2020年11月23日 (月)

えちごトキめき鉄道・雪月花

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ET122型気動車ベースの雪月花

大人の休日倶楽部が催行する【予約が取りにくい人気の観光列車を一度に楽しむ!信越の海・山・里の景色とこだわりの食を堪能『ろくもん』と『雪月花』 】、2日目は「雪月花」乗車である。長野駅直結のホテルメトロポリタン長野に宿泊した我々は、翌朝9時にロビーで集合し、「雪月花」が出る上越妙高駅まで新幹線で移動した。因みに「雪月花」は中国の詩からの引用で美しい自然の情景を示す語だと云う。「雪月花」が運転される「えちごトキめき鉄道」は、北陸新幹線の長野・金沢間開業(2015年)に伴い、旧信越本線の妙高高原から直江津間を「妙高はねうまライン」とし、旧北陸本線の直江津・市振間は「日本海ひすいライン」と名付けて開業した新潟県内の鉄道である。「トキめき」のトキは佐渡に渡ってくるトキ(朱鷺)を、「はねうま」は妙高山に雪解け時期に現れる馬の雪形を、「ヒスイ」は糸魚川地区が翡翠の大産地なのが線名の由来だそうだが、新幹線開業で分離された平行在来線は、全国どこも名前がキラキラ過ぎだ。第三セクターで営業のために目立つ必要があったにせよ、信越鉄道とか越後鉄道あたりが、オールド鉄道ファンにはしっくりくる。


「雪月花」の出発駅である上越妙高駅は信越本線時代には「脇野田」駅という地味な駅だったが、今は新幹線から直江津方面への乗り換え駅となり、駅前には早くも全国チェーンのビジネスホテルが建っている。「えちごトキめき鉄道」の問題は旧信越本線部分(妙高はねうま線)が直流で、旧北陸本線(ひすいライン)部分は直流と交流が混ざって電化されているために、同じ会社でありながら両線の車両が簡単には相互乗り入れできない点にある。このためリゾート列車を設定するにあたり、在来の電車を改造した車両ではなく、両線で運転可能な気動車として「ひすいライン」に配備されるET122型気動車をベースに新造されたのが「雪月花」である。2016年度グッドデザイン賞や2017年鉄道ローレル賞の賞状が「雪月花」車内に掲示されているように、パノラマウィンドウを採用し専ら観光列車用に新規設計された車両なので、一歩足を車内に踏み入れるだけでリゾート気分が盛り上がる意匠となっている。


10時19分に上越妙高駅を出た「雪月花」は、妙高山を右手に臨みつつ「妙高はねうまライン」を信越国境の妙高高原駅に向かってゆっくりと登っていく。途中スイッチバックの二本木駅で降り立つことができるが、ここは日本曹達・二本木工場の玄関駅で、かつて駅構内は旅客や貨物列車の往来で賑わったことが伺える。この駅をスイッチバック方式にしたのは停車した列車を引き出すのが困難だったためとの説明で、往時のD51で長大編成の貨物列車を始動させるのが如何に大変だったのかが想像できる。ホームから目の前の日本曹達の工場を見ていると、なぜ直江津ではなくこんな山間部にソーダ灰や塩ビの工場を作ったのか、原料の塩はどこから運んできたのかなどと疑問も次々と湧いてくる。鉄道遺産を訪れるとわが国の産業史が垣間見られ、中高年の脳にはなかなか良い刺激だという気がする。


都内の二つ星レストランシェフが越後の食材で調理したフレンチの重箱料理を楽しみつつ、妙高山の雄姿を眺めるうちに妙高高原駅で列車は折り返し、今来た線路を直江津に向かって下る。腹も一杯になった昼過ぎ、列車は直江津で再び進行方向を変え、今度は右手に日本海を望みつつ裏日本縦貫線の一部である「日本海ひすいライン」を走り始める。糸魚川向き先頭車には展望デッキがあり、食後のひと時はここで運転士の一挙手や、海岸線の前面展望を楽しめるのも観光列車ならではだ。途中の頚城隧道(くびきずいどう)には筒石駅というトンネル内の駅があり、地上へ至る階段を見ることができるように列車は停車する。この駅から地元の人が利用する300段弱の階段を、限られた停車時間なので地上まで駆け上がってみたのだが、筋トレのような勾配は満腹後の腹ごなしにちょうど良い運動となった。こうして「雪月花」は13時16分に終点・糸魚川駅に到着し、昨日の「ろくもん」に続き連日昼からの豪華飲み食いの旅は終わった。2日間に亘り極楽の道中だったが、グルメとは趣向を変え、産業遺産・鉄道遺構を訪ねる特別列車があったら人気が出るかもしれない。いずれにしても鉄道の旅は色々な発見があり、薄れかけていた知的好奇心が大いに刺激されるようだ。

フレンチのお重
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二本木駅スイッチバック
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2020年11月22日 (日)

しなの鉄道・ろくもん

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軽井沢駅にて:展示されているかつての峠のシェルパEF63と「ろくもん」

