2020年8月 3日 (月)

箱根へ久しぶりの旅

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区民保養所・箱根つつじ荘

この週末は新宿区の区民保養所である箱根つつじ荘(中強羅)を訪れた。武漢ウイルス禍で3月に奈良を訪問して以来の旅行である。「ステイホーム」「外出自粛」などと強制されると反発したくなるのがへそ曲がりの私の性分だ。他県とは云え箱根くらいなら構わないだろうと、4月、5月と連続してつつじ荘を予約したものの、緊急事態宣言による施設閉鎖で予約確認後に向こうから断られること二度。この間クルーズ船はまったく運航されないし、海外旅行はおろか国内の旅も憚られる雰囲気で退屈極まりなかったのだが、やっと先月中旬に「8月1日からつつじ荘再開」の報せが来た。まあ区営の保養所なら、大手を振って多摩川を超え都内から脱出できると云うもので、東名高速を下るハンドルを持つ手も軽くなる。


他の区では7月中に各地の保養所を再開しているところもあったようだが、ウイルス感染者が第2位の世田谷区をダントツに引き離しているのが我が新宿区である。ようやく再開したばかりのつつじ荘を訪れると、悪名高き新宿区の汚名挽回とばかり厳重な警戒態勢で館内が運営されていることがわかった。もっとも新宿区と云っても毎日ニュースで話題になる「接待を伴う飲食店」などは歌舞伎町や新大久保など区内のごく一画に集中しており、それ以外は当たり前の商店街、オフィス街、住宅街が広がる町である。これらの場所はフツ~の区民にはまず縁のない盛り場であり、新宿区が「悪の巣窟」のように報道されるのはなんとも腹立たしいかぎりだ。


今回つつじ荘は宿泊者を半分くらいに抑え、部屋も一つおきに利用させている。宿泊客が帰ると使った部屋は消毒し、利用していなかった部屋を次に提供する体制だと思われる。もちろん入館する際には手の消毒に体温測定、窓は換気で開いており、館内どこもマスク着用で健康調査書も配られる。食堂のテープルは一つ置きで充分に距離を開けており、これまでセルフサービスだったコーヒーサーバーの扱いやお茶の給湯も、係の人が一々行って宿泊者同士が近づかないようにしていた。このように全館で万全のウイルス対策が施されており、通常にまして安全対策を実行する従業員の苦労が偲ばれた。また普段なら空きがあれば区民以外の他の利用者も受け入れており、駐車場には他県ナンバー車も見られるのだが、今回はさすがに新宿区民地元の「練馬ナンバー」だけの駐車である。それでも久方ぶりに源泉かけ流し硫黄の匂う湯にどっぷりとつかると、旅心が蘇ってきて、早く移動の制限が解除させることを願わずにはいられなかった。

 

2020年7月26日 (日)

長引く梅雨の思い出

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日本の上空から梅雨前線が一向に去らず各地で大雨や梅雨空が続いている。梅雨の終了時期と云うと、思い出すのは高校や大学時代の夏合宿のことである。その頃は7月10日~20日頃に夏休みに入るとすぐに夏合宿があって、合宿までに梅雨が明けないと、今のような全天候型トラックと違い、当時の土のグランドは雨でぬかるむため練習内容も軽くなった。なので夏休みに入る頃は、梅雨がなるべく長引き、明けないことを願ったものだが、残念ながら合宿入りの前にだいたい梅雨は終わってしまいがっかりしていた。今年の梅雨空を見ていると、そのような思い出が蘇ってくるのだが、こんなにぐずぐずと雨が続くのはいつ以来なのだろうかと関東・甲信地方の気象庁の梅雨明け記録を調べてみた。


気象庁の記録によると1998年と2003年には8月2日頃に梅雨が明けたと発表されているが、歴代で目立つのは1993年の夏で、この年は梅雨明け宣言がないことがわかった。当時の記録によると、1993年は一旦梅雨明け宣言が出されたものの、その後も梅雨前線が日本上空に停滞し、出されていた梅雨明け宣言が取り消されており、その結果日照不足と長雨の冷夏が続いている。この異常気象で日本中でコメの作柄が悪化し、収穫不足から「平成の米騒動」がおこった年である。当時の日本国内の米の需要が年間約1000万トンに対して収穫は800万トンを切ったそうで、「コメは一粒たりとも輸入させない」と永年に亘って政府が農家に大ミエを切っていた中で米不足が起こったのである。


