2018年10月13日 (土)

中国支配の世界などまっぴらだ

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2011年のNYトランプタワー

数年前まで勤めていた海運会社に行く用事があった。会社のカフェテリアで現役の若者達と話していたら、ここ半年で中国向けの物流がすっかり変わったと云う。これまでの約20年、アメリカから中国に大量に運ばれていた穀物の動きがまったくなくなり、困った中国は南米などから輸入しているそうだ。このこと自体は船会社にとって輸送距離が伸びるため良いことなのだが、彼らの話を聞いてトランプ政権の圧力で中国を廻る国際物流が実際に大きく変化している事を実感した。


アメリカのトランプ政権も、いよいよ本気になって、中国共産党による世界支配の企みを阻止する行動に出たことはまことに喜ばしい限りである。米国の中間選挙を前に、相変わらず米国のみならず日本のメディアもトランプ大統領のスキャンダラスな面だけを取り上げ、なんとかこの大統領をおとしめようとしているが、ひょっとするとトランプ氏は後世、歴史に残る素晴らしい大統領だったと評価されるかもしれない。


おりしもアメリカの戦略家で、日本でも有名なエドワード・ルトワック氏に対するインタビュー記事が今朝の読売新聞に掲載されていた。彼によると、米国の対中戦略はワシントンで国家として合意されたもので、たとえトランプ政権が終わっても、習政権の覇権主義が続く限り米国は「中国支配の世界を阻止」するのだと云う。5年ほどまえ「太平洋は中国とアメリカの二国が活動するのに、十分な広さがある」と習近平がオバマ大統領に言った時には悪い冗談だと笑って聞き過ごしたアメリカだったが、これが中国の本音だという事にやっと彼らも気づいたのだろう。


軍事や経済だけでなく様々な国際ルールの制定・敷衍、文化や芸術スポーツなど含め中国に支配された世界なぞ考えてみるだけでおぞましいから、米国が本気で中国の台頭を阻止しようとし始めたことに諸手を挙げて賛成である。また紙面でルトワック氏は、中国は自分に都合がよくなるように米国の選挙にも干渉していると批判しているが、それが事実だとすると、日本のメディアや「リベラル」親中派の人たちにも中国の工作が浸透していると考えた方がよさそうだ。外交強硬派の安倍政権を揺さぶろうと中国が工作を試みているなどと云うと、「そんなのは陰謀論とか謀略説の類いだ」と一笑に付す人たちこそかえって怪しい気もする。ルトワック氏のインタビュー記事を読みつつ、そんな事を考えて土曜日の朝のコーヒーをすすっていた。


2018年5月に行った際はトランプタワーも観光名所になっていて入館のセキュリティーも一段と厳しくなった。ビル内にあるトランプストアで記念のグッズをいろいろ物色した。
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2018年10月10日 (水)

10月10日と坂井義則さん

10月10日と云えば1964年に行われた東京オリンピック開会式の日だ。かつて「体育の日」はこれを記念して10月10日だったのが、いつの頃から土・日につけて三連休の一日になってしまった。今日、その10月10日の東京は、あのオリンピック開会式を思いおこさせる気持ちの良い天気であった。もっとも東京生まれ・東京育ちの私なのだが、1964年は父親の転勤で神戸にいて、10月10日はテレビを通じて東方の空の下で行われた開会式を見ていたのだった。


テレビでみた国立競技場の開会式では選手団の入場行進はもちろんだが、聖火の最終ランナー、早稲田大学競走部の坂井義則さんが国立競技場バックスタンドの急階段を駆け上り、聖火台に着火する姿がとても印象に残っている。坂井さんは原爆が投下された日に同じ広島県で生まれたという事から聖火の最終ランナーに選ばれたそうだが、なによりその階段を駆け上るフォームがとても美しかった。今で云えばインスタ映えするかのような、すくっと直立し、一歩一歩乱れる事なく国立競技場の急階段を上るその走姿は何ともりりしかった。彼が聖火最終ランナーに選ばれた理由は、その腰高の美しいフォームにもあったのではないか、と私は思っている。