大人の休日倶楽部が催行する【予約が取りにくい人気の観光列車を一度に楽しむ!信越の海・山・里の景色とこだわりの食を堪能『ろくもん』と『雪月花』 】と名づけられた団体旅行に参加した。旧信越本線の長野県側を引き継いだ「しなの鉄道」が運転する観光列車「ろくもん」と、旧信越本線と旧北陸本線の新潟県部分を引き継いだ「えちごトキめき鉄道」の「雪月花」を一挙に楽しもうという企画ツアーである。旅は初日に軽井沢から長野まで「ろくもん」に乗り長野で一泊、2日目は上越妙高から糸魚川まで「雪月花」に乗車し、両日とも豪華昼食を車内で楽しみつつ、山間部から海岸線まで沿線の情景を楽しむと云う趣向である。GO TOが利用できるというので、以前「TOHOKU EMOTION」や「肥薩おれんじ鉄道」でこの種の列車の楽しみにすっかり味をしめた妻のたっての希望で参加することにした。


東京駅の集合場所に現れたのは「大人の休日倶楽部」とあって50歳以上と見られるシニアが16名で、まずは添乗員に引き連れられ皆で北陸新幹線で「ろくもん」の出発駅・軽井沢に向かう。しなの鉄道・軽井沢駅に造られた旧国鉄軽井沢駅の貴賓室を模した部屋で休むことしばし、10時34分発、115系電車を改造した3両編成の電車「ろくもん」に乗車となった。「ろくもん」とは信濃ゆかりの戦国武将、真田幸村の家紋だそうだ。軽井沢から長野まで74キロ余りを2時間15分かけ、地元のレストラン「アトリエ・ド・フロマージュ」のフレンチを味わいつつ、「美食・自然・文化を満喫する」(パンフレット)。指定されたシートに座り乗車料金に含まれるドリンクを注文すると、いきなり地ビールの缶が一人2本も出てくる豪華版ランチだ。最近は昼にアルコールを飲むことを極力さけているが、こんな日は午前中から堂々グビグビ呑めて嬉しい。


昼食なのでそうボリュームはないものの、長野に向かいながら、地元の鱒やサーモン、チョウザメほかプレミアム牛など素材の味を活かした料理が次々と出される。かつて新幹線開業前、特急「あさま」や急行「妙高」が1時間ちょっとで駆け抜けた区間を2時間以上費やして走るとあって、沿線の見どころでは徐行運転しながら詳しい案内放送、主要駅のホームで地元特産品のワゴンセール、随所でお約束の地元の送迎と嫌が上にも旅心が掻き立てられる。そうこうするうちに最初の缶ビール2本づつではおさまらず、地元産ボトルワイン(2500円)を頼んで2人で1本開けてしまった。昼からほろ酔い、まことに良き鉄道の旅である。と言いつつも酔眼をこじ開け沿線の情景を眺めると、旧信越本線は浅間山や白根山系の西麓を巻き、江戸時代の善行寺往還を辿りながら千曲川の河岸段丘に沿って施設された事が良くわかる。ゆっくりの旅は、新幹線の車窓からでは気が付かない地史がわかって面白いなどと思っているうちに終点・長野へ到着した。


この種のイベント列車は時間に余裕がある上に鉄道関係者がフレンドリーで、普段聞けないような鉄オタ質問が気軽にできるのも思わぬ利点である。軽井沢で先行電車の車輪空転により「ろくもん」の入線が遅れたが「山岳線用115系の2M 1T(2両モーター車1両付随車)で砂箱を装備しても結構空転するのですか?」と尋ねると「この落ち葉の季節、信濃追分などの上り勾配で雨の降り始めには車輪は空転しまくり、下り勾配ではそりの様に滑走してしまいます」。戸倉駅で「この中継信号機は出発信号が遠いから設置しているのですか」との問いに「お詳しいですね。信越本線時代は旅客も貨物も編成が長かったから出発信号機はあんなに先なのです」と駅の人が応じてくれる。JR貨物のタキ(タンク車)やEH200が入線して来るのは「けっこうな使用料をJR貨物から頂いています」とのことで、気になった鉄道好奇心がその場で確かめられる。景色も食もテツもあっという間の「ろくもん」の旅だったが、敢えて一点無理とわかって注文をすれば、碓井線の粘着運転ももうないのだから、115系のDT21Bコイルばね台車は、ふんわか料理を楽しめるように空気ばね付き台車に換装できればなお良いと思った。

地元産の食材を使ったフレンチ
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「ろくもん」車内
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2020年11月17日 (火)

最近のニュース

またメディアが、武漢ウイルスの感染者が増え全国に広まってきた事を、「第三波」が来たと騒ぎ出した。PCRの検査数が増えれば、感染者が増えるのは当たり前の事で騒ぐことでもないし、重症者や死者はそう増えていないと云う。「入り鉄砲に出女」の時代でもあるまいし、人は自由に出歩いて良い社会なのだから、これまで感染者が少なった全国津々浦々に武漢ウイルスが時間差をもって広がっていくのも当然で、こちらも何をいまさらと思う。よほどニュースネタがないのか、ニュースやワイドショーはまたまた視聴率が上がるこの問題でもちきりで、ぞろお馴染みの(いわゆる)感染症専門家が画面を賑わしている。ここまでくれば感染症専門だけでなく、本来は他の部門の医師や経済・社会の学識者も交えて世の中全体を議論すべきだろうが、恐怖を煽る報道ばかりとあって、やっと少し戻った経済がシュリンクするかも知れないと思うと憤懣やるかたない。