コメの収穫が著しく悪いことが分かったその年の秋から、すったもんだの末に打ち出された政策が、米作りをするアメリカ・オーストラリア・中国・タイから不足分を「緊急輸入米」として買い入れる事であった。とは云っても、それまで沖縄の泡盛用にごく少量のタイ米しか輸入していなかった我が国には、コメ買い付けや輸送のノウハウがなく、食糧庁(当時)や輸入商社、船会社が集まっては、産地ごとに食用米をどのように安全に運ぶか東京で何度も会議が開かれていた。当時私は、シアトルに一人でのんびりと駐在していたのだが、93年秋から1000キロも離れた加州米の積みだし港カリフォルニア州ストックトンに毎週のように出張し、多くの関係者と船積の打ち合わせをすることになってしまった。我が社はこの年、ストックトンから各船1万トンの袋詰め加州米を数航海輸送することとになったが、大事なコメを一粒たりとも事故なく日本に運ぶために万全を期しての船積準備であった。今年の長引く梅雨空で、学生時代の夏合宿や、冷夏で加州米を緊急船積した駐在時代の事を懐かしく思い出した。

 

2020年7月23日 (木)

中国の逆上

中国の傍若無人なふるまいに世界中から非難の声が挙がっている。この1週間の新聞の見出しを読むだけでも、アメリカからは「香港への優遇措置撤廃」「香港の国家安全維持法の関係者資産凍結、金融機関の制裁」「ポンペオ国務長官が『中国による南シナ海の海洋権益は完全に不法』と発表」「ヒューストンの中国領事館に閉鎖命令」「米駆逐艦が南沙を航行」など中国に対抗する数多くの施策や発表がなされている。アメリカは本気である。英国も「最大の空母をアジア・太平洋に派遣」「次世代通信規格で中国ファーウエイを排除」「香港犯罪人引き渡し条約無期限停止」、オーストラリアは「新型コロナウイルスの発生源や感染拡大に関する調査を求めたことに対し、中国政府が経済的な威圧を加えるのをやめるべきだ」と対中非難を強める。 フィリピン・ベトナム・マレーシア・インドネシアも米空母2隻が、対中国で南シナ海に空母2隻を展開することに賛成していると報道されている。


6月半ばにはインド・中国が国境を争うヒマラヤ山脈地帯で両国軍が衝突し、インド兵が少なくとも20人死亡した紛争も起きた。中国はブータンでも新たな領有権を主張を始めたし、尖閣諸島への中国公船の侵入はますます活発になり、わが防衛白書は「尖閣で執拗に活動、現状変更の試み」としている。また武漢で新型ウイルスを発生させ世界中を混乱に陥れているにも関わらず、中国は加害者ではなく被害者であり、世界にマスクを供給した救済者であるかの振舞いは世界中を呆れさせている通りだ。これら中国の世界を敵にするような姿勢は一体何を表すのだろうか。私には最近の習近平が率いる中国は、ヒットラー率いるナチスドイツを思いおこさせる。ナチスドイツはヒットラーの下、第一次大戦後のヨーロッパを規定したベルサイユ体制に挑戦し第二次世界大戦へと突き進んだが、中国は習近平によって自由・民主主義・平等・人権などいまの世界が目指す体制に挑戦し、新たなレジームを展開しようと突き進んでいるようだ。