それから数年後、競技会で当時は東伏見にあった早稲田大学のトラックで走る事があった。そのころ早大競走部の合宿所はグランドのすぐ近くにあり、競技会に参加する他校の選手も着替えの際に自由に合宿に出入りできたが、古びた民家の様な木造の建物の中、ふと傍らの机の上を見ると、日々の練習を記録したノートが置かれていた。「さあ自由にどうぞ見てください」とばかり無造作に置かれたごく普通のノートには、日付とともに数年前まで早稲田の主将だった坂井選手のコメントや記録などが多数記されているではないか。私は書かれた練習のメニューやタイムなどより「あの聖火最終走者の坂井選手が書いたものか」と感激して、彼のコメントの一語一句に目を凝らした事を思いだす。


その坂井義則さんも2014年に70歳で幽明界を異にしたそうである。「東洋の魔女(ニチボウ貝塚)対西洋の美女(ソ連)」「鬼に金棒、小野に鉄棒」「円谷対ヒートリーのデッドヒート」などと当時の話題を言っても、ついてくる人も少なくなったこの頃である。先日、東京六大学野球観戦で神宮外苑に行くと、来るオリンピックの主会場となる国立競技場の立て替え工事が真っ盛りなのに気がついた。その工事風景を眺めているうち、旧競技場にあったバックスタンドの急階段を、満員の観衆の視線を浴び、素晴らしいステップで駆け上った坂井義則選手の姿が、なぜかまぶたに浮かんできたのである。

建設中の(霞ヶ丘)国立競技場
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2018年10月 5日 (金)

60歳代後半のランナー

人生も60歳代後半になると、筋力の衰えを如実に感ずるものである。60歳くらいまでは皇居一周、ちょうど5キロで高低差約30米のコースを20分以内で走れたが、いまやとてもそんな記録はだせない。それでも65歳になる前は、頑張ると21分くらいで一周できたのが、65歳以降になると22分を切るのに 「ハーハー!、ゼーゼー!!」と喘ぐ始末である。速度にすると5キロの距離を時速15キロで走れたものが、時速13.5キロくらいでしか走れなくなったというわけである。


そう云えば、かつて国際大会で活躍したような元大選手が、還暦過ぎにレ―スに招かれて走るのを見ると、名選手もずいぶん遅くなったと感じたものだ。特に65歳以降に招待された場合は、若い頃と違って、よぼよぼした走りで、まるで他人事として見ていたのだった。ところ変わって今度は自分がその年齢の老人になると、ちょうど彼らのようで、おのれのフォームが町のショーウインドウに映るところなどをみると、一生懸命に走っている割にはよたよたのゆっくりジョギングのように見えて何とも情けなくなってくる。


たとえばいま私が、皇居一周を時速13~14キロで走ろうとした時、ふつうスタートして3キロ~3.5キロくらいで息が苦しくなる。以前なら苦しくともそのままのリズムで5キロ程度は押し通せたのだったが、60歳代後半となると、そこで腕を意識的に振ったり、ステップを維持しようと努力しても、ただバタバタと苦しさに全身もがくばかりでスピードが持続できない。生理学的な知識はないのだが、筋持久力というのだろうか、酸素やスタミナが切れた状態のなかで、筋肉が踏ん張る能力が失せてきた事を如実に感ずるである。


これが老化という事なのだろう。若い頃はまったくの無名選手で、いつも他人の後塵を浴びせられてきたのだが、永く走ってきたおかげで、今は同年代のレースでメダルや賞状を貰えるようになった。だが最近こうも遅くなってくると、次は「70歳代以上」という部門がある大会を狙って走るしか良い思いができないかという気もしてくる。もっとも最近思わぬ大病・手術をして気弱になった私に妻がくれた斎藤茂太氏の「モタさんの楽ラク人生術」という本には、「他人と比較するな」 「ある年齢になったら無理に体を鍛えるなかれ」「年齢相応と思って生きるのが楽なみち」とあって懸命に走るのはもう卒業するかという気持ちも一方でおこるのである。