 

「まわりに武漢ウイルスに感染した人はいる?」と(感染の中心である)東京に住む私が、近くの知り合いに聞くと、みな一様に首を横に振る程度の感染力である。今度は「では知っている人で、ウイルス怖さに外出しない人がいる?」と尋ねると、大抵の人に思いあたる例があるようだ。怖いのはウイルスそのものより、必要以上に恐れることではないのか。こうして各種宴席はもとより同窓会、催しものやスポーツイベントが中止になった異常な一年だが 老人ホームなどでは外出できないため体が動かなくなったり、認知症や他の病気になったりする例が多いそうだ。有効なワクチンができるのも間もなくだと伝えられるし、毎年流行するインフルエンザよりも重症者や死者が少ないのだから、もうこの馬鹿騒ぎはやめにしてフツーに戻そうよ、と声を大にして言いたい。

 

そう云えば日本学術会議に推薦された6名の候補者を菅首相が任命拒否した問題も、予想のとおり大した問題にはならなかった。サヨク系学者などから「学問の自由が侵害される」などとおよそ頓珍漢なコメントが流されたが、結局世の中には相手にされなかった。この問題でBSフジのプライムニュースの特集を見ていたが、首相に拒否された6名の一人で行政法を専門とする岡田正則早大大学院教授のコメントにはのけぞった。日本学術会議が少しでも軍事目的に転用されると考えられる研究は禁止しながら、中国の軍事開発に転用される研究は促進している現状に、東アジアの厳しい情勢をどう思うかとの番組司会者の問いに「中国や北朝鮮とは話し合いで解決を」というお花畑的珍答。結局、日本共産党の影響下にこの会議がある事が天下に知れ渡り、こんなトンデモ学者が会員になれるような組織に税金が使われていたことがわかっただけでも菅内閣の功績だ。

 


アメリカの大統領選挙は、私の期待に反してバイデンが「一応」勝利したと伝えられ、内外のメディアは総じて喜んでいるようだが、日本は本当にそれで良いのか。バイデンは同盟重視であり、かつ中国封じ込めは米国の国是のため対中国政策はトランプ政権と変わらないとの見立てが目立つが、中国利権にどっぷりと浸っていると云われるバイデンにそんな事が云えるのか。さっそく菅首相はバイデンとの電話会談で「尖閣は日米安保の適用内」との言質をとったと報道されたものの、アメリカは尖閣の領有権には感知せず、日本の施政権(実行支配)が脅かされた際には条約によって行動すると云っている過ぎない。中共は尖閣を彼らが実効支配していることを内外に知らしめるために、連日海警の公船を繰り出し日本の漁船を追いかけまわしているのである。尖閣の施政権は日本にある事を示し、それに関してはいかなる争いも辞せずの覚悟がなければ米軍は動かないと考えておくべきだ。バイデン政権となれば尖閣の危機は一層強まるだろうから、平和ボケ、お花畑の議論をしている場合ではない。

2020年11月14日 (土)

半日鉄道プチ旅行・東急多摩川線

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かつての東急線電車の塗色、青と黄色の塗分けをした1000系とすれ違う

取引先の若者に「家はどこですか?」と聞くと「多摩川です」と答えが返ってくる。一瞬どこだか分からなかったが「あー、昔の多摩川園前ね。東横線の他に目蒲線もあって便利で良いですね」と言うと、彼は怪訝そうな顔をして黙り会話は途切れてしまった。後でどうしたことかと考えてみたら、今は目蒲線はもうないから最近沿線に越してきた若者には通じなかったことに気が付いた。目黒と蒲田を結んだ東急・目蒲線は目黒と多摩川園前(現多摩川)間が地下鉄と相互に乗り入れて東急・目黒線となり、残りの多摩川園前と蒲田間が東急・多摩川線となったのが西暦2000年のことで、それから早くも20年たって目蒲線時代を知らない若者がいても不思議ではないわけだ。


この会話に刺激され目蒲線時代の情景を思い出していると、その昔ラジオでも時々かかる程度にヒットした「目蒲線物語」という歌が頭に浮かんできた。「♯僕の名前は目蒲線、寂しい電車だ目蒲線、あってもなくてもどうでもいい目蒲線♪」という歌で、3~4両の旧型車両で東京の城南地区を地味に走る電車を茶化していた。とはいうものの1923年(大正12年)に出来た目蒲線は大東急の発祥路線であり、路線全長13キロながら目黒でJR山手線、蒲田では京浜東北線と連絡するほか、田園都市線を除く東急電鉄の各鉄道線に乗り換えられた大変便利な路線であり、地元の足として大いに機能していた。