世界の批判に対して、彼らは「内政干渉」「当事者以外が関係国間の離間をはかるもの」とお決まりのコメントで反発する一方だ。これら中国の姿勢は国内でヒットした映画にちなみ「戦狼外交」と呼ばれ、「中国を侮蔑するものはだれでも必ず根絶されねばならない」と敵対的な相手にはすべからく威嚇するのがその手法だそうだ。民主主義は西欧が考え出したものであり香港や中国に適応すべきではない、冊封体制で地域の中心だった中国は、たまたま19世紀から欧米列強や日本に蹂躙されただけで、覇権を取り戻すのが正当であるという哲学に彼らは突き動かされているようだ。こうしてみると、世界第2位のGDP大国になった彼らは、やっとその本音を少しずつ見せ始めたにすぎず、これからは横紙やぶりだと世界から批難されようと、ますます自分流のルールを他国に押し付けてくるに違いない。しかし世界中を相手に、この先どこまで唯我独尊の強硬突破が通じるのかは甚だ疑問だ。私は近いうちに”現代版ハルノート”がアメリカから中国に突き付けられ、逆上した彼らが本格的な敵対的軍事行動に出るのではないかと考えている。いや、その前に尖閣で日中の衝突があるかもしれない。とにかく日本では、二階幹事長のような媚中派がいなくなることがなにより必要であろう。

 

2020年7月18日 (土)

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展

長引く梅雨と武漢ウイルスでどこにも出かけられない。そんな時には美術館である。主催者の一員である読売新聞から招待券を貰い、上野・国立西洋美術館で開かれている「ロンドン・ナショナル・ギャラリー」展に行ってきた。と言っても今はウイルス対策で、国立西洋美術館は入場者の人数制限をしており、あらかじめ一人200円の予約料を払い、30分刻みで指定される時間に入場する方式になっている。この展覧会はもともと今年の3月から6月に開催予定だったが、ウイルス禍でこの時期にずれたもので、入口では予約の確認に手の消毒、体温測定と絵を見るのも大変な時代である。行ったのは金曜日の夕方とあって、名画の前は2メートルと云われるソーシャル・ディスタンスを取ることは出来ない程度のそこそこの人出だ。それでもいつもの予約を取らないシステムより、よほどゆっくりと名画を鑑賞できたのは、武漢ウイルスの思わぬ副次効果と素直に喜ぶことにした。


ロンドン・ナショナル・ギャラリーはロンドンの中心、トラファルガー広場に市民によって市民の為に形成され、13世紀から20世紀までの質の高い西洋絵画のコレクションを誇っていると解説にある。もっとも妻と15年ほど前にロンドンに旅行した際には、よく覚えていないのだが、ナショナルギャラリー入場を希望する彼女に「絵画は興味ないよ」と冷たく言い放ってパスしたそうだ。最近は、せっかく都内に住んで手軽に世界有数の美術品が見ることができるのなら、まあ見ておくかと考えるようになったわけなのだが、体育会派だった人間も年を経るとともに興味の関心が徐々に”高尚”になっていくようで、その変化が自分でもちょっと嬉しい。今年1月にここで開かれたハプスブルグ展を見た際に「少しでも教養のあるジジイになりたいものだ」とこのブログに書いた通り、一歩ずつ新しい自己発見へのチャレンジである。


ロンドン・ナショナル・ギャラリーが英国外で所蔵作品展を開くのは初めてで、今回は東京の後に大阪でも展覧会を開くとのこと。館内に足を踏み入れるとほぼ時代別に作品が並べられているが、どうも中世からルネサンス頃までの宗教画というのは私は苦手で、一目見ただけでそそくさと通り過ぎる。妻は勿体ないと云うが、そもそもキリスト教に関する知識がまったくない上に、この時代の宗教画は妙に暗く写実的、かつ題材が重いので見てもあまり愉快ではない。という事でじっくりと立ち止まるのは、やはりモネの「睡蓮の池」やらゴッホの「ひまわり」など近世・近代のコーナーで、「美術」の素養のない私には、有名なこの辺りが心に響く。最後は「昔と違って最近は少しでも教養のある」ジジイなところを友人にみせたくなり、暑中見舞い用にでもと、絵葉書数枚を買って展覧会見学を終えた。武漢ウイルスで東京が全国から嫌われているようだが、やはり東京に住んでいると何をするにも見るにも便利なのだ。

この絵葉書で違いの判るオトコに?