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息の苦しくなる3.5km過ぎ

2018年9月25日 (火)

新潮45を支持する

月刊誌「新潮45」を支持したい。今回大騒ぎになったので、あちこち行ってこの本を探すのだが「あれ!そういえば売り切れですね」「何かあったんですか?」と逆に町の本屋から聞かれる始末である。この雑誌がよほど話題になって飛ぶように売れたのだろうか。かつて「WILL」や「HANADA」が刊行される前は、出張の飛行機や新幹線で読むために「正論」や「新潮45」を駅や空港で買ったものだが、最近はすっかりご無沙汰の本であった。私にはとうてい馴染めないLGBTとやらの問題で最近はにわかに脚光を浴びているとあって、新潮社応援のために久しぶりに買い求めたくなったのである。


ネットの情報によれば、自民党の杉田水脈衆院議員が「新潮45」で同性カップルを「生産性がない」などと書き、同誌の最新号で小川栄太郎氏が同性愛者と痴漢を比較して評論しているらしい。雑誌が手に入らないため問題の記事を読めず、私は自分の言葉でコメントできないのがははなはだ残念である。ただ報道から察すると彼らの表現の方法や比喩がいささか稚拙かつ乱暴で適切でない部分はあるが、本来ごく当たり前の事を水田氏や小川氏らが言っているように思う。


先天的にせよ、後からの怪我や病気が原因にせよ、身体や心に問題があって不自由な方々が充分に活動できるよう、社会が手をつくすべきことは云うまでもない。しかしLGBT(Tは微妙ではあるが)となるとやはり問題の性質が違うのではないのだろうか。それぞれの人々が感じる性的な趣向を必ずしも否定するつもりはないが、人類が永い間に作ってきた伝統や家族・教育のあり方に従えないという人たちがいるなら、(犯罪にならないかぎり)彼らは『ひっそり』と自分達の好きなように暮らせば良いだけの話しであろう。自分達の特異な生き方をただちに社会的に認知せよ、それに反論する動向や言論は『反動的で許さない』と封殺する性急かつ偏狭な考えが今回の騒動にみえて不愉快である。


性的な問題に対する区別は、国や宗教、人種によって実に様々である。かつてアメリカに住んでいた時、プールの更衣室で2歳にも満たない女児が父親と一緒に着替えをしようとした際、「幼児でも異性が一緒に更衣室にいるのは嫌だという人がいるから」と注意されて彼女だけ係員に外に出された事があった。アメリカ社会の性に関する一種ストイックな面を見たが、一方で欧州ではまた別の文化があろうし、日本ではいまでも田舎の温泉などで混浴がみられる。昔は日本にはお小姓などというものもあったし、中国も宦官制度があった。そういえばイスラムの社会ではLGBTはどう扱われるのかも興味深い。カトリック教会内のセクシャルハラスメントも大問題だし、そもそも同性愛が犯罪になる国も世界には多数あるのである。


性や性別に関する問題というものはその社会に根ざした文化に深く関わっているもので、一月刊誌に掲載されただけのLGBT記事にエキセントリックな大キャンペーンを張り、日本社会の良き習慣に反する主義主張をごり押しする人たちに大きな違和感を感じる。性の問題はきわめて慎重で漸進的であるべきだと私は信じている。その新潮出版は反対運動をかけられ、ついには「新潮45」が休刊すると言うが、これこそパヨクや進歩的文化人がいつも最も嫌う「言論の自由、表現の自由への弾圧」ではないか。御茶ノ水女子大に男子学生が入学するなどという冗談は、小遊三師匠の小噺ぐらいだけにして欲しいものだ。

2018年9月11日 (火)