20年前に2つに分かれた目蒲線のうち東半分である目黒線は、地下鉄乗り入れですっかり近代化され、今や堂々の幹線に格上げされている。この目黒線は2022年度に東急が相模鉄道と相互乗り入れした暁には、海老名や二俣川方面から20米車・8両編成の電車が走る予定で、「あってもなくてもどうでもいい目蒲線」時代から大出世である。しかし今回、半日鉄道プチ旅行でどの鉄道に乗ろうか考えた時、旧目蒲線のもう一方、まだローカル色が色濃く残る多摩川線を選ぶことにした。多摩川線は「乗るぞ」と決めないと、この後一生乗るチャンスがないかも知れないのも選択の理由である。


平日の昼下がり、蒲田駅の多摩川線ホーム先端にたたずむと、同じく蒲田を起点とする東急・池上線の18米3両編成の電車も見ることができる。東急の他の鉄道路線が20米4扉の大型車両で運転されているのに、この2線だけは18米3扉車というのが、いかにも地元限定の住民の足という感じがする。やってくる車両はかつて日比谷線乗り入れ車両として活躍した1000系のほか、7000系という新型車両があるのが目をひくが、これらも多摩川・池上線2線だけで運転される。


蒲田から終点の多摩川までは両端をいれても5駅、わずか5.6キロ、所要時間10分の多摩川線はワンマン運転となっている。ワンマンと云っても所定の停止位置に止まると、ドアの開閉操作は自動で行われるようで、駅に着いても運転士は2両目・3両目のモニター画面を見て安全を確認しているだけだ。車内はやはり地元のおばちゃんや高校生が目立ち「あの人、最近見ないけど病院に通っているの?」などと言う会話が聞こえてくる。蒲田でそこそこ埋まった座席も、終点多摩川に近づくと徐々に減っていくので、この時間はJR線から乗り換えて来た沿線住民の利用が多いのだろう。


乗っていると途中の鵜の木駅で、50年前に何度か乗り降りした事を突然思い出した。当時、高校3年の第二外国語は仏語を選択したのだが、そもそも英語さえ逃げていたので仏語などは論外。惨憺たる成績で、家で"toi et moi"(トワ・エ・モア)をトイエット・モイなどと発音したらしく、勉強にはあまり口を出さなかった母があまりの酷さに慌て、知り合いの娘さんに仏語指導を頼んだのだった。その彼女は立教大学仏文科の大学生で鵜の木駅近くの大きな家に住み、夏休みの間なら時間が取れるという事だった。鼻血ブーの男子校高校3年生は、2人きりで女子大生から勉強を教わるというシチュエーションに、妖しい妄想を抱いて鵜の木駅を降りて家に向かったが、やはり期待したような事は何も起こらなかったひと夏だった。などと思い出に耽っているうちに多摩川線の旅も終わり、あまりにあっけないので終点・多摩川から東横線・大井町線・田園都市線と東急線を乗り継いで家路に着いた。

 

追記:多摩川線には蒲田より延伸して京急空港線に乗り入れ羽田空港に至る蒲蒲線構想がある。そうなれば旧目蒲線の蒲田口も再び脚光を浴びるだろうが、標準軌(1435ミリ)の京急線に狭軌(1067ミリ)の東急線がどう乗り入れるのか乗り越えるべき課題は大きい。

2020年11月11日 (水)

半日鉄道プチ旅行・東急世田谷線

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仕事がテレワーク体制となって時間の余裕ができ、首都圏近郊の半日鉄道の旅への興味がますます湧いてくる。先々週の西武新宿線・東武東上線の川越往復に続き、今回は東急世田谷線に乗ることにした。東急世田谷線は路面電車だった旧東急玉川線(玉電)の支線で、都電荒川線とともに東京で生き残った珍しい軌道線(路面電車)である。軌間は1372ミリで運転手の目視に頼る無閉塞運転を行う鉄道だが、世田谷線は荒川線と異なり三軒茶屋・下高井戸の全区間を専用軌道で走る。私は子供の頃玉電沿線の世田谷区駒沢に住んでいたので、三軒茶屋で下高井戸行きに乗り換えて、塾に通ったり京王線方面によく出かけたものだった。思い出のノスタルジック・ツアーである。


玉電といえば、東京オリンピックの頃から大山街道(現国道246)の交通渋滞が著しく、路面を走る電車も走ったり止まったりのなか、三軒茶屋から下高井戸方面だけはスイスイと走り快適だった。専用軌道を走っていたという事から、1969年に国道246号線拡幅と首都高3号線建設のため玉電が廃止された際に、この区間だけが世田谷線として単独で生き残ったのである。世田谷線は全線わずか5キロだが、始点と終点で京王本線と田園都市線、途中の山下駅で小田急線豪徳寺駅に乗り換えることができ、沿線には国士館大学や世田谷区役所などもあって一日5万人以上が利用している。