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2020年7月13日 (月)

Brooks Brothers が Chapter 11を申請

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Brooks Brothers Card

アメリカンクラシック服飾の代表的メーカーで、永い歴史を誇るBrooks Brothers米本社がChapter 11(破産法)の申請をして倒産したというニュースが流れてきた。なんでも服装のカジュアル化と武漢ウイルスによる売り上げ減が不振の原因だったらしい。そうなるとわが国のBrooks Brothers Japanがどうなるか心配となって、日本のホームページをのぞくと日本法人は「ブルックス ブラザーズ グループ インクと株式会社ダイドーリミテッド社との合弁会社であり、単独の法人として運営されておりますため、直接的な影響を受けることはございません」とある。しかし同ページには「商品展開についても、当面の間は従来通りのラインナップでお客様へご提供が可能であると見込んでおります」と、「当面の間」という微妙な表現をしており、時間の経過とともに何らかの影響を受けることになるのかもしれない。永年、ブルックスの背広や服飾品を愛用してきたファンとしては、ちょっと気になるニュースである。


振り返ると1960年代後半の青春時代、徐々に色気づくに従い、学ラン以外に何を着たら良いのかという戸惑いからIVYルックに興味を持ったのがアメリカンクラシックとの出会いである。アイビーと云えば米国東部の名門大学8校でなる IVY LEAGUEの学生が好んで着た服装で、それまで日本にはなかったボタンダウンシャツやコインローファー、細身のチノパンを着用するというスタイルである。当時の日本人の若者にとって先進アメリカからやってきたIVYルックは、知的で光り輝くスタイルに見えたし、上から下まで身に着けるものに「定番」「お約束」があり、その公式通りにしていればどこを歩いてもサマになるので、若者には便利なものでもあった。もっともボタンダウンシャツなどは、日本では石津謙介のVAN JACKETや銀座の帝人メンズショップなど、ごく限られた場所でしか手に入らず、私も当時はやった服飾雑誌”MENS'S CLUB”を読んでは、小使いを貯めたり親にねだったりしてやっと揃えたものだ。


1979年にIVYルックの大人版、アメリカンクラシックのBrooks Brothersが日本に進出してきたが、最初にオープンした青山店のラインナップはたしかに「良いもの」なれど値段は高め。その頃はペーペーサラリーマンだったから、ボーナスが出るか何か特別なお祝いがある時だけに思い切って購入できるアイテムだった。もちろんBrooksで買ったスーツのジャケットはナチュラル・ショルダー、前ダーツなしの寸胴、やや細身のラペルに3ボタン段帰り、センターフック・ベントに裾・襟の外から5ミリほどにスティッチ、パンツはストレートのパイプステム、ノータックでストレートポケット、裾はダブルと「教科書通り」のスタイルである。当時は銀行員などは職場でボタンダウンシャツが許されない時代である。まだアメリカンクラシックのスーツを着ているサラリーマンはごく少なく、街で同類と出会うとお互い相手のスタイルを上から靴までじろっと値踏みしたのが懐かしい。アメリカに駐在していた時も現地のBrooks BrothersでSサイズのスーツを買ったが、アメリカンクラシックの寸胴スタイルは、私のように足が短くても何とかサマになると一人で悦に入っていたものだ。今回のニュースを聞いてワードローブをあらためると、今も主流はBrooksである。どうか日本では事業を継続して欲しいと望んでいる。

今もクローゼットにはコートやスーツ、パンツなどBrooks 製品が多数
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2020年7月11日 (土)

飯田橋駅・新ホーム

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水道橋駅(旧飯田町駅)方面に向かい300R急カーブの旧ホーム、飯田橋駅開業時からホームは徐々に旧飯田町駅に向かい延伸したのか?