慶応野球部・三連覇に挑戦

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本屋で立ち読みをしていたらベースボールマガジン社「大学野球」2018秋季リーグ戦展望号が目にとまった。そういえば東京六大学野球も秋のリーグ戦が始まり、季節の変わり目を感じる今日この頃である。最近はこの種の本も買わなくなっているのだが、”46年ぶりV3に挑戦する『陸の王者』・KEIOの謎”という大きなタイトルが目立つうえ、表紙はグレーのKEIOユニフォームを着た選手の集合写真ということで、つい購入してしまった。


この「大学野球」秋季展望号では、東大以外では甲子園を経験した部員がもっとも少ないのにも関わらず、慶應がなぜ昨年秋・今年春のリーグ戦で優勝できたのかなど、チーム好調の秘密や陰で支える裏方の話が盛りだくさんの内容である。また今年の秋、もし慶應が優勝すれば部としては46年ぶりに三連覇の快挙になるとあって、前回三連覇した昭和47年秋の優勝投手である萩野友康氏の話がまとめられており、当時を知る者として懐しかった。


のちに都市対抗野球で久慈賞にも輝いたこともある剛腕、萩野投手(土佐)によれば、当時は「試合の途中でキャッチャーのミットだけが見えて、そこに投げたら打たれる気がしない」こともあったという。三連覇した昭和47年の秋は、初戦の明治戦で勝ち点を落として後がなくなり、法政・明治戦で明治が勝つと三連覇の夢もついえる状況だったそうだ。そこで慶應の投手陣は法・明戦のまえに横浜・日吉のグランドから、当時川崎の木月にあった法政グランドまで走って行き、法政の選手に声援を送った、などという牧歌的な話も披露されている。


そういえば三連覇の試合も私は神宮球場で観戦していたのだが、その瞬間が懐かしくなって当時の試合記録をあらためて引っ張りだしてみると、やはりメンバー9人のうち5人が甲子園組であることがわかった。内野はセンバツの優勝投手である吉沢選手(大宮工業)がサードに入り、大洋ホエールズにすすんだ山下大輔選手(清水東)がショート、外野もプロにも誘われた池田選手(習志野)など実力者ぞろいのチームである。投手では他に阪急のドラフト3位指名を蹴って入った長谷部投手(岸和田)などもいた。もっとも4番を打った福田選手は工学部で県立栃木高校出身、捕手の木原選手は慶應志木高出と「大学野球」でもフューチャーされるような「慶應らしい」チームでもあった。そんな場面、あんな場面を思い出すうち、またこの秋も神宮球場に足を運びたくなってきたのである。


2018年9月 9日 (日)

FM レコパル 音の仲間たち

過去何度かアップした通り、もう聴く事もないと引越しの際に捨ててしまった大量のLPレコードである。その後またレコードプレーヤーを買ったものだから懐かしいLPレコードを買い直しているが、神田の中古レコード店でもなかなか目当てのアルバムが見つからない。CDになって再販売されていないかとか、YOU TUBEで誰かがアップしていないかとあちこち検索しても見つからないものもあって、「あの曲はもう一生聞けないのか」とがっかりすることも多い。


そんな失われたアルバムの中に、キングレコードが1976年に発売したFM Music Program Themes vol.2 (最新FM放送テーマ集)がある。このLPに収められている、FM東京「FMレコパル・音の仲間たち」のタイトル曲、トニー・オズボーン・オーケストラの”花合戦”と”パリの窓辺に”が聞きたかったのだ。なかでも”花合戦”は日本語でも英語"Battle of the Flowers"でもネット検索ではまったくヒットせず、どこかに音源がないかずいぶんと探していたのだった。


ところが最近ひょんな事でヤフオクで売りに出されているこの「最新FM放送テーマ集」(第2巻)を見つけた。さっそくこの種の手続きに慣れている妻に頭を下げてオークションに参加し、これを購入することにした。ほどなく700円+送料実費700円で契約が成立し、それから2日ほどで、あれだけ探したLPレコードがわが家に届いた。なんと便利な世の中になったものか。梱包をとくのももどかしくさっそくレコード盤に針を落とすと、トニーオズボーン楽団の懐かしい響きが部屋に広がって、往時の事がいろいろ脳裏に浮かんできた。