下高井戸からほぼ50年ぶりに乗る世田谷線の車両はすっかり新しくなり見違えてしまったが、小さな電車がトコトコと住宅地を走る風景は昔と変わらない。平日の昼過ぎとあって車内も近所の高齢者や高校生たちが目立ち、近隣の庶民の足と云う感じである。松陰神社で下車して世田谷区役所近くの商店街を散策すると、まだ「昭和」の雰囲気が色濃く残り、その昔自転車であたり一帯を駆け巡っていたころの景色とさして変わっていないようだ。勝手知ったる世田谷とあって、住宅街を足の向くまま田園都市線の駒沢大学駅方面に歩いていくと、犬を連れた高齢男性の散歩姿や庭の水やり姿が目立つ。地元に残った同級生の多くがああなったのだろうか等と思いつつ、帰路、玉電の代替として敷設された地下鉄の田園都市線(新玉川線)に乗ると、セピア色のノスタルジーの世界から一気に現実に戻って来た。

2020年11月 7日 (土)

飛鳥Ⅱ30周年オープニングクルーズに乗船して(食事・寄港地編)

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30周年ディナー・食の飛鳥Ⅱ

今回のクルーズで旅行会社から送られてきたGO TOトラベル・地域共通クーポンは夫婦2人で36,000円で、船内のショップや寄港地・清水などで使えることになっている。ただ清水にはこれまで飛鳥Ⅱ始め他のクルーズ船で何度か来ているし、このクルーズでは船内のアルコール類がフリーなので地域共通クーポンを何に使うのか悩ましかった。ふだん船内での費消といえば酒類の他にはフォトショップでの写真購入を思いつくところだが、今回は密を防ぐためか専属カメラマンも遠慮気味の活動で撮られた写真もごく少ない。という事で普段ちょっと気になっているものの、まあ買う程の事もないという飛鳥Ⅱグッズ、すなわち飛鳥のロゴ入り折り畳み傘やペンダント、それにルームフレグランスなどを妻はこのクーポンで購入していた。そのほか清水港にあるエスパルスプラザで静岡のアジの干物などをみやげに買ったのだが、こうして旅先でクーポンを使うことが政府の企図した経済立て直し策の一助だと思うと、少々迷うような買い物でも気軽にできる。


クルーズ2泊目、飛鳥Ⅱの30周年ANNIVERSARY DINNERはフォアグラのムースや鰆のスモーク、鮑のグリルなどに続き、メインが黒毛和牛のヒレ朴葉やき、またはラムステーキ、またはサーモンのパイ包みからの選択と豪華なコース料理であった。飛鳥Ⅱの料理について、かつては日程や乗客の年齢層次第とはいえ、総じて薄味でさっぱりしていると感じていたのだが、最近は味にメリハリが効いてとても美味しくなった気がする。この日も例によって我々2人ともふつうは1皿選択のメインを2皿づつ、サーフ・アンド・ターフで肉と魚の双方を注文して西口総料理長の料理を楽しんだ。このあたり、食の船と謳いながら何度尋ねても「お替りはできません」という冷たい返事が返ってくる”にっぽん丸”と、「なんなら3皿でも良いですよ」と言う飛鳥Ⅱの差が出てくる(食べ物の恨みは恐ろしい)。昼食も毎回、鰻重や海鮮チラシ、天ぷらうどんなど8点から好きなものを好きなだけ選んでも良いという太っ腹なメニューで楽しんだ。


寄港地は現時点でまだ受け入れてくれる港が少ないのか、3泊のクルーズにしては横浜に近い清水である。お馴染みの地なので、今回は東海道線で金谷まで行き大井川鉄道を楽しもうかと考えたのだが、これはあまりに慌ただしいのであきらめることに。ということで恒例の寄港地ジョギングは、ゆっくりと旧国鉄清水港線の廃線跡走り(往復15キロ)になった。往時の清水港線は、主に飛鳥Ⅱが着岸したマリンターミナル対岸の日本軽金属・清水工場で製造されるアルミナ(アルミニウムの原料)を、約20キロほど離れた同社の蒲原製造所まで運ぶための貨物線だったという。同線は赤字の旧国鉄の中でも数少ない優良な黒字路線だったとの事で、終点の旧美保駅に置かれた貨車や小型のディーゼル機関車がありし日の繁栄を偲ばせてくれる。すでにボーキサイトを輸入してアルミナをつくる工程は国内では見られないそうだが、クルーズ船で港から上陸すると空港や駅からのアプローチと異なり、その土地の歴史や産業の盛衰を身近に感じることが多い。こうしたクルーズの楽しみを改めて認識し、ウイルス禍からクルーズに日常が戻ってくる日が近いことを祈りつつ30周年オープニングクルーズを終えた。

旧三保駅跡のディーゼル機関車とホッパー貨車
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2020年11月 6日 (金)

飛鳥Ⅱ30周年オープニングクルーズに乗船して(改装リニューアル編)

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大画面TVになったキャビン

武漢ウイルス禍で遠い過去のことのようになってしまったが、飛鳥Ⅱは今年正月明けから3月までシンガポールのドックで改装・リニューアル工事を行っている。燃料油の環境規制が今年1月から世界中の海域で適用されることになり、スクラバーと云われる排煙から硫黄酸化物を除去する装置装着が必要になったが、その工事に合わせての本格的改装・延命工事である。本船も船齢すでに30歳となって各種設備の検査・交換期限も迫ってきたうえ、船体は錆が目立ち、内部も時代に合わせて改装する必要があったはずだ。もっとも諸外国のクルーズ船が行う大幅なリニューアルに比べるとよほど簡単かつ小規模な改装工事に見えるのだが、それは飛鳥Ⅱのコンセプトがこれまで日本人の顧客に受け入れられてきた証左ともいえよう。今回は感染症対策が脚光を浴びていたが、この改装後の船内を体験したいとの気持ちは今年の春以来とても強かった。改装工事後の姿を思いつくままに列挙してみる。