最寄りのJR総武緩行線・飯田橋駅(東京都千代田区)ホームが7月12日から新しくなる。現在の飯田橋駅ホームは300R(=半径300米)のカーブに、一部33.3パーミル(1000米の間に33.3米上下する)もの勾配に沿って設置されており、ホームと電車との隙間(すきま)が最大33センチあき、線路のカント(左右両線路の高低差)によりホームよりドア入口が20センチ高くなる箇所があると云う結構スリリングな構造である。乗降客には掲示や放送でこのギャップについて注意を促していたが、それでも年間平均10件ほどの転落事故が起きていた。もし"電車でGO"で雨の中飯田橋駅に満員電車を定位置に停車させる設定があれば、毎回緊張の場面連続というような運転士にも難所の駅であろう。実際にホームを監視する駅係員の見張り場所は、曲がったホームの両端を見渡せるように地面から数米高い場所にあって、管理する側も相当な神経を使ってきたことがうかがえる。


7月12日以降はこの300R部分を避け線路の勾配も緩やかにした上で、ホームを南西方向の市ヶ谷方面に200米に延長した様な形で新ホームが稼働する。安全面では大きな進歩だが、しかしこれまで飯田橋駅を利用する度に、なぜこのようなトリッキーな場所にかつて駅を造ったのか、という疑問を常々感じていた。このあたりの経緯を述べた本やサイトが見当たらないので、どうしても個人的想像をたくましくしてしまうのだが、そもそも昭和3年に開業した官鉄・飯田橋駅は、それまで約250米ほど市ヶ谷寄り(西)にあった牛込駅と、反対側500米ほど水道橋駅寄り(東)にあった飯田町駅が統合して出来た駅である。新駅を旧両駅の中間より牛込駅に近い場所にしたのは外堀通り・目白通り・大久保通りが交差して市電の乗り換えなどの便が良かったこと、当時市内有数の遊興の地だった神楽坂への利便性を考えてのことだと思われる。


当時の官鉄線の電車はせいぜい2~4両ほどで運転されていただろうから、飯田橋駅が造られた当初は水道橋寄りにある300R急カーブにかからず、その手前でホーム長が収まっていたはずである。しかし時代の進展で電車の編成が長くなるにつれホームを延伸する必要が生じるが、統合前の旧両駅との間隔を考えると、どうしても遠くなった飯田町(水道橋)寄りの乗降客の利便を考慮する必要がでてきたのではなかろうか。飯田町方面は陸軍関連の施設もまだ多数存在していた時代である。こうして駅は飯田町方面にホームが伸び、最後は東にある急カーブまで延伸した駅になったというのが私の推理である。さて7月12日以降は急カーブにかからない安全な新ホームが使われることになり、これまでの水道橋と飯田橋の駅間距離900米、飯田橋と市ヶ谷間の駅間距離1500米が、それぞれ1100米と1300米に平準化され快適性も増しそうだ。また新ホームの使用とともに飯田橋駅西口駅舎も新装オープンするから楽しみである。それにしても線路の場所やら勾配を見ているだけで、これだけ色々な想像が浮かんでくるのだから鉄道はやっぱり面白い。

電車とギャップが大きいこれまでの飯田橋駅ホーム
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2020年7月 8日 (水)

2020都知事選・報道しない自由

先の日曜日は都知事選であった。当初から小池百合子現職知事の圧勝が予想されていたので、選挙にあまり興味はなかったものの、投票は国民(都民)の権利であるととももに義務でもあるから、小雨模様の天気をついて近所の小学校の投票所に行ってきた。さて誰に投票するかと迷ったが、小池氏は築地市場の豊洲移転に際しパフォーマンスばかりが先行し、巨額の税金を無駄に使ったし、今回のウイルス騒動ではやたら聞きなれない英語を連発したりとどうも好きになれない。では誰にするかと思案の上、消去法で維新の会から出馬した小野泰輔候補に投票する事にした。多くの野党の支援があった宇都宮候補やれいわ新撰組の山本太郎候補などは論外、東京出身の46歳で東大法学部を卒業し熊本県副知事をしたという小野氏には特にこれと云った目玉の政策はないが、若さと経験を買っての一票である。