「FMレコパル・音の仲間たち」は日曜の午後の放送でDJ仕立てのポピュラー音楽番組であった。おしゃべりが多いこの種の音楽番組はふつう聴かないのだが、当時は私も若く大いに働かされていた時代である。やっと廻ってきた日曜の昼過ぎは、ラジオのチューニングを切り替えることも億劫で、ただボーッと流れる番組司会の広川太一郎氏のおしゃべりを聞いていたものだった。久しぶりに”パリの窓辺に”や”花合戦”が部屋に流れると、亡き広川太一郎氏の駄洒落に満ちたおしゃべり、「これを見逃したら君はアウトだよ、セーフだよ、ヨヨイのヨイだよ!」「サヨナラ、ナラヅケ、ナラの大仏!ナ~ンちゃって!」などという軽い声がスピーカーから今にも聞こえてくるような気持ちになった。

左が79年発売のFM放送テーマ集(クラシック編)
右が今回落札した76年発売のFM放送テーマ集のLPジャケット
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2018年9月 4日 (火)

劣化するメディア

久しぶりに友人の医者と飲んだ。永らく東京郊外にあるベッドタウンの市民病院の院長だったが、定年で院長を辞めて今はフリーランスでいくつかの病院で診療をしているそうだ。彼と杯を交わすうち「今のテレビ番組は見るにたえないね」と例によってメディアがいかに劣化しているかの話題で盛り上がった。彼は「NHKのためしてガッテン」とか「たけしの家庭の医学」などはとにかくひどいと憤慨する。「充分検証もされていないごく一部の例を、さも誰にでも効くかのごとくセンセーショナルに取り上げて」「番組の翌朝は病院の外来初診が増えるんだよ」と苦笑する。また大学医学部の入試で女子の合格者が少ないのは、関係者はじめ受験生も知っている公然のことなのに、医療の実態をよそに今さら正義の面をかぶって取り上げるニュースにも彼は怒っていた。


私も半現役の身となって以前より家にいる時間が増え、テレビのスイッチをオンにする機会も増えたが、とにかく今のテレビ番組はつまらない。殊に各局が真っ昼間に延々と放送しているワイドショーは、取り上げるトピックが同じならその切り口もどこもまるで似たようなもので、たまたま何かの続きでワイドショーになるとあまりのバカバカしさにすぐテレビを切ってしまう。そのワイドショーが盛んに流している一連のスポーツ関連の報道、日大アメフト事件から始まりボクシング連盟の会長やら女子体操の引き抜き騒動なども、大の大人が口角泡を飛ばして論評するような大事件なのか。こんな話題を延々と放送しているのを見ると、他にニュースねたがない日本は平和で平等、貧富の格差も少なく本当に良い国なのだと思う。


こういうワイドショーに出演する識者たちは、肥大化した人権主義やポリティカルコレクトネス(と云うらしい)、反ハラスメントの立場から、常々”お約束の『正しい』”意見を述べているようだが、総じて誰がしゃべっても画一的でまったく面白くない。そういえば日大アメフト事件で思い出したのが、かつて取引先だったある某大手メーカーの幹部の話だった。彼は明治大学野球部在学中に投手として往年の島岡御大のもとでプレーし、入社後は都市対抗野球で活躍したこともあるのだが「とにかく島岡さんは破天荒だったね。いやなバッターに対しては頭の方でも構わず投げろと言うんだよ。でもそれを本当にやっちゃうのが星野仙一よ、星野はホント豪快だったね」と面白可笑しくかつ好意的に喋ってくれたものだった。