①目につく船体外部のほとんどの部分は、錆うちして白いペンキで初々しく再塗装されている。デッキのハンドレールもやすり掛けの上、丁寧にニスが塗られて見栄えも気持ちも良かった。それでもペンキ厚塗りだけで済ませた部分もちらほら見られ、早くも錆汁が垂れている箇所も目に付いた。特に看板のファンネルは手が付けられていないようで、二引きの塗装周囲もうす薄汚れていたのは残念なところだ。新造船並みに修復するのは無理としても、せっかく時間は有り余るほどあったのだから、ファンネルや錆汁はドックでクリーンアップしたらよかったのではないだろうか。現状はデッキクルーの人数も半減らしく十分なメンテができないだろうから、余計にドックで全船さび落とし研磨を行わなかった事が残念に思える。


②新装露天風呂はとても快適であった。遮るものがない風呂から流れる雲や広い海を眺めるのは極楽といってよいだろう。広くとった開口部から適度に吹き込んだ海風が火照った頬をなでて流れて行くのがとても気持ちが良い。フェリーの露店風呂は何度か経験したが、今までで一番素晴らしい船上の露店風呂であるといえよう。10ノットくらいで走っている時もそこそこ風を感じたので、20ノット近い全速航海の時や荒天時は風が吹き込んで寒くならないかはちょっと心配である。ただ風呂前は広く開口されているので湯舟から立ち上がれば外からは裸が丸見えになっててしまい、港内や停泊中は鍵がかかって使用禁止となる。大きな橋が連続する瀬戸内海などを昼にクルーズする際に、どういう運用方法を採るのか興味は募る。


③Wi-Fiの接続環境が改善し、以前はPCルームなど一部の公室でしか使用できなかったのが客室からも利用できるようになった。また、衛星経由のインターネット接続は従量(時間)制で課金されていたものが、1日に30分×10回(回数は客室カテゴリーにより異なる)まで無料となったのは時代に即した進歩といえよう。ただ今般の感染症対策プランの中に「客室内に設置している印刷物の一部を撤去し、お客様のスマートフォン等によるQRコードの読み取りで内容をご確認いただきます」との一文があり、船内設備やデッキプランは各室に置かれていない。これにはさほど不便を感じなかったが、リドやバー、メインダイニングでもメニューを出さず乗船当初は「QRコードでお読み取り下さい」と言われたのにはちょっと驚いた。戸惑っているとウエイターは一息おいて「紙メニューもあります」とおずおずと印刷物を出してくる。もっとも翌日には最初から紙を出してくれるようになったが、ふつうスマホは船内で持ち持ち歩かないし、そもそもスマホなど持っていない高齢者もいる。外国船のように何でもスマホで諸情報を伝達しようとやり方は今の段階では無理があろう。


④飛鳥プラザの大スクリーン設置やリドグリルの全面改装、パームコートの家具新替えなど船内あちこちで新しい飛鳥の情景が見られる。内装は総じて重厚正統派からコンテンポラリーかつカジュアル指向に進んでいるようだ。一方でフォトショップは来年早々にクローズとなるのは、とても残念である。IT化の進展に伴い紙の媒体の販売が減少しているのが原因との事であるが、規模を縮小してもプリントした写真を撮影・販売する設備は船内に残して欲しい。また各部屋からもDVD再生機が撤去され、ベッド前の大画面でオン・デマンド映画を観ることになったが、肝心のプログラムはあまり見た事のない邦画ばかりが並んでいた。洋画の拡充やお笑い・コメディなどのソフトの充実がなければ、ロングクルーズに乗る際は私たちはDVD再生機に自前のソフトを持ち込む必要がありそうだ。オンデマンドTVは今後ラインアップの充実を望みたい。

パームコートの隣・新しいe-Square
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2020年11月 5日 (木)

飛鳥Ⅱ30周年オープニングクルーズに乗船して(感染症予防編)

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船内各所の検温機(これを通らないと前へ進めない)

約300日ぶりでクルーズを再開した飛鳥Ⅱの30周年オープニングクルーズ(3泊4日)からさきほど下船した。今春のダイヤモンド・プリンセス号でおきたウイルス汚染騒動以来の首都圏からの初クルーズとあって、11月2日出港当日は横浜港・大桟橋はメディアの取材クルーも目立ち、華やかな出港風景とはちょっと異なった雰囲気が漂っていた。今回の乗船受付はいつもと異なり大桟橋の奥にある衝立の向こう、CIQエリアの中で行われ、なにやら海外クルーズに出港するかの様なものものしさである。また乗船受付場所に設置された体温計で熱が37.5度以上あると乗船できずに荷物を持って帰ることになるため、今までの様に早めに大桟橋に着くなりスーツケースを預けゆっくりと乗船手続き開始を待つという訳にもいかなくなっていた。