予想したように投票締め切りの8時になると同時に勝利速報がテレビで流されるほどの大量得票で小池氏が圧勝し、都民はウイルスやオリンピック対策に関して彼女に信任を与えることになった。あとは自分が投票した候補を含め、各候補者が地域別にどう善戦したのかの興味が湧いて、東京都選管の速報値を加工してEXCELの一覧表(下のアイコン参照)を作成してみた。これを見ると1位の小池氏は各地区で満遍なく得票を得ているが、都心部より郊外の人気がやや高いことがわかる。私が一票を投じた小野氏は、宇都宮・山本太郎氏のサヨク陣営に続き全体で第4位であったが、名前や顔が良く知られた両氏に対して無名なのに、彼らに肉薄する61万票を得ての大善戦であった。特に千代田・港・中央の都心三区では小池氏に次ぎ、2人のサヨク候補を押しのけて第2位になったのが注目される。これら都心三区は、高輪や白銀などの高級住宅街に多数の新築タワーマンション、そのほか古くからの自営業者の住民が混在する住む概してリッチな地域だと言えよう。


また新宿・文京・台東・江東・品川・目黒・大田・世田谷・渋谷などの準中心部において山本氏は小野氏に負けており、一時おこった山本ブームも陰りが見えてきたのが明確になった。タレント上がり、減税を主張する山本氏だが、人気先行であまり中身のない主張は、周辺部ではともかく、どうやら都内中央部の有権者には見透かされてきたといえよう。注目されるのが「在日特権を許さない市民の会」の初代会長などを務め、今回も中国人観光客の入国拒否などを呼び掛けて選挙戦に臨んだ桜井誠候補が18万票(前回11万票)を獲得し5位になったことだ。前回に比べて投票率が5%も低くなり、全部で30万票がなくなったにも関わらず桜井氏が7万票も多く得た結果には驚かされる。主要メディアに意識的に無視されてきた桜井氏の躍進を見ると、ネット時代の選挙が到来したこと、リベラルやポリティカルコレクトネスばかりに配慮し「報道しない自由」とばかり、偏っているメディアの在り方に一石が投じられたようだ。東京都の予算はノルウェーの国家予算と同じ規模の15兆円だという。都知事・都議会の今後の活発な活動に期待したい。

2020東京都知事選結果
Excel
(アイコンをクリックするとファイルがダウンロードされます)
参照元データ 東京都選挙管理委員会事務局 東京都知事選挙(令和2年7月5日執行) 投開票結果

2020年7月 6日 (月)

還暦からの底力

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出口治明と云うなぜか今評判の人物による講談社現代新書である。新聞の広告によると多くの大型書店のベストセラーランキング第1位で「大反響!たちまち20万部」なのだそうだ。還暦はとっくに過ぎたし、普段この手の本、たとえば「定年後の生き方」などのジャンルにはあまり興味が湧かないのだが、新聞広告の大きさや本屋の店頭にプロモーションで高く積まれた本書をみて、にわかにどんな著者なのか興味を覚えて読んでみることにした。出口氏は大手生保の役員のあとネット生命保険会社を立ち上げ、今は九州で新しい試みをする大学の学長であると本のカバーに記されている。なんでも稀代の読書家である、という事をどこかで読んだ気がするし、世界や日本の歴史に関する本も書かれているようだ。ただ以前は経済人、今や教育者の身で極めて忙しそうなのに「古今東西の歴史・文化なんでもござい」で「知の巨人」などと聞くと、池上彰のような百科事典やウイキペディアのコピペの達人ごとき、どこかうさん臭い人のような気がしないでもない。


本書の中身としては、高齢者が保護されるべきという考え方は誤りで、次代を担う若者のために高齢者は体力・気力・境遇などに応じて能力を発揮すべし、「変態オタク」系を養成したり、多文化共生を目指す教育なども取り入れるべし、女性の活用やプロモーションは法的強制を伴っても断行すべしなどと、よく聞くメディア受けする主張が述べられている。また老若問わず生きていくのは読書が必要で、なかんずく古典を読むことは知識 x 考える力 = 教養であり、それが国の力になるとの自論も展開される。まさに読書家たる氏らしい提案である。「人生の楽しみは喜怒哀楽の総量で決まる!」と書かれている通り、高齢者は自らを老人などと規定せずに積極的な生き方をすることを薦めており、総じて本屋の店頭で手に取って購読を決めた時に予想した通りの内容であった。本書は大筋において趣旨は理解できるものの、一方で「還暦本」と言っても年齢が紡ぎだす人生の味わいなどにはほとんど無縁で、出口氏のエネルギッシュな生き方や考え方だけが伝わってきた。