そんな話を思い出すにつけ、スポーツの世界でもいわゆる『正しい』ことばかりがまかり通るようになって良いものかとの考えが浮かぶ。テレビを見ていると、ここでも私の大嫌いなコンプライアンスやらコレクトネスという基準が、ステレオタイプのコメントとして巾を利かせているようだ。最近では19才になったプロ野球選手が飲酒をしたとして罰せられたと報道があったが、その一方でこれから18歳になる若者には選挙権を与えて大人として扱うのだと云う。20歳以下と云ってもプロスポーツ選手の飲酒を問題だと報道したメディアが裁く”『正しい』社会”とは、一体どのようなものなのだろうか。ワイドショー識者のコメント通りの世の中がもし来れば、とても生きていけない息苦しいものになってしまうに違いない。こんな報道なら若者がテレビや新聞を離れるのは当然だろう。体育会の「武勇伝」も遠い昔話になるに違いない。

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”コンプライアンス絶対”を考えてみる

2018年8月29日 (水)

長唄を聞きながら連想したもの

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我々の年代になると男性はだんだんしょぼくれてくるのに対して、女性はますます元気になるようだ。私と同じ年齢でふだん大型バイクのハーレーを乗り回し、合唱サークルなどで活躍している友人の奥さんが、最近なにを思ったか長唄の謡いを習い始めた。この種のお稽古のお約束である発表の場に来てほしいと彼女が言うので、先日、会場である半蔵門の国立劇場小ホールに彼女の旦那と一緒に出かけてみた。もっとも私は「長唄って何?」というほど知識がないのだが、永年の友人夫婦だし有名な国立劇場に初めて足を踏み入れるのもひとつの経験だとの思いである。


で、そもそも長唄とは何かとネット検索すると、もともとは江戸時代に生まれた三味線を中心とする歌舞伎の伴奏音楽なのだそうだ。これに歌や太鼓や笛なども加わり、本来は男性のみが演じる歌舞伎から独立して、女性の奏者も加わって奏でる邦楽が長唄なのだと云う。今回、友人の奥さんが出た舞台は名門の長唄一門の披露演奏会の最後の出し物として、お弟子さんたちも加わって奏でる総員顔見世レビューのようなものであった。友情出演の松本幸四郎の演する舞(と云うのが正しいのかさえ私には不明だが)の後ろのひな壇で、プロやセミプロの楽器奏者や謡い手総勢60余名に混じり、彼女のようなお弟子さんたちが唸る長唄(約15分くらいか)を聞くのはめったにない経験であった。


例によって場内撮影禁止なのが残念だが、西洋音楽の演奏会と違って舞台上が和服なら観客席も和服姿の女性が多い。なんでも京都や都内神楽坂の芸者連中も場内に詰めかけていたと云うからあでやかなわけである。そんな劇場の雰囲気に圧倒されつつ長唄を聞いているうち、20年前に亡くなった母方の祖母がよく三味線を弾きながら居間で長唄の稽古をしていたことを思い出していた。そういえばその祖母も元々は芸者の出であったのが、ゆえあって政治家の祖父と結婚したと聞かされたことがある。


長唄を聞いているうち、あまりに日常とかけ離れた世界に触れた反作用によるのか、なぜか舞台のそでからクレージキャッツの植木等が、僧侶姿でお経を唸りながら登場して壇上を練り歩き「お、お呼びでない?お呼でない?こらまた失礼しました」とおどける姿が今にも眼前に展開しそうな気がしてならなくなった。いつもと異なる世界になると、ちょっと斜にかまえてしまううのが我が性根か。多くの人が真剣に非日常の舞台をみつめるほど、どうしてもクレージーキャッツの連想が止まらずに、一人客席で笑いをかみ殺す長唄初鑑賞であった。

2018年8月23日 (木)

「FMファミリー」をご存知ですか?


FMファミリーのエンディングテーマ

以前にもアップしたとおり(NHK FM ジュークボックス 2016年8月24日)同級生よりちょっと先を行きたい”ませガキ”だった私は、昭和40年代からのFM放送ファンだった。まだNHKFMがNHK・FM実験放送局でFM東京が東海大学のFM実験放送局といっていた時代である。DJやおしゃべりの多い在来のAM局と違い、当時のFM放送はクラシックにしろポピュラーやジャズにしろ音楽の専門番組が中心で、こちらを聞いている方がちょっと「通」っぽく思えたのである。