すでに乗客は1週間前にPCRを検査を受けているのだが、船内に足を踏み入れると「考えられる対策はすべて行いました」とクルーが言う通りのかなり厳格な対策が施されていた。乗客の動線のあちこちに検温機が設置され体温を計らないと前に進めぬ上、船内ではマスク着用が要求され、飲食後にマスクをし忘れたりするとフィリピン人クルーがすかさず「マスクお願いします」と声をかけてくる。多くの人が触る備品は可能な限り置かない主義との事で、普段は大浴場に置いてあるヘアリキッドやヘアトニックさえなく、脱衣所に山積みされていたタオルは、旅館のように一人一セットが指定されたロッカーに入っていた。ぼーっと船の航跡や流れる雲を眺める私のお気に入りの場所、後部デッキのデッキチェアもすべて撤去されており、何もないチーク材張りのスペースが寂しげに広がっていた。


ダイニングやリドのテーブル・椅子は人が立つ度にクルーがアルコール消毒をしてまわり、その徹底したサービスぶりを見ると「絶対ここから感染させないぞ」という意気込みが伝わってくる。夕食は同室者2名のみの指定席で飛沫防止のため相対して座れず、斜めまたは横に並んだ配置で食べるようになっている。我々は以前のワールドクルーズで知り合ったご夫婦と一緒にテーブルを囲みたいとあらかじめクエストしておいたものの、4名で食べることは叶わず隣り合ったテーブルの透明なアクリル板越しとなってしまった。見れば大家族で乗船したグループは、部屋別の2人のテーブルが各々アクリル板で仕切られているので、次第にアクリル板越しに会話する声が大きくなっていた。


いつも夕べにはダンス会場となるクラブ2100は、フロアーに椅子を置いてしまい踊れないようになっていたのは、やっと人前でも気後れせず踊れるようになった私にとっては少々残念な措置である。それでもパームコートや飛鳥プラザではバンドの生演奏があるので「ここでも踊ってはいけないの?」と日本人スタッフに聞くと「本当はご夫婦では踊って頂きたいのですが、我も我もと参加され、ダンス会場のように密になってしまうのが怖いのでご遠慮願っております」と申し訳なさそうな答えが返ってくる。さて飛鳥Ⅱの定員は700名以上なのに対して今回はバルコニーのない7・8デッキのK・Eステートキャビンの販売はなく、乗船客は330名ほどだそうだ。このような状況下ではやはりリピーターが多いようで、普段はショートクルーズには乗らない1000泊以上のヘビーな乗客や、どこかのクルーズで一緒だった見覚えのある顔と船内あちこちで出会ったのが印象深い。


飛鳥Ⅱは本来の定員に関わらずしばらくは上限400名まで減らす一方で、混雑を回避するため夕食やショーは2回制とし「密」を防ぐ体制である。通常3~400人の乗客なら夕食やショーは1回制なのに、採算的に厳しいであろう中で大変な努力をして運航再開にこぎつけた事がわかる。いつもにこやかで少々のことなら良いですよ、と見逃してくれるフィリピン人のサービスクルーが、ダイニングエリアに入る際の検温やマスクに厳格なのは、感染症予防に関してよほど厳格な指導が為されていることの証であろう。聞けば彼らだけでなく日本人クルーも2週間に一度のPCR検査を受け、一度乗船したら休暇までの数ヶ月間は船からまったく降りられないと云うから、通常ではない非常に厳しい労働環境だ。船内は徹底的に感染症対策がなされているので乗客にも協力を求めつつ、絶対に感染者やクラスターを出さない、との飛鳥Ⅱの強い決意と覚悟を肌で感じた4日間のクルーズであった。今後、クルーズ船の安全が確かめられたら徐々に対策も緩和されるのだろうが、いつまでも思い出に残りそうなオープニングクルーズとなった。

11月24日追記:妻の乗船記/PCR検査船内の感染症対策詳細

アクリル板で仕切られたフォーシーズン・ダイニング
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船尾のデッキからはデッキチェアが撤去されていた
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2020年11月 1日 (日)

50年前・1970年のこと

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2020年の生命保険料控除証明書が届きふっと気が付くともう11月。武漢ウイルス騒動だけで今年も終わってしまいそうだ。後で振り返ってみれば2020 年は何と不思議な年だったことかと記憶に残るだろうが、そういえば今年は一応末尾にゼロがつく節目の年でもある。20年前、30年前、50年前は何をしていただろう、などと折に触れ思い出すのだが、ちょうど愛読雑誌「HANADA」12月号に連載されている放送作家の高田文夫氏の「月刊TAKADA」のコーナーに「50年前の大衆芸能」として1970年頃の社会現象が面白おかしく書かれている。読むうちに50年前、昭和45年当時の一大イベントだった大阪万博のことやボーリングの大ブーム、グループサンズやフォークソングの歌などの記憶が鮮やかに蘇った。