出口氏は本書で自分は保守主義だと規定したうえで、保守とは「人間はそれほど賢くない」という前提に立って、理性や理想を重視するよりは伝統や慣習を重視する考え方だとしている。私も保守の定義についてはその通りだと同意する。しかし氏は現在の憲法は「いまの憲法でそれほど困っている人がいる」とは聞いたことがないから「手をつける必要」はなく「わざわざ寝た子を起こさなくてもよいというのが本来の保守主義の考え方であります」(P.188)と書中で論理が一気に飛躍したのには驚いた。これで本当に保守主義者なのか?現憲法の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」などとする前提は、ただの「理想」で決して保守思想とは相いれず、ましてわが国には中国や朝鮮の「公正と信義」を信頼してきた伝統などは一切ない。いま眼前では中国の覇権主義、北朝鮮の拉致や核問題、武漢ウイルスでの市民生活の行動制限など、憲法に関わる「困ったことが沢山がおきている」のに「それほど困っていない」とはどういう認識なのだろうか。斯様にこの種の本によくある牽強付会の主張も散見され、また謙遜しているようで実は自慢につながる挿話もちらほらあったのがやや興ざめであった。どうも「知の巨人」などと言われる人の本は苦手である。

 

2020年6月30日 (火)

皇居・北の丸公園

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都心と思えぬ緑の庭園を走る

皇居周回コースは今や都心で走る人のメッカのような場所となり、多くのランナーが昼夜問わず走っている。信号もなく安全で走りやすのだが、週に何度も走っているとさすがに飽きてくるものだ。そんな時にはすぐお隣にある皇居・北の丸公園でジョギングをすることが多い。公園と云えば都心には日比谷公園や皇居東御苑などもあるが、日比谷公園が和洋折衷の庭園、東御苑は名所・旧跡となっているのに対し、北の丸公園は都心の緑の森の公園だといえよう。皇居北の丸はもともと江戸城の火災除け用地だった場所で、江戸中期より徳川家の御三卿家である田安・清水両家の領地になっていたそうだ。明治以降は近衛師団の兵営地で立ち入りができなかったが、戦後は森林公園として整備され、東京オリンピックに際してその一画には日本武道館が建てられている。昭和44年からは環境省が管理する公園として、常時一般に開放されている場所である。


この皇居北の丸は周囲の長さは約1.6キロほどのこじんまりした場所なのだが、園内に造られた遊歩道を辿れば、一周1.3キロほどの起伏に富んだ周回コースをつくることができる。ただしここでは環境省北の丸公園利用案内に「個人・団体を問わず、公園内の歩道・遊歩道、車道等においてランニング(ジョギングを含む)される場合、タイム計測やインターバル・ダッシュ等に代表されるような、いわゆる『スプリント・ラン』については、例え全力疾走でなくとも絶対に行わないでください。また、大会等への参加を見越したマラソンの練習についても、その疾走スピードは『他の来園者・利用者にとっては脅威』なので絶対に行わないでください。」とあるように、他の通行人の迷惑になるような、あるいは集団で走るような行為はご法度である。あくまでゆったりと公園の情景の一部となるように走ることが求められるのである。


という事で私はタイムを計測したり目標をもって走る際には隣の皇居周回コースを、ゆっくりと気分よくジョギングしたい日には北の丸公園を利用することにしている。緑多き園内は中央に池が配置され、その周囲は山道あり渓谷あり竹林もあり、さらには湿性植物園などもあって景色に飽きることがない。森の中には旧近衛連隊の碑もあり、コンパクトな敷地の中に上手に公園が造られている事がわかる。春は桜の花、今の季節なら木漏れ日を、秋になれば紅葉を楽しみながら園内を巡ると、走る辛さも忘れ、いつまでもこの道が続いて欲しいと云う気持ちにさえなってくる。ここは最寄の地下鉄竹橋駅や九段下駅からやや離れているため、普段は訪れる者も少なく、地元の人や近隣の勤め人が訪れる程度である。本当はなるべく秘密の場所にしておきたいような静かな公園なのだが、都会のど真ん中で緑豊か、鳥の声を聞きながらゆっくり走ったりそぞろ歩くには最適の場所なのである。