と云っても当時のFM放送でもバラエティーやおしゃべり中心のプログラムも放送されていた。特に私は平日の午前中、朝9時からお昼までの長時間に亘るFM東海「FMファミリー」が好きで大学生時代にはよく聞いていたものだ。なにしろ文科系の大学生などは、いかに講義にまともに出ないかを自慢しあっていたような時代である。午後からの練習に備えて、午前中は体力温存とばかり、家や合宿所でゴロゴロしてFMラジオをつけっ放しにしているのが常であった。


その「FMファミリー」は、パーソナリティだった浜島信子さんの落ち着いた語りで、都会的で気のきいたバラエティー番組であった。主に主婦向けに生活の情報や暮らしのヒントなどが音楽とともに流されていた番組だったと記憶するが、なかでも「想い出の歌」というコーナーでダークダックスらによって歌われる山の歌は心に残った。また10時の時報で「ただいま10時、三越開店のお時間です」と告げるナレーションもとても印象的だったが、さすがに社会人となってからは「FMファミリー」を聞く事はなく、そのうち同番組も1990年に終了したそうで残念である。


ところで最近はセミ・リタイアの身、時間もできるようになって、かつて耳に馴染んだ番組のテーマ曲やオープニング・エンディング曲をまた聞きたくなることがある。そういえばあの「FMファミリー」で毎日のように聞いたエンディングのアップテンポの曲は何だったのか、急に恋しくなってあちこち検索してみたが、さすがにその頃の情報はなかなかヒットしない。そうこうしているある夜、YOUTUBEをあちこちホッピングしていたら、どこでどう繋がったのか突如その懐かしいテーマ曲が流れてきた。曲の名は「Brazilian Polka」演奏はClebanoff Stringsという楽団で、偶然に出会った懐かしいエンディングメロディを聞いていると、学生時代に戻ったかのような気持ちになる。年齢をとると懐旧の念が濃くなると思いつつ、以来この曲を毎晩聴くのである。

2018年8月22日 (水)

湘南の風

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クルーズを通じて知り合った友人の湘南のご自宅に夫婦して初めてうかがった。遠足気分でロマンスカーに乗り新宿から約一時間、待ち合わせ場所は小田急の片瀬江の島駅である。こうして江の島に電車で来るなどは何十年ぶりだろうか。行き止まり式のターミナル、竜宮城を模して作ったというレトロな小田急の駅舎に降り立つと、海を目の前になんとなくリゾート気分が盛り上がる。


改札口を一歩出ると、ほほをなでる風が海風でまるでクルーズ船のデッキにいるように心地よい。同じ気温でも都会の真ん中の空気と海辺の空気はこうも違うのだろうか。かつて、このあたりから片道1時間以上かけて東京都心まで通勤していた同僚が何人かおり、毎日ご苦労さまと思っていたが、この空気とこの景色に慣れると、暮らすならこの辺り、という気持ちも判らないでもない。


そういえば江の島のある藤沢市には、「善行」駅そばにある県立スポーツセンターに、若いころは陸上競技の試合でよく来たものだ。また今年の正月には箱根駅伝の学連選抜に選ばれた後輩の根岸君を応援しに藤沢橋まで訪れたばかりである。という事で藤沢というとどうしても陸上競技のイメージが浮かんでしまうのだが、ちょっと海岸の方に来てみると古くからのお屋敷とリゾート地帯とあって同じ市内でも場所によってずいぶんと景色が違うものだ。


海の見える新しいマンションの友人宅で暮れ行く相模湾の景色を堪能し、帰りはこれまた何十年ぶりかで江ノ電に乗ってJR藤沢駅に戻ってみた。夏祭りでもあったのか、車内はゆかた姿の若い子たちでごったかえしていたが、こうしてがったんごっとんとのんびりと電車に揺られるのも良いものだ。最近はどこへ行くのもクルマで行く事が多くなったが、缶ビール片手に電車に揺られる小旅行をもっと頻繁にしてみようと思ったのだった。

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外国人も多かった江ノ電

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