高田氏の文中で、当時は自分も同じことを考えていたな、とやけに親近感を覚える一節があったのでこの部分を引用してみる。

この時代、いよいよ”フォークソング”というのが世に跋扈すのだが、東京は渋谷生まれで世田谷育ち、只今麹町暮らしのトコトン山の手東京人の私としては、どうもあのフォークが苦手。学生時代の仲間にもたくさんいたが、田舎臭くて貧乏臭い。長髪にギターで三畳ひと間。あゝいやだいやだ。そのくせ東京でひと山当ててやろうみたいな野心を隠して、失敗すると『東京は冷たい』などと抜かす。君らのような者ばかりだから互いが冷たくなるのだ。東京のせいにしてはいけない。

このあたり、私も渋谷の産院で生まれ世田谷に育ったものだから彼の心境がよくわかる(といっても当時の世田谷は、点在する畑の合間にまだあちこちで肥溜めが存在するような田舎だったが)。


この点で云えば2009年4月22日の「神田川・その後」(リンク)で書いたように、私も高田氏と同じように同棲時代と云われたあの頃の一部の根暗な雰囲気を疎ましく思っていた。南こうせつの「神田川」が表わす情景、すなわち地方から上京し長髪でギターをかきならしてフォークソングを歌い、女子短大生と簡単に同棲する人たちが、大学の同級生など少なからずいたが、学ランで登校し、奥手で硬派を気取りガールフレンドもいなかった私は彼らを複雑な心境で眺めていたのだ。ギター片手に「ベトナム戦争反対!」などと叫んでいた彼らは今どうしているのだろうか?同棲カップルでそのまま結婚した者もいたが、いまはよき爺さん、婆さんになっているのだろうなあと50年後の姿を想像してみたりする。

2020年10月29日 (木)

飛鳥Ⅱ2021年オセアニアグランドクルーズ中止 と 2022年オセアニアグランドクルーズ発表

20201029
11月2日横浜発の「飛鳥Ⅱ 30周年オープニングクルーズ 4日間」に乗船する為の、唾液を使ったPCR検査も無事パスしたことが分かった。ネットで検査会社のサイトへ行き、唾液採取時に入力したIDや暗証番号で紐付けられた個人結果と照合すると、夫婦二人とも「低リスク」との表示が出てきてまずは一安心である。ということでやっとクルーズ乗船の気分になってきたところに、旅行代理店と郵船クルーズからまた手紙が届いた。開封してみると「2021年オセアニアグランドクルーズ中止ならびに2022年オセアニアグランドクルーズ発表のお知らせ」とある。飛鳥Ⅱは2021年1月末から豪州・ニュージーランド・バヌアツなど南半球を巡るオセアニアグランドクルーズを41日かけて行う予定だったが、郵船クルーズの社長名で書かれた表題の文字を見てやはり延期かとため息が出る。


実は今年行われるはずだったワールドクルーズ乗船後に多分やってくるであろう喪失感に堪えられそうもないとかねてから訴えていた妻は、来春2021年早々に行われるオセアニアグランドクルーズも独断専行申し込んでいた。このオセアニアクルーズはアスカクラブ会員向けにバルコニー付きキャビンが大幅な割引価格で販売されるというという特典もあり、それに釣られた面もあったようだ。「まあキャンセルならいつでもできるのだから取り合えず申し込みましょう」という妻の常套文句に乗せられて、あえて反対はしなかったが、一方でこの大幅割引の適用を受けるには一般の支払い期限より半年以上も前にクルーズ代金を全額振り込まねばならなかった。郵船クルーズとしては予約を早く埋めたいという思惑と、早期の運賃受領が資金繰りの一助になるという目論見もあったのだろう。


そこに今春降って湧いたような武漢ウィルス騒動でクルーズどころではなくなった。まず2020年春のワールドクルーズが中止となり、これに乗船予定の乗客は、差額分を払えばすでに発表されている2021年のワールドクルーズに優先的に乗船できると発表された。そして今回は来年年頭のオセアニアクルーズの中止とともに、同じ行程のクルーズを一年後の2022年初めに行う(すなわち1年延期する)ので、2021年度の乗船予定客のうち希望者はそのまま翌年に振り替えるとの発表である。ただし2021年のオセアニアクルーズは全船700名募集だったが、2022年は感染予防のためバルコニー付き客室以上のみの400名分を販売するため、バルコニーなしのKとEキャビン予約客は相当の差額支払いを余儀なくされる。

 

それにしても代金を払い込んだクルーズが次々と中止になっても、返金を選択する他に翌年のクルーズに充てれば優先的にキャビンを融通するという商売もなかなか憎いやり方である。この点ではピースボートがキャンセルされたクルーズの返戻金を、この後の世界一周クルーズに目を見張るようなインセンティブ(2回目はタダなど)をつけてそちらに誘導し、なんとか返金しない商売をしているのが注目されている。「なんだか飛鳥もピースボート商法っぽくなってきたね」と妻と冗談を言っているが、親会社が三菱グループの発祥会社で世界に冠たる海運会社、かつてなら東証特定銘柄だった信用力抜群の飛鳥Ⅱだから大金を預けていても心配不要と云うべきだろう。

 

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