深山幽谷のような一画もある北の丸公園
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2020年6月27日 (土)

ゼロリスク神話を求める人たち

今日は3カ月に一度の歯医者の定期健診に行ってきた。顔なじみの先生に「武漢ウイルス騒動で大変でしたね」と言うと、「そうなんです、入口で検温することになって『コロナ対策のため検温お願いします』と言った途端、いきなりきびすを返して帰っちゃた方もいましてね。その患者さんは2か月ほど外出も控えていたそうで、よほどウイルスに神経質になっていたみたいですね」と先生は苦笑いをしていた。そう云えば「久しぶりに飲もうか」とラインで聞いたら、「3月からは数回クルマで外出しただけで今はまだ電車での外出はダメ」と返事を送ってきた知人もいた。いやはや、リスクゼロを求め日常生活に戻らない人が周囲にまだいる事に驚くばかりである。災難は忘れた頃にやって来るではないが、武漢ウイルスに100%の神経を注いでも、明日は豪雨か雷が我々を襲うかもしれないし、地震がおき火山が噴火するかもしれない。事故や病気も含めていつ災難が襲ってくるのか人生はわからない。そういう不条理の世界に我々は生きているのに、ウイルスなど何か特別に自分の気になる事だけを取り上げ、そればかりに各段の注意を払う人々の行動は神経症的とも思える。「絶対の安全」や「絶対の安心」などは世界のどこにも存在しない。


リスク・ゼロに関していえば、月間"HANADA"最新8月号の巻頭にジャーナリスト有本香氏が「イージス・アショア」の突然の配備計画停止についてこんな文章を載せていた。発射されたミサイルの部品が安全確実な場所に落下するのが難しいので、配備計画を停止するという防衛相の発言に「核弾頭が搭載され、一発で何十万もの日本国民を殺傷させるミサイルが飛んで来るかもしれない非常時に、それを撃ち落とす部品の落ちどころが心配だから配備しない?」「(小池都知事の馬鹿げたパフォーマンスだった)豊洲の地下六メートルの地下水じゃあるまいし、ゼロリスクを求めるあまり、巨大なリスクや損失を防げないということか。こんなバカな話がまかり通るのは、世界広しと言えども日本だけに違いない」として、彼女は「ゼロリスク詭道」(人をあざむくようなやり方、正しくない手段・広辞苑)に警告を鳴らしている。


原発反対運動でもそうだが、有本氏が指摘する如くいま日本で蔓延するゼロリスク神話を見ると本当に日本はこれで良いのかと心配になる。都知事選でも都内上空を通過する羽田空港の新進入方式に反対するサヨク候補がいる。事故や航空機からの落下物の危険を訴えているようだが空の利便性が新ルートで大きく拡大することに比べれば、ごくごくまれにしかおきない事故の可能性のみを取り上げるのもゼロリスク病で神経症的な態度といえる。リスクゼロ病と似た現象で、自然をごく少しでも毀損しかねないプロジェクトは推進してはならないという風潮も気になる。今日の読売新聞朝刊には、静岡県知事が大井川水系に影響を与えるかもしぬ、という理由で2027年に開業予定のリニア新幹線の工事着工を認めないとある。今では地下の導水路導入などで水量の調整などはかなりコントロールできる時代である。新幹線の工事とともに水利の調査も進めればよいと思うが、完全に影響がないと分かるまでは何も手を付けさせないというのも小児病的態度と云えよう。ことほどさようにリスクゼロを求めて多くの施策の実行が困難になるという状況なら、日本は「遅れた20年」にとどまらず、この先進歩を忘れ世界に取り残される時代になるのではと大いに危惧する。

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