後藤新平が帝都復興院総裁を兼任した際に計画されたそうだ。環状道路を利用するとその便利さが良くわかるが、モータリーぜーションの到来など予想もつかなかった時代に、都市の近代化を図り道路整備計画に熱意を燃やした後藤の慧眼には目を見開かされる。しかし後藤が練った環状道路計画も様々な事情でなかなか完成せず、環七が全通したのは昭和60年、環八にいたって平成18年に全通しているとおりである。


当時考えられた環状三号線は現在の外苑東通り・言問通り・三つ目通りを結ぶ道路であったが、この計画路線は本郷弥生から早稲田鶴巻町までの区間が播磨坂地区を除いて今だに手付かずの状態で、いったいいつ完成するのか不明である。一方、環状四号線の方は外苑西通りや不忍通りなどを結ぶ道路で、こちらの方は現在あちこちで道路の建設・拡幅や用地買収などが行われ、徐々に環状線らしき道路ができる事を周囲に示している。先のオリンピックで環七が出来るなど見違えるほど道路事情が良くなった東京だが、今も環状四号線の建設など、余り人々の目に付かぬ場所で着々と道路の拡幅や新規整備は行われているのである。

環状四号線(新宿区・余丁町付近、これで外苑西通りと不忍通りが将来繋がる予定)
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2018年3月13日 (火)

三田の山

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三田演説館と現在ここに置かれる福沢先生像

三寒四温の今日このごろ。昨日は、職場からほど近い港区三田の慶応義塾・三田キャンパスに昼休みを利用して行ってみた。三田は塾監局が置かれる慶応義塾の本部で経・商・法・文など文科系の塾生が3・4年時に学ぶキャンパスである(文学部は2年から三田校舎)。会社員生活も最終行程となると、なぜか若き日の思い出が蘇る場所が懐かしくなってきて、昨日も陽気に誘われてふらふらと三田の山に来てしまったのだ。もっとも学生時代の私は、グランドのある横浜の日吉に足が向いてしまい、三田は必修講義や試験に来ただけの場所なのだが、それでも若き日に過ごした場所と云うのは懐かしい。


最近ここに来ると、自然と脳裏に慶應賛歌の歌詞がうかんでくる。

一、
光あふるる三田の山
我等が校庭(にわ)に集いたる
希望(のぞみ)に充ち氏し若人(わこうど)は
独立自尊の城南健児
我等が若き力以て
理想の祖国(くに)を打建てん

慶應 慶應 慶應義塾
その名讃えん我が母校

三、
ああ美(うるわ)しき三田の山
第二の故郷 三田の山
共にむつみし幾年は
心に永くとどまらん
月去り星は移るとも
夢に忘れんその名こそ

慶應 慶應 慶應義塾
永遠(とわ)に讃えん我が母校



作詞・作曲をした平岡養一氏のよれば、終戦後の混乱期に書かれたこの歌は「第一節は敗戦日本の将来の再建を熟生に期待して、・・・・・第三節は学窓を出た我々塾員達がいつまでも母校を偲び、塾員である事を終生の誇りとして歌えるものとして書き上げたのがこの歌詞である。」(慶應歌集.昭和50年2月発行)だそうだ。


今から50年前に入学した当初は、歌詞があまりにも「クサイ」と感じたが、野球の応援など事ある度に悠揚たるテンポで流れる慶應賛歌を聴いているうち、あまたの慶應カレッジソングのなかで最も好きな曲になってしまった。昨日は、春休みだというのに塾生や教職員で賑わうキャンパスに一人佇み、「慶應賛歌」を一番から三番まで口ずさんで午後の仕事に戻ったのであった。

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